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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第五章 サキュバスの国 復讐の兄妹編
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45.サキュバスの国


 二日ほど経過した。

 雨はやまない。

 時折、弱まるような気配を見せるものの、日中のほとんどは叩きつけるような土砂降りが続いている。


 バッシュと二人は、そんな雨の中を少しずつ進んでいた。

 とはいえ、実際にきちんと望む方向に動けているかは不明だ。

 方向はルカが指示した。

 呪術師である彼女は、魔法で復讐の対象の方角がわかる。

 だが、どうにも細かい場所はわからないらしく、同じ場所をウロウロと回っている感覚すらあった。


 ルドの訓練の方も、さしてうまくいっている感触は無い。

 もっとも、それも当然のことだ。

 たった二日で唐突に強くなれるのなら、誰も戦死はしないだろう。


 ルドは頑張っている。

 毎日、バッシュに打ちかかって追い払われ、走らされるだけ、修行と言えるほどの何かではない。

 彼にとっては、己の無力を突きつけられる毎日だ。

 屈辱であるのは間違いないだろう。

 でも文句は言わなかった。


 だからバッシュも諦めず、根気よくルドを鍛えた。

 自分に打ち掛からせ、蹴り飛ばし、立たせ、蹴飛ばし、走らせ、蹴飛ばした。

 その甲斐あってか、ルドが倒れるまでの時間は長くなり、立っている時間と走っている時間が伸びた。


 それが強くなっている証明かと言えば、もちろんそんなことは無い。

 だが、それでいいのだ。

 人はそんなすぐには強くなれない。

 バッシュのような素質のある者ですら、一人前の戦士になるのに一年掛かった。

 並の兵士が名のある戦士になるには、激戦の中に身をおいて数年は必要だろう。


 もっともオーガは、オークと名前は似ているが、オークよりも戦闘に向いた種族だ。

 オークは環境適応力と繁殖力において他の追随を許さない種族であるが、オーガはそれ以外の全てに優れていた。

 単純な力でも、耐久力でも、敏捷さでも、感覚でも、知恵でも、平均値を比べれば、オーガはオークをはるかに上回っているのだ。

 ゆえにオークよりも全体数こそ少ないものの、七種族連合の中でも上位に数えられた。


 だからいずれ、この訓練も実を結ぶだろうとバッシュは考えていた。

 ルドとルカがどう考えているのかはわからなかったが、二人はバッシュによく懐いていた。


 食事の時も、二人はバッシュの戦場での話を聞きたがった。

 雨宿りをしつつ、バッシュが過去の戦場で出会った猛者の話をすると、二人は目を輝かせて、もっともっととせがんだ。

 だが、『凍眼』のルラルラの逸話を話すと、少しだけ寂しそうな、つらそうな表情を見せた。


 思えば、バッシュは今まで他の種族の幼体に出会ったことはあまりなかった。

 この旅の間、遠目に見ることはあったが、近づいたり話したりすることはなかった。

 バッシュとしても、子供を産めない子供に用はなかった。

 しかしながら、こうして実際に子供を前にしてみると、なかなか良いものだなと思えた。

 庇護欲とでも言うのだろうか、性欲とは別の部分が刺激された。


 そうして、修行と移動を繰り返す日々は、ある時終わりを迎えた。

 雨がピタリと止んだのだ。


「?」


 バッシュは唐突に降らなくなった雨に、手のひらを上にしつつ、怪訝な顔で空を見上げた。


 空は分厚い雲で覆われて真っ暗だった。

 目をこらせば、雨が降り続いていることもわかる。

 だが、なぜかバッシュたちの周囲に雨粒が落ちてくることは無かった。

 ルドとルカも、不思議そうな顔で周囲を見渡している。

 よく見ると、今しがた通ってきた道、その地面に、くっきりと線が出来ているのがわかった。

 線から先は水浸しだが、バッシュたちのいる側は、やや乾いていた。


「……結界?」


 ルカの小さな言葉で、バッシュたちは何者かが張った結界に飛び込んだことを知った。

 雨風を防ぐ結界。

 それも、かなり大規模なものだった。

 戦争中、都市が大規模な魔法に晒される時に張られるような……。


「うふふふふふふ……」


 ふと、声がした。

 バッシュが振り返ると、いつしか周囲には霧が立ち込めていた。

 うっすらと桃色に見えるそれは、戦場を駆け抜けた者たちにとって、忘れがたいものだ。


「まずいっ……」


 バッシュは咄嗟に口元を抑え、息を止めた。

 この霧、この甘ったるい匂い。

 オークたちが戦場でこれを嗅いだ時は、頼もしい援軍がきたと胸を踊らせた。

 だが同時に、その場からはやく離れなければいけなかった。


 なぜなら、その霧を吸い込んだ男は、否応なく使い物にならなくなってしまうからだ。


(サキュバスの桃色濃霧(チャームミスト)か!)


 それは、戦争において猛威を振るい続け、最後まで完璧なレジスト手段が見つからなかったサキュバスの奥義。

 男の理性をとろけさせ、下半身のいいなりにさせる無敵の魔法。


「うふふふふふ……」


 霧の奥に、女がいた。

 ツインテールにまとめられた、淡いピンク色の髪。

 背丈は低く、幼さが残る顔と体つき。

 だが、女であるとはっきりわかる艶やかさがあった。

 局部だけを覆った黒いレザーの衣装、肌は白く、うっすらと汗ばんでいて、男なら誰もがゴクリと喉を鳴らしそうなほどに艶めかしかった。

 そんな体の持ち主は、妖艶な表情で、己の指を舐めていた。

 サキュバスだ。

 尻尾が無く、翼も片翼しか無いが、それでも間違いなくサキュバスであった。


「いけない子たちね、こんな雨の日に、どこから迷い込んできたのかしら……?」


 彼女は舐めた指を、ゆっくりと己の下腹部へと移動させていく。

 そして股を大きく開くと、下腹部を撫でつつ、残る手でバッシュたちに手招きをした。

 同時に、サキュバスの瞳が赤く光る。


「ねぇ、坊やたち、知ってる? サキュバスの国に無断で入ってきた子は、食べられちゃっても仕方がないのよ?」


 バッシュは、目の前にモヤが掛かるのを感じていた。

 『魅了』を仕掛けられている、と気づいた時にはもう遅い。

 すでに視線はサキュバスの肢体に釘付けで、足はフラフラと彼女の方へと歩み寄っていた。


「逞しいオークの旦那様。さぁ、いらっしゃい。最高の快楽を与えてあげる……さぁ、私の瞳を見て、うふふ、精悍なお方……なんてハンサムなのかしら……わたしの憧れのお方にそっくり……」


 バッシュの視界が、サキュバスの赤い瞳でボヤける。

 バッシュの脳の半分が、最大限の危機だと伝えている。

 手を出してはいけない。手を出したら全てが終わってしまう。

 サキュバスに手を出した童貞オークは、その後に性交したとしても魔法戦士になってしまう。

 オークの英雄が魔法戦士に、そんなことになれば、オークの誇りは地に落ちる。

 許されていいわけがない。許していいわけがない。

 全力で抵抗しなければいけない。


 しかし、サキュバスの赤い瞳がキラリと光ると、その警鐘も消えていく。

 魔法戦士もいいじゃないか、彼女の体に溺れれば、絶対に気持ちがいいぞ。

 白くきめ細やかな肌、大きさは程々であるにも関わらず劣情を煽る胸、彼女が手を動かす度に艶やかな水音が周囲に鳴り響く。

 その音が耳に入る度に意思が薄れ、体が弛緩していく。

 対してバッシュの子バッシュはガチガチで、バッシュの体を支配していく。

 手が勝手に伸びていく。

 サキュバスへと……。


「あれ?」


 しかし次の瞬間、スンッと、バッシュの体に自由が戻った。

 靄がかかっていたような視界は元に戻り、目の前には、あられもない格好をしたサキュバスが、目を見開いてポカンとした表情でバッシュを見上げていた。


「……あ、あの、もしや」


 サキュバスはパタンと足を閉じた。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、直立不動。

 やや背伸びをしつつ、まじまじとバッシュの顔を見た。


「『オーク英雄(ヒーロー)』バッシュ様、であらせられますか?」

「……ああ、そうだ」


 そう言った瞬間、サキュバスは衝撃を受けたようによろめいた。

 そして、即座に木の陰にあった布を手に取った。

 それは、丁寧にたたまれた服であった。


 サキュバスは服を素早く着込んでいった。年季の入った早着替え。

 気づいた時には、バッシュがずっと見ていたい、なんなら触りたい、自分のものにしたいと思ったものは、ダブついた軍服の中に収納されていた。

 ツインテールだった髪は三編みになり、顔には分厚いメガネがつけられ、一瞬でヤボったい印象へと変わった。


 そしてサキュバスは額に手を当てた。

 敬礼であった。


「じ、自分は、かつて戦場にて助けていただきました、ヴィナスと申します!」


 そして、その場に膝をつき、深く頭を下げるのであった。


「先程は失礼しました。お会いできて光栄です。『オーク英雄』バッシュ様!」

「あ、ああ……」


 そう言われ、バッシュはうなずいた。

 イマイチ状況が飲み込めないが、危機は去ったようであった。


「お怒りはごもっとも! サキュバスの恩人であり、英雄たるバッシュ様に魅了を掛けるなど、誇り高きサキュバスにあってはならぬこと! 何卒、平にご容赦を!」

「怒っているわけではない。途中で止めてくれて助かった」

「なんと寛大なお言葉! ありがとうございます!」


 ヴィナスのエロすぎる肢体が見れなくなり残念であったが、ほっとしているのは確かだ。

 あのままいけば、バッシュは彼女の魅了に抗えず、捨ててはいけない場所に童貞を捨てただろう。

 その結果、バッシュの魔法戦士は確定となったに違いない。

 それどころかサキュバスの奴隷となってしまっていたかもしれない。


 『オーク英雄』が額に魔法戦士の烙印を押された上で奴隷となれば、オークの誇りは、地に落ちただろう。

 英雄を貶められたオークも黙ってはいまい。

 サキュバスとオーク間で戦争が起こるのは、間違いない。

 オークがサキュバス相手に戦争をふっかけるなど、あってはならない。

 勝てるはずもない滅びの戦だからだ。


「それで、バッシュ様、サキュバスの国に、いかなご用件で? バッシュ様が来られるとあらば、我が国は総出で歓迎するところではありますが……?」

「説明すると少し複雑なのだが……」


 バッシュは背後を振り返る、するとそこには、妹に羽交い締めにされたルドの姿があった。


「はっ、えっ、今のは……?」


 恐らく、バッシュと同様に魅了に掛かってしまったのだろう。

 それが解除され、きょとんとした顔をしていた。


「なるほど! 複雑な事情がおありになるのですね!」


 そこで、ヴィナスはハッと顎に手を当てた。


「となれば、あの妖精が言っていた言葉も本当ということですか……」

「妖精?」

「はい、先日、ゼルと名乗るフェアリーがやってきて。バッシュ様が川に流されてこのあたりにきたはずだと。隠し立てするとタダじゃおかないと、半日ずっと喚き散らしまして」

「……」

「我ら誇り高きサキュバスが恩人たるバッシュ様にそのようなことをするはずがない、侮辱だ……と、皆が騒ぎ、捕らえられました」


 光景がありありと浮かぶようであった。


「確かに、俺は橋を滑り川に落ち、ゼルとはぐれた」

「よかった、なら引取りに来ていただけますか? 一晩中喚いていて、見張りの兵がノイローゼになったのです」

「むぅ……」


 バッシュは思案する。

 サキュバスの国。

 当然、そこにはサキュバスしかいない。

 サキュバスという種族は誰もが見目麗しい。

 時に妖艶、時に清楚、時に可憐。

 オークの中には、サキュバスと懇ろになることを夢とする者もいるぐらいだ。

 例え子供が産めずとも関係ない、と。

 もっとも、サキュバスは7種族連合において上位に位置する種族、オークを相手にすることなど滅多にない。


 とはいえ、食料としては別だ。

 彼女らは例外なく、男を食う機会を狙っている。


 バッシュはサキュバスに悪い感情を持っているわけではない。

 いくらでも狙ってくれて構わないぐらいだ。

 子供は作れないかもしれないし、奴隷になるわけにもいかないが、一晩だけの食事であるなら、お互いにwinwinの関係を築けるだろう。


 だがそれは、童貞を捨てた後に限った話だ。

 今はもちろんダメである。


 そして、今しがた行われたように、バッシュは魅了への耐性を持たない。

 サキュバスの一人のちょっとした気まぐれで、バッシュの危惧する最悪の未来が現実になる。

 危険な場所だ。

 今しがたの魅了に抗えなかった身で、おいそれとそんな所に行くわけにはいかない。


「国を上げて歓迎させていただきますよ! やった、みんな喜ぶぞ……!」

「いや、ここに連れてきてくれ」

「そんなっ! お願いします! 我らサキュバスの恩人たるバッシュ様が国境まで来てくださったというのに、それを追い返したとあらば、我らサキュバスの名折れ! 女王からもお叱りを受けてしまいます!」

「しかし……」


 バッシュはオーク英雄だ。

 サキュバスに童貞を奪われるのが怖いから国に入りたくないなどと、正直に言うことは出来ない。

 少々困りつつ、ルドとルカの方を見る。


「……今は連れもいて、先を急いでもいる」

「え? ああ……」


 ルドは話を聞いて、迷うような顔をしていた。

 対してルカはブンブンと首を横に振っている。

 今しがた魅了を体験した身としては、身の危険を感じたとしてもおかしくはなかった。


「そちらの美味しそうな坊……エホォン! 失礼、そちらの方々は?」

「俺の弟子だ」

「なんと、お弟子様でございましたか! バッシュ様の教えを受けられるとは、なんと羨ましい……! 私も、是非とも閨での寝技の特訓を……ゴホォン!」


 ヴィナスは寒そうな格好をして風邪でも引いたのか、何度も咳払いしつつ、最後には真面目な顔に戻り、バッシュの方を見た。


「ともあれ、ご警戒されているようですね。しかしながら、ご安心ください。バッシュ様はサキュバスの恩人! 尊敬されています! なのでバッシュ様はもちろん、そのお弟子様に手を出そうというサキュバスはいません。仮に一人か二人、バッシュ様のあまりの男らしさに暴走する者がいたとしても、この私が、いえ、私達が手など出させません。リーナー砂漠の撤退戦であなたに命を救われたサキュバスが、絶対に! 命にかえても!」


 ヴィナスの言葉は重く、覚悟を感じられた。


「だからどうか! どうかお願いです! 少しだけでいいのです! 女王に少し挨拶していただけるだけで! お願いします! 我らの名誉と誇りのためにも、どうか!」


 そこまで頼まれては、バッシュも断ることが出来なかった。


「わかった……だが、長居はしない。俺たちも旅の目的があるからな」

「無論でございます! ささ、どうぞこちらに!」


 こうして、バッシュたちはサキュバスの国へと入国したのだった。



 サキュバス国の首都は寂れていた。

 本来であれば、桃色の濃霧が街中を覆い、あらゆる種族の男性の意識と理性をぶっとばす町は、ガランとしていた。

 活気というものはなく、人通りもほとんど無かった。


 サキュバスはデーモン、オーガに並ぶ7種族連合の上位種族だ。

 四種族同盟に加盟する全ての種族の男性に対して優位につけるその特性に加え、肉体的にも魔法的にも卓越した種族。

 それがサキュバスだ。

 バッシュの知るサキュバスは、常に完璧な化粧を施した顔に妖艶な笑みを貼り付け、常に余裕を見せつけていたものだが……。

 わずかにいる道行く者たちにそのような余裕はなかった。

 頬がこけ、どことなく元気がない。


「随分と寂れているな」

「敗戦国ですからね……食料もほとんど無い、これで活気を出せというのも無理な話ですよ。オークも似たようなものなのでは?」

「オークは食料が無いわけではないからな、もう少し活気がある」


 食料が無い。

 そんな言葉を聞いた直後、バッシュはふと視線を感じ、首を巡らせた。

 見ると、路地に数人のサキュバスがたむろしていた。

 彼女らは血走った目でバッシュを見ていた。ご丁寧にも、口元からはよだれを垂れている。


 どれもサキュバスらしい、美しくも妖艶な女性だった。

 その体つきも、見ているだけで生唾を飲み込みたくなるほどだ。

 あの体のラインをヒューマンの女性が出そうと思ったら、相当な努力が必要になるだろう。


 だが、よく見ると彼女らの手足は細く、脇腹には肋骨が浮き、頬がこけていた。

 満足に食事を取れていないのだろう。 

 戦場でないゆえか口紅の一つもしていないので、唇がひび割れているのもわかってしまった。


「おや、あれはキュウカですね。彼女もよく……」

「ヴィナスゥ、随分と美味しそうなの連れてんじゃ~ん?」


 ヴィナスが何かを言おうとした瞬間、そのうちの一人が唇を舐めつつ、バッシュたちの方へと近づいてきた。

 バッシュの前に立つと、腰をキュっと突き出し、人差し指を唇に当てた妖艶なポーズで、バッシュをまじまじと観察する。

 もっとも、女の視線はバッシュの股間に釘付けだ。

 一瞬でも目を離せば消えてしまうと言わんばかりに、絶対に逃さないと言わんばかりに。


 バッシュはその視線に、股間を隠すべきかと少々悩んだ。

 いや、特に露出しているわけではないのだが、敵が急所を狙っているのに、そこを無防備にさらしていて良いのかと不安になったのだ。

 それぐらい強い視線だった。


「あぁん、なんてたくましいの……」

「こっちの坊やもいい感じだけど……やっぱりオークちゃんの方がいいわね。濃いの、たぁくさん出してくれそう」


 他のサキュバスたちも、ニヤニヤと下品な、いやぎりぎり妖艶と言える笑みでジリジリとバッシュたちを包囲した。

 だが近寄って、凝視してはくるものの、触れてはこない。

 バッシュは知らぬことではあるが、これはサキュバス族に「他人の魅了した獲物に許可なく手を出さない」というルールがあるからである。


「クスクス、ねぇみてぇ、こっちのお嬢ちゃん、お兄ちゃんを守ろうと必死だわぁ」

「かぁわいい。じゃあ、お嬢ちゃんに特別に、お兄ちゃんが気持ちよさそうにしてるところ、見せてアゲル」

「キャハハハハ、あんた趣味わるーい」

「なぁによぉ、そういうあんただって好きでしょ? 他種族の女が絶望してるカオ」


 サキュバスたちは好き勝手言いながらバッシュたちの周囲をくるくると回る。

 顔を真っ赤にして目をそらすルドと、そんな彼を守るように両手を広げて威嚇するルカがいた。


「みたとこ、国境越えてきた馬鹿ってところ? いいなぁ、国境警備は、たまにそういうご馳走にありつけて。あたしらにも、ちょっと分けてちょうだいよ。あたしとヴィナスの仲だろぉ? そっちの小さいのはともかく、でっかいのはたっぷり出せるでしょうしぃ~? あらぁ? よく見たらまだ小さいわねぇ? 魅了の掛かりが弱いんじゃないの? あたしが重ねて掛けて……」

「キュウカ。股間ばかりでなく顔を見ろ。貴様は今、とてつもない無礼を働いている」


 対するヴィナスの言葉は冷酷だった。

 話しかけてきたキュウカという女が、目を見開き、体をビクつかせるほどに。


「無礼って、なによぉ、それぇ、少しぐらいいいじゃ~ん……あたしらだって……」


 キュウカは言い訳でもするかのように視線をバッシュの顔へと向けた。

 他のサキュバスも同様に。

 そこで数秒、静止する。


「…………あの、まさか、『オーク英雄』バッシュ様であらせられますか?」

「ああ」


 バッシュがうなずいた瞬間、キュウカ達の姿勢がビンッと音がしそうなほど伸びた。

 猫のようにしなっていた腰は大木のようにまっすぐ上に伸び、若干横に傾いて自信のある角度を保っていた顔もまっすぐ、顎は引かれ、右手は顔の横へと移動した。

 サキュバス軍の正式な敬礼がそこにあった。

 服装は少々刺激的ではあったが。


「失礼いたしました!」

「いや、うむ……」

「おいっ!」


 キュウカの言葉で、他のサキュバスたちが慌てて路地裏に走っていく。

 彼女らが路地裏から持ってきたのは、三人分のボロ布だった。

 キュウカたちがそれを着込むと、やや痩せながらも妖艶な肉体が隠された。

 バッシュとしては、少し残念であるが、同時にホッとする。


「キュウカと申します! 我ら一同は、パイルズ川の防衛戦にてあなたに救っていただきました! 『オーク英雄』バッシュ様! あのような態度、誠に申し訳ありません!」

「申し訳ありませんでした!」


 キュウカはそこで、一本の短剣を取り出した。


「大恩あるバッシュ様に恩返しをするどころか食料視! のみならず、あまつさえ仲間内で食い散らかそうとするなど、誇り高きサキュバスの名折れ! 今この場にて、この生命を持って償いとさせていただきます!」

「いや……」

「しかしながらこの二人はまだ未熟者! 私の命だけでご容赦いただきたい! では、愚か者の命の散華をお楽しみください! 我が血飛沫が、残る戦士の意気とならんことを! 御免!」


 そしてそのまま己の心臓へと突き刺そうとするのを、バッシュは腕を掴んで無理矢理止めた。


「構わん。気にしてはいない」


 サキュバスは、真に尊敬する相手には決して魅了を掛けない。

 バッシュ的には少々残念なことではあるが、しかし、今の状況はバッシュとしても都合が良かった。

 いかにバッシュと言えども、サキュバスの魅了が通じないわけではないのだから。


 しかしそんなバッシュの気持ちとは裏腹に、サキュバスたちはザワついていた。


「なんと寛大な方なのでしょうか」

「あまつさえ手を取ってお止めになられた。キュウカ中隊長みたいなブスの手を、ためらうことなく……」

「キュウカ中隊長の死に様など、お目汚しにしかならないのでしょう。なにせ恩人に欲情する端女ですから」

「あんただってそうだったでしょ!?」


 とにかく、サキュバスたちの視線はジュウジュウと湯気を立てる焼き肉を見るような目から、羨望と尊敬の眼差しへと変わった。

 ハート型だった目は、星型に変化し、キラキラと輝いていた。


「しかしながらバッシュ様、この国に来ていただけたのは嬉しいことですが、お気をつけください」

「どういう意味だ?」

「今やこの国は、誇りを忘れつつあります。この国を歩く時は、決してお一人になりませぬよう、できるだけヴィナスを隣に控えさせてください」

「ふむ……?」


 その言葉に、バッシュは小首をかしげた。

 その仕草は何気ないものであった。

 だが、サキュバスたちには非常に可愛らしい仕草と映り、今しがた止めようとした心臓をトゥンクと波打たせた。


「……よくわからないが、そう長居するつもりは無い。ゼルを回収し、女王に挨拶をしたらすぐに去ろう」

「ハッ! では、バッシュ様、私どもと会話していただき、ありがとうございました! 一生の思い出とし、末代までの自慢とさせていただきます!」

「ありがとうございました!」


 一斉に下げられる頭。

 麗しい髪も、見事な肢体も見えない。

 頭陀袋のようなボロ服をまとった、かつての歴戦の戦士たちは、上から見ると三匹の芋虫に見えた。


 その姿は、今のサキュバスを象徴しているようであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] サキュバスの民族衣装はやっぱ靴はくのかな…靴ない方が好きなんだけど…異世界からこっちにきたら毎日食べ放題なのになサキュバス…
[一言] 急に同僚の中隊長をブスって言うの面白すぎる
[一言] サキュバス国に行きてぇ 東南アジアにアレ目的で行くおっさんみたいに、ヒューマンの男性とかはサキュバス国に旅行に行ったりするのが流行りそうなものだが
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