58.ドラゴンの巣へ
レミアム高地。
そこは、ヴァストニア大陸中央部に位置するドワーフの領土で、ヒューマンとエルフに隣接している。
垂直に切り立ったテーブルマウンテンが数多く点在し、良質な鉱石が取れるのが特徴だ。
ドワーフはここから恒久的に鉱石を採取し、前線に良質な武具を供給し続けた。
ここを取られればヒューマンとエルフは分断され、ドワーフ本隊への鉱石の供給量も減る。補給が途絶え、孤立する部隊も多く出てくるだろう。
要所だったと言える。
だからこそ四種族同盟も必死に守ろうとしたし、デーモン王ゲディグズもここを決戦の場に選んだ。
オーク軍が展開していたのは七種族連合全軍の中央前方である。
つまり最前線。両軍が最も激しくぶつかり合うことが予想される、激戦区であった。
デーモン王ゲディグズは、オークのことをよく理解していた。
戦場で女を倒せば、その場で犯しはじめてしまうこと。
ただし、あらゆる戦場において、とてつもなく勇敢であること。
敵がどれだけ多数でも、あるいは味方がどれだけ死んでも、構わず突撃できるほどに、阿呆であること。
全ての種族の中で、最も数が多かったこと。
つまり、使い減らしても、特に懐が傷まない存在であったということ。
とはいえ当時、オーク以外の種族は、疑問を抱いていた。
「これほど重要な戦において、なぜオークに最も重要な場所を任せるのか?」
「いつものように、オーガを前面に出した方がいいのではないか?」
「その方が、オーガの面目も立つし、戦果も大きくなるじゃないか」
「だって今まではずっとそうだった。見ろ、オーガもご立腹だ、と」
ゲディグズは答えた「戦端が開かれて一時間もすればわかる」と。
ゲディグズへの信頼を持たぬ者はいなかったが、その言葉にはみな懐疑的だった。
確かに開戦から一時間後、各種族が入り乱れ、乱戦模様となり始めた頃、オークの軍勢がヒューマンを押し込み始めた。
ヒューマンがどれだけ屈強と言えども、当時の戦力差を考えれば、そうおかしなことではない。
オークたちも、ヒューマン軍の奥に見える王家の紋章を見て、俺が姫を犯すんだと股間をモリモリにして突撃していった。
その勢いは凄まじく、ヒューマンが押し切られるのも時間の問題に思えた。
とはいえ、当時のオーガたちは面白くなかった。
オークにできるのなら、オーガにもできたはずだ。
むしろ、オーガであれば、一時間も掛けず、その半分……いいや、脆弱なヒューマンの軍勢など、最初のぶつかり合いで蹴散らしていたはずだ。
オーガだけではない。オーク以外の種族もそう思っていた。
そんな折だ。
ドラゴンが現れたのは。
地獄が始まった。
ほんの数分で、オークの半分が消し炭になった。
運よくブレスを回避したオークも、火に囲まれ、逃げ場などどこにもなく、ヒューマンの魔法が次々と飛んできた。
まさに阿鼻叫喚の地獄が、目の前に展開されたのだ。
そんな地獄を前に、幹部たちは思わずゲディグズの方を見た。
彼は顔色一つ変えていなかった。
この展開を読んでいたのだ。
ゆえに、ドラゴンが空中から数度のブレスを浴びせ、何百というオークを消し炭にしてすぐ、デーモン軍に動きがあった。
デーモン軍の上空に巨大な魔法陣が浮かび上がり、無数の魔法の槍が射出された。
ヒューマンの砦や、エルフの魔法障壁を打ち崩す時に使うような、きわめて強力な攻城戦用の大槍だ。
大槍は誘導装置でもついているかのように、ドラゴンに着弾し、その巨体を地表へと叩き落としたのだ。
そして、流れるように次の手が打たれた。
雷雨を伴う雨を降らせ、戦場の火を消したのだ。
待っていたかのように。
かくしてドラゴンは地におちた。
オークだけでなく、オーガや他種族のひしめく、七種族連合の陣地のど真ん中に。
そして、後詰としてオーガの軍勢が、その巨体へと躍りかかった。
幹部たちは、ゲディグズを褒めたたえた。
さすがはゲディグズ様だ。このためにオークを囮にしたのですね! と。
しかし、そこからが本当の地獄の始まりだった。
地に落ちたドラゴンは、半狂乱になって暴れた。
翼を失い、逃げられぬと悟ってか、死にものぐるいだった。
そしてそんなドラゴンに、誰一人として敵わなかった。
オーガはもちろん、戦場に残っていたオークも、援軍に駆け付けたサキュバスやリザードマン、ハーピーも、誰一人その鱗に傷一つつけることすらできず、無残に引き裂かれた。
さしものゲディグズもその状況を想定していたのか、あるいは想定していなかったのかはわからない。
前線にいた者は知らないが、同時刻にデーモン本陣の偵察部隊が強襲され、通信を遮断され、指揮系統が一時的にマヒしていたのだ。
ナザールらの部隊による作戦の成功率を上げるために行われた、ビーストの破壊工作である。
そしてその後、ゲディグズがナザールらに襲われることとなるが、それは置いておこう。
そうこうしている内に、ドラゴンはヒューマンの陣地に向かい始めた。逃げようとしていたのだ。
前線で戦う者たちはそれを見て、誰もが焦りを覚えた。
ヒューマンの本陣に到達されてしまえば、翼が回復魔法で治癒され、また飛来してくるだろう。
再度飛び立てば、今度は落ちないに違いない。
それどころかデーモンの本陣を強襲し、完膚無きまでに叩き潰すだろう。
だから阻止しなければならないが、誰もドラゴンを止めることはできなかった。
どうすればいいのか、ゲディグズ様は何を考えているのか……。
そう、前線を指揮していた者たちが考え、焦り始めた頃……。
ドラゴンの前に一人の戦士が立った。
それは一人のグリーンオークだった。
おおかた、火の海になった戦場にいて、煙にまかれて状況がわかっていないのだろう。
きっとそのまま眼前のドラゴンに食われるか、ブレスで炭になる。
ここにいる戦士たちに等しく訪れる死の瞬間が、彼にも訪れると。
誰もがそう思っていた。
そして、彼らは、信じられないものを目撃することになった。
■ ■ ■
現在、バッシュは山で氷壁に張り付いていた。
バッシュはその山の名を知らない。
ただ、かつて噂で、北の果てに高い山があるという話を聞いたことがあった。
そして、その山にはドラゴンが住んでいる、ということも。
だからきっと、自分が登っているのはその山なのだろうと考えていた。
実際、わりとそこに関してはどうでもよかった。
この山にドラゴンの巣があるという情報は、シーケンスから得ていた。
そしてバッシュたちは、巣に用があった。
具体的に言えば、その巣に対して攻撃を仕掛けている部隊の生き残りに、だ。
「三人ぐらいは生き残っているといいっすねぇ!」
「そうだな!」
周囲は猛吹雪。
何も見えず、絶えず氷の礫が叩きつけてきている。
ゼルですら、外を飛び回らず、バッシュの懐に隠れているぐらいだ。
あるいは、ただ寒いだけかもしれないが。
下の方は見えないが、落ち始めたらあっという間に真っ逆さまだろう。
ゼルもいることだし、バッシュであれば恐らく死なないだろうが、かなり痛いに違いない。
バッシュはつるつるの氷壁に指を打ち込み、ガシガシと上へと登っていく。
気温が低いためか、氷壁が割れたりすることもない。
順調な登山と言えるだろう。
「それにしても、あれだけ良い返事がもらえるとは思っても見なかったっすね!」
「ああ!」
シーケンスとの会合は完璧であった。
最初はデーモンらしく、こちらに胡乱げな視線を向けていたシーケンスだったが、ナザールの手紙を見せた途端に態度を一変、あっという間に娘をくれると言ってくれた。
それどころか、娘の配下にいるデーモン女までもらっていいとまで言ってくれた。
「娘が欲しければドラゴンを倒してこい! ぐらい言うかと思ってたっすよ!」
「巣がわかっているのなら、それでも構わん」
「さっすが旦那、そうこなくっちゃ! オレっちはレミアム高地では旦那の活躍を見逃したっすからね! いやぁ、見たかったなぁ! 旦那がドラゴンをちぎっては投げ、ちぎっては投げする所! どうせ旦那のことだから、一撃でズバーっと終わってしまったんでしょうけど!」
「いや……あれは死闘だった。死んでいてもおかしくはなかった。なにせドラゴンが現れてすぐ、俺は気絶していたからな」
バッシュは、あまり自分の逸話を語ることが無い。
オークが自慢話をする時は、その時に犯した女の話をデザートにいれなければいけないからだ。
戦いの逸話が50点。
女を犯す話が50点。
両方合わせて100点満点。
そんな配点になっているのだ。オークの自慢話というのは。
バッシュの話では、どう頑張っても50点しか取れない。
だが、このドラゴンとの戦いに関しては別だ。
オークがドラゴンに立ち向かい、それを倒した。
ドラゴンスレイヤーの逸話だ。
オークと言えど、その話の配点はあまりにも大きく、女の部分がすっぽり抜けていても100点を取れるほどだ。
なにせ、このヴァストニア大陸史上、ドラゴンを倒した者は、片手で数えるほどしかいないのだから。
その片手で数えられる英雄たちも、半分以上はおとぎ話だ。
残りの半分すら、本当にあった話かどうか判別が難しい。
ただ、ドラゴンは実在するし、戦場にはドラゴンの骨から作った武器を持った戦士がいた。
だからみんな、疑いの目を向けつつも、心の奥底で信じていたのだ。
ドラゴンを倒しうる戦士は存在する、と。
そして、それが成された。
伝説だ。
だから別格なのだ。
「き、気絶っすか!? バッシュの旦那を、どうやって!?」
「詳しく語ってやってもいいが、ここは少し寒いな」
「そっすね! できればもうちょっと温かい所で、お酒でも飲みながら聞きたいもんっすね! あ、そうだ、いいこと考えた! これから出会うデーモン女にその話を聞かせてやるっすよ! デーモン女は今、まさにドラゴンの脅威に困ってるっすからね! 旦那がドラゴンを倒した話を聞かせてやれば、一発でメロメロっすよ!」
「そういうことなら、ドラゴンを退治するのもいいな」
「おっ、新たな伝説の幕開けっすか!」
すでにシーケンスから許可はもらっている。
デーモンは上下関係に厳しい種族だ。
上位のデーモン貴族から命じられれば、オークの妻だろうがなんだろうがなってくれるだろう。
オークがオークキングの命令には絶対服従なように。
だが、念には念を入れておきたいのも事実だ。
シーケンスは、自分の娘の一人と、討伐隊の女を自分のものにしていいと言ったが、すでに全滅している可能性もある。
こういう時、最低でも一人か二人、生き汚い奴が残るものだが、それも絶対ではない。
なにせ相手はドラゴンなのだから。
なら、今まで通りの方法も、同時に進行しておきたい。
つまり『惚れさせて妻にする』という従来通りの方法だ。
楽なのは、その方法が明確な所だ。
ドラゴンを討伐する。
それを女に話す。
実にわかりやすい。
むしろ、ドラゴンの討伐すらできないのなら、デーモン女を口説き落とすのは諦めた方がいいといっても過言ではないだろう。
バッシュにとって、デーモン女はドラゴンよりも強敵なのだ。
「む」
そう思いつつ、バッシュは穴を発見した。
氷壁の途中に、一人通れる程度の穴が、ポッカリと空いていた。
かなり不自然な穴だ。
人為的なものに間違いない。
「ここか……」
この穴はデーモンの討伐隊が作った、ドラゴンの巣への直通路である。
討伐隊はここから侵入し、ドラゴンの巣への攻撃をする手筈だったと聞き及んでいる。
そこから考えるに、バッシュが要塞に行く途中で見かけた一団は、ここから侵入し、中でドラゴンに遭遇、戦闘に入るも敵わず撤退。
そして追いつかれ、空中からブレスを吐かれて死んだのだろう。
「……いるな」
穴の中からは、やけに生暖かい空気が流れてきていた。
さらに言えば、穴の奥から、なにやら強大な生命の気配が感じられる気がした。
それ以外には、なんの気配もしない。
動物は疎か、魔獣すらいないのだろう。
なにか強大な生物が巣を作っている証左である。
いわゆる、ヌシの縄張りだ。
そして、こんな所に縄張りを作っているヌシなど、一匹しかいまい。
「行くか」
「うっす!」
バッシュは穴へと侵入した。
穴の大きさは、バッシュが十分に歩ける程度だったが、地面も壁もやけにつるつるとしていて歩きにくい。
バッシュが足を滑らせることは無いが、あるいはヒューマンやデーモンなら、足の一つも滑らせていたかもしれない。
「人一人が通れる程度の穴って聞いてたっすけど、旦那がつっかえもしないなんて、やけに大きな穴っすね」
「そう……だな……」
バッシュはそう返事をしつつも、しかしすでに嫌な予感がしていた。
やけにツルツルとしていて、表面が光の反射でキラキラと輝いている。
こういう床は、前に見たことがあった。
一度だけ。
そう、たったの、一度だけ。
「……」
それを思い出した瞬間、否応なくバッシュの緊張が高まった。
歩きながら背中の剣に手を掛ける。
冷たい柄を握りしめ、腹の底に力を入れる。
ゼルもそんな気配を感じ取ったのか、押し黙った。
いや、このフェアリーも気づいているのだ。
先程から風鳴に聞こえていたこの音……どうにもマブダチの精霊の腹の虫とはモノが違うようだぞ、と。
目的の相手に近づいてきている。
だから、バッシュの側を離れず、静かに光源としての役割に終始した。
そうして警戒していたからだろう。
突然、前方に巨大な黄色い目が出現した時に、対処できたのは。
「!」
ソレと目が合った。
見られた。
そうとわかった瞬間、バッシュは剣を抜きざまに振り切った。
左手側の壁を切り砕き、できた隙間に己の体を押し込めつつ、はみ出た体を隠すように剣を地面に突き刺す。
隠れる直前にチラリと見た時、通路の奥の黄色い目は消えていた。
バッシュは大きく息を吸い込み、ゼルを胸元に隠しながら丸くなった。
視界が真っ白に染まった。
マグマの中に身を落としたかのような熱を感じながら、バッシュは息を止めたまま、ゆっくりと数を数える。
(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12……)
13まで数えた所で、バッシュは剣を地面から引き抜き、走り出す。
洞窟は先程よりも一回り大きくなっていたが、壁と地面はドロドロに溶けていて走りにくかった。
剣は真っ赤に熱されており、手の皮がジュウと音を立てる。
足の裏からも同様の音が聞こえ、刺すような痛みが襲ってくる。
服は端から燃え上がり、灰となって崩れていく。
全身の火傷で激痛が走っても止まらない、息もせずに疾駆する。
バッシュは、ここでは息ができないと知っている。
酸素という概念を知らずとも、今ここで息をしても意味が無いと、知っている。
前に一度、それで十数分ほど倒れたことがあるから。
そして、その場にうずくまっていると死ぬこともまた、知っている。
(1、2、3、4、5、6、7、8……)
走りながらもう一度数を数える。
そしてそれが9に達した時、道の奥にもう一度、あの黄色い目が見えた。
バッシュは間髪入れずに剣を突き出した。
「ギュアアアァァァァァ!」
凄まじい咆哮が上がる。
バッシュはその声を聞きながら、目があった場所へと転がり出る。
そこは、空洞だった。
天井は高く、バッシュが思い切り飛び上がっても、頭をぶつけることは無いだろう。
それどころか、もっと大きな生物が余裕を持って暮らせるぐらいの高さと広さがあった。
そう、例えば目の前にいる、巨大なトカゲ。
赤い鱗を持つドラゴンだ。
そいつはバッシュの一撃で片目が潰れ、血を流していた。
だが戦意はまったく衰えてはいなかった。
残った目でバッシュを睨めつけつつ、天井に向かって吠えた。
「ギャアオオオオオァァァァァ!」
同時に、バッシュもまた腹の底に息を吸い込む。
天敵を前にし、湧き上がる震えを打ち消すように。
オークは何者も恐れぬ、勇敢な戦士だと示すように。
叫ぶ。
「グラアアアァァァァァァオオオオゥ!」
ウォークライ。
大音声が洞窟を震わせる。
戦いが始まった。