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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第一章 ヒューマンの国 要塞都市クラッセル編
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4.騎士団長ヒューストン

 要塞都市クラッセルの騎士団長ヒューストン。


 彼の経歴を話すと、長い。

 20年ほど前、13歳で見習い兵士として戦争に参加。

 初陣で前線に送られ、血みどろの敗戦を体験する。

 同期が全滅する中、運よく生き残ったヒューストンは、戦場を転々として経験を積み、10年程で中隊長になった。


 中隊長になった直後の戦闘は、地獄のような撤退戦だった。

 ひどい戦いだった。

 将軍から大隊長に至るまでのあらゆる士官が戦死か逃亡、指揮官はコロコロと代わり、軍は大混乱。

 兵力の6割が失われた頃、ただの中隊長であるヒューストンに指揮権が回ってきた。

 『もはや、あなた以上の指揮権を持つ者はいない』

 伝令役の衛生兵にそう言われた時、ヒューストンは悪い冗談だと思った。


 しかしヒューストンはその役目を全うした。

 周囲の者をまとめ上げ、残った4割の兵をほとんど失うことなく、無事に撤退させたのだ。

 才能の開花……彼は大軍を指揮するのが向いていたのだ。

 とはいえ、その撤退戦が成功したのは、運が良かっただけだ。

 ともあれ、その実績が高く評価され、ヒューストンはオーク方面軍の副官となった。

 オーク方面軍とは、主にオーク&フェアリーの連合軍と戦う軍である。


 副官となってから5年後に司令官が戦死。そのまま繰り上げで司令官となり、終戦まで戦い続けた。

 ヒューストンは10年間、司令官としてオークと戦い続けた。

 オークと戦うにあたり、彼はできうる限りの全力を尽くした。

 出来る限りの情報を集め、出来る限りの知恵を振り絞り、時には前線に出て、命を懸けて戦った。

 その結果、彼はヒューマンの中で、最も多くのオークを殺した男となった。


 ゆえに人は彼をこう呼ぶ。

 『豚殺しのヒューストン』。


 戦争後もオークに対しては容赦がなかった。

 特にはぐれオークを見かけたときの彼は苛烈だ。

 はぐれオークがどれだけ命乞いをしても、いっさい聞く耳を持たず、淡々と処刑する。

 その姿に、戦後に兵士となった者たちは尊敬すると同時に、畏怖を感じていた。


 もっとも、実際の所、大層な二つ名とは裏腹に、ヒューストンはオークに対して、かなりフラットな感情を持っている人物であった。

 偏見は無く、差別もしない。

 別にオークのことが、ことさら嫌いなわけでもない。


 なぜなら、彼はオークに関して詳しいからだ。

 詳しくなったからだ。

 ヒューストンは副官になった際、オークをより効率よく殺すため、またオークからの被害をできる限り抑えるため、オークのことを知る必要があった。

 彼は戦時中、オークについて誰よりも勉強をした。

 オークを観察し、過去の文献をあさり、時に捕虜から話を聞いた。


 その結果、ヒューストンは学んだ。

 オークが自分たちとは明らかに違う常識を持っているだけの、誇り高き戦士だと。


 もちろん、良い感情ばかりを持っているわけではない。

 同僚や部下を数多く殺されているゆえに芽生えた、暗い感情もある。

 でも戦争は終わったのだから、不必要に憎む必要がないと思えるぐらい、オークのことを身近に感じ、時に尊敬もしていた。


 はぐれオークに厳しいのは、彼らがオークの中で最も唾棄すべき存在だからだ。

 オークの単純明快な掟にすら従えず、自分勝手に生きることを選んだ存在。

 そんな者がヒューマンの生息域まで来たとしても、ヒューマンのルールを守るはずもない。

 人の社会に適合できぬ者など、害獣と同じだ。

 ゆえに、殺すのだ。容赦なく。


 ともあれ、そんな人物だからこそ、戦後、騎士に叙勲され、クラッセルの騎士団長に任命されたのだ。

 彼が陣頭指揮を執るなら、少なくとも数年以内にオークとの戦争が再開しないだろうし、よしんば戦いが始まったとしても、クラッセルを守ってくれるだろうという目論見もあって。


「何? 街道の襲撃事件の容疑者を捕まえた?」


 そんな彼は、ある日部下からそんな報告を受けた。


「はい、どうやらオークのようです」

「はぐれオークなら殺していいと言ったはずだが……?」


 部下からの報告を受けたヒューストンは、首をかしげた。

 オークキングとの取り決めでは、国から放逐されたオークは殺していいことになっている。

 ヒューストンとしては、そういう輩はオーク国で処分して欲しいと思う所だが、オークにはオークの法律があるのだから仕方がないと諦めていた。


「いえ、それが身なりもよく、受け答えもしっかりしていたので、はぐれではないのかも」

「なら放してやれよ。可哀想だろ」

「それが、ジュディス様が、どこか怪しい所があると……」

「あんの馬鹿娘、オークとの戦争になったら責任取れんのかよ……」


 ジュディスは、森で起きている襲撃事件を担当している女騎士だ。

 赴任して一年の新米騎士で、ようやくこちらの勤務にも慣れてきたということで、一つの事件を任せた。

 すぐに終わりそうな事件であったが、案外犯人が狡猾なのか、それとも思いの他ジュディスが無能だったのか、まだ成果は上がっていない。

 最近は、あまり成果が出ていないことを焦っていた。

 なんでもいいから手柄にして、無能ではないと証明したいのだろう。


「お前はどう思う?」

「そうですね、確かに怪しい部分は多いです。旅の目的は口にしませんし、フェアリーもついていました。我々に包囲されてもやけに落ち着いていましたし、もしかすると……スパイかもしれません」

「ぷっ……」


 ヒューストンは思わず吹き出した。

 この兵士はまだ若く、戦争にも参加していない。

 だからオークがどんな種族かを、よく知らないのだろう。

 オークをよく知っていれば、スパイという単語から程遠い存在だとわかりそうなものだ。


「ヒューストン様、笑い事ではありませんよ! わざと我々に捕まることで、内部から情報を得ようとしているのかもしれないんですよ!」

「バァーカ、オークがそんな器用なことすっかよ。スパイならフェアリーだけで来るさ」


 ヒューストンの知っているオークなら、わざわざ捕まることは無い。

 たった一人でも包囲を破ろうと戦闘を仕掛け、うまいこと全滅させることができたら、その場でジュディスを犯しながら尋問し、情報を得るだろう。

 そもそも相手の懐に潜り込んで情報収集するなどという高度なことは、オークにはできないのだ。

 せいぜい、出来たとしても偵察が関の山だろう。

 敵はどこに陣地を構え、何人いて、武器の構成は剣と弓と……そんな偵察は、オークもよく行っていた。

 もっとも、できないのはスパイぐらいで、戦術に関してはヒューマンが舌をまくぐらい、緻密に行ってきたが。


 ともあれ、戦わず大人しく捕まったということは、はぐれオークではなさそうだ。

 オークキングの出した法律に従い、ヒューマンと仲良くしようとしている、理性的なオークだろう。

 集団そのものに帰属意識を持つオークが一人で旅をするというのはあまり聞かないが……オークにもいろんな奴がいる。そういう奴がいてもおかしくはないだろう。

 それをジュディスが焦って捕まえてしまった……というのが今回の真相だろう。

 そう、ヒューストンは判断した。


(だが、フェアリーが付いているというのは、確かに気になるな)


 戦争中、オークとフェアリーが一緒に動いているとなれば、それは作戦行動を意味していた。

 もう戦争は終わったとはいえ、かつての戦争の感覚が、ヒューストンを警戒させた。


「よし、ちょいと俺も面会してみるか」


 ヒューストンはそう言うと、立ち上がった。



 牢屋は騎士の詰所の地下にある。

 戦時中は多くの捕虜を収容し、拷問して死に至らしめた場所だ。

 終戦間際では疫病が蔓延し、ヒューストンは頼まれても近寄ろうとしなかったような所だ。


 戦後は綺麗に掃除され、軽犯罪を犯した者の収容所として機能している。

 今では、ほのかに柑橘系の香りすら漂ってくるぐらいだ。


「いい加減、旅の目的を言え! 何の目的であの森を歩いてきた! なぜクラッセルにきた! そのフェアリーはなんだ!」


 そんな牢屋への階段を降りていると、ヒューストンの耳にジュディスの声が響いてきた。

 新米騎士とは思えないほど、堂に入った恫喝だ。

 あの剣幕では、捕らえられているオーク君とやらも、素直に話せまい。

 というのも、オークは他人から、特に女から下に見られることを極端に嫌う。

 やましいことがなくとも、女に恫喝されて素直に何かをしゃべるなんてプライドが許さない、という者が多い。

 ヒューストンはそう考え、苦笑いした。

 すぐにオークから、「話して欲しければ、力尽くで来い」といった文言が飛び出すことだろう。

 そうなれば、もう話にならない。

 オーク相手にする尋問としては、下の下だ。


「旅の目的は私的なことだ、簡単に言えば、捜し物をしている。森を歩いてきたのは、その方が早いからだ。ここにきたのは、ここに探し物があるかもしれないからだ。フェアリーは旧友だ。俺の旅の目的を知り、協力してくれている」


 しかし、聞こえてきたのは、毅然とした答えだった。

 その声音に、ヒューストンは「ほう」と息を吐いた。

 恫喝されて意固地になるのは、基本的に若く血気盛んなオークだ。

 オークの中でも、特に歴戦の戦士となると、多少の恫喝など気にしない者が増えてくる。

 戦場での咆哮に比べれば、平時の恫喝など、普通の会話と同じということなのだろう。

 しかし、そうなると別の疑問が浮かんでくる。

 なぜそんな歴戦のオークが国から出て、探し物をしているのか……。


「その捜し物というのはなんだ!? なぜ探している!?」

「それは……言えん」

「なぜだ! 怪しいぞ! 貴様、何を隠している!」


 存在を知られると横取りされるようなものか。

 あるいは、失くしたと知られると困るものか。

 ヒューストンは2パターンを瞬時に考えつつ、牢屋への扉にたどり着き、ふと何か、嫌な予感がした。


(この声……なんか聞き覚えがないか……?)


 ヒューストンの予感というものは当たる。

 この予感のおかげで、あの戦争を生き残ってきたといっても過言ではない。


(やっぱ、行くのやめっかな……)


 そんな気持ちが胸の内に飛来するが……。

 嫌な予感といっても、今は平和な時代。

 そうそう命まで取られることは無いだろう。

 それに、このままジュディスを放っておいても、無駄な問答が続くだけだ。

 ヒューストンは、無駄が嫌いだった。


 なので、ヒューストンは尋問部屋に続く扉を開いた。


「ジュディス、あんまりやりすぎるなよ。外交問題になったら面ど……ひぇぁ!」


 思わず、マヌケな悲鳴が漏れた。

 同時に、背筋にぞっとしたものが走り抜け、心臓がバクバクと高鳴り、足が逃げろと叫んだ。

 脳裏によぎるのは、戦時中、自分がオーク方面軍の司令官になって間もない頃の戦いの記憶だ。


 あの戦いは、勝ち戦のはずだった。

 戦力はこちらの方が多かったし、作戦に粗も無かった。


 だというのに、先鋒が敵陣を突破できず、側面からの攻撃で部隊が分断され、ならばと予備戦力を前線に送った所で、本陣が強襲された。

 作戦が読まれていたのか、それとも単なる偶然か。

 本陣を強襲してきた部隊は少数だったが、精鋭だった。

 特に、先頭に立って大剣を振りまわしていたオークのことを、ヒューストンは忘れることはできない。


 あのオークに腕自慢だった副官が殺された。

 ヒューストンはというと、副官が殺されている間に、ほうほうの体で撤退した。

 無事に拠点まで帰り着いた時は、悪夢でも見ていたのかと思った。

 それほどの恐怖体験だった。


 だが、夢ではなかった。

 なぜなら、悪夢はその一回では終わらなかったからだ。


 その後、何度も戦場でそのオークに遭遇したのだ。

 ヒューストンから見ると、そのオークはいつだって自分の命を狙っているように見えた。

 実際、狙っていたのだろう。

 司令官であるヒューストンを倒せば、ヒューマン軍の気勢を削ぐことが出来るのだから。


 ヒューストンは、あのオークとまともに剣を交えたことなど一度も無い。

 全ての戦闘から全力で逃げた。

 それでも死ななかったのは、単なる奇跡だ。


 あのオークは、どんなに不利な戦場でも現れた。

 こちらがどれだけ大軍でも、どれだけ強大な味方を引き連れていても、必ず現れ、決して逃げずに戦った。

 ヒューマンの賢者がドラゴンを引き連れて戦場に現れ、デーモンやオーガすら消し炭に変えた時も、彼はその場に踏みとどまり、他の戦士と共にドラゴンと戦った。

 ヒューストンは、その姿を見て、憧れすら抱いた。

 醜悪なはずのオークを、美しいとすら思ったのだ。


 だから憶えている。

 肌の色は一般的なグリーン。

 オークにしてはやや小柄だが、密度の高い筋肉に覆われた体。

 鷹のような瞳、紫掛かった青い髪。


 見た目は、特徴のないグリーンオークだが、見間違うはずもない。

 こんなに接近したのは、オークとの和睦の調印式の時だけだ。

 いや、あの時ですら、ここまで接近はしなかった。20メートルは離れていただろう。


 今の距離は、せいぜい5メートル。

 リーチの範囲内だ。

 あの自分の身長ほどもあろうかという大剣は持っていないようだが、ヒューストンは知っている。

 このオークは、獣化したビースト族と同等の速度で動き、素手でドワーフ製の黒鎧を引きちぎることが出来る。

 この目で見たのだから間違いない。

 誰も信じちゃくれなかったが、前司令官はそうやって死んだんだ。


 このオークを表す名には事欠かない。

 『狂戦士』、『破壊者』、『皆殺し』、『暴れ牛』、『豪腕』、『シワナシ森の悪夢』、『緑色の災厄』、『竜断頭』……。

 他にもまだまだあるが……全てが、彼一人を表す言葉だ。

 そして彼は、オークの国ではこう呼ばれている。


 『オークの英雄(ヒーロー)』バッシュ。


 一番ヤベェオークが、そこにいた。


「……」


 見れば、バッシュが戦場でいつも連れていたフェアリーも、簀巻きにされてテーブルの上に転がっている。

 あのフェアリーのことも、ヒューストンは知っている。

 わざと敵方の捕虜となった後、なんらかの魔法でバッシュに敵陣の位置を知らせたフェアリー。

 治療薬になるフェアリーは捕まえても殺すことは滅多にない。

 そんなヒューマンの思惑を利用してかわざと捕まり、ヤバいオークを呼び寄せる。

 そのことから、付いたアダ名は『疑似餌のゼル』。


「ジュ、ジュディス君……」


 ヒューストンが情けない声をあげつつも逃げ出さなかったのは、部下の目があったからだ。

 彼はここの騎士団長。

 騎士と兵士を統べる者。

 司令官だ。

 しかも、騎士や兵士たちからは慕われていると自負している。

 その信頼を失うことは避けたかった。


 それに、よく見るとバッシュが穏やかな顔でジュディスの相手をしていた。

 あの全てを狩り殺す殺人鬼のような目はなりを潜め、孫のわがままを聞いている好々爺の慈しみさえ感じられた。

 ああ、あの悪鬼も、ああいう顔ができるのだな。

 怒ってばかりじゃないのだな。

 そうさ、だって戦争は終わったんだもの。平和な時代なんだもの。

 そう思わせるような瞳だ。


 とはいえ、あのバッシュであることに代わりはない。

 ヒューストンは深呼吸を一つし、最大限に警戒しつつ、腰が引けつつ、ジュディスに語りかけた。


「な、何をしているのかね?」

「ハッ! 西の森でオークに襲撃を受けたと通報をうけ、調査しましたところ、怪しいオークが町に入ったという情報を得ました。すぐに追跡、宿屋にて逮捕。現在は尋問しております」

「あ、ふーん……」


 誤認逮捕だと、ヒューストンはすぐに理解した。

 バッシュなら目撃者など残さない。

 やましい事があるなら包囲など突っ切って逃げているはずだ。

 このオークは、包囲網を敷かれても、100人ぐらいなら軽く突破して逃げることが出来る。

 なぜそう言い切れるかって?

 それをやられた事があるからだ。


「ほとんどの情報は吐かせました、あとはこいつの旅の目的を聞き出すだけです。オラァ! さっさと吐け、このクソ豚が!」


 ジュディスはバッシュの胸ぐらを掴み、至近距離からガンを付けた。

 ヒューストンの背筋に寒気が走り抜けた。


「あっ、あっ、や、やめてぇ、乱暴しないで!」


 制止のために咄嗟に出た声は、あまりに情けなかった。

 だってそうだろう?

 いくら平和な時代でも、怒っていい時はあるのだ。

 例えば、難癖を付けられて牢屋につれてこられ、戦争を体験したことのないケツの青い小娘に胸ぐらを掴まれ、偉そうに恫喝された時とかだ。

 つまり、まさに今がその時だ。

 彼は怒っていい。


「もう言えることはない」


 が、バッシュは怒っていなかった。

 むしろ、鼻をひくつかせながら、穏やかな顔をしている。

 きっと、この牢屋の各所から漂う柑橘系の香りが、彼の心を癒やしているのだろう。

 オークは何でも食べるが、案外果物も好きだから。

 ヒューストンは、この牢屋で柑橘系の香油を使うと提案した部下に感謝した。昇給も検討した。


「コホン……ジュディス君。今すぐ、彼から手を放したまえ、そして、そのままゆっくりと後ずさって、私の隣まで来るんだ」

「どうしたのですか? 『豚殺しのヒューストン』殿ともあろうお方がそんな弱気な……」

「その名前を出さないのぉ!」


 ヒューストンの二つ名は、オークからすると、面白くない名前だ。

 はぐれオークを逮捕した時にこの名前を出すと、大抵は憎悪の瞳で睨みつけてきて、「てめぇが豚殺しか……殺してやる!」と口汚く罵られる。

 それだけ、『豚殺し』の名はオークにとって重い意味を持つのだ。

 まぁ、豚呼ばわりされて怒っているだけかもしれないが。


「何をおっしゃるのですか、このハグレ豚野郎に、ヒューストン様の偉業を教えてやりましょう。いいかクソ豚。こちらのお方はな、先の戦争において、最もオークを殺した大将軍ヒューストン様だ。お前ごときオークなど、鼻をほじりながらでも――」


 ヒューストンは叫んだ。

 魂の叫びだった。


「うるせぇ! そろそろ黙らねぇとぶん殴るぞ! さっさとこっちに来い!」


 ジュディスはヒューストンの剣幕にきょとんとした後、わけがわからないという顔で下がった。

 わけもわからず叱られ、しょんぼりしている。

 わからないなら、後で説明してやる必要があるだろう。

 が、今はバッシュの事だ。


「すー……はー……」


 ヒューストンは深呼吸を一つ、バッシュに向き直った。

 バッシュの目は、ジュディスが下がったことで鷹のような目に戻っていた。

 ヒューストンの口元がヒクッと震える。


「ぶ、部下が失礼しました。この馬鹿は街道の襲撃事件の責任者なのですが、最近成果が無く、手柄に焦っておりまして……あ、申し遅れましたこの町の軍を統括しております、ヒューストン・ジェイルと申します」

「バッシュだ」

「は、お名前はかねがね……」

「俺を知っているのか?」

「戦争中に何度かお見かけした程度ですが……」


 そう言うと、バッシュはヒューストンの顔をまじまじと見た。

 顔を思い出され、いきなり襲いかかってこないだろうか。

 いいや、彼は理性的なオークのはずだ。

 最初の自分の判断を信じろ。

 今襲いかかってくるなら、もうとっくに部下は血祭りで、ジュディスは白目を向いて気絶して、股間から白濁色の液体を垂れ流しているはずだ。


 そう自分に言い聞かせつつ、ヒューストンは笑顔を作った。

 苦節三十数年、オークに対してこんな風に笑ったことはなかった。

 いや、ヒューマン相手にさえ、こんな笑顔を作ったことはなかったかもしれない。


「ヒューマンの大戦士長か」

「……はい。まぁ、そのような者です」

「懐かしいな。元気にしていたか?」


 途端、バッシュの牙がむき出しになる。

 威嚇とも取れるような表情である。

 しかし、ヒューストンはオークについて誰よりも詳しい男であった。

 この獰猛な表情が、単なる笑みであることを知っていた。

 ゆえに、少しホッとし、会話が成り立つと確信した。


「このようなことになったのは、全て私の監督不行き届きが原因、寛大なお心にてお許し頂けると幸いです」

「怒ってはいない」


 バッシュは面倒くさそうにそう言うと、名残惜しそうにジュディスの方を見た。

 それを見て、ヒューストンは「ジュディスに対して怒ってはいるが、殺すほどではない」程度だと判断した。

 あれだけの扱いをされて、その程度。

 オークとは思えないほど、器の大きい人物である。

 普通のオークなら、少なくともジュディスだけは八つ裂きにするだろう。


 とはいえ、いつ虎の尾を踏むかはわからない。

 ヒューストンは出来るだけ早めに会話を切り上げようと、声を上げた。


「ええと……一応、いくつかお聞かせ願えますか? さしてお時間は取らせません」

「またか、何度同じことを言わせるつもりだ」

「もう少し、もう少しだけ、お付き合いいただければ……!」


 何度同じことを聞いてるんだよ、と苦い顔をしながら、ヒューストンはジュディスを睨んだ。

 ジュディスはバツの悪そうな顔でそっぽを向いた。


「ええと……」


 それからヒューストンは、通報を受けたという西の森の街道での出来事について尋ねた。

 答えはもちろん変わらない。

 馬車はバグベアに襲われていて、バッシュは通りすがり、バグベアを追い払っただけ。

 女には声を掛けたが、性交の同意を得たかっただけ。

 なぜ襲わなかったかといえば、オークキングの名に置いて、他種族との合意なき性行為は堅く禁じられているから。

 バッシュはその掟を守るつもりだから、襲ったというのは誤解である。


 ヒューストンはそれを聞いて、なるほどと頷いた。

 他のはぐれオークの言うことならまだしも、この男の言葉なら嘘ではないだろう。

 本当に、偶然現場に居合わせただけなのだ。


 それに関しては、ヒューストンも予想していた通りだ。

 本当に襲いかかったのなら、逃がすことなんてすまい。

 バッシュから逃げるのが本当に命がけなことは、ヒューストンが誰よりもよく知っていた。

 本気で追いかけてくるバッシュから逃げ切るなら、重武装の部下を何人も犠牲にして、なお運が必要になってくる。


 だから、


「最後にもう一つ」


 これが一番重要だ。


「お探し物ということですが……そのことをオークキング様はご存知で?」

「無論だ」

「なるほど」


 この返答で、ヒューストンは得心がいった。


 なぜバッシュがここにいるのか。

 その理由。旅の目的。


 それは、オークキングの命令だ。

 かのオーク王ネメシスが、バッシュに何らかの命令を下したのだ。

 その命令に従い、バッシュは旅に出た。

 肝心な命令の内容は、『何か、あるいは誰かの捜索』だ。


「困りますね。そうしたことは、きちんと国を通していただかなければ」

「私用でな。面倒を掛けるつもりはない」


 それもどうやら、ヒューマンに隠さなければならないような物……あるいは者らしい。

 バッシュほどの英雄を動かすのだから、相当のものだろう。

 手に入れれば国に大きな利益をもたらすものか、あるいは放置すると国に多大な不利益を被らせるものか……。

 ともあれ、オークの国にとって一大事なのは間違いあるまい。

 そうでなければ、国の英雄をたった一人でほっぽり出すものか。


 このオークがこの場でジュディスやヒューストンを殺さないのは、その任務のお陰だろう。

 ヒューマンを殺して騒動になれば、任務に支障が出るのだ。

 問題は、その任務の詳細だが……。


「わかりました」


 ヒューストンは、バッシュの任務について考えるのをやめた。

 もしかすると、その捜し物とやらはヒューマンに害するものかもしれない。


「では、以上となります。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」


 が、ヒューストンには関係が無い。

 余計なことに首を突っ込んで、命の危険にさらされるのは、まっぴらごめんだった。

 戦場において最も大事で、しかし安いものは、命なのだ。


 バッシュの逮捕は、誤解からくる逮捕だった。

 彼はおとなしく逮捕され、事情を話してくれた。

 なら、これでこの一件はおしまい。

 一件落着だ。

 一応、明日にでも本国に『オークの英雄バッシュが来た。何かを探しているらしい』と報告するが、そこから先は諜報員の仕事である。


「うむ」


 バッシュは深くうなずくと、簀巻きになったゼルをほどき始めた。


「お忘れ物のないよう、気をつけてお帰りください」


 ヒューストンはほっとした顔でそう言った。

 これにて一安心。

 初めて間近で話すバッシュは。英雄らしい、器の大きな人物であった。

 が、大きいといっても、どこで爆発するかはわからない。

 ヒューストンはオークについて詳しい。だが、だからこそ、自分の知らない常識があることも知っていた。

 虎の尾を踏む前に、さっさと帰してしまうに限る。

 あとは、町中で余計な騒ぎを起こしてくれないよう、祈るだけだ。


 兵士も付けない。

 部下の命は大事だ。

 とにかくノータッチ。

 ヒューストンはそう決めた。


 自分の命惜しさにここまで生き残ってきたのだ。

 戦争が終わったのに死線をさまよってたまるか。


「……うむ」


 しかし、バッシュはフェアリー巻きの具を取り出しながら難しい顔をしていた。

 その視線は、チラチラとジュディスの方に飛んでいた。


(おや……?)


 その視線を見て、ヒューストンの思考に、何か引っかかるものがあった。


 帰れと言われて逡巡するバッシュ。

 その理由は?

 なぜジュディスを見る?

 彼女に怒っている? しかし先程、怒っていないと自分で言った。ならばなぜ彼女を?

 このオークが持っている彼女の情報は何だ?

 彼女は騎士。西の森の捜索。街道の……つまり!

 ヒューストンはその、賢すぎる頭をフル空転させ、結論を導き出した。


「まさか、街道の襲撃事件が、その『捜し物』に関係があると?」

「……?」


 バッシュは一瞬、動きを止めた。

 何を考えているのかよくわからない無表情。

 しかし、簀巻きから解放されたゼルがふよふよと飛んできて、バッシュに耳打ちをすると、バッシュはハッとした表情になった。

 そして、神妙な顔でヒューストンの方を向くと、静かに頷いた。


「うむ。そうかもしれんのだ」

「やはり!」


 自分の予想があたったヒューストンは、ニヤリと笑った。

 彼は賢い男である。

 自分の身の危険をさらさず、町中での騒ぎを抑え、ついでにこのオークの英雄に恩を売る方法を思いついたのだ。

 ヒューストンは聖人ではない。

 自分の今後の人生が有利になるようなものが手に入るとなれば、少しは欲も出ようというものだ。


「ならばジュディスを付けましょう。彼女は街道の襲撃事件の責任者です。事件を調べるのであれば、彼女に手伝わせるのが一番です」

「は?」


 反応したのは、入り口に立って不満顔をしていたジュディスだ。


「お待ち下さいヒューストン様! 私をこんな、女を犯すことしか考えていないような生物と一緒に行動させるつもりですか!?」


 ジュディスはずいっと前に出てきて、バッシュの方を指さした。

 バッシュはその指先を見つつ、低い声音で言った。


「条約で同意なき交尾は禁止されている。お前を犯すことは無い」


 ヒューストンはそれを聞いて、胸が熱くなった。

 思い返せば、このバッシュというオークは、戦時中、部隊を壊滅させても、女を持ち帰ることは無かった。

 他のオークが命令を無視し、その場で女を犯し始めるような連中ばかりだというのに。

 オークであるなら、女を犯したいと思わないはずがないのに……。

 愚直なまでに、オークキングの定めた掟を守るつもりなのだ。


「ほら、こう言ってらっしゃる」

「どうだか! ヒューストン様も知っているでしょう! オークという生き物は、見境がない醜悪な種族です。口でこう言っていても、暗がりで私と二人きりになれば、その本性を表すに決まっています」


 それを聞いて、ジュディスの胸ぐらをヒューストンが掴んだ。


「いい加減にしろよ。いいか、この人はな、そこらのはぐれオークとは違う。『オークの英雄』バッシュ殿だ」

「は? 誰ですそれ? オークキングの親戚か何かですか?」


 ヒューストンはめまいを覚えた。

 『オークの英雄』バッシュと言えば、戦時中、オーク方面軍に所属していた者なら誰でも知っている名前だった。

 いくらこのジュディスが戦争終了後に騎士になった新米といえど、ここまでモノを知らないのか、と。


「……」


 怒鳴りつけたくなる気持ちを、ヒューストンはぐっとこらえた。

 戦争が終わって3年。

 戦争中に兵士だった者は、ほぼ全てが故郷に帰った。戦いから遠ざかり、平和に暮らしている。

 この町にいる兵士も、ほとんど戦争を体験していない。

 オークキングの存在は知っていても、ネメシスの名を知らぬ者も多いのだ。

 加えて、要塞都市とオークの国との間では、あまり交易が行われていない。

 ジュディスにしろ、彼女の部下の兵士にしろ、はぐれオークしか見たことが無い。

 ルールを守る気のない、唾棄すべき犯罪者どもしか……。

 だから、知らなくても、仕方がないのかもしれない。


「お前は知らんかもしれんが、オークの中でも特に立場のある方だ。本来なら、貴様が会話することすら出来ない方なのだ」

「は……えぇ? そうなんですか? オークなのに?」

「お忍びでクラッセルにおいでなさったようだが、もしこの方が本気で怒れば、お前など一瞬で肉塊だ」

「はぁ……」


 ジュディスはどうにもピンときてはいないようだった。

 ならばとヒューストンは、少し方向性を変えることにした。


「もしお前のせいで、オークの国と戦争にでもなってみろ。責任を取らされて死罪になるのは免れん。この平和な時代にギロチンに掛けられたいのか?」

「あ……でも……しかし、こいつは、オークで……」


 ヒューストンは、自分のことを腰抜けの日和見主義者だと思っている。

 戦争中、バッシュから逃げ回っていたがゆえの自己評価だ。

 だが、周囲はそうは思っていない。

 ジュディスも、それ以外の配下も、ヒューストンは誰よりも冷酷で、誰よりも恐ろしい男だと思っている。

 だからこの言葉も、忠告というよりは恫喝……脅されているようにしか感じなかった。

 まだまだ若く、新米のジュディスは、震え上がらずにはいられない。


「おい」


 しかし、それをバッシュが咎めた。

 ここで初めて不機嫌そうな声を上げ、ヒューストンを睨んだのだ。


「その手を放せ」


 ヒューストンはパッと手を放した。

 まるで最初から何も掴んでいなかったかのような瞬速だった。


「あの、何か?」

「貴様……」


 バッシュは少し言葉を選んでいたが、すぐにこう言った。


「女に命令してばかりで、恥ずかしくないのか?」

「それ……は……」


 ヒューストンはその言葉を聞いて、胸が熱くなった。


 ヒューマンの都合で拘束し、長時間の尋問。

 誤認逮捕だとわかった後も、女騎士の態度は変わらず、自分を蔑んでくる。

 思う所が無いはずが無い。

 怒っていないはずもない。

 だというのに顔にも出さず、あまつさえ気遣うようなことさえ言ってのける。


 これがそこらのオークであれば、ヒューストンは鼻で笑っただろう。

 女かどうかは関係ない、彼女は自分の部下だ、お前には関係ない、ひっこんでいろ、と。

 あるいは、見くびっただろう。

 捕まり、怯え、しかし話がいい方向に転がったから、調子に乗ってこんなことをいい出したのだ、と。


 しかし、違う。

 このオークは、瞬きをする間にこの場にいる全員を殺すことが出来る。

 言葉で、教えてやる必要が無いのだ。

 力で、わからせてやることが出来るのだ。

 ヒューマンがいかに脆弱な生き物かを。


 彼はそれをしなかった。

 あれだけ屈辱的に扱われてなお、我慢した。


 なぜそれが出来るのか。

 恐らく彼は、オークという種族全体のことを考えているからだ。

 ヒューマンと敵対すれば、オークキングが発行した掟に背くことになる。

 あのバッシュがオークキングの命令に背いたとなれば、血気盛んなオークたちも、それを真似してしまうだろう。

 そうなれば、オークはまた別の種族との戦争を開始してしまう。

 オークは、先の戦争で数を減らしている。もし戦争となれば、今度こそ滅亡の道を歩むことになるだろう。


 ゆえに、己を律しているのだ。


 任務のため、オークの未来のため、自分を犠牲に出来る人物なのだ。

 あれだけの強さを持ちながら、それを自分のためではなく、種族全体のために使うことができるのだ。


 なんと凄まじい男なのだろうか。 

 想像以上の寛大さ、器の大きさ……。

 あらゆるものの大きさに、ヒューストンは、自分が恥ずかしくなった。

 確かに、彼から見れば、おどおどへこへこしながら女に命令ばかりしている自分は情けなく、みていられないだろう。

 指揮官として、男として、こうであってはいけないのだ。


 だからヒューストンは覚悟を決めた。

 虎の尾を踏むかもしれない覚悟を。


「その通りですね……わかりました。では、私も森の調査に同行します」


 その瞬間バッシュが微妙な顔をしたのだが、感銘を受けて盲目となっていたヒューストンはそれに気づかなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] バッシュにはこの尋問も日常会話のように聞こえてるのだろう、 そしてジュディスの尋問は バッシュにとっては好みの女が囁きかけてる至福の時間なので いつまでも続いて欲しいと願ってたのに おのれ至…
[一言] ヒューストンさんこれは戦場でも長生きするわ
[一言] 中隊長→副官(要は偉い人の秘書)って一般的に降格では? 社長秘書から社長になるのを繰り上げっていうかな?
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