70.弟子入り
オークメイジとは、オークが三十年間童貞を保つことでなれる存在である。
様々なオークの中でも、唯一魔法を使える存在だ。
使える魔法は、エルフやデーモンと比べるとやや心もとない所はあるものの、その恩恵は大きく、オーク軍にとってなくてはならない。
だが、『戦場で敵を倒し、女を捕まえ犯し、子供を孕ませてこそ一人前』という、オークの価値観に真っ向から背く存在でもあった。
たまに、オークの中にも彼らを侮蔑する者がいる。
恩恵にあずかっているにも関わらず、愚かなオークは童貞という存在を下に見てしまうのだ。
無論、バッシュは彼らを侮蔑などしていない。
戦において、オークメイジの助けを受けた事は一度や二度ではないからだ。
だが、区別はしている。
自分は戦士、メイジは魔法使い。
そして、もう一つオークに職業があるとするなら、それは魔法戦士だ。
魔法戦士は侮蔑の対象である。
魔法戦士とはすなわち、三十年間、戦場にて一度も女に勝てなかった戦士であるからだ。
その癖、三十年間、死んでもいない。
戦って死ぬこともなく、女に勝つこともできないとなれば、これはもはや戦いから逃げ回っていたと言っても過言ではない。
敵前逃亡をし、静かな場所でガタガタと震えながら十数年を過ごしたオークが、魔法戦士になるのだ。
オークにとって、決して許される存在ではない。
闘争を求め、はぐれオークとなった者以下の存在である。
そのような臆病者は、オークではありえない。
もちろん、バッシュはそうではない。
誰よりも勇猛果敢に戦ってきたと自負している。
だが、額に紋章が現れれば、そうと取られるであろう。
事実など関係ない。
オークにとって、最も情けない者としての烙印を押される。
オークとは、そういうものだからだ。
オークメイジに対し、バッシュは同族として、あるいは戦友として尊敬はすれども、侮蔑することは無い。
「なんだ、お前は?」
しかし、そう聞いたバッシュの声色は、厳しいものであった。
「あれ? 旦那、知り合いじゃないんすか?」
「見覚えがないな」
バッシュとて、戦争中に出会った全てのオークを記憶しているわけではない。
だが、オークメイジという存在はオークにとって希少だ。
ごくわずかな、魔法適性の高い、限られた子供だけが隔離され、メイジとして育てられる。
そして、終戦まで生き延びたオークメイジは、数えるほどしかない。
バッシュは、生き残ったオークメイジを、全員を憶えている。
しかし、目の前のオークに見覚えは無かった。
それはつまり……。
「脱走兵か?」
戦いから逃げ、物陰でこそこそと鼠のように生き、そしてそのまま三十歳を迎えた、忌むべきオークだ。
オークの風上にも置けぬ存在だ。
「いえ、自分は……その、若い頃にヒューマンに捕まっておりまして」
「む、奴隷だったのか」
「……はい」
「可哀そうに、初陣でヒューマンの捕虜となり、そのまま奴隷として戦う機会すら与えられず、魔法戦士となってしまったってことっすか……」
そう聞くと、バッシュは一気に目の前の年老いたオークが、一気に気の毒に思えてきた。
戦う機会すら与えられぬまま魔法戦士になる。
オークの戦士全員が怯える悪夢があるとすれば、まさにこれだ。
バッシュとて、そんなことになれば、せめて殺してくれと懇願するかもしれない。
「いえ、捕虜になったのはメイジになってからでして」
「そうなのか?」
「はい。ですので一応、一通り魔法も使えますので……ええ、そこまで憐れんでいただくほどでは」
魔法が使えるからなんだというのだろうか。
オークメイジとて、ひとたび戦場に出れば勇敢に戦い、女を捕まえ、犯すものだ。
バッシュは一瞬そう考えるが、まぁ当人がそういうなら何も言うまい。
オークは細かいことなど気にしないのだ。
「ともあれ、バッシュ様とゼル様は道に迷ってしまわれたのですね。地図はございますが、もうすぐ日も落ちます。当家で一晩お過ごしになってはいかがですかな?」
「なんかヒューマンみたいな喋り方するっすね」
「長年ヒューマンの捕虜だったものですので、移ってしまったのですよ。今では他のオークがどのように喋るのかすらわかりません。さぁ、こちらへ」
老いたオークメイジは、温和にホホッと笑うと、家の中へとバッシュたちを誘った。
断る理由もないバッシュたちは、言われるがままその後に続いた。
■
半壊した砦を利用した家は、趣深い内装をしていた。
こじんまりとした椅子やテーブル。
天井は傾いているが、天井につけられた丸い窓からは西日が差し込んできて妙に明るい。
机にはメイジらしい大鍋や水晶玉などが並び、壁には薬草と思しきものが干されている。
オークらしくはないが、メイジらしくはある。
そんな家の中に、驚くべきものが鎮座していた。
「……だぅ」
それは、子供であった。
小さな、まだ自立することもできない、子供であった。
小さな小さな……オークの子供だ。
それも、赤い肌をしている。レッドオークだ。
「なぜ子供がいる?」
「なぜ? 私の息子だからですが……」
「お前の息子だと!?」
思いもよらぬ返答に、バッシュの声が大きくなる。
子レッドオークはボンヤリとした目でバッシュを見ている。いまいち覇気がない。
年齢に関しては分からないが、まだ三才にも満たないように見える。
「え、ええ、それが何か?」
「な……」
その時、バッシュの脳内によぎったもの。
それは、ひどく醜い感情だった。
「お前は、オークキングが他種族との合意なき性交を禁じたことを知らんのか……?」
バッシュはオークの英雄として、過酷な旅をしてきた。
オークキングの命に従い、他種族と強引な性交を行わぬよう、努力してきた。
だというのに、目の前のオークメイジは、女を犯して孕ませていたという。
子供と一緒に住んでいるということは、恐らくこの住居に捕まえているのだろう。
女と一緒に。
すなわち、バッシュの内に芽生えたのは、オークキングの命令を破った者への怒りであり……嫉妬だった。
オーク英雄であり、武の頂点であり、全てのオークから羨望の眼差しを向けられるバッシュが、嫉妬したのだ。
「それは知っていますが」
「知っていて。強引に捕まえ、子供を産ませたというのか!?」
バッシュの語気が強くなる。
他人の行動にはかなり寛容なバッシュであるが、この一年間の徒労を考えれば、憤らざるを得なかった。
場合によっては、このオークメイジを殺すことまで視野に入るだろう。
「強引なんて! そんなことしていませんよ!」
しかし、帰ってきた答えは、バッシュの予想に反していた。
通常のオークならば、「あたりまえだぜ。バッシュさんにも聞かせたかったぜ。あの女、ヤラれてる間は気丈にふるまってたくせに、孕んだってわかった瞬間、真っ青な顔で泣き出してよぉ」なんて自慢話をぶちあげる所である。
でも、目の前のオークメイジは、そんなことをやっていないと言ったのだ。
「……ならば、どうやって子供を作った?」
当然の疑問に対し、オークメイジは当然のように返してきた。
「そりゃもちろん、口説いたんですよ」
バッシュにとって、予想外すぎる答えを。
「口説いた……だと?」
「はい。私の方から熱烈な愛を告げて、それを彼女に受け入れてもらったんです」
「熱烈な愛……だと……?」
衝撃であった。
オーク英雄であるバッシュが、相手の言葉を繰り返すだけの人形になるほどに。
「ちょっと待って欲しいっす!」
しかし、バッシュが人形になり果ててしまったとしても、まだ喋れる奴がいる。
バッシュにはいつだって、こいつが味方についている。
そう、ゼルだ。
『フェアリー英雄(自称)』のゼルがいてくれる。
「てことは、アンタはオークなのに、ヒューマンの女性を、ヒューマンのやり方で嫁に迎えたってことっすか!?」
的確な理解力により、ゼルはオークメイジが言いたいことを見抜いて見せた。
そう、まさにこれこそが、バッシュが聞きたいことだったのだ。
「え……? あー……まぁ、そう、なりますか、ね?」
歯切れの悪い返答であったが、オークメイジは確かにそう頷いた。
的中だ。
ゼルに理解できぬ話など無いのだ。
「そう……なのか……」
「そうなのです。私は女性を無理やり襲ってなどいません。いいですね?」
「ああ……」
「誤解が解けたようで何よりです。さぁ、座ってください。すぐお茶を入れますから」
バッシュはショックを隠せなかったが、言われるがまま椅子に座る。
オークが座るには、少々小さな椅子だ。
見るとオークメイジは、オークが使うには小さなキッチンで、オークが使うには小さな調理器具を手に、ちまちまとお湯を沸かし、お茶を入れる準備をしていた。
オークらしくない。
オークの里であれば、軟弱だと馬鹿にされるような光景だ。
だが、なぜだろうか。不思議と似合っている。
不気味なほどに自然に見える。
いいや、理由などわかりきっている。
オークは嘘を付かない。
この男は、ヒューマンの女を口説き落としたと言ったのだ。
そうと知ってみれば、このオークに似つかわしくない家も、違って見えてくる。
ヒューマン好みの家。
すなわち、このオークメイジが、ヒューマンに合わせて作った家なのだ。
この椅子も、このテーブルも、ヒューマン女に合わせて作ったのだ。
この動作も、あの仕草も、ヒューマンの女に合わせているのだ。
目の前のオークメイジは、ヒューマンの女を落とすために、ありとあらゆる手管を駆使したに違いない。
つまり、知っているのだ。
彼は、ヒューマン女を落とす方法を。
知恵と知識を持ったオークなのだ。
そう考えると、青瓢箪のような痩せたオーク顔が、まさに賢者のように見えてきた。
「しかし、その割にヒューマンの女がいないっすね? 一緒に暮らしているんじゃないんすか?」
オークメイジの手が止まる。
子供の方を見て、少し泣きそうな顔で笑った。
「妻には先立たれまして」
「そっすか、この辺も激戦でしたっすもんね」
「ええ、そうですね」
幸せに暮らしていた者であっても、死は平等に訪れるということだろう。
よくある話だ。
バッシュもゼルも、特に気には留めない。
戦争では、あらゆる者に平等に死が訪れる可能性があったのだ。
「名はなんというのだ?」
「妻ですか? 妻の名はソウ……」
「女ではない。お前の名前だ」
「私ですか、私は……えー、ドルイドルと、そう呼ばれておりました」
オークらしくない名前であるが、バッシュは気にしない。
「そうか、ドルイドル。頼みがある」
バッシュはあらためてドルイドルと名乗ったオークメイジを見つめる。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
バッシュがこれまで、ただの一度も口にしたことがないようなことを、言おうとしていた。
「俺は今、他種族の女を妻にするために旅をしている。だが、うまくいかん。お前のやり方を教えてほしい」
「そうか! このオークメイジはオークが他種族を手に入れるためのやり方を知っているっすもんね! なんてこった、このやり方で女を手に入れるのは旦那が最初だと思ってたのに、先達がいたなんて! 確かにコイツに、いやさ、このお方に教えてもらえば、旦那もあっさりと女を手に入れることが出来るはず! そこに気付くとは、まさに旦那! まさにオーク英雄っす!」
バッシュはオーク英雄だ。
オーク英雄が、オークメイジに女の手に入れ方を教わるなど、本来はあってはならないことだ。
オーク英雄は、誰よりも、戦場で女を犯しているのだから。
むしろ、オークメイジに教える側なのだから。
女はこうして手に入れるんだ。こうして犯すんだ、と。
そのはずなのだ。
だが、現実はそうではない。
バッシュは、戦場で一度も女を犯したことのない童貞であり、それを挽回すべく旅立ったこの一年ちょっと、失敗し続けてきた。
自分なりのやり方で女を手に入れようとし、何の成果も得られなかった。
もしバッシュが、まだ二十五歳程度なら、あるいはとっくに童貞を捨てていたならば、こんなことを頼みはしなかっただろう。
オーク英雄が、そこらのオークメイジにそのようなことを頼んではいけないのだ。
オーク英雄とは、オークにとって、そういう存在なのだから。
「おいそれと人に教えられるものではなかろうが、頼む」
ドルイドルは、しばしあっけにとられたような表情をしていた。
だが、バッシュの強い視線を受けて、体ごと振り返った。
「私に教えを請うと? オーク英雄であり、ドラゴンをも倒した、あなたが? 他種族の女性を妻に迎えるための、知恵が欲しいと?」
表情は引き締まっている。
先ほどまでの、どこか怯えを含んだ愛想笑いではなく、決死の戦いを前にした戦士のように。
そうとも。この男とて、こんな所で暮らしていたとて、長らく捕虜だったとて、戦争に参加していた一人の戦士であることに代わりはないのだ。
そんな男が、オーク英雄とまで呼ばれる男に頼まれて、愛想笑いを張り付けたままでいられるわけもない。
「そうだ。偉大なるオークキング・ネメシスの……いや、このようなことにオークキングの名を出すのは憚られるが、しかし、頼む」
ドルイドルはしばし考えていた。
顎に手を当て、目をつむり、天井を仰ぎ、何かを葛藤していた。
しかし、次にバッシュの方を見た時には、今までとは明らかに違う気配をまとっていた。
「……いいでしょう」
そこにいたのは、軟弱そうなオークメイジではなかった。
叡知に満ち溢れて見えた。
長い生で知識を蓄え、知恵を磨いてきた者特有の、聡明なオーラをまとっていた。
まるで、賢者のような……。
「オーク英雄であるあなたがそう願うのであれば、私はあなたに、私の知りうる限りの知識を授けましょう」
「いいのか!?」
「ええ。ですがその代わり、何があろうと私達……いえ、私の子供に危害を加えないと約束してください」
「偉大なるオークキング・ネメシスに誓おう」
こうして、バッシュは人生で生まれて初めて、師を得たのであった。