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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第一章 ヒューマンの国 要塞都市クラッセル編
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6.疑似餌のゼル

第六話『疑似餌』


 小さく早いフェアリーは偵察要員として最適。

 そう思えるが、実をいうとそれほどでもない。

 彼らは淡く発光する性質があるのだ。

 夜間や、暗い森などでは、それが非常に目立つ。

 目立つだけならいい。

 フェアリーは高速で飛行できるし、小さい。


 なにより問題なのは、フェアリー自身が自分の性質を忘れる点にある。


 頭隠して尻隠さず。

 フェアリーは自分が発光していることに気付かず暗がりに隠れ、あっさり見つかって捕まる。


 幸いにして、フェアリーはまず殺されたりすることが無い。

 フェアリーは薬になるというのもあるが、フェアリーを殺すと地獄に落ちるだの、災いがあるだのという迷信を抱いている者も多い。


 ともあれ、バッシュは、ゼルの偵察にはさほど期待していなかった。

 無事に戻ってくるなら問題なし。

 さすがのゼルでも、相手がバグベアだけなら捕まることはないだろうし、人なら殺されない。

 捕まっているなら、戦争中にやっていた通り、バッシュがゼルの匂いを辿ればいいだけだ。


 そして案の定、戻ってこなかった。


「どうやら捕まったようだな」


 バッシュたちはゼルの匂いを追いかけ、ある場所まで移動していた。

 眼の前に見えるのは洞窟だ。

 入り口は蔦などによって巧妙に隠されていた。

 あそこに洞窟がある、と言われなければ、ヒューストンたちは気付かなかっただろう。


「人の仕業だな。バグベアを操っている者がいるようだ」

「ビーストテイマー、ですか?」


 デーモンの秘術には、魔獣や魔物を操るものがある。

 当初は七種族連合だけが使っていたその秘術だが、長い戦争で解析され、やがてどの国も使うようになった。

 ヒューマンの賢者が巨大なドラゴンを操っていたのは、あまりに有名な話だ。

 戦争が終わり、各国の軍隊が縮小され、軍人だった者の多くは職を失った。

 かつてビーストテイマーだった者が盗賊に身をやつしていても、おかしくはない。


「なら、すぐに突入しましょう! フェアリーを救い出し、そのビーストテイマー共々、バグベアを皆殺しにするんです。ですよね、ヒューストン様!」


 ジュディスはそう主張した。

 捕まっているなら助け出す。当然の意見であった。


「いや……夜まで待った方がいい」


 しかしヒューストンは、その意見に待ったを掛けた。


「内部構造もわからない、敵の人数もわからないじゃ、全滅しかねん。せめて夜襲を掛ける」

「そんな……」


 場所は洞窟。

 敵の本拠地かもしれない場所だ。

 本来なら、一度町に戻り、増援を呼んでくるのがセオリーだ。

 町にいる兵士を20から30ほど連れてきて洞窟を包囲し、突入などせず、煙などで燻し出す。

 普段のヒューストンなら、まず間違いなくそうするだろう。


 しかし、今は味方が捕まっている。


 犯人が捕虜に対しどういった扱いをするかはわからない。

 だが、ここまで慎重にやってきたのだ。

 自分たちの存在を知られた時点で、まず殺すことを考えるだろう。


 とはいえ、すぐには殺されないはずだ。

 ゼルは妖精だし、単独だ。

 口が滑らない限り、仲間がいるとすぐにはわからないはずだ。

 ゼルも戦争を戦い抜いた歴戦の戦士だ。重要な情報は漏らさないだろう。

 となれば、捕まえたら瓶詰めにして、薬箱として利用する、というのが妥当だ。


 もちろん、ヒューストンならそうしない。

 フェアリーが迷い込んできたのを、何かの予兆として考える。

 即座にゼルを殺し、この洞窟から撤収するだろう。


 だが、奴らは今の所、うまくやっている。

 うまくやっている時に、ほんのちょっとしたつまずきを重要視し、即座に全てを捨てて逃げ出す判断を下すのは、中々難しい。


 ただ、楽観視ばかりしているわけにはいかない。

 もしゼルのあの、ペラペラで軽い口が滑ったら……。

 オレっちの仲間がすぐに助けにきてくれるっす! クラッセルの警備っす! お前らなんかすぐに捕まって断頭台行きっす!

 なんて言い出したら、話は別だ。


 彼らはその発言を、最初は鼻で笑うだろう。

 所詮はフェアリーの戯言だとか、よく喋る薬箱だとか、そんなふうにせせら笑うだろう。


 でもそれは、明日の夜明けまでだ。

 人は一晩寝ると、不思議と頭が整理され、正解を導き出す。

 翌朝になれば、ゼルの命は無くなり、連中はこつ然と消える。

 今までクラッセルの者に気づかれぬよう、慎重に襲撃を行ってきた者だ。そうするだろう。


 正直なことを言うと、ヒューストンはそれでもいい。

 街道の事件が消えれば、クラッセルの平和は守れる。


 しかし、今は部下の前だ。

 ゼルは部下でもなんでもないが、部下の前で堂々と捕虜を見捨てる判断をするのは、今後の事を考えると、あまりよくない。

 バッシュの前でもある。この偉大なるオークの旧友を見殺しにする勇気は、ヒューストンには存在しない。


 なので今いる戦力で救出作戦を行う。

 今いる部下を無駄に消耗するのは、もっとよくないから、作戦の成功確率を上げるため、夜襲を行う。


 もし、ゼルの口が滑っていたなら、奴らは緊張しているはずだ。

 すぐに敵襲が来るかもと身構えているはずだ。

 だが、緊張は長くは続かない。

 多少待つ事で、相手を油断させ、眠った所を襲う。

 ゼルがまだ生きているのなら、それで生存確率も上がるはずだ。


「バッシュ殿、それでよろしいでしょうか?」


 ヒューストンは一応、バッシュにも伺いを立てておくことにした。

 彼なら、一人で突入し、一人で中の敵を全滅させることも可能だろう。

 場合によっては、ヒューストンたちが突入する必要すらない。


 なら、さっさと突入すればいいじゃないかと思う所だが、ヒューストンは慎重な男だった。

 不確定要素に頼るのは憚られた。

 もちろん、バッシュがヒューストンの案に反対し、突入するというのなら、それに従うつもりだった。


「……構わん」


 しかしバッシュは少々の沈黙の後、そう答えた。

 その返答に、ジュディスが不満な声を上げる。


「くっ……お前まで待つというのか? お前の仲間が捕まっているんだぞ! オークは不利な状況でも勇敢に戦う戦士ではなかったのか!?」

「オークはどんな状況でも命令に従い、勇敢に戦う。指揮官がそうすると決めたのなら、俺は従うだけだ」


 オークが考え足らずな突撃を繰り返していたのは、戦争の最初期だけである。

 待ち伏せや奇襲、部隊の分断に各個撃破、指揮官の狙い撃ちに始まり、食料庫の焼き討ちや水攻めまで行う。

 全て、指揮官の指示に従っての行動だ。

 皮肉なことに、それを百年かけてオークに教示したのは、ヒューマンである。

 ヒューマンほど高度で緻密な動きはできないが、それでもオークは考えて行動するのだ。

 でなければ、小隊長チーフ中隊長ウォーチーフ大隊長グレイトチーフといった階級は生まれない。


 その上、オークにも『他の氏族の村に滞在する時は、氏族長の言葉に従え』という掟がある。

 つまり、バッシュはバッシュで、ヒューストンを指揮官だと考えて行動するつもりだったのだ。


「それに、ゼルなら大丈夫だ」

「だから何を根拠にそう言っているのだ……ええい、話にならん! ヒューストン様。ご命令を。ジュディス以下五名、洞窟内に突入し、中にいる者共を皆殺しにしてみせます」


 バッシュとジュディス、二人からの視線を受け、ヒューストンは顎に手をやった。


「ふむ……ジュディスの言う通り、ゼル殿の命は心配です。フェアリーは殺されない、とはよく言われますが、絶対ではありません。何か根拠はあるんですか?」

「ここで死ぬようなら、ゼルは戦争中に死んでいる」


 その短い言葉の意味を、ヒューストンは吟味する。

 フェアリーでも殺される時は殺される。

 だが、ゼルは戦争中に凄まじい回数捕まったフェアリーだ。

 そして、生き延びたフェアリーだ。

 ぶっちゃけ、運がいいだけにも思える。


 が……ヒューストンはそうは思わなかった。

 ゼルが捕まった回数は、ヒューストンが知る限りでも、かなりの数に登る。

 知らない分を考えれば、相当な数だろう。並のフェアリーであれば、百回以上は死んでいるほどに。

 それで生き延びたのだ。ただ運がいいだけではあるまい。


「なるほど……そうでしたね。『疑似餌のゼル』。そのお手並、拝見はできませんが、期待しましょう」


 ゼルの名前はそれなりに有名である。

 二つ名が付くのはそれだけ戦争で活躍したからだとも言える。

 その内実がどうであれ。


「よし、全員待機だ。音無しの魔法の範囲外から洞窟を見張り、奴らが寝静まった頃に強襲する」


 ここは待つ。

 ヒューストンはそう決定した。

 ジュディスはまだ、納得がいかない。


「そんな! 待ってください、ヒューストン様!」

「ああ、なんだ?」

「味方が捕まっているかもしれないんですよ!?」

「そうだ。だから万全を期したいが、町に戻っている時間はない。だから、この人数で夜襲を掛ける」

「今すぐ突入すべきです」

「ダメだ。危険すぎる。待機だ」


 ヒューストンが強い口調で言うと、ジュディスはグッとだまり、引き下がった。

 しかし、未だ不満そうな顔をしている。

 自分ではなくバッシュの言葉に重きを置いていること、このままだと自分の手柄ではなくヒューストンの手柄になってしまうこと。

 そのあたりに不満があるのだろうと、ヒューストンは考えた。


(初めて任された任務だから、仕方がない)


 そうは思うものの、今の指揮権は自分にある。

 自分が同行すると宣言した時点で、すでにジュディスだけの任務ではないのだ。

 中途半端な所で指揮権を取り上げる形にはなってしまったが、自分が指揮を取るからには、部下を全員生きて帰し、事件も解決する。

 ヒューストンはそのつもりでいた。


「よし、じゃあ一人が見張りをしつつ、残りは睡眠を取る……バッシュ殿、それでよろしいですね」

「指揮官の命令には従おう」


 バッシュはそう言うと、すぐ近くの木に背中を預け、目を閉じた。


「よし、じゃあジェット。お前らが見張りだ。何かあったらすぐ起こせ」


 一人を見張りに立たせる。

 奴らが眠りにつくであろう時間まで、あと五時間ほどだろうか。

 そうしたら、見張りを眠りにつかせ、別の一人を入り口に残して見張らせる。この二人が後詰だ。残りで突入。

 二人残すのは、深夜になって敵の増援が来た時や、万が一、ヒューストンたちが全滅した時に、町に戻って副団長に事の次第を伝える役目の者が必要だからだ。


 本来なら、その役目はヒューストン自身が負うのが定石だ。

 現場指揮官はジュディスがいる。

 最高責任者であるヒューストンは、安全を取らなければならない。

 だが、バッシュの手前、自分が突入班に参加せず、安全な場所にいることは、選べなかった。


「……」


 しかし、ヒューストンは忘れていた。

 兵士たちはともかく、ジュディスはまだ騎士になって一年の新米であることを。

 平和な時代で騎士になり、平和な時代の騎士の仕事しかしてこなかった者であることを。

 そして気付けなかった。

 部下たちが、そんな新米騎士をうまく盛り立ててやろうと思っていたことに。

 オークの言葉に重きを置き、慎重に慎重を期すヒューストンに、少々の不満を持っていたことに……。



 一方その頃、ゼルは必死に命乞いをしていた。


「もうホント、通りがかっただけなんっすよ! フェアリー一人、着の身着のまま気まま旅をしてたら、なんか良さげな洞窟あるなー、ちょっとこの洞窟をオレっちの大冒険譚の一節に加えてやろっかなって。まさか貴方様方の住処だったとは露知らず、お邪魔してしまったことは心の底から謝るっす。だからホント、殺すのだけは……あ、なんだったらオレっちも仲間に入れてほしいっす。ほら、オレっちフェアリーっすから、粉とか出せるっすよ。粉とか! 皆好きでしょ? フェアリーの粉!」


 洞窟の中に入り、当然のように捕まったゼルは、むくつけき盗賊たちに囲まれながら、そんな事を言い続けていた。

 盗賊たちは困惑顔であった。

 洞窟の中に不気味な発光体があるからと思って捕まえてみたら、かれこれ一時間も命乞いを続けているのだから。

 簀巻きのまま芋虫のように這いずって、足の甲にキスまでしてくるその姿に、命乞いを聞き慣れた盗賊たちも、憐れみを感じざるを得なかった。


 一般的には知られていないが、このゼルというフェアリー、バッシュに出会う前は『命乞いのゼル』として名をはせていた。

 捕まえたフェアリーを食べてしまうことで有名な『妖精喰いのゴードン』からも五体満足で生き残った猛者である。

 その命乞いは見る者すべてに憐れみを誘う。

 ゼルが戦争で生き残ることができた技の一つである。


「まぁ、わざわざフェアリーを殺すことはねえよな」

「粉もあるし」

「殺しちまったら呪われっかもしれねえし」


 盗賊はそんなことを言いつつ、顔を見合わせた。

 毛むくじゃらの男たちは、全員がヒューマンであった。

 ヒューマンには古来より、フェアリーを殺すと末代まで続く呪いを掛けられる、という言い伝えがあった。

 万病に効く粉を出すことも考えると、殺す理由は皆無であった。


「だから、ほら、こんな縄は解いて、皆でオレっちの粉を浴びましょ? 幸せの粉で皆ハッピーな気分になれるっすよ!」

「馬鹿か。解くわけねえだろ」


 しかしゼルの簀巻きを解くことは無い。

 フェアリーは刹那的な生物だ。

 簀巻きを解いた瞬間、逃げるのはわかっていた。

 檻や瓶にいれて飼う。

 それがフェアリーの一般的な扱い方だった。


「いやホント、ホント、縄に縛られてないほうが出るんっすよ! マジでめっちゃ出るんすよ! オレっち、これでも故郷では『粉吹き』の異名を欲しいがままにした過去があってっすね」


 ゼルもそのことはわかっている。

 だからこそ、必要以上に拘束されないよう、必死に擦り寄ろうとしていた。

 まぁ、大抵は無理なのであるが。


「おい、どうした」


 そんな盗賊たちの奥から、ひときわ野太い声が響いた。

 盗賊たちが一斉に振り返る。


「かしらぁ!」


 盗賊たちの嬉しそうな声。

 盗賊の数名が道を譲ると、カシラと呼ばれた男の姿が、ゼルの視界に入ってきた。

 盗賊のカシラと呼ばれる男。

 どんなむくつけき男かと思えば、確かにむくつけき男だった。

 太い腕、でかい口、鋭い瞳。

 粗末な革の服を身に着け、オシャレさの欠片もないドクロのネックレスを身に着けている。


 そして何より特徴的であったのは、その肌の色だ。

 緑。

 ついでに言えば、口からは立派な牙が二本、しっかりと生えていた。


 そう、カシラはオークであった。


「あ……あー!」


 ゼルはそのオークを見た時、記憶の片隅にチラッとだけ見覚えがあるのを感じた。

 チラッと。

 なので、名前は思い出せない。

 でも、覚えがあるということは、戦争で会ったことがあるということだ。


「大将! 大将じゃないっすか! お久しぶりっす! オレっちっす! ゼルっす! フェアリーのゼル!」


 余談ではあるが、ゼルは人の名前を覚えるのも、顔を覚えるのもがニガテだ。

 オークで完全に識別できているのはバッシュだけで、それ以外は曖昧な覚え方をしている。

 もちろん、目の前のオークの名前など覚えていない。

 ちなみに呼び方は大抵が「大将」か「兄貴」であった。


「なんだぁ? バッシュの腰巾着じゃねえか。こんな所で何してやがんだ?」


 そして、ゼルの方はというと有名だ。

 特にオークの間では、かの英雄であるバッシュと共に戦場を駆け抜けたフェアリーとして、知らぬ者がいないほど。


「いやもう、聞いてくださいよ大将! オレっち、戦争が終わった後に、ちょいと世界を見て回ろうと旅をしてたんすよ。そんで、おっ、中々いい洞窟があるな。こいつはお宝の臭いがするぜと入り込んでみたら、臭いの元は風呂に入ってない盗賊だったってオチっすよ! 大将、助けてくださいよぉ」


 ミノムシ状態でぴょんぴょんと飛び跳ねながらすり寄ってくるゼル。

 無様な姿ではあるが、カシラと喚ばれたオークからすると、戦友でもある。

 このミノムシに、そして英雄であるバッシュに、何度助けられたかわからない。


「わかったわかった……解いてやれ、知り合いだ」

「いいんですかい? フェアリーったらおしゃべりで有名っすよ? 俺らの存在が知れ渡っちまうんじゃ……」


 しぶる盗賊たちを見て、オークはその醜悪な顔を歪めた。

 その顔をゼルへと近づけると、ドスの利いた声でささやきかける。


「おい、ここに俺たちがいたことは秘密だ。誰にもしゃべるんじゃねえ、いいな?」

「もちろんっすよ! オレっちが今までに秘密を漏らしたことがあったっすか!? この堅い口が割れたことがあったっすか!? いや無い! あればバッシュの旦那は戦争で死んで、オークの国に像が立っていたはず!」


 実際の所、ゼルは秘密を漏らしたことは無い。

 秘密じゃないことはよく漏らすが、どれが秘密でどれが秘密じゃないのかはゼルの独自基準によるものなのである。

 だから秘密を漏らしたことは無いのだ。


「よし、解いてやれ」

「……うっす」


 盗賊たちはカシラの言葉に、やや思う所はありそうだったが、ゼルの縄を解いた。

 ゼルは縄がほどかれた瞬間中空に飛び立ち、外に向かって一直線……にはいかず、カシラの前にふよふよと飛んできた。


「いやー助かったっす。さすが大将! あそこがでかけりゃ器もでかい! でも大将、なんでこんな所でヒューマン引き連れてカシラなんかやってんすか?」


 彼の任務は情報収集。

 いかに自由奔放なフェアリーといえど、己の仕事を忘れてはいないのだ。


「ヘッ、なんてこたぁねぇ、ネメシスの野郎が、ヒューマンと和平なんて言いやがるからよ、オークから戦いを取ったら何が残るってんだ! そんなもん納得できっか! と飛び出してきたら、偶然にもこいつらに出会って、意気投合したってわけよ」


 オークが周囲を見ると、盗賊たちはヘッと笑った。


「俺はヒューマンなんか、こいつらはオークなんかって思ってたが、違う種族でも似たような思いを持ってるヤツがいるってこった」

「へー! じゃあここにいるのは、戦いを求める戦闘集団なんっすね! 目につくやつは皆殺しっすか!? デストロイヤー軍団っすか!?」

「そうだ! ……と言いてえ所だが、そううまくはいかねえ。今はオークにもヒューマンにも見つからねえように、じっくりと力を蓄えている所よ。そうして十分に戦力が整ったら、俺たちの本格的な活動の始まりってぇわけだ!」

「おお~! さっすが大将っすー!」


 ゼルは大げさに驚いたフリをしつつ、「聞くことも聞いたし、そろそろ帰るっすかね」と内心で思いながら、ふよふよと周囲を漂う。

 と、そこで暗がりの中に数匹、ギラギラと目を光らせる生物がいることに気づいた。


「ちょ! ななな、なんかいるっすよ!」

「なんかじゃねえよ。忘れたのか? 俺はビーストテイマーだぜ?」


 その言葉に、ゼルはデーモンの秘術について思い出した。

 魔法とも少し違う、不思議な術。

 メイジでなくとも使える、暗黒の力。

 意識を混濁させたり、他者を自由に操る術。

 そう、例えば……知能の低い魔物を操る、とか。


「バグベアを操ってるっすか!」


 ここで、ゼルの小さな脳みその引き出しから、目の前のオークの正体が転がり出てきた。

 このオークの名はボグズ。

 終戦時に生き残った8人の大隊長グレイトチーフの一人。

 ビーストマスターのボグズ。

 彼の操る百のバグベアは、何千というヒューマンを血祭りにあげた。


 無論、彼はバグベアを操るだけではない。

 オークはおしなべて戦士としての素質を備えている。

 彼自身、鋼鉄製のメイスを振り回し、何百という敵を肉塊に変えてきた。

 40年以上も戦場に居座り続けた、歴戦の戦士の一人だ。


「まぁ、俺の子飼いのバグベアも、ずいぶんと減っちまったがな……」


 ボグズはそう言って、洞窟の隅でくつろいでいるバグベアに慈しむような視線を送った。

 戦争中、ボグズの元には百を超えるバグベアがいた。

 オークで最も多くのバグベアを操れる男だった。

 だが、戦争の末期には、彼のバグベアは壊滅的な打撃を受け、その数を一桁にまで減らしてしまった。


 現在、この洞窟には十数匹のバグベアの姿が見える。

 歴戦とわかる、筋骨隆々とした数匹の個体……。

 だがそれ以外は、テイムしてから、大した年数が経っていないのだろう。

 歴戦の個体に比べ、ひ弱な体躯であることが見て取れた。

 ボグズのバグベアと言えば、オーガを凌駕する膂力と、リザードマン並の俊敏さを兼ね備えた、オークの切り札とも言える存在だったというのに。


「まぁ、それも今だけだ……順調に数も増やしている。そしたら、いずれコイツらにもテイムの仕方を教えて、最強の軍団を作り上げる」


 見れば、バグベアたちの群れの中に、まだ小さい、ゼルと同程度の大きさしかもたない個体もいた。

 バグベアの幼体だ。

 バグベアは約半年で幼体から成体へと成長する。

 幼体は、まず見ることができないものである。


「その暁には、俺様がオークキングとして、世界を相手に大暴れしてやる」


 大きな野望を語るボグズに、ヒューマンの盗賊たちは拍手を送った。

 いよっ、大将、なんて声も聞こえる。

 もっともゼルの見立てでは、盗賊たちにそれほどやる気は無さそうだ。

 彼らは、ズルして楽してその日暮らしができればいいと思っていそうだった。


「ガルルル……」


 と、そこでバグベアが唸り声を上げた。

 それを聞き、ボグズ以下数名の盗賊達が、武器を手に立ち上がった。


「なんすか!?」

「侵入者だ! お前ら行くぞ!」


 ボグズはそう叫ぶと、鋼鉄のメイスを手に、どこかへと走っていった。

 バグベアと盗賊たちもそれに続く。

 戦争を体験した者たちだけあって、その行動は素早かった。

 ややあって、洞窟内の明かりがフッと消された。


 ゼルの放つ、薄ぼんやりとした光だけが、空間を照らしている。

 完全に置いてけぼりとなったが、逃げるチャンスであった。

 とはいえ、ゼルも侵入者という言葉が気に掛かった。

 バッシュが突入を敢行したにしては、どうにも様子がおかしかった。


「くそっ! どこからだ!」

「おい女がいるぜ女が! ヒャッハー!」

「誰か明かりを……ギャアアアァァ!」

「誰がやられた! おい!」

「わかりません、こうも暗くては! ぐあっ!」

「だから明かりを!」


 しばらくして聞こえてくる戦いの音。

 剣戟の音が聞こえてくることは無く、ただ鈍い音と、叫び声だけが響いている。

 誰かが戦っている。

 しかし、そこにバッシュはいない。

 バッシュがいるなら、もっとド派手な破壊音が聞こえてくるはずだった。


 そのことをなんとなく察したゼルは、ひとまずその場に残ることにした。

 戦争中にもこうしたことはあった。

 その場合、すぐに脱出するより、自分が残った方がマシな流れになったことが多かった。


「よし」


 ゼルはビュンと飛んだ。

 何はともあれ偵察は大事だ。

 夜目は利かないが、何か情報を得ることはできるだろう。


 そう思っての行動だったが、すでに戦いは終わり、現場には明かりが灯されていた。

 松明の薄暗い明かりの下、照らされているのは傷だらけの兵士たちだ。

 真ん中には、頭から血を流しつつも、両手を縛られて転がされているジュディスの姿があった。


「……なんすかこれ」

「おう、ゼルか……見ての通りよ。地元の騎士が、俺たちを討伐しにきたって感じだな」

「あ、へー」


 ジュディスがゼルを見る。

 ゼルは「やばい」と身を隠そうとする。彼女の口から自分が偵察役だということがバラされる可能性を考慮したのだ。

 だが、ジュディスは驚いた表情を一瞬浮かべるも、すぐに憎々しげな視線をゼルへと送った。


 表情の変化の意味はゼルにはイマイチわからなかった。

 だが、彼女はバッシュが目をつけている雌だ。

 何にせよ、殺させるわけにはいかない。


「ゲヘヘ、カシラ、女は俺がもらっちまってもいいか?」

「馬鹿、皆で使うに決まってんだろ、兄弟」

「独り占めは無しだぜ」

「よーし、女は牢屋にいれとけ、男は殺して外にでも捨てとけ」


 ジュディスの顔からさっと血の気が引いた。


「くっ……こ、ころ、殺せ……」


 そう口にはするが、あからさまな怯えが表情を支配していた。

 瞳が揺れて、顎のあたりからカチカチという音が聞こえてきた。

 喉の奥からヒッ、ヒッという音が漏れ出し、今にも泣き叫びそうであった。


(おっと、これはいいっすね)


 ゼルは、これを絶好の機会だと思った。

 絶体絶命の女騎士。

 これを上手に助けることができれば、バッシュの株は爆上がりだ。

 もはや女騎士のハートを射止めたと言っても過言ではないだろう。


「ちょちょちょ、今殺したらダメっすよ。せっかく今まで見つからずにやってこれたのに! 死体が見つかったら、騎士の奴らが大挙して押し寄せてくるっすよ!」


 なんだこいつ、そんな言葉が聞こえてきそうな視線が、ゼルを舐めた。

 だが、ゼルはその程度ではひるまない。

 なぜならフェアリーは空気が読めないからだ。


「そうだ! こいつら、明日の朝、外で処刑しましょうよ! そんで、バグベアがやったと見せかけるんすよ! 森のちょっと開けた所で、血がブシャーって感じで! バグベアの死体も何個か用意して、一生懸命戦ったけど負けちゃいましたーって感じにするんすよ! ヒューマンとか言ってもアホだから、絶対騙されるっすよ! こんなうまい商売、ここで終わらせていいんすか? いいや、いいわけがない! 腕が立つ上頭もキレるあなた方が、それをわからぬわけがない! それに、ここって薄暗いじゃないっすか。やっぱ、明るい場所でこいつらの「こんなはずじゃ~」って顔を見ながら殺したいじゃないっすか。そんな顔を見ながら殺したら、絶対気持ちいいっすよ!?」


 矢の雨のように放たれるゼルの言葉に、盗賊たちは「それもそうかも?」と気分を変えていった。

 まぁ殺すのはいつでもできるし?

 俺らにかかればこんなの余裕だし?

 ゼルの言葉には、そう思わせるだけの魔力が秘められていた。

 ある地域でついているゼルの異名、それは『おだて上手のゼル』だ。

 このフェアリーにおだてられて、その気にならない奴なんていないのだ。


「それもそうだな。よし、お前ら、全員牢屋にいれとけ……へへ、女騎士さんよ。部下の前で天国に連れて行ってやるぜ」


 最後に、ボグズがそう決定した。

 女騎士の髪を掴み、引きずるように洞窟の奥へと連れて行く。

 ジュディスは絶望と同時に、裏切り者に向けるような目をゼルに向けていた。


(旦那、お膳立ては出来ましたっすよ。これでダメなら何やってもダメだろうってぐらいのシチュエーションっす。後はタイミングよく現れて、助けるだけっすから!)


 もっとも、ゼルはそんな目は見てはいなかったが。



 バッシュが目覚めた時、そこには頭を抱えるヒューストンの姿があった。


「マジかよおい……えー……嘘だろ……」


 そして、ジュディスや、他数名の姿は無かった。


「……他の連中はどうした?」


 バッシュが聞くと、ヒューストンはばつが悪そうに振り返った。


「お恥ずかしい話ですが、どうやら我々に眠りの魔法を掛け、先に突入したようです……」


 眠りの魔法。

 相手を小一時間ほど、深い眠りにつかせる魔法だ。


「突入の号令は出したのか?」

「いいえ、出していません。命令違反です」

「…………ヒューマンは命令に背くのか?」

「気に入らない命令なら」


 バッシュにとってカルチャーショックであった。

 オーク社会において、命令に背くようなヤツは、即座に殺されるか、国から追放される。

 それぐらい、オークにとって命令というのは神聖で、絶対のものだ。


「ヒューマンはそういう時、どうするんだ?」

「基本は説教と減俸……場合によっては謹慎や、騎士の身分の剥奪といった所でしょうね」

「さほど重罪ではないのだな」

「今は平和な時代ですから……それに、ヒューマンは指揮官に無能が多いもので。無能に従って死ぬのも馬鹿らしい話という論調も強く……いやはや、お恥ずかしい限りです……私も人のことは言えませんが……」

「ふん」


 ヒューストンが無能かどうかなど、バッシュにとってどうでもよかった。

 ヒューマンにとって命令違反がそれほど重罪でないというのも、少し驚いたがどうでもいい。

 今大事なのは、先程から洞窟の中から漂ってきている、血の匂いだ。

 突入したジュディスが、自分がまさに嫁にしようと狙っている極上の雌が、危険に曝されているかもしれないのだ。


「それで、どうする?」

「我々に眠りの魔法を掛け、それが解けてなお戻って来ていないということは、すでに全滅した可能性もあります。一度町に戻り、討伐隊を組織するのが定石……」

「そんな悠長なことを言っている場合か?」


 バッシュはヒューストンを睨みつけた。

 ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「今の指揮官はお前だ。俺は命令に従おう」


 オークは指揮官の言葉に従う。

 だが、指揮官に意見を言うことはできる。

 あまり褒められた行為ではないとされているが、それでもバッシュは言った。


「だが、オークは腰抜けではない。どんな命令にでも従い、勇敢に戦おう」


 ヒューストンは改めてバッシュを見た。

 グリーンの肌、二本の牙、引き締まった筋肉。

 何の変哲もない小柄なオーク。

 だが、決して見間違えることも、見忘れることもない男。

 戦争中、ヒューストンが逃げ続けた男。


 いつものヒューストンなら、ジュディスのことなど一瞬で見捨てただろう。

 自業自得だと。

 命令違反をしたツケだと。

 そんなアホのために、危険は犯せないと。

 周囲から腰抜けと呼ばれても、どこ吹く風で聞き流しただろう。


 だが、目の前にいるのは、バッシュだ。

 ヒューストンが誰よりも恐れ、誰よりも認めた男だ。

 ヒューストンは、戦争中の自分の行動に誇りを持っていた。

 彼から逃げたのは、決して腰抜けだからじゃない。

 勝つための行動だった。

 実際、それでヒューストンは生き残り、オークは戦争に敗北した。

 そのオークの英雄に、腰抜けだから逃げ続けたと、それが運よく作用したと、そう思われたくはない。


「……わかりました。今から洞窟内に突入、捕虜を救出し、賊を皆殺しにします」

「了解した」


 『オークの英雄』が長い牙を見せて、笑った。

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― 新着の感想 ―
女騎士に一度は言わせたい台詞ランキングNo.1「クッコロ」出ちゃいましたねw
[一言] とても楽しくて繰り返し読んでいます。2回目です。 ゼルの献身がスゴイ。 ラストは人型サイズになったゼルとのハッピーエンドを想像します。
[一言] 出ましたね!女騎士さんの決め台詞が!
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