68.捕らえられた『オーク英雄』
外遊騎士団団長リヒター・ハウゼンは、戦争を生き抜いた歴戦の騎士である。
戦争は生き抜いたとはいえ、これといって特徴のある騎士ではなかった。
あらゆる事をそつなくこなす。
家柄も中流の貴族で、悪くはない。
妻もいる。子供もいる。
長く戦場にいたため、戦功もそこそこある。
その"使い勝手"の良さから、戦後も外遊騎士団という、比較的自由に動ける――裏を返せば手軽に使われる――所に配属され、高い給金をもらえるようになった。
でも、これという得意技があるわけでもない。
長く戦場にいたが、戦場の戦士たちのほとんどは、彼の名は知らないだろう。
気づいたらいる、なんか見たことある気がする、あぁまだ生きていたのか……と、それぐらい地味な男であった。
まぁ、だからこそ、あの戦争を生き延びることができたと言えるのかもしれない。
そんな彼に今回与えられた任務は、ビーストとデーモンの国境に位置する関所で起きた事件の調査だ。
荒らされた様子も、争った様子もなく、ただ人間だけが忽然と姿を消した。
そして、そんな関所には一通の書置きだけが残されていた。
きったねぇ字で書かれたそれには、こう記されていた。
『オーク英雄のバッシュ、ここを通過する』
不可解な事件である。
『オーク英雄』バッシュが、この関所の人間を皆殺しにすることは可能だろう。
4年前の戦争、特に終戦間際のオークとの戦いの場にいた者であれば、バッシュがどれほど強かったかは骨身にしみている。
オークは書置きなど残したりはしない。文字が書けないからだ。
でもまぁ、書けるのなら、自慢げに書置きぐらい残してもおかしくはない。そういう種族だ。
では、争った様子を残さず、荒らすこともなくそれを行うかと聞かれれば、否だ。
バッシュが戦ったのであれば、関所は半壊していてもおかしくはないし、どこかの小部屋には女兵士が犯された痕跡が残るはずだ。
こんな綺麗に掃除したりもしない。
となれば、バッシュの仕業ではないのは確かだ。
だが、ならばなぜバッシュは書置きなんぞを残したのか。
この書置きに込められた意味は一体なんなのか……。
それを探るのが、リヒターの仕事であった。
ゆえに、こうして現場に赴き、その調査をしているのだが……。
わかるはずもない。
なんらかの魔法が行使されたのは間違いないだろうが、それだけだ。
そしてそれは、見る前からすでにわかっていたことである。
せめて、何か手がかりをつかまないと帰るに帰れない。
そんな想いが、リヒターをこの関所に踏みとどまらせていた。
「どうすりゃいいってんだよ」
リヒターは、関所の椅子に腰かけて、一人ごちる。
すでに関所には、当番の兵士が戻りつつある。
痕跡があったとしても、次第に消えていくだろう。
もう手詰まりだ。
帰るべきなのだ。手ぶらで。何もわからなかったと報告しに。
「あの、リヒター団長」
そんなリヒターに、部下の一人が声を掛けた。
また、そろそろ帰りましょうと泣き言を言うのだろうと振り返ったリヒターの目に、困惑しきった部下の顔がとびこんできた。
「なんだ? どうした?」
「きてます」
「誰が?」
「『オーク英雄』が、きてます」
リヒターは椅子から転げ落ちた。
■
リヒターが関所の広場まで来ると、そこには確かにグリーンオークがいた。
報告通り、フェアリーも一緒である。
一見すると、普通のオークである。
リヒターは終戦間際のオーク戦線にも参加していた。
とはいえ、バッシュとも相対したことはない。遠目に見たことがある程度だ。
もちろん、オークの判別などつきようもない。
だが、オークというものは幾度となく目にした。
力は強く勇敢だが、野卑で馬鹿な種族だ。
相手が好敵手と見れば嬉しさで雄叫びを上げ、相手が弱者と知ると下卑た笑みを浮かべる。
そんな愚かな連中だ。
リヒターの見た目は、オークが嘲るに十分なようで、初対面で侮られることは日常茶飯事だった。
見た所、そんな普通のオークと変わらないが……。
「お前がここの隊長か?」
しかし、リヒターを見る視線には、良い戦いへの期待も、無為な嘲りも含まれてはいなかった。
ただただ、堂々としていた。
オークに詳しいわけではないが、こんなオークもいるのか、と思えるほどに、他のオークと態度が違った。
「あ、ああ。そうだ。俺はリヒター。ヒューマン軍、外遊騎士団の者だ」
「『オーク英雄』バッシュだ。何か用事があると聞いたが?」
本当に堂々としている、とリヒターはまた思った。
オークの大半、特にヒューマンがよく接するであろうはぐれオークは、基本的に小物揃いだ。
ヒューマン相手と見るや、無駄に恫喝をしたり、大声を上げたりする。
どこか、自分の力を誇示しなければナメられると思っている節がある。
だが、このオークは違う。
自然体だ。
オークでも『オーク英雄』は滅多に生まれない存在と聞く。
リヒターが戦場にいた時代には、『オーク英雄』はいなかった。
それほど強いのだ。
自分の強さを虚飾せずとも、必要ないのだ。
ならばとリヒターは決意する。
余計なことは言うべきではないと。
「はい。実はこの砦が何者かに襲撃されまして。その犯人を捜している最中でございます」
「ふむ」
「バッシュ殿はこちらに書置きを残されたかと思いますが……?」
「ああ、残したな」
「ならば、その時の様子を、お教え願えませんでしょうか?」
「そういう事ならオレっちが説明するっす!」
バッシュと話していると、フェアリーが出張ってきた。
これがバッシュなら、こっちがゼルか。
有名なフェアリーだ。
まぁ、色んな意味で。
特に嘘をつくことでも有名だが、嘘というより妄言が多いという噂もある。
ともあれリヒターは、慎重にフェアリーの言葉に耳を貸すことにした。
「オレっちらがここに来た時には、兵の姿は無かったっす。血痕とかもなくて、まるで人がそのまま消えたみたいだったっすね。通過するのに通行証が必要と聞いてたんすけど、渡す者がいなかったら、密入国と疑われかねないっすからね。ひとまず書置きを残して先に進むことにしたんすよ」
「なるほど。信じましょう。あなたにはここにいる者たちを皆殺しにする力はありますが、痕跡すら残さずここにいる者を消すことはできないでしょうから」
「ああ、魔法は使えんからな」
「……なぜ魔法だと?」
そう聞く。
リヒターは、我ながら鋭い指摘をしたと思った。
魔法と断定できる材料すら、この場には残されていなかったはずだからだ。
「魔法ではないのか……?」
だが、バッシュの顔は困惑の表情であった。
「それすらもわかりません」
少し臭いなと、リヒターは思う。
オークは嘘を吐かない。ならば、この困惑は本物に思える。
だが、他とは違う『オーク英雄』。他のオークと違うことをしてもおかしくはない。
とはいえ、藪をつつきすぎても、よくない。
嘘を看破した所で、この場にいる者たちが皆殺しにされるのがオチだ。
だから、ここからは慎重にならなければならない。
「一つ、お願いがございます」
「なんだ?」
「今から、我らとあの馬車に乗り、ある場所に同行していただきたいのです」
これは任意同行である。
決して連行ではない。お願いである。
そういう雰囲気を出しつつ、リヒターは馬車の方を向いて、後悔した。
「随分と、物々しい馬車っすねぇ」
そこにあった馬車は、自分たちが乗ってきたものではなく、関所に元からおいてあるものだった。
鋼鉄製の客車のついた、とても頑丈な馬車だ。
客車の扉には大きな鍵がついており、窓には鉄格子がついている。
とてつもなく物々しく、端的に言うと、罪人を運搬するのに用いられるものである。
「いや、あれは……」
「知っている。前に見たことがある。あれは、大事なものを運搬するためのものだ」
「なるほど、頑丈そうっすもんね」
「あ、う、まぁ、そんな所です……かね?」
リヒターはその言葉に目を白黒させつつ、頷いた。
彼は知らぬことであるが、オークの国に送られてくる繁殖奴隷は、全てこれと同じ馬車に乗ってやってくる。
オークにとっては、罪人を運ぶものではなく、女が出てくる魔法の宝箱なのだ。
「あ~、じゃあ、いいですか? 同行していただいても?」
「いや。すまんが俺には目的がある」
「その目的ってのは?」
「詳しくは言えんが、あまり悠長にもしていられん」
リヒターは、唇を噛んだ。
断られるのはわかっていたが、このまますんなり行かせたら、自分は帰った時に上からドヤされるだろう。
何のためにお前をあの関所に行かせたと思っているんだ、と。
「……失礼ですが、行先を聞いても?」
「南東だ。そこにはヒューマンの飛地があったはずだからな」
やはり、とリヒターは考える。
彼は知っている。
情報通の彼は、ヒューマンでも一部しか知らない、ある情報を知っている。
その情報によると、"奴ら"が探している"最後の一つ"は、そこにある。
本来なら、それを狙っているかもしれない者をそこに連れていくべきではない。
だが、リヒターはそこまで世の中に責任を持っていなかった。
自分の仕事は、それじゃないのだから。
「ザリコ半島ですか……! だったら丁度いい、あの馬車の行先も、ザリコ半島です!」
「……む、そうなのか」
「そして、そこにはナザール殿下や、サンダーソニア様もいらっしゃいますよ!」
嘘は言っていない。
今、まさにザリコ半島では緊急首脳会談の真っ最中だ。
「あなたは二人に……借りがあるのでは?」
ブラフである。
リヒターは、バッシュが関わった事件を大まかにしか知らない。
シワナシの森の一件に、ビースト国の騒動。
バッシュがナザールやサンダーソニアに借りを作っていてもおかしくはない。
「うむ。ナザールにはシーケンスへの書状をもらった。あれのおかげで事がうまく進んだ。チャンスをモノにはできなかったが……いずれ礼を言わねばならん」
「でしょう? ナザール殿下も、あなたからの報告をお待ちしていると思いますよ」
書状の話はリヒターは聞いていない。
「おや、今度はナザールに黒い噂が出てきたぞ」ってなもんだ。
とはいえ、ナザールの黒い噂を暴くのも、リヒターの仕事ではない。
いずれそんな仕事をする日もくるかもしれないが、今ではない。
リヒターは職務に忠実なのだ。
「だから、どうか我らと共に」
「うむ、いいだろう」
こうしてリヒターは危うい橋を渡り切った。
それが、特に崩れる心配の無い、とてつもなく頑丈な石橋だったと知らずに。
■
数日後、バッシュは馬車に揺られていた。
快適な旅であった。
馬車に使われている馬は軍馬であり、ヒューマンが長い年月を掛けて交配を続け、逞しく、かつ力強く馬車を曳く。
日中、休むことなく走り続けるスタミナがあるため、その移動速度は極めて高い。
ここまで移動に特化したものは、他の種族の持ちえぬものだ。
オークもバグベアを使って荷車を曳く。最高速度はかなりのものだが、ここまで長時間乗り続けることはできない。
揺れなど、バグベアの荷車に比べれば無いに等しい。
あの荷車はオークをぎゅうぎゅう詰めにして運ぶ。オークが足を広げて座ることもできないほどに。
乗り心地など皆無だ。
ヒューマンは肉体が弱く、魔力面でもエルフに劣る。
そんな種族、なぜ四種族同盟の盟主なのか。
その答えの一端が、馬車一台、軍馬一頭からも見て取れる。
馬車は所詮は囚人用であるため、座席のクッション性は最悪だ。
もし尻の肉の薄いエルフなどが乗れば一日で尻をダメにしていたであろう。
だが、バッシュのような屈強なオークは、尻も屈強である。ダメージなど無い。
バッシュは一日中馬車に揺られながら景色を見て、夜になると飯を食い、少し眠り、また馬車で移動した。
ヒューマンにとっては、かなり強引な行軍であったが、バッシュにとっては、いつもより楽な行軍だった。
なにせ自分は座っているだけで良いのだから。
それに飯も自動的に出てくるし、夜もたっぷり眠れる。
会話と酒は無かったが、オークの行軍でも無い事の方が多かったため、気にならない。
「さすがヒューマン、オークでも要人ともなると、快適に旅をさせてくれるんすね」
「そのようだな」
同行した兵は、バッシュとゼルのそんなやり取りを、聞いても何も言わなかった。
ただ、愕然とした表情をしていた。
バッシュは気にも留めなかったが。
馬車は、アルカンシェル平原を超え、ザリコ半島へと続く山々を超えようとしていた。
かつてはドワーフが支配し、大規模な要塞を築いていた山々だが、一度完膚なきまでに破壊されてからというもの、復旧はしていない。
だがいずれ、ドワーフはここをまた、アリの巣のような穴倉へと変えるだろう。
つまる所、この山は数年ほど前までは、アリの巣のような穴倉であった。
一度崩され、ただの山に変わった。
だが、その中には、まだまだ多くの空洞が残されていた。
バッシュが乗る馬車が通る数日前から、周囲には雨が降っていた。
土砂降りとまでは言わないが、かなり強い雨が、何日も降り続いていた。
雨は、山の中の空洞へと流れ込み、その地盤を次第に緩めていた。
そして――。
「いかん! 山崩れだ!」
御者台にいた兵が気づいた時には、もう遅かった。
アルカンシェル平原とザリコ半島を繋ぐ、あまり使われていない細い道を、大量の土砂が襲った。
土砂は馬車を飲み込み、谷底へと押し流していった……。
■
「死ぬかと思ったっすね」
「そうだな」
小一時間後、バッシュとゼルは土砂の中からぴょこんと顔を出した。
次いで、バッシュが水から上がるかのように、体を土の上へと出す。
馬車が頑丈な鋼鉄製であったことが幸いした。
大量の土砂に対してひしゃげはしたものの、完全に押しつぶされるということは無く、自力での脱出を可能とした。
しかしながら、御者台に座っていた兵士も、バッシュと同じ所に乗り込んでいた兵士も、皆死んでしまった。
ヒューマンは脆弱であるがゆえのことだろう。
フェアリーもまぁまぁ貧弱であるが、バッシュの懐という、世界のどこよりも安全な所で守られていたため、無事であった。
馬車の前後を移動していたリヒターや、彼の部下たちがどうなったのかは、バッシュにはわからぬ事だ。
「他の連中は?」
「わかんないっす。多分死んだんじゃないっすか?」
かなり大規模な山崩れであった。
巨大な山が半壊し、元の三分の二ほどの大きさになるほどの。
リヒターたちも巻き込まれたのなら、生きてはいまい。
「この有様では探しようもないな」
「そっすね」
周囲はまさに瓦礫の山だ。
黒く、ねばついた土が溢れ、なぎ倒された木々がひっくり返り、根をのぞかせている。
エルフの大魔法であっても、ここまで酷い有様になることはないだろう。
いつだって天災は、人の力を超えるものなのだ。
「ここからは歩いていくか」
「仕方ないっすね」
ゆえに、二人は歩き始める。
どのみち、目的地は同じなのだから、気にすることはない、と。
バッシュは歩き出す、山崩れでぐずぐずになった地面をしっかりと踏みしめながら。
そして、バッシュはブラックヘッド領に到着したのだった。