74.オーク英雄の危機
ザリコ半島は、戦後ヒューマンが最も復興に力を入れた土地と言えよう。
町と城を再建し、インフラを整え、以前以上の要塞へと戻したのだ。
そこにかつて住んでいた人々も、当時以上に熱心に街づくりに参加した。
まるで歴史的な大敗を上書きするかのように……。
そうした経緯で作られた町ゆえ、この町はオークに対する偏見や差別意識を持つ者が多かった。
オーク一人で出歩けば、必ずや問題が起きるだろう。
大半のヒューマンはオークを見ても喧嘩を売ったりはすまい。
兵士とて、わざわざ捕らえようとはしないだろう。
だが宿屋はことごとく宿泊を断り、食事すら満足に取れないはずだ。
ゆえにジュディスは、オークであっても比較的大丈夫な食事処と宿を知っているという兵士に同行してもらい、彼の案内でバッシュを連れまわすことにした。
移動は馬車を使う。
ジュディスが乗ってきた魔法の馬車ではなく、ストームヒル城に置いてある貴賓用の馬車だ。
分厚い装甲に守られたそれは、外から中は見えない。
まさかオークが中に乗っているなどとは、誰も思わないだろう。
それにバッシュとゼルを乗せ、目的の場所へと向かう。
バッシュはというと、ジュディスに全てを任せていた。
なぜならバッシュは、ヒューマンという種族を高く評価しているからだ。
ついでに言えば、見目麗しいジュディスと一緒にいることに、嫌な気持ちが一つもないからである。
さて、馬車の中、若い男女が二人きり。何も起きぬはずもなく……。
などということは無かった。
「……サンダーソニア様やナザール様までついてこられずとも、よろしかったのでは?」
「なんだよ。いいじゃないか。これから食事にいくんだろ? 私たちが付いてきてなにか不都合でもあるのか? ないよな? で、何食べるんだ?」
バッシュの両隣には、サンダーソニアとナザールが座っていた。
二人とも、当然のように仮面を顔に着けている。
「バッシュ殿の武勇伝には僕も興味があります。やはりお酒が飲める場所が良いでしょう」
ナザールのその言葉は、半分は本音であるが、半分は建前だ。
彼らもブラックヘッド領のオークに対する当たりの強さは予想できていた。
ゆえに、こうして同行し、場合によっては守るつもりでいた。
オークとはいえ、こちらの都合で呼び出してシロだと判明したのだから単なる来賓である。
おもてなしの一つもしないとなれば、ヒューマンの沽券にかかわるのだ。
とはいえ、ナザール以外、誰一人バッシュのおもてなしに手を上げる者はいなかったが。
無論、バッシュとしてはサンダーソニアやナザールが増えた所で、気にすることなどない。
特にサンダーソニアのような、見目麗しい女がそばにいるのは、バッシュ的にはオールオッケーだ。
これから行うであろう、賢者の教えを実践する意味でも、試金石は必要だった。
「……サンダーソニア」
「ん? なんだ?」
「お前はどんな食事が好きなのだ?」
数秒、馬車の中に沈黙が舞い降りた。
バッシュが口にした質問の内容が、いまいち、オークがするものと乖離していたからだ。
オークはエルフの女に、どんな食事が好きかなど聞かないのだ。
だが、そこはサンダーソニア、年の功。
黙ったりはせず、バッシュに気安い感じの返事をしてみせる。
「私はなんでも食べるぞ。でもしいて言うなら林檎だな。私が子供の頃は死ぬほど食えたんだが、戦争で林檎の森が燃やされてな。それ以来、エルフの中でも高価な嗜好品になったんだ」
ちなみに燃やしたのはオークである。
「林檎か。この辺りでも食えるのか?」
「おっ、なんだよ。私の好きなものを食いにいこうって話か?」
「うむ」
賢者の教えである。
相手に合わせる。相手に合わせる、相手に気を使っているのだと示すことこそが大事なのだ。
「おいおい、そんな気を使わないでいいぞ! お前の好きなものを食えよ! 大体お前、この町に着いたばっかりだろ? せっかくの旅なんだ、この辺りの名物とかいいんじゃないか?」
しかし失敗した。
サンダーソニアにそんなものは通用しない。
バッシュは「むぅ」と呟くと、助けを求めるように視線をさまよわせ……ジュディスの方を見た。
「ジュディス」
「えっ? ハッ! なんでしょうか!」
自分に話が来ると思っていなかったジュディスは、思わず背筋を伸ばして返答する。
「お前は何が好きだ?」
「自分は、そうですね。この辺りは海が近いですし、魚介などがいいのではないかと思います」
「魚が好きなのか?」
「好きかと言われるとそこまで好きではありませんが……しかし、この辺りの魚料理は非常に美味しいと、そう聞いたことがあります」
ジュディスは少々悲しそうな顔でそう言った。
思い出したのは、廃人と化してしまった姉のことだ。
何を隠そう、ジュディスの姉はこのザリコ半島の防衛戦に参加しており、そこでオークに捕らえられた。
その姉からの手紙で、このあたりの魚が美味しいという話を聞いたのを思い出したのだ。
「そうか……」
そんなジュディスの表情を見てか、バッシュは質問を変えた。
「ジュディス。お前はオークをどう思っている? 結婚しても良いと思えるか?」
「……」
唐突な質問だったが、ジュディスは違和感を感じなかった。
丁度、オークを許せない理由について思い至った所だったからだ。
ジュディスはしばらく、苦々しい顔をしていた。
どう答えるべきか、どう答えるのが正解なのかわからなかった。
だが、バッシュの顔を見返すと、彼は真面目くさった顔でジュディスを見ていた。
質問に、何一つ含むところなど無いと、そう言わんばかりに。
「自分は、やはり無理ですね。オークは憎いです。しかしながら、今はバッシュ殿のように立派な方もいらっしゃるということは知っています。もしヒューマンの誰かがオークと結婚すると聞いても、以前のように頭ごなしにそれを否定することは無いかと思います」
「そうか」
「……このような感じで、いいでしょうか?」
「ああ、構わん。よくわかった」
馬車の中に、ほっこりとした空気が流れた。
ナザールは苦笑し、サンダーソニアもうんうんと頷いている。
バッシュだけが、変わらぬ表情だ。
ちなみに「やっぱりジュディスはダメか」と内心で思っている顔である。
師の教えを試しつつの再確認である。
ちなみに一度確認が済んだのだから、サンダーソニアには聞く必要はない、とも思っていた。
聞いておけば意外な返事がくる可能性もあったが、いやサンダーソニアのことだ、どうせ心なく振ってしまうのだろう。心なく。
「ともあれ、結論は出ましたね」
「そうだな。おい御者! この辺りで一番うまい魚介の店に連れてってくれ!」
その後、サンダーソニアと御者の「何、このあたりの魚介はどこでもうまいから、当初の予定の店に行ってもいいかって? ダメだ、一番って言ったろ! え、これから行く店はお前の親がやってる? 馬鹿、それを早く言えよ! お前にとって一番うまい店ってのはまさにそこのことだろうが! 謙遜すんなよ!」なんてやり取りを、バッシュは目を細めて見ていた。
具体的に言えば、御者の方に膝立ちで身を乗り出したため、バッシュの顔のすぐ横にサンダーソニアの小さな尻が出てきたので、それを見ていた。
それを見ながらバッシュは思った。
やはりヒューマンやエルフはいい。
ドワーフ、ビースト、サキュバス、デーモンと各国を渡り歩いてきたが、原点に立ち戻って良かったと、心からそう思った。
「サンダーソニア」
ふと、バッシュが呟いた。
「ん? なんだ?」
「この町にエルフはどれぐらいいる?」
サンダーソニアはその言葉に、僅かに答えあぐねた。
「お前、ここにノースポール王がきていることを知っているのか?」と、言おうか一瞬迷い、しかし流石にそんな重要事項をポロリするような女ではなかった。
「さぁな。結構いるんじゃないか?」
「そうか」
「それがどうかしたのか?」
「見かけたら話をしたいのだ」
サンダーソニアはナザールと顔を見合わせた。
何か、きな臭い。
戦場に長い二人の勘が、そう告げていた。
先ほどから、バッシュが口にする言葉が、まるでオークではないようだった。
さらに言えば、隣でドヤ顔しながら頷いているゼルもまた不気味だ。
先ほどから、異様なほどに沈黙を守っている。
もはや、儂が教えることは何もない、などと言いたげである。
「どう――」
「サンダーソニア殿。まぁまぁ、そこらへんで」
何かきな臭いのは事実である。
バッシュは何かをしようとしている。
……だが、ナザールはさらに質問を続けようとしたサンダーソニアを制止した。
「バッシュ殿もオークなのですから、見目麗しいエルフに声を掛けたい……ということでしょう?」
「そうだ。流石ナザールだ。わかっているな」
ナザールの言葉には「今ここで聞かずとも、泳がせた方がわかりやすい」という意図が込められていた。
サンダーソニアは割と空気が読めない方であるが、無理を言ってついてきたことを思い出し、そこはぐっと我慢した。
「まぁ、そうだな。声を掛けるぐらいならいいぞ。私が許可を出してやる。あ、お前なら言わなくてもわかってるだろうけど、無理やり襲ったりするのはダメだからな!」
「わかっている。まずは話から、だ」
バッシュの言葉に不穏な何かを勝手に感じ取りつつ、馬車は目的の店へと移動していった。
■
料理は絶品だった。
海老と貝がふんだんに使われた米料理、巨大魚のお頭焼き、地元の野菜を使ったアクアパッツァ、チーズやオリーブがたっぷりと乗ったパン等、事前にお偉方が来るかもと聞いた店の主人が、朝から頑張って集めた食材を使ってつくった料理が、テーブル上に所せましと並んだ。
特にサンダーソニアは食欲旺盛で、テーブル上に並べられた皿の全てに手を伸ばし、浴びるように酒をかっくらい、ゼルと意気投合してアーモンドとクルミの悪口を言いピスタチオを持ち上げ、その他のナッツたちから大いに顰蹙を買い、株を大暴落させていた。ナッツ大統領から国外追放を言い渡されるのも時間の問題だろう。
ただ、店に入るまでに少しだけ悶着があった。
宿の店主は、バッシュの姿を見て目を見開いていたのだ。
そして、みるみるうちに顔が怒りに染まり、肩を怒らせ始めた。
もし御者の男が「親父、前に言ってたろ。もしオークがきたら、俺の料理で唸らせてやるって。連れてきたぞ」と言わなければ、何かしら失礼な言葉を発していただろう。
そんな主人も、しばらく厨房の入口付近で腕を組んでバッシュを見張っていたが、男女の混じったエルフとオークとヒューマン、あとついでにフェアリーがうまそうに飯を食いながら歓談していたので、溜飲を下げたのだろう。
後ろ頭をガシガシとかきながら、厨房へと戻っていった。
うまい料理は、バッシュの口からその武勇伝を引き出すのに十分だった。
ジュディスたちはバッシュの数多の戦場での話を聞き、時にハラハラドキドキし、時に顔を青ざめさせ、時にサンダーソニアやナザールの「その戦場には自分もいた」という話に耳を傾けた。
特にサンダーソニアとバッシュの戦いの話は白熱した。
バッシュの淡々とした語りに加え、サンダーソニアの補足が入る。
お互いがお互いを称え、相打ちとも言えるラストは、ジュディスを大いに興奮させた。
「そういえば」
そんな話を聞いている中、ジュディスの中でふとした疑問が芽生えた。
ジュディスはこの一年でオークに詳しくなった。
であるがゆえの、疑問だ。
「バッシュ殿は他のオークと違い、自分が犯した女の話をしないのですね」
場が、凍り付いた。
流暢に話していたバッシュが口を閉じ、それどころか、周囲からも音が消え去った。
客の中には、それを聞いて過去を思い出したのか、うっすらと殺気を立ち上らせる者もいる。
しかし、その静寂はすぐに破られた。
スパァンと、ジュディスの頭が叩かれたからだ。
サンダーソニアであった。
「馬鹿! ここで話すようなことじゃないだろ! バッシュも配慮してるんだよ! なんなら、馬車の中から、ずっと配慮してくれてたもんな?」
「ああ……」
そう振られて、バッシュも頷く。
配慮などした憶えはないが、頷くしかない。
「あ、そ、そうでしたか! 申し訳ありません!」
ジュディスは、オークが自慢話をする時、自分が犯した女の具合について話すことも、知っていた。
バッシュの話には、それが無かった。
オークが他人に配慮するなど想定もしていなかったが、考えてみればバッシュは馬車の中から自分達に配慮してくれていた。
己の犯した女の話をしないのも、オークに姉を犯された自分や、この店の他の客たちに配慮してくれていたのだろう。
口にしたものの、自分だって聞きたいわけじゃない。
「いや、いい、構わん……」
片言で返事をするバッシュ。
もしゼルがナッツ大統領になるための選挙で忙しくなければ、「そういえばオレっちも、旦那のそういう話は聞いたことないっすね。ぜひとも聞かせて欲しいっす!」などと言いだし、バッシュは絶体絶命の危機に陥っていたかもしれない。
危ない所であった。
「……」
しかし、そんな危ない話を、バッシュも続けるつもりにはなれなかった。
とはいえバッシュはオーク。
そんな気持ちを引きずり続けることは無い。
話が終わったのなら、すぐに気持ちを切り替え、次の目的に向けての行動を始める。
というより、童貞がバレる可能性のあるこの場から、一刻も早く撤退しなければいけなかった。
「……」
バッシュもまた酒を飲んでいたが、実のところ酔っぱらうほどは飲んでいない。
と言うのも、賢者からきつく言われていたからだ。
『ヒューマンの女性は、泥酔した男をあまり好んでいません。というのも、ヒューマンの中年男性というのは、酔っぱらって女性にうっとおしがられるような絡み方をする者が多くてね。多くの女性は、酔っぱらいより紳士的な者を好むのですよ』と。
もちろんケースバイケースであるらしいが……ともあれバッシュは酒をあまり飲まず、話をしながらも、機会をうかがっていた。
見張っていたのは、店の客だ。
自分たちが来るまえからいた者、後から来た者。
その中から、特に好みの女性を見定めていたのだ。
もちろん、声を掛けるためである。
本来であれば、オーク英雄であるバッシュにつり合う女性でなければならない所だが、もはやバッシュも必死である。
とにかく、声を掛けて大丈夫そうな相手を探していた。
ちなみに、店の中にエルフはいなかった。
以前の情報によると、既婚のヒューマンは、左手の薬指に指輪を付けている。
まずはそれ以外だ。
その上で若く、繁殖力が強そうで、かつ他の男が目をつけていない女がいい。
ついでに見目が麗しければ、言うことが無い。
ヒューマンはエルフと違い、見目にかなり落差がある。
あまり多くは無いが、中にはドワーフやオークのような女もいるのだ。
そういった女には、バッシュもあまり声を掛けたくはなかった。
えり好みしすぎと言えばそれまでだが……。
「む……」
しかし、そんなバッシュの目に留まった女がいた。
ヒューマンの女だ。
目つきは悪いが、顔立ちは悪くない。
もちろん、すぐそこで酔いどれているサンダーソニアや、しゅんとしているジュディスほどではないが、許容範囲だろう。
体つきは筋肉質で、実戦豊富な様子が見て取れる。良い子を産むだろう。
彼女は一人でこの店に来て、一人分の食事を頼み、一人で飲んでいる。
服装を見るに、この町の警備隊か何かなのだろう。ヒューマン正規軍の鎧を身に着け、剣を帯びている。
仕事帰りか、あるいはこれから夜勤の仕事でもあるのか……判別はつかない。
なにせ産まれてこのかた戦争ばかりしてきた者たちだ。酒を飲んでいるぐらいで判別がつくものではない。
バッシュが見ていると、女とバッシュの目があった。
バッシュは立ち上がり、女の方へと歩き出す。
女は目に見えて慌て、腰の剣に手を掛ける。
だが、剣を抜くことは無かった。
バッシュがテーブルの反対方向に立ち、聞いたのだ。
「少しいいか?」
「……は?」
「少し話がしたい、いいか?」
女は、目を白黒させていた。
まさかオークに、そのようなことを言われると思っていなかった。
オークと言えば、もっとこう、動物的で即物的だ。
まさか、会話する許可を求めるなど、オークの所業とは思えなかった。
「あ、ああ……」
ゆえに、頷いてしまった。
バッシュは椅子をひき、ゆっくりと音もなく座った。
賢者から学んだ所作である。ヒューマンの女性に声を掛ける時は、出来る限り静かに、だ。
「俺は『オーク英雄』のバッシュだ。お前の名はなんという?」
「ジャンナだが……?」
「いい名前だな」
「そうかい、あんがと。で、オーク英雄様が、あたしに何の用だい?」
「用というほどではない。少し話がしたい」
「……驚いたね。まさかオークが、ナンパをするだなんて」
「ナンパ? なんだそれは?」
「ヒューマン族の王都で始まった流行さ。若い男が若い女に声を掛けてお知り合いになり、ゆくゆくは……ってやつさ」
「なるほど。ヒューマンは進んでいるな。だが、まさにそれだ」
バッシュはそう答える。
とはいえ、ヒューマンはそういう種族であると、賢者より教わっていた。
まずは相手を知ること。それはヒューマン男がヒューマン女にアタックを仕掛ける際も変わらないということなのだろう。
「普段ならナンパなんかお断りだが、オークからナンパされるなんてのは面白い。話ぐらいなら付き合ってやるよ。ただハッキリ言っておいてやるが、このジャンナ様を連れ帰ろうなんて思わないこったね。こう見えてもあたしは、サキュバス戦線でエルフと共に、何百匹ものサキュバスを血祭に上げたんだ。『オーク英雄』が相手だろうと、同じ目に遭わせてやる」
「わかっている。だがそれは『話してみねばわからん』だろう? 『互いを知っていけば、あるいは好ましい点が見つかり、考え方を変えるかもしれん』と」
「いうねぇ。本当に面白いじゃないか。あんた、他の奴からもよく面白いって言われただろ?」
「よくは言われんな……"上等じゃねえか"や"ぶち殺してやる"、とはよく言われたが"面白れぇ"は数回だな」
「そういう意味じゃないんだよ」
そう言いつつも、ジャンナはケラケラと笑っていた。
バッシュはその反応に驚きつつも、しかし確かな手ごたえを感じていた。
今まで、女と会話してこれほどに手ごたえを感じたことはあっただろうか。いやない。
圧倒的じゃないか。師匠から習ったテクニックは。やはりオークの賢者と言っても過言ではない。
「ジャンナは、ここの料理が好きなのか?」
「そうさね。初めて食ったけど、中々に美味しかったね。でも、好きな料理と言えば、やっぱり故郷の味だね」
「どんな料理なんだ?」
「猪をでっかいナベで煮るのさ。子供の頃に食ったっきりで、どんな料理なのかも知らないし、故郷はもうないから、再現もできないが、味だけは記憶に残ってるよ」
「イノシシか、野戦ではよく食ったな」
「オークも狩りなんてするんだね……って当たり前か」
その調子で、バッシュはどんどん会話を積み重ねていった。
ジャンナも落ち着いた状態でオークと会話する、という体験を貴重なものだと思ったのか、嫌がらず話を聞き、自分のことも話してくれた。
「あー、楽しかった。オークにも色んな奴がいるんだね。オークと長話したのは初めてだよ」
「俺もお前と話せてよかった……所で」
「ん?」
「『部屋を取ってあるんだが』」
「あはは、悪いね。確かにあんたは魅力的なオークだ。でもあたしはあたしでワケありでね。悪いけど、その部屋にはいけない。別を当たりな。なぁに、あんたならもっといい女をひっかけれるさ」
「そうか……」
最後にそんなやりとりをして、バッシュは席を離れる。
次に向かう場所は、別の女の場所だった。
それをずっと、まじまじと見続けていた者たちがいる。
ナザール、ジュディス、サンダーソニアだ。
「……」
彼らは呆然としていた。
話を終えたバッシュが、唐突に席を立ったかと思ったら、いきなりナンパを始めたからだ。
オークが、ナンパを。
それも、相手に振られたにも関わらず、険悪になることなく会話を終了し、次に行った。
とんでもないものを目にしていると、比較的オークに詳しい彼らは思った。
バッシュならばあるいはおかしくないと思うが、しかし、オークがナンパをしたという事実に、戸惑いを隠せない。
しかも穏やかで、ユーモアもあった。
オークがだ。
「……あ、そうか。そういうことか」
と、しかしそんな中でジュディスの思考だけが、少し先をいっていた。
彼女は、バッシュが隠し事をしていることを知っていた。
不可解な言動や行動の裏に、何かあると。
「サンダーソニア様、おつきの"影"に、バッシュ殿が声を掛けている女の裏を探らせていただいても?」
「はっ?」
「いや、それだけじゃないな。ナザール様、今すぐストームヒル城に通達を送るべきです。この町に、すでにスパイが紛れ込んでいる可能性が高い、と」
その言葉にサンダーソニアもハッとする。
彼女がパチンと指を鳴らすと、テーブルの下からぬるりと影が出てきた。
影はあっという間に人の形を取り、一人のエルフへと変貌する。
「聞いたな、ブーゲンビリア」
「はい。ただちに部隊を要請します」
「任せる。ちゃんとビーストとドワーフにも伝えておけよ」
「ハッ!」
エルフは影へと戻り、即座に店から飛び出していった。
サンダーソニアは椅子に座り直し、酒を呷った。
ゴクゴクと飲み干し、ゲプゥと親父くさいゲップを繰り出した。
「最初から、心当たりがあったってことか? バッシュは、ここにスパイがいるって。じゃあ、なんで私達に言わないんだ?」
「バッシュ殿の目的を考えれば、己の手で解決したいという所でしょうか」
「バッシュ殿が、功を焦っているとでも?」
ナザールの問いかけに、ジュディスは顎に手を当てて考える。
「いえ……あ、もしかすると、確証がないのかもしれません。どこかで……恐らく賢者様あたりから、この町にスパイが潜伏しているという情報は得たものの、空振りに終わる可能性も高いと思っているのかも……不確かな情報で、私達を混乱させないよう、配慮をしているのかもしれません」
オークが他人に配慮するなどありえない話だ。
だが、バッシュはずっと今日、配慮してくれている。
それができるオークなのだ。
ならあるいは、その可能性もあった。
「なんだよそれ、水臭いな……」
「元々、孤軍奮闘が得意な方ですからね……」
三人はあれこれと話し合いつつ、バッシュの方を見た。
バッシュは二人目の女に、あえなく振られている所だった。
だが、感触としては悪くなかったらしい、女もまんざらではない顔で、バッシュを見送っている。
ただ、三人目の女はそうはいかず、オークという理由だけで「近寄るな!」と叫ばれていた。
バッシュはめげずに次の女へと向かっていく。
三人連続で振られたのなら、少しは意気消沈しそうなものだが、バッシュは淡々とナンパを繰り返していた。
むしろ、自信に満ち溢れており、少し嬉しそうにすら見える。
それを見て、やはり目的は、女そのものではないのだろうと、三人は確信する。
「考えてみれば当たり前か、バッシュがナンパなんかするわけないもんな……」
サンダーソニアの呟きは酒気を帯びていたが、冗談の色はまったくなかったという。