48.サキュバス・ブート・キャンプ
『手練手管のローウェイン』。
彼はかつてヒューマンの兵士だった。
農村の出身で、その二つ名の表す通り、手先が異様に器用な男だった。
戦争中は工作部隊に所属し、脱出路の爆破や仕掛けられた罠の解除に始まり、野営地の設営から道や橋の建設まで、裏方としてあらゆる作戦に従事した。
戦闘に参加したことはあるが、裏方であったこともあって敵将の首を上げたことはなかった。
そのためか、戦功に応じてもらえるはずだった報奨金は雀の涙だった。
生まれ故郷の村はとっくに瓦礫の山。
手先は器用だったが、さして礼儀正しいというわけでもなく、すぐに上司と衝突することもあってか、仕事にも困る。
兵士だったヒューマンの戦後の有様として、それほど珍しいものではない。
ある者はなんとか仕事を見つけて食いつなぎ、ある者は国を出て他国で仕事を探したが、そうでない者は犯罪に手を染めることとなった。
食うに困って犯罪に手を染めざるを得なかった、と言うべきか。
ローウェインはこそ泥となった。
金を持ってそうな家に入り、金目のものを盗んで売っぱらう泥棒に。
まぁ、戦後に大量に出現した犯罪者の中でも、そこそこ稼げる部類だっただろう。
運が悪かったのは、ある日入った家がやんごとなきお方の愛人の家だった、という事か。
しかも、やんごとなきお方は愛人とイケナイコトの真っ最中。
やんごとなきお方の護衛は名のある騎士で、ローウェインをあっさりと捕縛した。
本来なら、泥棒が捕まった程度なら、牢屋に何ヶ月かぶち込まれる程度だ。
その間は、少なくとも飯と寝床の心配はしなくていい。
牢屋は、ローウェインのような者たちの最後の避難場所なのだ。
だが、見てはいけないものを見てしまったローウェインは、違った。
八百長じみた裁判の末、死罪となった。
運が良かったのは、現在の死刑法が『サキュバス送り』だった件だろう。
サキュバスの国に送られ、そこで"食料"となるのだ。
当時のローウェインは絶望していた。
戦場でサキュバスに捕まった男の話は聞いていたからだ。
彼は、サキュバスから奪った砦の再建をした時に死体も見たことがあった。
地下の牢獄で雑多に積まれていたそれは、最初は死体だとはわからなかった。
豚肉かなにかの干物に見えたのだ。
それがミイラのように干からびた人間の姿だと知った時、サキュバスの容姿とのギャップも相まって、サキュバスが死ぬほど恐ろしい存在に思えた。
自分はあの干物のように死ぬ。
そう思えば、目の前が真っ暗になった。
実際、サキュバスの国に"食料"として送られてからの数ヶ月は死ぬと思った。
毎日、数人のサキュバスたちがローウェインを押さえつけ、赤い瞳を爛々と輝かせながら甘い言葉をささやき、次々と搾り取っていくのだ。
確かに発狂しそうなほどの快楽はあった。
だがそこは、間違いなく地獄だった。
近い内に絶対に死ぬと思ったし、実際にローウェインと同じ時期に送られた"食料"の何人かは半年もしない内に死んだ。
しかし、ある時から天国になった。
部屋は王侯貴族でも住むのかというほど広い空間となり、むき出しの石畳だった床は沈んでしまいそうな絨毯に変わり、粗末な麻布を敷いただけの寝床はフワフワのベッドに、部屋には高そうなテーブルと椅子まで備え付けられ、テーブルには食べ切れないほどの食事が並んでいた。
食事は豪勢かつ食べ放題だ。
味付けについては、少々濃すぎると感じたが、ロクに食えていなかった今までに比べれば文句など出てくるはずもない。
サキュバスへの"食事"も、一度に来るサキュバスは一人となり、『魅了』も掛けられなくなった。
正気を保ったまま、サキュバスを逆に押し倒し好き放題できるのだ。あのサキュバスをだ。
相手のサキュバスはというと、やたらと事務的な対応だったが、当時はそんな状況に非常に興奮したりもした。
そうして三年。
食って寝て、一定間隔毎に来るサキュバスに体を貪られる。
最初の頃こそ良かったその生活も、ずっと続ければ飽きてくる。
ついでに言えば、体は激太りし、体調の方もかなり悪くなりつつあった。
太らされ、毎日事務的に搾られる。
まるで家畜だった。
いや、家畜そのものだった。
重く鈍くなる体を抱え、言いしれぬ不調に体が苛まれていた時は、そういえばこれは『死刑』だったことを思い出した。
自分はもう、人間ではないのだ。
サキュバスの"食事"の最中に急に胸が苦しくなった時は、その瞬間が来たと思った。
しかし、生き残った。
気がつけば、己に充てがわれたベッドよりもかなり粗末なベッドの上で、数名のサキュバスとフェアリーが飛んでいた。
どうやら、フェアリーが妖精の粉を使い、自分を助けてくれたらしい。
フェアリーやサキュバスの話は要領を得なかったが、どうやら今、この国に『オーク英雄』が来ているらしく、彼の一声で助けられたらしいということはわかった。
『オーク英雄』バッシュ。
その姿を見たのは、ただ一度。
忘れもしない、レミアム高地での決戦だ。
ローウェインは、ヒューマンの陣地にいた。
そこで見たのは、巨大なドラゴンと戦う、一人のオークの姿だった。
その場にいた誰もが、その人智を越える戦いを目の当たりにし、あんぐりと口を開けていた。
オークがドラゴンを倒した時には、胸の奥底に言いしれぬ興奮を憶えていたものだ。
とんでもないものを目にしてしまった、と。
敵が勝ったにも関わらず、そう思ったのだ。
そんなオークが、サキュバスの国にきて、しかもサキュバスが畏まっている。
あのサキュバスが、男に対して襲うでも誘惑するでもなく、畏まっているのだ。
その上で、サキュバスの"食料"なんかを貴重な妖精の粉を使ってまで助けてくれる。
馬鹿で臭いオークも『英雄』ともなると違うのだなと思った。
そんなことがあった翌日のことだ。
ローウェインら"食料"は、三年ぶりに外へと連れ出された。
久しぶりに陽の光を浴びたローウェインは、その日久しぶりに他の"食料"を見た。
自分と同じようにでっぷりと太り、不健康そうな顔をした彼らは、太陽を眩しそうに眺めていた。
自分一人ならまだしも、なぜこんな大勢を、と疑問に思うが、どうやら誰もその理由がわかってはいないようだった。
ただ、ローウェインたちが連れて行かれた場所では、これまた地獄のような光景が繰り広げられていた。
「はぁ……はぁ……オエッ……ゲホッ、ゲホッ……」
オーガの少年がオークにひたすら蹴り飛ばされ、逃げ回っているのだ。
少年が何をしでかしたのか知らないが、オークをよほど怒らせたのは間違いない。
少年の表情に張り付いていたのは、死への恐怖だ。
「おい、あれ、『オーク英雄』だ」
誰かが言い出したことで、少年を追いかけ回しているオークの正体がわかった。
確かにそうだ。
そう思った瞬間、ローウェインの脳裏にかつての戦いの記憶が蘇り、背筋にムカデでも放り込まれたような怖気が走った。
とんでもない化け物がいる。
それも、なんでか怒り狂って、少年を蹴り飛ばしている。
「もしかして俺たち……」
それは、誰もが薄々考えていたことだった。
最近、自分たちは昔に比べて体力が落ちた。
"食事"も回数をこなせなくなり、心なしか不満げにしているサキュバスも増えた。
昨日は妖精の粉のお陰で一時的に元気を取り戻したが、あんなものは一時的なものだろう。
農家で、乳を絞れなくなった牛をどうするか。
答えは明白だ。
もっとも、サキュバスは肉は食わない。
しかし噂によると、オークは人肉も食うらしい。
得心がいった。
ああ、だから、俺たちを太らせたのか。
「皆様には、これから広場を何周かしていただきますので、付いてきてください」
"食料"たちを広場につれてきたサキュバスはそう宣言した。
とても、申し訳無さそうな声音だった。
だから確信した。きっとこれはテストなのだ、と。
ここで付いていけないようなら、老いた家畜として処分されるのだ、と。
そして干し肉か何かにされ、オークに食われるのだ。
嫌だった。
死にたくなかった。
「無理はしないでいいですからね。さぁ行きますよー」
ローウェインは全力で走った。
体は重く、膝はギシギシと軋み、肺は一瞬で悲鳴を上げた。
それでも昨日飲んだ妖精の粉のお陰か、なんとか走ることが出来た。
そして、ローウェインに触発されたのか、あるいはローウェインと同じ結論に至ったのか、ローウェインと同じように必死に走り出した者がいた。
一人が走り出せば二人が、二人が走り出せば四人が。
誰かが「そうしなければヤバイ」と察知した結果、全員が全力で走り始めたのだ。
オーガの少年がなぜ追いかけられているのかという点について、深く考える者はいなかった。
ただ、オーガの少年の必死の形相は、3年間怠惰に過ごし続けていた者たちに危機感と恐怖心を思い出させるのに十分だった。
走らない者はいなかった。
誰もが懸命に足を動かした。
倒れれば「自分はまだやれる! まだ走れるんだ!」と叫び、重い体に鞭を打って立ち上がり、立ち上がれない者は這ってでも動き続けた。
自分たちは食って寝て、女を抱いて、そんな毎日を送っている。
貴族のような生活だ。
幸せだった。男の身に生まれたことを心の底から感謝した。女に生まれたなら、オークの繁殖奴隷になっていただろうから。
が、家畜は家畜だ。
不要になれば処分される。
死にたい者などいない。
あの戦いを生き延びたのだから、もっと長く生きていたい。
できるだけ長く……。
そんな本能に突き動かされながら、男たちは走り続けたのだった。
■
「"食料"の皆様、とても喜んでいらっしゃいました! 本日は試しに少しだけ走っていただくつもりだったのですが、皆様もっともっと走りたいと申されていまして! 訓練が終わった後も、いつもより顔色がよくなっているように感じました。皆様どことなく達成感のある、満足げな顔をされていまして」
「ふぅん、病気の再発防止にどれほどの効果があるかと思ったけどぉ……喜んでいるなら、定期的に続けてもらってもいいわねぇ~」
「ただ、訓練に当てている時間の分、"食事"回数が減っているので、不満も出てきそうですが」
「このままだともっと減っちゃうんだから、我慢してもらうしか無いわね……」
部下からの報告を聞き、カーリーケールはそう嘯いた。
なにせ、数に限りがある大切な食料だ。
怪我をしてもらっては困るが、気分を良くしてもらえるなら、それに越したことはなかった。
「同じ場所で、バッシュ様がお弟子様に訓練を施していらしたのですが、それを見て奮起されている方もいましたね。体力的にもう限界であるにも関わらず、自分はまだやれるとアピールされていました」
「バッシュ様は戦争の英雄ですものねぇ。四種族同盟の兵であっても、訓練で良い所を見せたいと思うのは当然でしょう……それで、バッシュ様はお弟子様にどんな訓練を?」
「女王様も気になるのですね?」
「当たり前でしょ? 妾だって受けてみたいぐらいですもの」
カーリーケールはクスクスと妖艶に笑い、ニオンは肩をすくめた。
「自分の見た所、技術的なものよりは、体力と根性を付ける訓練をされていましたね。具体的には、倒れるまで蹴って走らせていました」
「随分と実戦的なのね?」
「そうですね。戦場では走れなくなった者から死にますから……」
「リーナー砂漠を思い出すわね。あれは本当に、そんな戦場だったものね。魔術も武術も関係なく、ただ体力があって、心の強い者が生き残って……」
「自分はリーナー砂漠の撤退戦には参加していませんが、"食料"の教官を進言した者はリーナー砂漠の生還者で、当時、彼に蹴り飛ばされ、走れと命令されたことを思い出し、よだれが出てしまったそうですね」
「バッシュ様を食料視するなんてイケナイ子ね。でも罰はいいわ。妾だってその場にいたらきっとそうなっていたもの」
「寛大なことです」
そう言いつつも罰を与えようと言い出さないのは、ニオンもまたバッシュの色香を知っているからだ。
応接室で一度会っただけだが、ニオンにはバッシュの全身がむちむちと音を立てているように見えた。
分厚い胸板は飛び込んでこいと言わんばかりだったし、大股を開いた座り方など、完全に誘われていると感じたほどだ。
頭を下げていなければ、意識を持っていかれてしまったかもしれない。
「いずれにせよ、バッシュ様に、このままサキュバスの国に滞在し続けていただくのはよくありませんね。誰かが我慢できなくなってしまうでしょう」
「そうね。妾としては永久にいてほしいけれど……」
「女王自らサキュバスの誇りを地に落とそうとしないでいただきたい」
二人はなんとも言えぬ苦笑いをして、視線を交わしあった。
そこでふと、ニオンは窓の外を見た。
暗い空には、星ひとつ見えない。
結界に覆われていてわかりにくいが、外は相変わらず大雨が降っていた。
「時に女王様、話は少し変わりますが」
「なぁに?」
「私の部下も、この雨が止まないことに、不安を憶えています」
「そうね……わかっているわ……」
「私にも、話せないことですか?」
ニオンとカーリーケールは、ほぼ同期だ。
カーリーケールがまだ女王と呼ばれていない内から、戦場を共にした戦友でもある。
カーリーケールが最も信頼をおいているサキュバスの一人といっても過言ではないだろう。
「いいえ、本当に原因がわからないの。ただ……」
「ただ?」
「関係あるかわからないけど、聖域の守護隊と、連絡が取れないわ」
「……偵察は?」
「当然、念の為と思って一小隊を送り込んだけど……帰ってこないわ。多分、全滅ね」
「小隊が全滅!? まさか、キャロットの仕業ですか?」
「いいえ。乱心したとしても、あの子が聖域に手を出すはずがないわ。聖域がサキュバスにとって大事な所だって、誰よりも知っているはずだもの」
「では、誰が?」
「下手人の正体は不明だけど、今、この国が攻撃を受けているのは間違いないわね」
カーリーケールの言葉には、底冷えするような寒さと殺意が含まれていた。
ニオンはその声音に懐かしさを憶えつつ、平然と対応する。
慣れたものである。
「陛下、もし心配でしたら、私が参りましょうか? 聖域の守備隊を蹴散らせるような敵とあらば、相応の手練れが必要でしょう?」
「"食堂"の方はいいの?」
「そちらは、部下にも任せられますから」
「ニオン……そうね、そう言ってくれるなら、あなたに"討伐隊"をまかせてもいいかしら?」
「仰せのままに」
結界に守られた王宮に音は無い。
静かな夜だった。