31.雰囲気抜群! 人が多くて、お酒の飲める所!
首都リカオンは第三王女の結婚式の直前とあってか、人で溢れていた。
様々な種族がいるが、特に多いのはやはり国民であるビーストだ。
ビーストは他の種族から見ると、個性豊かと言えるだろう。
獣がそのまま直立歩行を始めたような者から、ヒューマンに獣の耳が生えた者まで。
特徴も様々だ。
犬に近い者、猫に近い者、ウサギに近い者、シカのような角を持つ者、クマのような体格を持つ者、また、それらの特徴を幾つか併せ持つ者……。
当のビースト族からすると、せいぜい鼻が大きいだとか、まつげが長いだとか、髪の毛にクセがあるといった程度の認識なのだが、ビーストをよく知らぬ種族からすると、その多種多様な様子は、異様に映るだろう。
こうした特徴は、戦争初期はなかったと言われている。
当時は、誰もが完全に獣に近い姿であった。
だが、戦争が激化するにつれてビースト族はヒューマンやエルフ、ドワーフといった種族と交わるようになる。
その結果、ビースト特徴を消していったのだ、と。
そんな人々の中を歩く大きな影があった。
道行く人々はその影を視界にいれると目を見開き、通り過ぎた後に振り返って二度見した。
「それにしても、こうしてみると、ビーストもいろんなのがいるっすね」
「そうだな」
バッシュである。
彼は雑誌に書いてあった通りの服装を身に着け、町を歩いていた。
完璧な服装を用意できた、とバッシュは思っていた。
情報を元に作戦行動を行うのは、戦時中に幾度となく繰り返してきた行為だ。
特にデーモン王ゲディグズが存命の際には、作戦は微に入り細を穿つものであった。
作戦通りに動けば勝利を掴み、作戦を少しでも間違えたり、雑に行えば敗北する。
ゲディグズ死後、あるいはレミアム高地の決戦のあたりでは、バッシュ自身が強くなりすぎたため、作戦を細かく守る必要はあまりなくなってしまっていたが、それでもバッシュは作戦を完璧に実行することの意義をしっていた。
だから、全て雑誌の言う通りにした。
雑誌に、『今、最もモテる服装!』と書かれたものがあれば、赤の森を駆けずり回って獣を狩ろうとした所、偶然にも魔獣に襲われていた旅の商人と出会い、それを救出。
商人は何度も感謝を言いながら、雑誌とまったく同じ服装をバッシュに譲ってくれた。それどころか、サイズが合わなかったものを、夜なべして仕立て直してまでくれた。
ゆえに服装は完璧である。
「旦那的にはどんな娘がいいっすか? やっぱ、あんまり獣くさいのは嫌っすよね?」
「えり好みするつもりはない」
バッシュに、ビースト族の好みに差は無い。
ヒューマンやエルフに近い者も、犬や猫に近い見た目の者でも、女であれば問題なかった。
あえて例外を言うのであれば、ドワーフのような感じや、リザードマンのような感じはあまり好ましくはないが。
「だが、やはりヒューマンやエルフに近い者がいいな」
バッシュはポツリとそうこぼした。
思い返すはクラッセルで出会ったジュディス、シワナシの森で出会ったサンダーソニア、ドバンガ孔で出会ったプリメラといった面々だ。
彼女らは、誰もが美しく、麗しかった。
今だって全員を嫁にして、一人あたり五人の子供を産ませたいと思っている。
逃した魚は、大きく感じるものなのだ。
「やっぱそうっすよね! ていうか、獣っぽいビーストって野蛮なんすよ! 息は臭いし、すぐ食べようとするし! あ、ほら、今、見たっすか! オレっちに釘付けっすよ! よだれまで垂らして!」
バッシュがゼルのいう方を見ると、確かによだれを垂らしているビースト族がいた。
その視線は、ゼルの奥、焼いた肉を売っている店に釘付けだが。
「ま、オレっちが結婚するわけじゃないっすからいいっすけどね! さぁ、旦那。まずは雑誌に書いてあった通り、雰囲気のいいバーへと向かうっすよ!」
「ああ!」
二人が向かう先は、首都リカント人気ナンバーワンのバーだ。
なぜそんな所に向かっているのか。
それは、雑誌に書かれていた一文が原因だった。
曰く、
『【雰囲気抜群!】人が多くて、お酒の飲める所でゆったりと口説いてみよう!【夜のバー特集】』
ビースト族の女は、二人きりになるより、大勢がいる場所で口説かれる方がいいらしい。
ゆえに、バッシュはリカントに入り宿を取った後、すぐに決戦の地へと足を向けた。
そう、雑誌に書いてあった首都リカント人気ナンバーワンのバーに!
「……む?」
「おや、この音は……」
と、そんな二人の耳に、不快な音が聞こえてきた。
豚の断末魔と、牛の断末魔の中間のような不協和音。
ボロンボロンと、何か見たくないものがまろび出てきそうな雑音。
「へいへいへ~ぃ、いぇいぇ~い♪ へいわぁ~、って、いいなぁ~♪ みんなぁ~、なぁかぁ~よぉしぃぃ~ぃえ~い♪」
そして、ヘタクソすぎる歌。
道行く人々は、誰もが耳を抑え、顔をしかめて、彼の前を通り過ぎていく。
「あれ、エロールさんじゃないっすか!」
恩人であった。
国境で助けてくれて、バッシュに雑誌をもたらしてくれた、あの愛と平和の使者エロールだ。
彼は道端に座り込み、完全にキマった顔で自分の歌に悦っていた。
「エロール!」
バッシュが声を掛けると、彼は顔を上げ、目を見開いた。
「お? おお!」
そしてすぐさま立ち上がると、バッシュの前まできて、バッシュを頭の先から足の先まで、まじまじと眺めた。
「これはバッシュ殿! 見違えましたな!」
仮面をかぶっているため表情は伺いしれないが、その声音は驚きと歓びにあふれていた。
まるで期待していなかった相手が、自分の期待以上の働きをしてくれたような、そんな声音だった。
「いやはや、遅い遅いと思っていましたが、その服を調達していたのですな! さすがはオークの英雄! オークとは思えないほどの思慮深さ! いやはや、予想以上ですよ!」
「お前のお陰だ。助かっている」
「国境でのことですか? まぁまぁ、あのぐらいは当然ですよ! さぁ行きましょう! 案内しますよ」
エロールはそういうと、嬉しそうにバッシュの手を取り、引っ張り出した。
「まて、どこにいくつもりだ」
「どこって……」
「俺は、これから行く所がある」
「行く所……?」
「ああ、人が多く、酒が飲める場所だ」
バッシュがそういうと、エロールは一瞬きょとんとしたが、やがて合点がいったように笑った。
「ははは。面白い言い方ですね。でも大丈夫、行き先は同じですよ!」
「む?」
「あなたも、そのために来たんでしょう?」
なぜこの男がバッシュの行き先を知っているのか……その疑問に答えたのは、バッシュの耳元に飛んできたゼルだ。
(旦那旦那、よくよく考えてみれば、あの雑誌を我々にもたらしてくれたのは、この御方なんすから、行き先ぐらい予想が付いて当然っすよ)
(ふむ、それもそうか)
(むしろ、雑誌に書いてあったバーよりいい所につれてってくれる可能性すらあるっすよ)
(なるほど!)
ゼルの言葉に納得し、バッシュはエロールに向き直った。
「そうだ。案内を頼めるか」
「まかせてください」
バッシュはエロールに連れられ、首都リカントの中心部に向けて移動していくのであった。
■ ■ ■
バッシュが連れられてきたのは、首都リカントの中心部にある、巨大な宮殿の中庭だった。
バッシュが今まで見たこともないほど、綺羅びやかな空間だった。
宮殿の中庭に作られた庭園に大きなテーブルが運び込まれ、山程の料理が用意されている。
そこにいる人々もまた、色鮮やかな布の衣装に身を包み、金銀宝石の装飾品で着飾っている。
見ているだけで、目がチカチカしてしまいそうなほど、煌めいていた。
エロールはバッシュをここに連れてくると「じゃあ、私は挨拶回りをしてくるよ。君はゆっくり、くつろいでいてくれ。料理でも食べながらね」というと、足早にどこかへと去っていってしまった。
バッシュとゼルはポツンと残された。
「どうするっすか? ここ、目的の場所じゃないっすよね?」
「……だが、条件は揃っている」
そこは雑誌に書かれていた場所ではなかった。バーですらなかった。
しかし、人は多かった。
どうやらお酒も飲み放題のようだった。
「ならば、やることは一つだ」
戦場でもそうだった。
移動中、事前に聞いていた戦場とは異なる場所に連れて行かれることも、多くあった。
聞いていた戦況と違う状況に放り込まれることも、多々あった。
バッシュは、その全ての戦場で生き残ってきた。
だからこそバッシュは思うのだ。
予想と違っても、目的が一緒なら、やるべきことも一緒だ、と。
「雑誌には、バーにきて何をしろと書いてあった?」
「素敵なバーで赤い果実酒を傾けつつ、女性からの誘いを待つ……それが、雑誌に書いてあった必勝法っすね」
「なるほど」
バッシュは周囲をキョロキョロと見渡すと、テーブルの一角に目当ての酒があるのを確認し、それを手に取った。
小さなグラスに入った果実酒。
飲んだ気がしない量であったが、今回は酔っぱらうことが目的ではない。
バッシュはそれを手に持ち、文字通り傾けつつ、会場の隅に落ち着いた。
「それにしても、すごいっすね! オレっちもヒューマンのパーティには何度か紛れ込んだことがあるっすけど、ここまで豪華なのは初めて見たっすよ! ビーストは金が無いなんて噂されてたっすけど、こういう所ではちゃんと使ってるんすね。あれ? もしかしてこれやってるから金が無いんすかね?」
「かもな」
「ま、金なんてどうでもいいっすね! さぁ、うまいこと女の子を引っ掛けるっすよ!」
バッシュとゼルはそう言って、周囲の人々を見渡した。
種族は多種多様であるが、特にビーストとエルフが多かった。時点でヒューマンだろうか。
ドワーフはそれほど多くはない。
誰もがバッシュをチラチラと見ては、訝しげな表情を送ってきている。
あれ、オークってここに居ていいの? と言わんばかりの表情だ。
「うーん。こうして見ると、ここは結構身分の高い人が多いみたいっすね」
「そうなのか」
「服がキラキラしてるっすからね」
見た所、ビースト族の男性はバッシュと似たような服装をしている者も多い。
だが、ビースト女や、エルフ、ヒューマンといった面々は、綿や絹を用いた着物の上から、ゴテゴテとした装飾品を身に着けている者が多かった。
それらは日の光を浴びてキラキラと輝いていた。
もちろんバッシュに、服装の区別はつかない。
ただ、ここはパーティ会場であり、男女がにこやかに歓談しているということは見ればわかる。
好色そうな笑みを浮かべて女性を囲む男性陣。
女性もまた満足そうな笑みで彼らに応えている。
そんな女性らの服装はというと、胸元とふとももが大きく露出していることも多かった。
男性、特にヒューマンの視線は胸元に釘付けだし、バッシュの視線もまた自然と胸元へ吸い寄せられる。
鼻息も荒くなる。
「これだけ多いと目移りしてしまうな」
ビースト女はどの子も魅力的に見えた。
そう見えるのは、胸元の大きく開いた服を身につけているせいだろう。
肌が見えているせいで、どうしても目移りしてしまうのだ。
「だめっすよ旦那。今回は待ちなんすから。新兵じゃあるまいし、待機命令を無視して突貫したらオーク英雄の名が泣くっす!」
「わかっている」
だが、今回は自分から声を掛けにいくことはしない。
雑誌には、ひたすら待てと書いてあった。
だから待つのだ。
ちなみに、バッシュはイマイチ理解していないことであるが、それには理由がある。
ビーストは女性上位の国である。
王は女性であるし、要職にも女性がつくことが多い。
古来より群れのリーダーはメスである、というのが彼らの歴史であり、文化なのだ。
多夫一妻の制度もある。
そんなビースト族の恋愛は、ヒューマンのそれと大きく違う。
顕著なのは男性側の女性に対するアプローチだ。
彼らは己の強さを示すため、町の外で狩りをして、そこで得た獲物の素材を身にまとい、女性が声を掛けてくるのを待つのだ。
戦争中は、倒したオークの牙やデーモンの角を身に着けている者も多かった。
より強い男性をより多く夫としている女性は、群れのリーダーとしての格が上がると言われている。
「なかなか、声はかからないもんすね」
「ゼルこそ落ち着きが無いぞ。待ち伏せというものは、時間が掛かるものだ」
「いやー、オレっちってばフェアリーオブザフェアリーっすからね。じっとしてるのは苦手なんすよ。じっとしていると、オレっちの内なるフェアリーな部分が囁いてくるんすよ。その背中にある羽は何のためにある、今こそはばたけって。あ、また聞くっすか。セントール渓谷でのオレっちの――」
ゼルが、まだバッシュが戦場に居なかった頃の武勇伝を語ろうとした、その時だ。
「キャアアアアアアアァァァァァ!」
悲鳴が上がった。
「なな、何事っすか!?」
ゼルが声を上げてキョロキョロと周囲を見渡す。
と、周囲の視線は、まさにゼルを注目していた。
さもあらん。ゼルはフェアリー会のスーパースター。武勇伝を語れば、誰しも黄色い声を上げるものだ。
「オークよ!」
違った。
絹の着物を身に着け、虎の毛皮を山賊のように身にまとったビースト女の一人が、バッシュを指差していた。
視線は誰もがバッシュを注目していた。
バッシュはオーク会のスーパースターだから、さもあらん事であるが……。
「なんでオークがここに!?」
「おい、オークが女を襲っているぞ!」
「衛兵! 衛兵はどこだ!」
「つまみ出せ! いや、袋叩きにしろ!」
女の悲鳴から、一瞬で場が騒然とし始めた。
バッシュから離れようとする者、衛兵を呼ぼうとする者、腕まくりをしてバッシュに向かってくる者。
様々ではあるが、さすがのバッシュも自分が歓迎されていないことは理解できた。
「まって欲しいっす! このお方はただのオークじゃないっすよ! 恐れ多くも先の戦争にて圧倒的な戦功を立てた、オーク族の重鎮、オークでたった一人『英雄』の名を与えられた、地上最強のオークで、大体ここにだって連れられてきたんすよ!? あの仮面の……」
ゼルは弁明しようとしていたが、誰も聞く耳を持たない。
次第にバッシュは囲まれていく。
残念なことに、バッシュを囲んでいくのは、全員が男だった。
「騒がしいですね! 一体何の騒ぎですか?」
そんな中、会場の奥からそんな声が聞こえた。
バッシュがそちらを向くと、生唾を飲み込みたくなるような美女が3人いた。
それぞれ獣の度合いは違うが、誰もが豊満な胸とむちむちの太ももを持っていた。
そして、この場にいる誰よりも色鮮やかな服を身に着けていた。
彼女らはバッシュを見ると、その動きをピタリと止めた。
「これは、姫様……」
「なぜかオークがこの会場にいまして」
「ご安心を、今すぐ叩き出しますので」
姫様。
その名を聞いて、バッシュの記憶にある単語が浮かんできた。
ビーストの六姫。
ビーストの女王が生んだ、六人の美姫。
六人とも絶世の美女であり、強く賢いという噂だった。
「……美しい」
実際、目の前にいる三人もまた、バッシュの想像を絶するほどの美女であった。
黒猫のような毛並みと、金色の目を持ち、しなやかな体つきをした姫。
ふわふわの毛並みと、黒い目を持ち、豊満な体つきをした姫。
やや硬そうな毛並みと、青い瞳を持ち、狩猟犬のようながっちりした体つきをした姫。
三者三様。
姉妹という割に、獣の度合いも違うが、しかし美人だと誰もが認めるであろう、噂に違わぬ美姫。
ただ、三人はそんな言葉など聞いていなかった。
バッシュを見て、目を見開いていた。
三人とも、先程まで浮かべていた微笑が消え、瞳孔がすぼまっていた。
「おまえは……」
三人の内一人がその名をつぶやいた瞬間、騒いでいた者たちがピタリと止まった。
止まったのは、全てがビースト族だった。
エルフやヒューマンは、混乱と困惑はすれど、彼らのように騒いではいなかった。
そして、混乱の収まったビースト族の瞳には、別の感情が渦巻いていた。
誰もがギラついた視線をバッシュへと向けてきた。
憎悪の視線だ。
「その姿を知らぬ者は多けれど、その名を知らぬ者は、この場にいません」
姫君たちが、バッシュの前へと進み出る。
それと同時に、彼女たちの護衛と思しき屈強な男たちも、彼女らを守るように前に出る。
その顔にもまた、憎悪の表情が張り付いていた。
同時に、売ってはいけない相手に喧嘩を売っていると気付き、死への恐怖も感じているようだったが。
「『オーク英雄』バッシュ! ビーストの勇者レトを、我らが叔父を殺した者!」
◆
勇者レト。
彼は、レミアム高地で戦死した。
かのデーモン王ゲディグズと戦い、名誉の戦死を遂げた。
そういうことになっている。
だが、真実は少し違う。
確かに、勇者レトはデーモン王ゲディグズと戦った。
ヒューマンの王子ナザール。
エルフの大魔道サンダーソニア。
ビーストの勇者レト。
ドワーフの戦鬼ドラドラドバンガ。
その他、十数名と共に敵陣深くに潜入し、デーモン王と戦い、これを倒した。
犠牲は大きかった。決死隊は戦鬼ドラドラドバンガを含め、ほぼ全員が戦死した。
だが、ゲディグズが死んだ時、レトは死んではいなかった。
全身傷だらけになりながらも、生きていた。
なんなら、魔力を使い果たして気絶したサンダーソニアより、元気だったと言えるだろう。
だが、そこに現れたのだ。
一人のオークが。
当時、戦場で噂になっていた、緑の悪魔が。
後の『オーク英雄』――バッシュが。
ナザールとレトは、戦おうとした。
だが、相手はバッシュだ。
いかにビーストの勇者、ヒューマンの王子と言えど、満身創痍で勝てるはずもなく、一瞬で蹴散らされた。
あるいはサンダーソニアが起きていれば、ドラドラドバンガが生きていれば話は違ったかもしれないが、ナザールは傷を負い、レトの体力も限界だった。
ましてそこは敵陣の真っ只中で、長い時間を掛けて戦えば、また別の敵が湧いてくるだろうことも予想された。
だから勇者レトは言った。
『ここは俺にまかせて、先にいけ』
ナザールはその言葉に従った。
誰かが、帰る必要があった。
誰かが帰り、ゲディグズを倒したことを伝えなければ、その死は隠され、ただ四種族同盟の猛者たちが戦死したという報が流れてしまう可能性があった。
そうなれば、四種族同盟の戦意はガタ落ちとなり、戦況は悪化。一瞬で押し切られるだろう。
ゲディグズの死が判明した時には全てが手遅れで、四種族は全て滅亡していることだろう。
それは避けなければならなかった。
ナザールはサンダーソニアを背負い、敵陣を突破し、報告を成し遂げた。
結果、四種族同盟はレミアム高地の決戦で勝利した。
そして後日……戦場跡にて、レトの死骸が発見された。
武器を叩き折られ、胴体を真っ二つにされた、無残な死骸が。
勇者レト。
レト・リバーゴールド。
ビースト王族リバーゴールド家の王弟。
王族全てに愛され、尊敬されていた男……。
その名は大陸中に轟いていたはずなのに、首すら取られなかった。
ビースト族にとって、敗北は恥ではない。
名のある猛者というものは、それを討ち取った者の誉れとされる。
狩猟の神を信望する彼らは倒した獲物を糧とする。
また、獲物に倒され、食料とされることも良しとしている。
ビーストが人間を食わなくなってから何千年も経過しているが、それでも戦で倒され、相手に首を掲げ、武勲とされることは、彼らにとって何ら恥ずかしいことではない。
むしろ、敵に倒したことを誇られるのは、ビーストにとって名誉とも言えるだろう。
だが、レトは打ち捨てられた。
敵の戦功にすら、されなかったのだ。
まるで雑兵のように軽んじられたのだ。
英雄が、倒した者に名誉が与えられるはずの存在が、どこにでもあるゴミのように腐っていたのだ。
ゆえにビースト王族は、バッシュを恨んだ。
レトの死を軽んじたバッシュを。心の底から。
その日から、バッシュはビースト王族の敵となったのだ。
誰でも知っていることである。
ビースト族なら誰しも。
そして、レミアム高地を生き延びた戦士もまた。
◆
そんな仇が現れ、この場が収まるわけもなかった。
姫はまさに激高し、バッシュに凄まじい怒りをぶつけていた。
「貴様がなぜここにいる!?」
「……第三王女が結婚すると聞いてな」
「それで、おめおめとこの場に姿を表し、我が妹を、イヌエラを襲い犯そうというのか! 我らの仇が!」
「そんなつもりは無いが……」
「痴れ者め! 我らが貴様の横暴を許すと思うか! 貴様の死体の皮を剥ぎ、我らビースト族の無念を晴らしてやる!」
姫はそう言い放つと、懐から剣を抜き放った。
「そうだ! こんな所に姿を現したのが運のつき!」
「叶わぬとわかっていても、我らが仇を討たねば、誰が討つというのか!」
残り二人もまた、追従する。
バッシュは一瞬で、三人の美女に囲まれることになった。
そんな四人の間を、一匹のフェアリーが飛び回る。
「ちょ、ちょっとまって欲しいっす! 確かに旦那はレトを殺したかもしれないっすけど、あの戦場は混沌としてたんだから、仕方ないじゃないっすか! あの戦場ではそんなこと山程あった。皆わかってる事っすよね!? オレっちだって、いつの間にか気絶してて、起きた時にここがあの世かって思ったぐらいっすもん。実際に戦友だって何人も死んだし……」
「関係あるか!」
止める者はいない。
姫たちは、今にもバッシュに襲いかかろうと、腰だめに剣を構えている。
「争う気は無いのだが……」
話の流れはよくわからないし、目の前の麗しい女たちと殺し合いなどするつもりは無い。
だが、ビーストが名誉と誇りに掛けて本気で襲いかかってくるのであれば、オークの名誉と誇りに掛けて戦い、勝たなければいけない。
バッシュは、背中の剣に手を掛けた。
「だ、旦那!? やるんすか!? ビーストの姫君を殺したりなんかしたら、また戦争が起きるっすよ!?」
「わかってはいるが、俺が勇者レトを殺したのは事実だ」
「けど……」
一瞬即発。
その場にいた者たちの何人かは、その流れを見て体をこわばらせていた。
戦争は終わったのだ。
誰もが、戦争中の恨みを忘れ、前を向いて行きていこうとしている。
ビーストの姫とエルフの軍人の結婚だって、その一環だったはずだ。
だというのに、なぜこんな所でオークの英雄とビーストの姫が喧嘩を初めようとしているのか。
万が一、誰かが死んでしまえば、また戦争に逆戻りではないか。
オークの英雄は、あまり乗り気ではないようだ。
よく見れば、姫の護衛たちや、オークの英雄を囲むビーストたちには、若干の戸惑いが見えている。
冷や汗を垂らし、本当にやるのかと言わんばかりに、視線をきょろきょろと行き来させている。
姫たちだけは本気だった。
殺気を隠そうともせず、今にもバッシュに斬りかかろうとしていた。
「……っ!」
姫たちの足に力がこもり、地面を蹴り飛ばそうとした、次の瞬間、
「これ、皆の衆、何が起きているのですか?」
鈴を転がすような声が周囲に響き渡った。
「……今宵は嬉しい日。イヌエラお姉さまがご結婚をなさるのを祝う日だというのに、なぜこのような剣呑な雰囲気になっているのですか?」
バッシュはそれを見て、息を飲んだ。
(なんと……可憐な……)
それは、また美しい少女であった。
やや小柄ながらも、豊満な胸。男なら誰もがむしゃぶりつきたくなるような腰つき。
顔立ちはヒューマン、いやエルフに近いか。
細面には切れ長の目と小さな口が乗っかり、キツネに似た耳が生えている。
その立ち振舞からは、さながら、せせらぎのような清らかさを感じられた。
「シルヴィアーナ……来ているのです。その嬉しい日に、嬉しくない輩が……」
「そうよ」
「レト様を殺したあの男が」
「ええっ? ということは、こちらが『オークの英雄』バッシュ様なのですか……?」
シルヴィアーナ。
そう呼ばれた少女は口元を抑え、困惑気味にバッシュの方を見た。
そして、眉をハの字に曲げ、悲しそうに言った。
「しかし、お姉様。もう戦争は終わりました。確かに我々はオークに対し、レト叔父様を辱めた者たちに、憎しみを抱いて生きて参りました。しかし、私達はこのように聖地を復興させ、イヌエラ姉様はご結婚なさります。平和な時代なのです」
「まさか、あなたからそんな言葉が出てくるなんて……」
「バッシュ様も、遠路はるばるこちらまで来てくださり、イヌエラ様の結婚とビーストの栄光を祝ってくださっているのですから、私達も、寛大な心で彼を許すべきではないでしょうか」
「どうしてそう言えるのです?」
「服装を見れば」
そう言われ、人々はバッシュの服を見た。
確かに、彼はオークにあるまじき服装をしていた。
ビースト族の正装に身をまとい、酒がたっぷりと注がれたグラスを傾けつつ持っている。
グラスの中身は満杯で、恐らく、まだ一滴も飲んでいないのだろうことが見てとれた。
オークは酒を飲むと暴れる者も多いから、自制しているのだ。
誰が見てもわかる。
彼はあくまでビーストの第三姫の結婚を祝いにきたに過ぎないのだ、と。
「それとも、私達ビースト王族は、それすら許さないほどに、心が狭かったでしょうか?」
姫たちはシルヴィアーナの言葉に、やや呆然としているようだった。
シルヴィアーナはその様子を見て、くすりと笑い、
「それに」
スっと目を細め、バッシュの方を見る。
イマイチ話の流れがわからず困惑しているバッシュに、すすっと寄っていく。
「レト叔父様を殺したオークと聞いて、もっと醜悪な方を想像していましたが、男らしく誠実そうなお方ではありませんか」
そして、バッシュの逞しい腕に、ぴとりと手を付け、そっと寄り添い、言った。
「わたくし、一目惚れしてしまいましたわ」
バッシュに春が来た。