3.要塞都市クラッセル
第三話『要塞都市クラッセル』
要塞都市クラッセル。
そこは、何百年もの間、オークとの戦争の前線にあり続けた町だった。
建物のほとんどは石で作られ、各地からは鍛冶の煙が上がっている。
戦時中ほどではないが、商人や町人よりも、いかつい顔をした兵士が目立つ。
町は小高い丘の上にあり、二重の城壁に囲まれていた。
城壁の内側には大砲や投石機が設置されており、町の各所に置かれた物見櫓からは、かつてオークの土地だった森が一望出来る。
まさに要塞である。
オークとヒューマンの戦争は、この要塞都市を何度も奪い合う戦いだったとも言える。
数千年の間、オークはこの要塞を幾度となく奪い、そして奪い返された。
ヒューマンも必死だった。
この要塞を奪われれば、国土はオークに蹂躙される。
男は殺され、女は持ち帰って繁殖用の奴隷とされる。
ヒューマンは、そのことをよく理解していた。
だからこそ、戦争が終わった今でも、オークに対する警戒を忘れていない。
もっとも、戦争は多くのことを教えてくれた。
オークが性欲だけで動く怪物ではないということ、繁殖に他種族が必要だから他種族を襲うこと。
独自のルールを持ち、独自の誇りを重んじること。
そして、それらを理解した上で話せば、交渉が可能だということだ。
その学びのおかげで、ヒューマンはオークとの和睦を成功させることができた。
オークを誇り高き戦士であると認めた上で、ヒューマンの中でも特にオークに認めてもらえるほどの力を持った女騎士に交渉をさせることで、オークに「他種族の女にも戦士がいて、誇りがある」と知らしめ、『他種族との合意無き交尾を禁止する』という条約を締結。
しかし、それだけではオークはただ滅びの一途を辿ってしまうため、国中から重犯罪者の女性をかき集め、オークの国で奉仕活動をさせることで、オークから徹底抗戦をする理由を奪ったのだ。
お陰で、今は比較的安定しており、細々とだが貿易も始まっている。
もっとも、ヒューマンの中には、オークが理性のない怪物だと思っている者も多い。
無知な者は、種族に関係なく一定数存在している。
さらに言えば、戦争が終わったのはほんの数年前だ。
オークに対し、私的な怨みを持っている者も少なくはない。
実際、オークにも国から追放され、ヒューマンの国に流れて人を襲うような輩もいる。
だから、警戒するのは間違っていない。
「でもまさか、町に入るまであんな時間が掛かるとは思わなかったっすね」
「そうなのか? ヒューマンの町はどれもあんなものではないのか?」
バッシュがクラッセルに到着して、約三時間が経過していた。
そのうち、一時間は入り口で門番と揉めたことによるものだ。
オークというだけで、怯えられ、槍の穂先を向けられた。
ゼルが間に入り、バッシュが旅人であることや、危険なはぐれオークでないことを事細かに説明してくれなければ、町に入れなかっただろう。
門番は最後までオークを町に入れることに抵抗があるようだったが、最後にはバッシュを通してくれた。
ヒューマンの国には、旅人を快く迎え入れろという法はあっても、オークを町に入れてはいけないという法は無いのだ。
「女が多いな」
「ヒューマンの町っすからね」
バッシュは宿の窓から通りを行き交う人々を見つつ、その女の数に驚いていた。
戦争中でも、これほど大量の女を見たのは、サキュバスの軍と連携を取った時ぐらいだ。
まぁもっとも、サキュバスを女というのには、少し語弊があるが……。
ちなみに通りを歩く女の方はというと、宿から覗くバッシュを見た途端ギョっとし、せかせかと足早で去っていく。
「これだけ女がいれば、選び放題だな」
「あ、ダメっすよ! ほら、あのヒューマンの左手の薬指を見て欲しいっす」
言われ、バッシュは女の左手に注目する。
そこにはキラリと光るなにかがついていた。
「うん? 指輪を付けているな」
「あれはすでに結婚しているって証なんすよ。ヒューマンは基本的に一人の男と一人の女でツガイになるっすから、ああいうのを狙ってもダメっす」
「ほとんどの女が付けているぞ」
「ヒューマンは、結婚しないと一人前と認めてもらえないみたいっすからね。男も女も。ある程度の年齢になったら、だいたい皆結婚するみたいっすよ」
オークと違い、誰もが妻を娶って結婚する。
そんな常識に、オークであるバッシュは少々違和感を覚えた。
だが、ヒューマンは男女の比率が同じぐらいだから、そうした事もありうるのだろうと、すぐに納得した。
むしろ、女の方が妻となるのに忌避感を持っていないのなら、好都合である。
「だから、とりあえず指輪をつけてない女を探す必要があるっすね」
「ここに来る途中で声を掛けた女は指輪をつけていなかったはずだが?」
「あー……」
そう、バッシュは宿に到着するまでに一度、女性を見かけて声をかけようとし、悲鳴を上げて逃げられていた。
声をかける、という段階ですらなかった。
バッシュが近づいていっただけで、女は悲鳴を上げたのだ。
「やっぱ、オークに対する偏見が強く残ってるみたいっすね」
「そうなのか……?」
「オークは男と見れば見境なく襲いかかって殺し、女と見れば見境なく襲いかかって犯して孕ませる奴ばかりだって」
「間違ってはいない。戦争中は皆そうだった」
もっとも、現在はオークキングの定めた法で禁じられている。
はぐれオーク以外に、見境のなく誰かに襲いかかるオークはいないだろう。
普通のオークは、誰もがオークキングに忠誠を誓う、誇り高き戦士なのだから。
もっとも、誰もがオークに対して偏見を持っているわけではないのもわかっている。
女の悲鳴を聞いて駆けつけた衛兵。
彼らの中にはあまり偏見を持たない者もおり、事情を説明すると、親身になって「旅人なら、とりあえず宿を取った方が良い」と、オススメの宿を教えてくれた。
現在、宿で寛いでいられるのも、彼のおかげと言えよう。
「ヒューマンは皆、戦争中のオークが記憶に新しいんすよ。あと数年はオークってだけで警戒されるっすね。いきなり逃げられるとは思わなかったっすけど」
「警戒されているのか……確かに、お前に会う前にも、女に声を掛けても逃げられた」
「へぇ、ちなみになんて声を掛けたんすか?」
「俺の子供を産め、と」
そう言うと、ゼルは「あちゃー」と言いながら額に手を当てた。
「それじゃダメっすよ」
「ダメなのか?」
「いいっすか、ヒューマンにとって出産ってのは、宗教的な意味合いもある大事な儀式なんすよ」
「なんと」
儀式と聞いて、バッシュはオークに伝わる戦神への祈りの儀式を思い出した。
年に一度しか行われない儀式だが、翌年の戦いの行く末を決める、大事な儀式だ。
オークの中に、その儀式を軽んじる者はいなかった。
「それに結婚にしたって出産にしたって、基本的には惚れた相手にしかしないものなんす。初対面のよく知らない相手の子供なんて、産むわけないんすよ」
「そ、そうだったのか……」
カルチャーショックであった。
大半のヒューマンの雌がオークと交尾をするのを嫌がるのも道理である。
敵だったから嫌がっていたわけではなかったのだ。
オークはヒューマンの身体だけでなく、宗教もまた踏みにじっていたのだから。
「だから、ヒューマンを妻に娶りたかったら、まずは相手を惚れさせないといけないんすよ!」
偏見である。
ヒューマンの全てが恋愛結婚しているわけではない。
しかしゼルの知識では、そういう事になっていた。
「むぅ……しかし、ヒューマンを惚れさせる方法など知らんぞ」
オークに恋愛という概念は無い。
女は一方的に犯し、屈服させるものだ。
それを禁じられ、惚れさせろと言われても、バッシュはどうしていいかわからない。
「そこはオレっちに任せて欲しいっす! オレっち、こう見えてヒューマンには詳しいっすからね!」
ゼルは胸をドンと叩いてそう宣言した。
伝令と諜報に特化していたフェアリーは、確かに各種族について詳しい。
ヒューマンに限らず、エルフにもビーストにも詳しい。
とはいえ、それはあくまで、戦術や習性、糞の種類や足跡、夜目の有無といった、戦闘に関するものである。
恋愛に関する情報は、道端に落ちていた雑誌や酒場の噂話からの聞きかじりであった。
「頼もしいな。旅を始めてすぐにお前と出会えたのはまさに僥倖だ。それで、具体的にどうすればいい」
「そっすねぇ」
ゼルは得意げに笑いつつ、テーブルの上にトンと乗った。
指を一本立てると、早速レクチャーを開始する。
「まず、ヒューマンの女は綺麗好きっす! 汚れてたり、臭かったりするのは絶対にダメっすね!」
レクチャー1。
身綺麗であれ。
「ならば、女を探しにいく前に水浴びをするか」
「水浴びの後、ビーストとの戦前のアレもつけるといいっすよ」
「あれか……あれは逆に臭いのではないか?」
「何いってんすか! めっちゃいい匂いじゃないっすか!」
バッシュは己の体を見下ろして、そう言った。
戦争中、オークはあらゆる種族と戦った。
ビースト族もその中の一つで、特に鼻が利く種族だ。
オークの強い体臭はあっという間に感知され、奇襲や待ち伏せを受ける事態が頻発した。
そこで、ビーストとの戦の直前に水浴びをして臭気を消し、香水をつけるという対策が講じられた。
草や花の匂いに紛れ、ビーストの鼻を惑わせるのだ。
ちなみに香水はフェアリー産で、現在はヒューマンやエルフにも輸出されている。
「ほら、オレっちのを貸してあげるっすから!」
「うむ」
レクチャー2。
いい匂いをさせろ。
香水のあまったるい匂いは、一般的なオークには不人気である。
ゆえに、ビーストとの戦で香水をつけることを嫌がる者もいた。
もっともそういう者は、例外なく死んだが。
バッシュはというと、違う。
彼はビースト族との戦いを生き抜いた戦士だ。
闇夜の中から襲い来るビースト族の恐ろしさは、身にしみてわかっている。
夜も満足に眠れないほどだった。
それが、香水をつけるだけで、安心して眠ることが出来る。
少なくとも、この香水の匂いを発しているうちは、ビースト族の威力偵察隊に奇襲を受けることは無いのだから。
「じゃ、さっそく水浴びっすね! 背中を流すのは任せてほしいっす!」
ゼルは空中でクルンと動くと、入り口の扉にシュバっと飛んでいき、ドンドンと叩いた。
「店主さん! 店主さん! 旦那が水浴びをするっすから! 桶と水を所望するっす!」
ゼルがそう呼びかけると、ややあって扉が少し開き、店主が恐る恐るといった感じで顔をのぞかせた。
「オークが水浴びなんてするのか……?」
「なんすか! オークが水浴びしちゃ悪いんすか!? あんたらヒューマンはいつもオークのことを臭くて汚え種族だって思ってるみたいっすけどね、ちゃんとしたオークなら、ヒューマンの町にくれば、ヒューマンの鼻の気遣いぐらいできるんすよ!」
「わかった、わかった。そうキンキン怒鳴るな。用意しよう。銅貨一枚だ」
「了解っす」
店主は意外そうな顔をするも、銅貨一枚を手にすると、すぐに水を用意しにいってくれた。
「さて、水が来るまで、まだまだレクチャーするっすよ!」
「頼む」
それから、バッシュは水浴びをしつつ、フェアリー直伝の「ヒューマンにモテる法則」を学習していった。
◇
「とりあえず、これだけ守っていれば、ほぼ確実に一人ぐらい落とせるっすね」
「身ぎれいにし、匂いを抑え、堂々とし、話を……」
水浴びが終わった後、バッシュは指を折りながら、ゼルから聞いた法則を反芻していた。
彼は真面目なのだ。
援軍の要請をされたら、三日三晩寝ていなくても駆けつけてしまうほどに。
だからいい加減なフェアリーの言うことも、疑うことなく素直に聞くのである。
「……」
唐突に、バッシュの動きが止まった。
バッシュの鋭敏な耳が、唐突に騒音を捕えたからだ。
バッシュは耳をすませ、その音が自分たちの部屋を包囲していくのを確認し……。
「やれやれ、どうやらアンコールが必要なようっすね、いいっすか、ヒューマンの女ってのぅうぁ!?」
ゼルはバッシュがいきなり背中の大剣を抜き放ったのを見て、度肝を抜かれた。
「な、な、なんすか!? 敵襲っすか!?」
ゼルは慌てつつも、腰から爪楊枝のような杖を引き抜いた。
そこで、ゼルも気づいた。
周囲からガシャガシャと、金属のぶつかり合う音が聞こえていることに。
完全に包囲されている。
ここまで包囲されて、なぜ気づかなかったのか。
「音無しの魔法か」
バッシュはヒューマンが奇襲でよくつかう魔法を思い出し、警戒を強めた。
音無しの魔法は、文字通り音を消す魔法だ。
ただし、ある一定の範囲外にしか効果を及ぼさない。
要するに、近づきすぎると相手に音が聞こえてしまう。
全身鎧を身に着けたヒューマンの軍勢がよく使う魔法の一つだ。
音が聞こえたということは、近づきすぎたか、あるいは包囲が完成したと見て、接近してきたか……。
統率が取れている所を見ると、後者だろう。
「旦那、どうします? 皆殺しにするんなら、窓側の方からやって、入り口に回って扉側の奴を迎え撃つのがよさげっすし、突破するんなら警戒の薄い扉側っすね、歩き方からして、こっちから攻めてくるとは思ってない感じっす。ま、この数ならどう動いても余裕だとは思うっすけど」
ゼルが落ち着いた様子でそう言った。
若くふわふわとした見た目だが、このフェアリーもまた歴戦の兵であった。
瞬時に敵の布陣を見抜き、攻めやすそうな方角を教えてくれるのはお手の物である。
バッシュとゼルは組んで長い。
戦時中は、この程度の包囲など、幾度となく破ってきた。
バッシュを殺したければ、この百倍は必要だろう。
余裕の相手だ。
だが、バッシュは首を振った。
「殺しにきたわけではあるまい。話を聞こう」
そう言って、大剣から手を放した。
なぜ包囲されているのかわからないが、バッシュは何もやましいことはしていないのだ。
「いやぁ……難癖つけられて町から追い出されるだけだと思うっすけど……」
「だとしてもだ」
どのみち、相手を見極める前に戦うわけにはいかなかった。
バッシュはオークの英雄である。
そんなバッシュがヒューマンの兵士を殺せば、問題になり、オークの国まで飛び火するだろう。
恥を偲んで旅に出た身だ。
この上、国にまで迷惑をかけるのは避けたかった。
などと考えていると、扉が音を立てて開いた。
「動くな! そこのオーク!」
飛び込んできたのは三人。
簡易的な鎧を身に着けた二人の兵士と、トサカの付いた兜を被った騎士だ。
バッシュは長年の戦いの経験から、このトサカが騎士の証であると知っていた。
さらに言えば、ヒューマンの騎士は、オークの戦士長に相当するということも知っている。
つまり、この騎士がこの集団のリーダーだ。
「すでに止まっている! 何の用だヒューマン!」
「ふん!」
騎士は数歩歩くと、兜を脱ぎ去った。
下から現れたのは、輝くような金髪をポニーテールにまとめた、美少女だった。
それを見た瞬間、バッシュの中で何かが弾けた。
脳内をキュっと、甘酸っぱいイチジクを口いっぱいに頬張った時のような甘酸っぱい感覚が支配する。
(可憐だ……)
凛とした眉、意思の強そうな口元、少しだけ性格の悪そうな吊り目、透き通るような白い肌……。
鎧を身に着けているから体つきはわからないが、物腰からしっかりと筋肉がついた丈夫な体であることはわかる。
森で見かけた女たちや、道端で話しかけようとした女よりも数段……いや数十段は上の女だ。
こんな美しい女性と、互いに裸になって交尾をする可能性があると考えると、バッシュの脳髄を電流が走り抜けてしまう。
股間に直撃ってやつだ。
もっとも、頑丈な革の下穿きのお陰で、見咎められることはなかった。
そんなバッシュの変化を知ってか知らずか、彼女はバッシュをにらみつけ、叫んだ。
「街道にて、オークに馬車が襲われたとの通報があった。貴様の仕業だな!」
ゼルが小声で「ほれみたことかっす」とぼやいてくるが、バッシュはそんな事より、この可憐な騎士に気に入られたかった。
国を出てから最初に出会う極上のヒューマン♀、しかもオーク同士が仲間内で『妻にするならこういう女がいい』という話をすれば、かならずノミネートされる女騎士である。
童貞であるバッシュが張り切らぬはずもない。
彼の脳内では、すでに婚姻が視野に入りつつあった。
子供は最低でも三人は産んでもらわなければいけない。
確か、オークと交合して妊娠しても、オーク以外が生まれる秘術がエルフ族に伝わっていると聞いているから、一人はヒューマンでもいいだろう。
しかし生まれてくる子は全て男がいい。
最初の子はバッシュの名を取ってアッシュにし、戦い方と狩りの仕方を教えてやろう……。
「おい、どうした、返事をしろ!」
そんな妄想は、女騎士の声で霧散した。
ひとまず現実が見えたバッシュは、自分がどうすべきかを考えた。
まず、いきなり嫁になってくれと言ってもダメだ。断られる。それは、先程のゼルの講義でわかった。
では、何をすべきか。
こういう時は慎重に、彼女の左手を見るのだ。
薬指に指輪がはまっていれば、その雌は婚姻済であり、自分のものにはならない。
「……」
女騎士の左手は篭手で覆われていて、薬指に指輪がハマっているかどうかわからなかった。
「……むぅ」
さっそく学んだことが使えず、バッシュは停止する。
だが、彼は歴戦の英雄だ。
相手を一太刀で倒せないことなど、星の数ほどあった。
そう、例えばビーストの使役獣であった魔獣ベヒーモスとの戦いは、十数時間にも及んだ。早朝から深夜まで続けられたものだ。
時には、じっくりと相手の力を見極め、長期戦に持ち込むことも必要である。
「おい、返事をしろ! オーク風情が私をあまりイラつかせるなよ!」
「ごほん、すまん……その馬車は確かに見たが、襲撃したのは俺ではない。声を掛けたら逃げられたがな」
バッシュは落ち着いて、まずはオークの戦士らしい毅然とした受け答えをすることにした。
ゼルから学んだヒューマンにモテる法則の一つ。
レクチャー3。
堂々とした男であれ。
「嘘をつくな!」
「嘘ではない。俺が見た時には、すでに馬車はバグベアに襲われていた。俺はそこに通りすがり、バグベアを追い払ったに過ぎない」
「証拠はあるのか!?」
「証拠は無い。だが偉大なるオークキング・ネメシスに誓おう!」
「ぐっ……」
堂々とそう宣言すると、騎士はたじろいだ。
オークキングの名において誓うということは、嘘だったら死罪をも受け入れるという意味だ。
この宣言が出来るのは、オーク社会においてもほんの一握り、大戦士長以上の戦士だけだ。
つまり、オークにとって地位と名誉を証明する、最も男らしい誓いの一つである。
これを堂々と宣言できるオークは、若者から例外なく羨望の眼差しを受けるし、宣言は重く受け止められる。
バッシュはたじろいだ騎士を見て、内心で「決まった」と思っていた。
ちなみに、女騎士はオークの宣言など知らなかった。
単にバッシュが堂々としているから、難癖を付けにくくなっただけであった。
「被害者は、オークが子供を産ませようと近づいてきたと言っているぞ」
「他種族との合意なき性行為は、オークキングの名に置いて固く禁じられている。合意を得るべく話しかけただけだ」
「得られるわけがないだろう!」
「試してみねばわからんから、試したまでだ。後に知ったが、どうやらヒューマンの常識では、いきなり性行為を持ちかけても合意は得られんらしいな」
あまりに堂々とした返答に、騎士はさらにたじろいた。
こんなに堂々と返答するオークを見たのは、初めてだった。
彼女が見たことがあるのは国から追い出されたはぐれオークだけ。
はぐれオークとくれば、女騎士を一目見た次の瞬間には孕ませるだのブチ犯すだのといった下卑た発言をするし、少し詰問すると、すぐに怒り狂って襲いかかってきた。
ここまで話が通じたことすらなかった。
「く、う、薄汚いオークのことだ、通りがかったといっても、どうせ馬車から何か盗んだのだろう!」
「む……」
バッシュはその言葉で、少し言葉に詰まった。
確かに、馬車の中から、持ち出した物が一つある。
正確には物ではなく者で、一つではなく一人だが……。
「確かに、持ち出したが……」
「ほら見たことか! 貴様を窃盗の罪で逮捕する!」
「むぅ」
「ちょちょ、ちょーっとまって欲しいっす!」
そこでゼルがバッシュと騎士の間に飛び込んできた。
「それってオレっちの事っすよね!? ヒューマンにとっ捕まって瓶詰めにされていた哀れなオレっちは、確かに馬車に積まれていたっす! でも、フェアリーの人身売買はヒューマンとフェアリーの間で禁止されているはずっすよ! 密売品であるオレっちを助けたからって窃盗罪が適用されるのは、おかしくないっすかね!?」
「な、なにぃ……?」
ゼルの言葉に騎士は困惑した顔をした。
フェアリーの密売は、確かに犯罪である。
馬車はそれを運んでいて、それをオークが助けた。
密売品であっても、窃盗は窃盗だということになるのか。
それとも、このオークが密売品を持っているということになるのか。
もっとも見た所、フェアリーは自分の意思でオークに付いているように見える。
でも、そもそもこのフェアリーの言ったことは本当なのか? でまかせなのでは? フェアリーは息をするように適当なことを言うし。
「ええい……」
話がややこしくなってきた。
騎士は目をぐるぐるさせながら色々考えていたようだが、最後にこう言った。
「とにかく我々と一緒にきてもらおうか!」
「いいだろう」
バッシュは間髪を入れず、そう応えた。
驚いたのはゼルだ。
困惑顔でバッシュを振り返ると、手足をバタバタさせ、女騎士の方を指さした。
なんなら、女騎士の方も、バッシュがあまりに素直に従うので、困惑した表情をしている。
「え? いいんスか? こいつ旦那のこと、めっちゃ舐めてますよ?」
一般的なオークの理論で言えば、ついていく筋合いなど無い。
バッシュとて、もしオークの国で若造に今と同じようなことを言われたら、すぐさま大剣を抜き放ち、牙をむき出しにして「力尽くでこい」とでも言っただろう。
しかし、バッシュには旅の目的がある。
童貞の喪失である。
できれば自分好みの綺麗な女。処女ならなおいい。
「いいんだ!」
目の前の女。
金髪の勝ち気そうな女騎士。
自分好みの綺麗な女。
処女かどうかまではわからないし、結婚しているかどうかもわからない。
けど、自分を見て嫌な顔はすれども、悲鳴を上げて逃げ出さない。
そんな女に「ついて来い」と言われているのである。
ついていけば、少なくとも会話をする機会は増えるだろう。
逆についていけなければ、ここで終わりだ。
暴れ、町から追い出されることになれば、二度と彼女と会うことはないだろう。
そう考えれば、ついていかない理由など、無いのだ。
戦いにおいては、生き延びるためのチャンスは一度しか無いことも、ざらにある。
そのチャンスを全て活かしてきたバッシュの決断は、早かった。
「よ、よし……手錠を嵌めろ! 連行する!」
「うむ」
かくしてバッシュは逮捕された。
クラッセルに到着して、ほんの4時間の出来事であった。