40.英雄vs喘声
何が起きているのか、さっぱりわからなかった。
手紙を受けて、スピーチが始まる頃に、聖樹に到着した。
遅れてはいなかったと思う。
しかし、なぜか聖樹の下には、シルヴィアーナ以外の人物がいた。
なぜか、キャロットがシルヴィアーナを足蹴にしていた。
なぜか、ガガンが真っ二つに割られて死んでいた。
なぜか、ナザールが正体を隠し、エロールと名乗っていた。
三人はどうやら争っているようだったが、その経緯などについて、バッシュがわかるはずもなく。まるで理解が追いつかなかった。
何一つ、バッシュに事情はわからなかった。
(何が起こっている?)
(わかんないっすけど……見た感じ、恐らく痴話喧嘩っすね)
しかしゼルはピンときていたようだった。
やはり頼れる相棒というものは必要だ。
(痴話喧嘩?)
(昔見た本に書いてあったっす。ヒューマンとかビーストは、想い人を取り合う時、決闘をするらしいっす)
(……キャロットとシルヴィアーナが決闘したということか? ならばナザールとガガンは、なぜここにいる?)
(恐らく、キャロットは旦那のことが好きなんすよ。だから旦那といい仲になっているシルヴィアーナに決闘を挑んだ。当然、キャロットが勝ったものの、そこにキャロットが好きなガガンと、シルヴィアーナが好きなナザールが現れ、決闘! ナザールが勝利する。あとは残った者が生き残りを掛けた戦いをしている、というわけっすよ。といっても、男がキャロットの姉御に勝てるわけないんで、勝者は決まりっすね)
彼は現場の状況から何が起こったかを推理する達人だった。
人は彼のことを『名探偵ゼル』と呼ぶ。
彼の手にかかれば、あらゆる事件は迷宮入りだ。
もちろん、痴話喧嘩はそんなトーナメント形式ではない。
(なるほど)
だがバッシュはその推理に納得していた。
複雑すぎて半分ぐらいしか理解できなかったが、二人のオークが、一人の女を妻にしたいと思ったら、相手を殺して奪うのは常識だ。
ヒューマンでも、そうした痴話喧嘩が発生するというなら、こういった状況も起こりうるのだろう。
(ナザールも哀れっすよね。姫様は旦那のことが好きなのに)
(仕方あるまい。あれだけ魅力的な女なのだから)
本来なら、自分の狙っている雌に手出ししようとしたナザールに怒る所だが、バッシュは彼に大きな借りがあった。
ヒューマン王家の秘宝ともいえる、雑誌の提供だ。
あの雑誌がなければ、シルヴィアーナとここまでの仲になることは出来なかっただろう。
ついでに言えば、シルヴィアーナは今夜自分を性交し、妻となるのだから、余裕を持った大人の態度で彼を見逃してあげられる。
(どうするんすか?)
(シルヴィアーナを助け、ナザールに借りを返す)
一石二鳥であった。
キャロットを退ければ、シルヴィアーナにいい所を見せられるし、ナザールへの借りを返すことにもつながる。
ゆえにバッシュは動く。
キャロットの魅了で身動きが取れず、死を待つばかりのナザールをかばい、キャロットの前面へと。
「キャロット」
「はい、お待ちしておりました。バッシュ様」
そう言うキャロットは、バッシュの目に、そして人生に猛毒を与えるような格好をしていた。
サキュバスの民族衣装だ。その民族衣装の下には、よだれが零れ落ちそうなほどの肉体が零れ落ちそうになっている。
もしバッシュが童貞でなければ、そのままフラフラと吸い寄せられてしまい、そのまま勝者に望むものを与えてしまっただろう。
だが、そうはいかない。
バッシュは鉄の意思で視線を切ると、シルヴィアーナの方を向いた。
「その足をどけろ」
「えっ」
キャロットは驚愕の表情を浮かべていたが、すぐにキッと強い視線を向けてきた。
「いいえ、どけませんわ」
「……なに?」
「聡明なるバッシュ様はすでにお気づきだったかと思いますが、この女はバッシュ様を騙していたのです。バッシュ様に近づき、バッシュ様が手を出してきたら合意なき性交をされたと騒ぎ立て、オークという種そのものにその責任を被せようと、そう企んでいたのです」
「……むぅ」
「オーク英雄がビーストの姫君を無理やり手篭めにした。それが姫君の嘘でも、きっとビーストの王族はそれを是とするでしょう。だって彼女らは、オークの事が嫌いだから。あわよくば絶滅させたいと思っているから」
キャロットがシルヴィアーナの髪をひっつかみ、顔を持ち上げる。
「だよねぇ?」
シルヴィアーナは苦痛に歪んだ表情をさせつつ、不敵に笑う。
「……そ、そんなのは嘘ですわ! 私はただバッシュ様をお慕い申し上げているだけ! この女は、バッシュ様が好きで、私とバッシュ様が仲睦まじくしているのを嫉妬しているだけなのです!」
そこで、ゼルがもう一度、バッシュに耳打ちをしてきた。
(やっぱり、オレっちの推理が正しかったみたいっすね)
「なるほどな」
雑誌の力というものは、恐ろしいものだ。
狙っていたシルヴィアーナだけでなく、その気の無かったキャロットまで魅了してしまうのだから。
戦争中もそうだった。
自分に扱いきれない魔剣や、魔道具の類は、知らず知らずの内に、味方まで傷つけてしまうものだ。
「よくも、ぬけぬけとすぐバレる嘘がつけるわねぇ……」
「ず、図星を付かれて、頭にきてしまいましたか? ほらバッシュ様、これが証拠です! この淫売は、私を陥れようとしているのです!」
「バッシュ様、聞いての通りです。他国の英雄を弄び陥れようとする嘘つきの姫、ごっこ遊びで人をおちょくるヒューマンの王子……所詮、四種族同盟の連中は、オークやサキュバスを人とは思っていないのです。だからこんなふざけた真似ができる」
ふざけた真似……確かに、シルヴィアーナの態度はよくない。
負けた者の態度ではない。
敗北者が虚言で勝者を貶めるなど、殺されても仕方が無い行為だ。
ナザールがエロールと名を偽っていたのも、求婚された側からすると、ふざけた真似だろう。
「バッシュ様。我らは七種族連合全ての種族の誇りを取り戻すため、戦うつもりです。どうか、私の手を取り、共に戦ってください」
キャロットはそう言って、手を差し伸べてきた。
豊満な胸がふるりと震えて、とっても目の毒だ。
これが、サキュバス流のプロポーズなのかもしれない。
先日の、共に戦って欲しいという言葉も、それを示唆する言葉だったのか。
「実を言うと、あまり時間がありません。なので、詳しい説明と作戦は後ほどさせていただきます。まずはこの嘘つき女とふざけた王子を殺し、この場を脱出しましょう」
だが、バッシュの返事は決まっている。
期待させてしまったのは悪いが、バッシュはシルヴィアーナと添い遂げるつもりだし、ナザールにも大きな借りがある。
殺すことなどできはしない。
「それは、できん」
「え」
キャロットのショックを受けた表情を見るのは、バッシュとしても辛かった。
自分も、振られる度に、こうした顔をしていたのかもしれない。
「なぜですか!? 先日は、共に戦ってくださると言ってくださったではないですか!」
「この男には借りがある」
「借り……!?」
「ああ」
「ならば、受け入れるというのですか!? 今のこの現状を!」
「……現状の何が悪い?」
純粋な疑問だった。
「サキュバスは、今、子供すら飢える有様なのです! オークだってそうでしょう!? 現に戦後、オークキングの治世に満足できず、多くの戦士が出奔したではありませんか! 大勢の誇り高き歴戦の戦士達が! そこで転がっているガガンだってそう、大隊長まで上り詰めた男が、女すら抱けないから国にいられないと出ていっているのですよ! 女さえ抱けるなら奴隷になってもいいと、私に訴えてきたのですよ!? 私みたいなサキュバスに! その結果がこれです!」
バッシュは唐突に変わった話題に、やや首をかしげる。
確かに、オークは戦争中に比べて、昔に比べて貧しくなったかもしれない。
子供が飢えているかと聞かれれば、そのとおりだ。だが子供は飢えるものだろう。戦争中からそうだった。
現状を嘆いて、多くの戦士がはぐれオークとなったのも事実だ。
多くの者が、オークキングの決定に従えず、敗北を受け入れられず、オークの国から出ていった。
「ガガンの気持ちはわかるが……」
ガガンの気持ちはわかる。
ガガンは、早い段階ではぐれオークとなり、国から出ていった。
その理由までは聞いていなかったが、オークが出奔する理由は、戦いを求めてか、女を求めてのどちらかだ。
バッシュとて、童貞でなければ、あるいは英雄と呼ばれる責任ある立場でなければ、もしくはキャロットがサキュバスでなければ、サキュバスで童貞を捨てたら魔法戦士が確定するのでなければ、キャロットの奴隷になりたいと思うだろう。
そしてガガンはキャロットをものにするため戦いを挑み、負け、死んだ。
オークキングの掟に背く行為ではあるが、オークらしい行為であり、オークらしい最後だと言えるだろう。
「敗北するとは、そういうことだ」
「……そうでしたね。バッシュ様はバッシュ様で、決意を持って、こうしてこんな所にまでやってきていらっしゃるのでしたね」
決意。そう、バッシュは今日、シルヴィアーナと性交をしにきた。
姫という立場は英雄の妻として申し分なく、堂々と国に帰ることが出来る。
国にたどり着く頃には、シルヴィアーナは子を孕んでいるだろう。ビースト族だから、子供は五、六人は産んでくれるはずだ。
そして、バッシュも恥ずかしくない性交が出来るようになっているだろう。
「何を言っても、考えを変えてはくださいませんか?」
「ああ」
「……例え、デーモン王ゲディグズが復活する、と言っても?」
「関係ないな」
不思議な言い回しだが、今、この場でゲディグズが復活したとしても、バッシュの決意は変わらない。
打ち倒し、シルヴィアーナを手に入れてみせよう。
「わかりました……道を違えども、あなたが尊敬する戦士であることには変わりません」
「俺もお前のことは尊敬に値する戦士だと思っている」
「あなたを倒してでも、私は私の道を行かせていただきます」
「……そうか」
バッシュとしては、わかりやすい流れだった。
オークは、手に入れたい異性がいるなら、戦って手に入れる。
キャロットがバッシュを手に入れたいと願い、戦いを挑んでくるのであれば、バッシュはその戦いに勝利し、退けてみせよう。
「元サキュバス女王国・第一大隊総指揮。『喘声』のキャロット」
「元オーク王国・ブーダーズ中隊所属戦士。『オーク英雄』のバッシュ」
バッシュは名乗る、堂々たる名乗りを。
そして叫ぶ。
「グラアアアァァァァァアアアオオオゥ!」
戦端はバッシュのウォークライによって開かれた。
◆
オークとサキュバスの、一騎打ちの戦い。
ナザールは、正直な所、バッシュに勝ち目はないと踏んでいた。
どれだけバッシュが強靭で、全種族の中で最強と目されるほどの力を持っているのだとしても、男は男……。
しかもキャロットの魅了は、ナザールほど魔法耐性の高い男が、万全の対策を取っていたとしても、満足に動けなくなるほど強力な魅了だ。
一瞬でキャロットに魅了され、馬乗りになってエナジードレインをされ、干からびるものだと予想した。
ナザールは、もしそうなったのなら、バッシュを助けるつもりでいた。
最後まで見届ける覚悟を決めたが、彼を死なせるわけにはいかないから。
だが、そうはならなかった。
(何が起こっているんだ……?)
バッシュは、動きを鈍らせることも、まして止めることもせず、戦闘を開始していた。
(まさか、魅了を完全に無効化しているのか……!?)
バッシュが何かをしたようには見えない。
特殊な装備を身に着けているようにも見えない。
だが、無効化しなければ、あれだけ俊敏に動くことなど不可能だろう。
(……とにかく、これなら勝てるかもしれない)
ナザールがごくりと唾を飲み込んだ時には、バッシュはキャロットに肉薄し、その拳を妖艶な顔面へと叩きこんでいた。
まともに当たれば大岩を粉々にするであろう、圧倒的な暴力を。
「フッ!」
キャロットはそれに横から拳を当て、受け流した。
そして受け流した力に逆らうことなく、鎌のようなボディブローを放つ。
キャロットの細く小さな、しかし固く握られた拳が、バッシュの脇腹に突き刺さった。
見る者が見れば、その鉤突きがいかに鋭いかわかっただろう。
サキュバス格闘術の鉤突きは、喰らえば皮膚と筋肉を貫通し、骨を砕き、内臓を突き破り、一撃にて絶命に至る。
まして彼女は『喘声』。サキュバス随一の使い手、
となれば、生半可な者が喰らえば、上半身が消し飛びかねない。
彼女の身体強化魔法には、それだけの威力がある。
「ゴアァァアアアア!」
しかし、バッシュはそれを意に介さない。
いくら身体強化魔法によってブーストされた拳でも、バッシュに与えられるダメージはごく僅かだ。
「ハアアアァァ!」
キャロットはそれをわかっているのかいないのか、的確にバッシュの体に拳を打ち込んでいく。
正拳、裏拳、回し蹴り、肘打ち、膝蹴り、水面蹴り、ソバット、踵落とし……。
流れるようなコンビネーションが、途切れることなくバッシュを襲う。
それだけならば、サキュバス格闘術、などと大層に名付けられることはなかっただろう。
キャロットは跳ぶ。
二枚の翼をはためかせ、周囲に土埃を撒き散らしながら。
ダブルソバット、翼打ち、逆踵落とし……。
ヒューマンやビーストはもちろん、オークやオーガですら不可能な連撃は、本来なら狙いにくい部位をいとも簡単に強襲する。
ヒューマンの武術家がそれを見れば、感嘆の声を上げつつ、そしてなぜ自分はサキュバスに生まれなかったのかと悔しく思っただろう。
「……ッ!」
そんな芸術的とも言える格闘術だったが、まともに入ったのは最初の鉤突きだけだった。
バッシュのガードは固く、急所への一撃はことごとく防がれ、その度に反撃が飛んできた。
たかってくるハエを落とすかのような無造作な反撃は、見た目とは裏腹に正確かつ的確で、真正面から受ければ、受けた骨は砕け、余儀なく戦闘不能となるだろうことが予想できた。
受け流すしか無いが、それすらも爆弾処理のごとき繊細さが必要だった。
バッシュは、攻撃面でも防御面でも、キャロットを圧倒していた。
キャロットはまたたく間に追い込まれていく。
「ぐっぅ!」
やがて、バッシュの拳がキャロットの防御を貫き、鳩尾に深々と刺さり、キャロットは入り口付近まで吹き飛ばされた。
「ゲボハァ……」
大量の血と吐瀉物がビチャビチャと撒き散らされる。
キャロットはガクガクと足を震わせ、片膝を付いた。
ガードはした。
魔法による障壁も張った。
しかし、それでもなお、骨にがヒビが入り、胃から全てが逆流したのだ。
「……うふふ」
彼女が無様に血反吐を吐く所を見るのは何年ぶりだろうか。
リーシャと戦った時以来、ナザールは見たことが無かった。
「本気で殴ってくださるのですね」
「当たり前だ」
バッシュの返答にキャロットは立ち上がる。
ナザールはそれを見て、羨ましく思った。
彼女の心中は、清々しい気持ちでいっぱいだろう。
なにせ、あの『オーク英雄』が、遊びや喧嘩ではなく、本気で戦ってくれるのだから。
戦士として、これほどの名誉はない。
「だってのに、本当に、残念……時間切れのようです」
キャロットがそう呟いた時、
「!」
いつの間にか。
そう、まさにいつの間にかと称するのが相応しい。
いつの間にか、サキュバスの隣に一人の女が立っていた。
「……」
闇さえも飲み尽くしそうな漆黒のローブに身を包み、山羊の頭蓋骨を頭に乗せた、青白い肌ののっぽの女が。
彼女は周囲を見渡し、バッシュが拳を握り、キャロットが血反吐を吐きながら膝を付いているのを見て、首をかしげた。
「あれ? バッシュ様、敵に回っちゃったの?」
「ええ、説得できなかったわぁ」
「そっか。残念……あんたの色仕掛けが効かないなら絶望的……」
「失礼ね。私は誇り高きサキュバスのキャロット。尊敬する方に色目なんか使わないわぁ」
「そっか」
女の頭部には二本の角があり、目の下には真っ黒いクマがあった。
手には粘ついた錫杖が握られ、錫杖の先端からは闇がヘドロのように滴り落ちていた。
その特徴的な姿を、この場で知らない者はいない。
ナザールはその名を口にする。
デーモン王ゲディグズの側近として、あらゆる敵を影に沈めてきた魔道士の名を。
「『影渦』のポプラティカ……!」
それはデーモンの魔道士だった。
デーモン王ゲディグズの側近で、あらゆる敵を影に沈めてきた熟練の魔道士だった。
「で、とれた?」
彼女はナザールとバッシュを見もせず、キャロットにそう聞いた。
「ええ。邪魔が入ったけどぉ」
「……ていうか、魅了無しでバッシュ様と戦って、よく生きてたね」
「日頃の行いがよかったからかしらぁ?」
「笑える」
ポプラティカは、半笑いを浮かべつつ、視線を地面に落とした。
「それにしても、残念」
気づけば、地面の影が大きくなっていた。
まるで何かが地面の底から近づいてくるかのように、影が蠢きながら、二人を覆っていく。
「でも、まだチャンスはある」
「そうね」
そして、バクンと闇が二人を飲み込んだ。
「待てっ!」
ナザールが叫び、駆け出すが、時すでに遅い。
闇が消えた時、そこには何も存在していなかった。
あっという間に起こった出来事だった。
だが、本来なら予想は出来ていたはずだった。
キャロットは時間がないと言いつつも、ここから動く気配は無く、出口に向かう素振りも見せなかった。
この王宮には、彼女の天敵であるサンダーソニアもいるというのに、だ。
最初から、ポプラティカの『影渡り』を使って逃げるつもりだったのだろう。
「なら、追いきれないか……」
ナザールは足を止めると、ポツリとそう呟いた。
『影渡り』はデーモン魔導の秘奥とも言える魔法だ。
影から影へ、一瞬で移動する。
大人数を一気に運ぶことは出来ないし、出入り口を設置するための制限も多いようだが、少数の精鋭を局地へと送り込むことに関しては他の追随を許さない。
デーモンの魔術師の中でも一握りの者しか使えない、最高峰の魔法だ。
本来であればその移動距離も短くはなるが、ポプラティカの『影渡り』はものが違う。
ビーストの砦の最奥に捕まっていたオーガ、『狂戦士ガードナー』を城壁の外まで逃したエピソードは、あまりに有名だ。
もはや、キャロットは手の届かぬ場所まで逃げたと考えてもおかしくあるまい。
ならば、騒ぎを聞きつけてここに来ているであろう人々に事情を説明した方がいいだろう。
場合によっては、バッシュがまたいらぬ疑いを受けてしまうだろうから。
ナザールはそう考え、肩の力を抜いた。
「バッシュ殿、まずは皆にこの事を……」
ナザールは振り返り、そして、見た。
見つめ合う二人の男女の姿を。