80.王族の再会
一方その頃。
南東の森にて、ナザールたちは二人の敵と対峙していた。
キャロット、名無しの女の二名である。
追い付いたのか? 否である。
ポプラティカがいなかった。
ナザールたちがそこにたどり着いた時、彼女らはすでに待ち構えていた。
罠か? 否である。
女たちは、追っ手が掛かる可能性を考慮に入れた上で、聖典を持ったポプラティカに一人の護衛を付けて逃がし、ここで待っていたのだ。足止めをするべく。
ゲディグズの復活は、儀式の方法を知るポプラティカ一人がいれば十分である。
正確に言えば、儀式の方法を知る者は他にもいる。
聖典さえ持ち帰れば、ポプラティカすらいなくても行えるのだ。
ナザールとサンダーソニアは、彼女らが待ち構えていた時点で、ポプラティカの追撃を諦めた。
一緒に逃げていたならまだしも、この二人に足止めされて追い付けるとは、到底思えなかった。
しかし、追撃をしようと思った目的は、達成できた。
そこに、名無しの女がいたからだ。
「……」
「……」
しかしながら、場には気まずい沈黙が流れていた。
名無しの女とナザールが向かい合い、キャロットは「あーあ」という感じで居辛そうにしていた。
ナザールは何かを聞きたげな目で、彼女の方を見ていた。
名無しの女はというと「なにかありましたか?」という感じだが、その視線はナザールから明らかに逸れていた。
おせっかい焼きのサンダーソニアも、この状況は少し気まずそうで、何かを言おうか言うまいか、迷っているように見えた。
口火を開いたのは、ナザールだった。
「姉上、生きていらしたのですね?」
「君に姉と言われる筋合いはない」
「どうして、ずっと死んだと思っていました。なぜ、連絡の一つも入れてくれなかったんですか……」
その冗談みたいな物言いを、ナザールは無視した。
キャロットは「空気読めよ」とばかりに女を肘でつついた。
サンダーソニアは「違うのか?」という顔でナザールを見て、ナザールの表情を見て「いや違わないよな」と視線を戻した。
「それどころか、こんな……ゲディグズを復活させる勢力に加担しているだなんて……」
「……」
「戦争は終わって、平和な時代がきたら、全ての種族が手と手を取り合って、仲良く暮らす、それが姉上の夢じゃなかったのですか!」
名無しの女が、そこで初めて、ナザールに対して強い視線を向けた。
「ああ、そうさ」
そして観念したように、顔の包帯をはがしていく。
「だが、私はね、思うんだ」
出てきたのは、火傷の痕。
原型を留めぬ、女の素顔。
だが、ナザールは知っている。懐かしい面影の残った顔。最後に会った時より、少し成長した顔。
リーシャ・ガイニウス・グランドリウス。
死んだはずのヒューマンの王女が、そこにいた。
「平和に暮らすのに、不要な種族がいるんじゃないか、とね」
「……その火傷は?」
「戦場で、大量の油を掛けられた上で火をつけられたからだよ……でも聞くべきは、火傷の理由じゃないだろう、ナザール。誰が、何の目的で、それをしたか、だ」
「敵にでは、ないのですね……?」
リーシャは見下すように鼻で笑う。
その表情から「なぜそんな当たり前のことを言うんだ」という意図を読み取り、ナザールは肯定と受け取った。
「私は、激戦区で、味方を逃がすために、少数で残った……その戦いが佳境に差し掛かるあたりで、大勢の援軍がきてね。敵は逃げていった。その日の夜、救護班の天幕に皆で寝転がり、皆で助かったと喜んだものだよ……で、その日の夜、私達は泥のように眠り、火をつけられた」
「一瞬で全滅だよ。私は装備だけはしっかりしていたから、火傷だけで済んだ。けどね、驚愕はそこからさ。火だるまになりながらも、襲撃してきた敵を迎え撃つために天幕から出たら、何がいたと思う?」
「そう、ヒューマンだよ。私達を助けにきてくれたはずの部隊が、なぜか私達に火を放っていたんだ。そして這い出てきた私を見て、剣を向けて言ったんだ。『おい、まだ生きてるぞ』ってね。そして、炎の魔法の集中砲火さ」
ナザールは絶句した。
そんな話は、聞いていなかった。
ただ、リーシャの部隊は全滅したのだと聞かされていた。
「助けてくれたのは、本当に夜襲を仕掛けようとしてくれたデーモンの部隊だったよ。味方に裏切られた私を哀れに思ったのか、はたまた気まぐれか、まさか私を味方と見間違ったということは無いだろうけど、少なくとも私がヒューマンの王女だと知らなかっただろうね。難にせよ、ヒューマン軍を蹴散らしたデーモンは、私を助けてくれた」
それから、重症患者として、また捕虜としてデーモンの国で過ごし、戦争が終わる頃、ポプラティカに連れられて、国を出ることを選んだ。
「それが事実なら、もっと問題になっているはず!」
「でもなってない……なぜだと思う? 私が嘘を付いているからだと思うかい? こうして火傷の痕もしっかりと残してあるのに?」
「……いえ」
「君は、なんだったか。旅の楽師だったか? 諸国を飛びまわっているみたいだが、その間に国を動かしているのは誰だと思う? その国を動かしてる者は、どういう思想で動いていると思う?」
「皆、精一杯やっています」
「野望は隠して、ね。そして、バレずに野望に一歩近づけるタイミングがあれば……こうする」
名無しの女の顔。
原型を留めぬほどに焼けただれた、顔。
「『降天の王女』リーシャ・ガイニウス・グランドリウスは死んだ。味方であり、導く相手であったヒューマンに裏切られ、殺された」
「では、誰に……やられというのですか?」
「さぁ? 黒幕に心当たりはあるけど、確証はないから言わないよ。それに私は犯人捜しをしたいわけじゃない」
「昔の姉上なら、自分を陥れた相手には、きっちり報復していたと思いますが……」
「もちろん、最初はそうだった。デーモン達に命を救われ、戦争の終わった世を見ながら、ヒューマンの動向を探っていたんだ。私をこんな風にした奴に、復讐してやろうってね……でも、見ているうちに、少し考えが変わった」
「どう、変わったのですか?」
「私を裏切ったのは、特定の誰かじゃない。ヒューマンだ。ヒューマンという種族そのものが、私を裏切ったんだ、ってね」
リーシャは空を見上げる。
『降天』と『来天』。二つの天のいるこの地の空は不安定だが、今はどんよりと曇り始めている。
「ヒューマンは、自分勝手な種族だ。自分の都合のため、自分の欲望のため、自分の権利のため、他者を平気で陥れる。それが証拠に、戦争に勝った途端、他の種族を見下し、手足をもぐように不利な条約を押し付け、時に隷属を強要し、支配し、場合によってはゆるやかに滅ぼそうとしているだろう……ヒューマンは、滅ぶべきだ。少なくとも、戦争の勝者であってはいけない」
「だからゲディグズを復活させて、また戦争を再開しようと?」
「そうだ」
「また何千年も続く戦争になるかもしれないのに?」
「私はデーモン王ゲディグズと少し話したことがあるが……彼は傑物だ。どちらが勝つにしろ、そうはならないよ」
確信を持った言い方に、ナザールの言葉が止まる。
「お前も、いつまでも遊んでいないで、本気で国や世界のことを考えるんだね」
「僕は姉上の遺志を継いで、僕なりに頑張ってきたつもりです」
「その結果、お前は政治から弾かれ、本当に大事な決定の場に参加できていない。……今、国の実権を握っているのは父上だと思うか?」
「それはもちろん、そうでしょう」
「そうだとして、父上はご病気だ。あと何年持つ? 崩御された後、お前は実権を握れると思うか? 大事な決定の場に参加しないお前に」
「……」
「お前の諸国漫遊を後押ししているのは誰だ? そいつは、お前が王になることを本心から望んでいるか? 支援こそしてくれるが、耳障りのいいことばかり言って、肝心の部分では反対したり、自分の考えを押し通そうとしたり、もっともらしい理由をつけて無理だと突っぱねてこないか?」
心当たりがあった。
宰相クルセイド。
彼は最後にはナザールの言う通りにしてくれるが、しかし思い返せば、オークに対してもサキュバスに対しても、平等なようでいて辛辣であった。
言われてみると、バッシュの尋問に関しても、ずっと反対していたように感じる。
バッシュを犯人ということにして、オークとの仲を険悪にしようとしていたように、そう感じる。
ナザールはそれを無知からくるものだと思っていたが……それにしては、クルセイドは知っていることが多すぎる。
「でも……」
「予言してやろう。いずれ最適なタイミングで、お前は殺される。私のようにな。そしてお前が死んだ後、一つの種族が滅ぶ。それはサキュバスかオークか……ああ、もしかすると、エルフとの戦争の発端になるかもしれない」
「……」
「そして、ヒューマンの多くは、戦争に賛同するぞ。我らの『来天の王子』ナザールが殺されたのなら、他種族など滅ぶべきだ、とな。なにせヒューマンの大半は、最終的に自分達が富むなら、他種族がどうなろうと、知ったこっちゃないんだから」
「そんなことはない! 僕たちは、ちゃんと各種族のことを考えている! お互いの利益を考えて、よい形になるように調整している」
「ああ、そうだろうとも。でも各種族に無償で奉仕しようなどという者はいない。お互いの利益を考えて? 自分たちにまったく利益が無いとなったら、どうするんだ? お前は自分達が多少の不利益を被ってでも、その種族のことを考えるべきだと言うかもしれないが、他の者はどうだ? 民がそれに納得するか? 他種族に便宜を図るあまり、民が飢えるとなったら、お前はそれでも、不利益を被るべきだと言い切れるのか?」
「それは……確かに、そうかもしれないけど……しかしそれは、どの種族だって同じのはずだ」
「そうだな。だがヒューマンは、上手に騙すぞ。相手を、そして自分たちを。そうして自分達の都合のいい形に持っていく。正義はこちらにある、大義のある戦いだとな」
「……」
ナザールはもう言い返せない。
確かにそうかもしれないと思ってしまったからだ。
そうして、ヒューマンは長い戦争で戦意を保ち続けてきたからだ。
自分たちが正義だと、ありとあらゆる方法で思い込むことで、戦い続けてきたからだ。
それは戦争が終わった今も変わらない。
あれやこれやと理由をつけて、オークやサキュバスを弾圧している。
最初は、彼らがサキュバスやオークの実態を知らぬからだと思っていた。
確かに、一般市民の多くは何も知らない。
サキュバスはこうだ、オークはこうだという、先入観があり、それ以上を知らない。
だが、どうにも、上層部は知っているようだ。
知っていて、一般市民に知らせぬよう、戒厳令を敷いているフシすらあった。
「やあねえ。自分の種族が嫌いな子は。あーだこーだと理屈ばかり。ようは、自分は綺麗だと思ってたのに、ちょっと角度を変えてみたら思いのほか汚かったのが許せないってだけでしょ。潔癖性はこれだから困るわぁ」
会話が途切れたのを見て、キャロットがクスクスと笑った。
「……まぁ、私が感情でヒューマンを悪く言ってるという点は否定するつもりはない。今言った理屈に間違っている所もあるだろう。だがヒューマンが己のために身を粉にして戦い続けてきた者を足蹴にし、自分だけ這い上がろうとすることが出来る種族というのは、確かだ」
「ま、何でもいいけどね。ヒューマンが支配する世界では、サキュバスが生き残れないのは事実だもの」
キャロットはそう笑った。
己の種族に誇りなど存在しなかった、ただ薄汚い種族だったと信じる女。
己の種族が誇り高く、今は足蹴にされているが綺麗だと信じる女。
正反対の二人だが、目的は一緒であった。
キャロットはナザールに向き直る。
「じゃあ、相容れないということで……戦う? それとも、あなたもあたしたちに付いてくる? このまま帰って、お姉ちゃんが生きてた~って泣きついたら、暗殺されちゃうかもしれないのよねぇ? だったらこっちに来てもいいわよ。ちょっとだけ、味見させてもらうけど……」
「……」
ナザールは、もはやどうしていいか分からなかった。
助けを求めるように、隣の女性に視線を向けた。
サンダーソニアは、ケロッとした顔をしていた。
「ん? なんだ? ヒューマンがそういう連中だってことは、最初からわかっていたことだろう」
「……え?」
「ヒューマンが嘘つきで、身内すら時に騙したり陥れたりする……そんなの、エルフの中では常識だぞ。何百年も前からわかっていることだ。エルフの上層部だって、それを念頭に外交をしてる。私からすると、何をいまさらって感じだな。でも、若いお前たちが、自分の種族を信じられなくなる気持ちはわかる。騙されて、殺されかけたんだもんな」
サンダーソニアはため息をついてそう言いつつ、別のことを考えていた。
話は終わらせた方がいいだろう。
事実がどうであれ、ナザールの方は心の整理をつけなければ納得もできそうにない。
混乱の中、実の姉につけ込まれ、向こう側につくという可能性も出てくる。
(さて、あとはこいつらとやり合うかどうかだけど……)
ナザールとリーシャらしき人物を会わせたい。
そんな気持ちでここまで来たので、ひとまずの目的は達成したと言える。
なら、次の目的は目の前の二人と戦い、ポプラティカの追撃を続けることだが……。
(無理か)
サンダーソニアは、そう結論を出した。
「リーシャ、お前にも久しぶりに会えてよかった。皮肉に聞こえるかもしれないが、元気そうでなによりだ。次は戦場か? まあゲディグズ次第だろうけどな。本当に復活なんて出来るのか知らないけど、無事に復活したら、首を洗って待ってろと言っとけ。次も殺すってな」
サンダーソニアは、引くことを選んだ。
ナザールは、もはや戦意を喪失している。
20そこそこの若造だ。死んだと思った実の姉が生きていて、しかし身内に殺され掛け、種族の裏切者になっていたのだと知れば、落ち着くのに時間も掛かろう。
今は戦えないか、戦っても使い物になるまい。
場合によっては、敵に回る可能性すらある。
いかにサンダーソニアと言えど、一人で遅延戦闘に終始するであろうこの二人を突破しきるのは、非常に困難だ。
ナザールが裏切って一対三ともなれば、逃げることすら難しい。
ポプラティカは諦める他、ないだろう。
ナザールが結論を出す前に、さっさと引いてしまうのが得策だ。
「大人しく引いてくれると?」
「ああ。お前たちが、どうしても私の首が欲しいというなら、まぁやり合うのもいいけどな。確実に一人は道ずれにしてやる」
「あのサンダーソニアを仕留められる好機とあらば、ぜひともやり合いたい……と、言いたい所だけどぉ……」
リーシャとキャロットは顔を見合わせる。
ここでナザールとサンダーソニアを倒せば、大きな戦果となろう。
なにせこの二人は、かつてゲディグズを倒した四人のうちの二人なのだ。
これから戦争を始めるにあたって、大きな障害となる可能性がある。
倒せるなら、倒しておくに越したことはない。
だが、そもそも、ここで倒さずとも、ゲディグズさえ復活すれば、ナザールやサンダーソニアを討ち取る機会はあるはずだ。
ナザールもサンダーソニアも、もはや伝説とも言える存在だが、それでも、ゲディグズの方が格上なのだから。
彼らは四人で、ようやくゲディグズを倒したのだから。
それに、今まさに、自分たちは目的を達成した。
ヒューマンの聖典が手に入り、全ての鍵が揃った。
これから、始まるのだ。
楽しい時間が待っているのに、ふいにするのはバカバカしい。
「やめておこう」
「だよな。じゃあ、戦場で会おう」
「ええ、戦場で」
サンダーソニアは、あっさりと踵を返す。
リーシャとキャロットも、踵を返し、森の奥へと進んでいく。
「僕は……」
ナザールは少し迷った。
サンダーソニアは待ってくれない。リーシャも振り返らない。
誰も何も言ってはくれない。
どうすべきかは、自分で選択しなければならない。
ずっとそうだ。
リーシャが死んだと聞いてから、ずっとナザールはそうだった。
だが今回、リーシャが生きていると知り、リーシャの言葉を聞き、また揺らいでいた。
また標となる人物が戻ってきてしまった。
だがその標は、今自分のやっていること、やってきたことと正反対を向いている。
これを信じて付いていったら、自分は終わるだろう。
リーシャが死んでからの自分を否定し、二度と自分で選択できなくなるだろう。
何か、他に標となる物はないか。
そう考えた時、ふと一人の男の顔が思い浮かんだ。
「あ……」
己の種族のために、過酷な旅を続けている、一人の英雄の顔だ。
その英雄は、突然現れた怪物からヒューマンの町を守ろうと戦ってくれていた。
守る理由など無いだろうに、無辜な民を救おうとしてくれていた。
きっとその背中を見て、助けられた者の何割かは、オークという種族を見直すことだろう。
かつてオークからの略奪にあった町の者であっても……。
大半のオークが、彼のような立派な考えを持っていないとしても、だ。
誇りを持って動くとは、きっとそういうことなのだろう。
ナザールは、迷いを断ち切るかのように、顔を上げ、踵を返した。
サンダーソニアが見えてくると、彼女は振り返り、ナザールを待ってくれた。
「いいのか? お姉ちゃんについていかなくて」
「苦境の中であがいている者もいるのです。安易な方向には逃げません」
『オーク英雄』バッシュ。
彼もまた彼女らに勧誘を受け、しかし自分の道を選んだ。
自分はそれを間近で見ていた。
ならば、自分もと、せめてそう思ったのだ。
「そうか……ちなみにな、こほん、さっきの言葉を気にしているようだがな」
「はい?」
「例えば、エルフと戦争をしたくなければ、お前がエルフの王族と結婚し、より繋がりを強固にするという手もあるぞ。ビーストとエルフもやってたろ?」
「え、あ……ん?」
「それで、ヒューマンからはドワーフやビーストに婿や嫁を出したりしてな。そうやって繋がりを強固にしておけば、一国が悪いことをしようとしても、他の三国がしっかり抑え込めるだろ?」
「ああ、確かに、そう? ですね?」
「なんだったら、私がお前の嫁になってやってもいいぞ。私とお前が一緒になれば、暗殺もそう簡単にはできないしな」
「はは。ありがとうございます」
よくわからない話だが、慰めてくれているのだと思ったナザールは、弱弱しく微笑んだ。
「ヒューマン王家は純血を保つために他種族との結婚はできませんが、お気持ちは嬉しく思います。そうか……言われてみると、僕は政治や外交のこと、何も知らずにここまできてしまったのですね。リーシャの言ったことも気になりますし、この一件で生き残れたら、もっと勉強しないとな」
「そ、そうか? うん……まぁ、そうだな、勉強は大事だ! うん! 頑張れよ!」
そしてサンダーソニアはあえなく撃沈したのだった。