27.武神具祭 2日目 決勝戦
決勝戦。
本来であれば、観客はざわつき、期待に胸を膨らませている。
準決勝を勝ち残った二人の猛者が戦い、長い大会に終止符が打たれるのだ。
これほど興奮することは無い。
が、この年の決勝戦は異様に静かだった。
準決勝で、バラバラドバンガが見せた無様な戦い。
ここにいる観客のほとんどが、バラバラドバンガが普段どう戦っているのかを知っている。
ドワーフらしく、武具に頼り、真正面からどんな敵も打ち破っていく。
かつてのドラドラドバンガを彷彿とさせるような、そんな戦い方をする。
それがバラバラドバンガだ。
そんな男が、まるで新兵のように逃げ腰で、しかも逃げ切れず、自爆するかのように負けた。
誰一人として拍手をせず、動揺と困惑に包まれた。
だが、観客の一部は思うのだ。バラバラドバンガが臆病風に吹かれたとは思えない、と。
なぜなら彼は、この武神具祭のチャンピオンだったからだ。
去年、あらゆる敵を勇敢に倒していったのを憶えているからだ。
そして今年だって、バッシュとの戦い以外は、全てまともに戦ってきたじゃないか。
きっと彼には何か策があったのだ。
誰もがそう思いたかった。
そこまでしないと勝てなかった。
そこまでしても、及ばなかったのだ、と。
そんなオークに挑もうとしているのもまた、オーク。
前回大会において、奴隷の身にありながら準優勝を飾ったオーク。
ドンゾイ。
奴隷オーク随一の実力者。
左手に装備したバックラーを巧みに操る、奴隷闘技の人気者。
彼の強さを知る者は多い。
どこから武具を調達してきたのかはわからないし、控室にいる鍛冶師も何者かわからないが、今年の優勝候補の一人であるのは間違いない。
だが、それでも相手はバッシュ。
オークの英雄。
今までの二人の戦いを見比べて、ドンゾイが勝てると思っている者は皆無だ。
まぁ、強い者が勝つ。
それはいいだろう。
だが、バッシュの強さを目の当たりにした者、バッシュの異名を知るものは一様にこう思い、口を閉ざしていた。
(大人げない)
と。
まるで、子供の遊びに大人が混じったかのような、そんな錯覚すら受けるのだ。
無論、バッシュが参加してはいけないというルールはもちろん、不文律すら存在しなかったが……。
今、闘技場にいるのはドンゾイ一人。
もうしばらくすれば、武具修理の時間を終えたバッシュが、姿を現すだろう。
◆ ◆ ◆
バッシュが闘技場に到着した時、ドンゾイは目を閉じ、腕を組み、微動だにせず立っていた。
だが、バッシュが目の前まできたのを見ると、表情を曇らせた。
「バッシュ、どうして……」
困惑するドンゾイに、バッシュは言った。
「お前の求めるものはわかる」
もちろん、バッシュにはドンゾイが何のためにこの大会に出場し、何のためにバッシュに棄権を頼んだのかはわからない。
だが、バッシュとて、なんとなくわかる。
ドンゾイは何か欲しい物があって、この大会に出たのだ、と。
そして、優勝するために、敵対する者を遠ざけようとしたのだ、と。
ドンゾイの欲しいものとは何か。
それは恐らく名誉だろう、とバッシュは予想していた。
オークは、強さを誇示し、己の腕っぷしを誇りに思うものだ。
国を出て、捕まり、奴隷となった彼は、まさに名誉を奪われた状態。
名誉を取り戻す。
それには、この大会に優勝するのが一番なのだろう。
バッシュはそう思っていた。
まぁ、概ね間違っていないと言えるだろう。正解からは遠いが。
「だが、俺にも求めるものはある……俺は優勝したら、女を手に入れる」
その言葉に、ドンゾイの顔色が変わった。
まさかそんな、嘘だろ、と言わんばかりの顔。
女ならやると、そう約束したはずじゃないか。
そう思い、観客席の片隅を見やると、そこにはドンゾイの嫁であるドワーフ女が、固唾を飲んでこちらを見ていた。
バッシュもまた、そちらを見る。
「なぜだ……? どういうことなんだ、バッシュ」
バッシュはドンゾイへと視線を戻す。
ぶっちゃけた事を言うと、ドンゾイの嫁は、バッシュの好みではなかった。
いい女なのかもしれないが。
もっとも、問題はそこではない。
仮に、ドンゾイの嫁がめちゃくちゃ美人だったなら、この瞬間に心変わりした可能性もあるが、違う。
理由は2つ。
まず、バッシュはオークの英雄だ。
バッシュ自身は女なら誰でもいいと思っているが、やはり連れ帰るなら、英雄として恥ずかしくない女の方が望ましい。
はぐれオークであるドンゾイから奴隷の女をもらい、それを連れ帰ったら、オークキングへの顔向けができまい。
それともう一つ。
こちらの方が重要だ。
「ドンゾイ、お前にもオークとしての誇りがあるなら、望むものは戦って奪え」
「!?」
その言葉で、ドンゾイの心に稲妻のような衝撃が走った。
そうだ。その通りだ。
なぜ自分は、バッシュとの戦いを避けようとしていたのだろうか。
目的が同じだから。
最後は自分の手で決めて、自分の口で奴隷解放を宣言したいから。
それもある。
だが、それだけじゃない。
ドンゾイは心のどこかでこう思っていたのだ。
『バッシュには絶対に勝てない』
だから、戦う前から諦めていた。
昔は違った。
ブーダース中隊の全員が生きていた頃は、自分の方が強いと思っていた。
実際、昔は自分の方が強かった。
いずれ互角になり、抜かれた。
しかしその後も、喧嘩になれば負けないと思っていた。
いつしかバッシュは部隊一の戦士になり、いつしか国でもトップクラスの戦士になり……。
そして、ドンゾイが奴隷をやっている間に英雄だ。
今はもう、バッシュに勝てないことを、疑問にすら思わなくなっていた。
「……オークとしての誇り、か」
誇り。
そう、ドンゾイが取り戻したいのは誇りだ。
奴隷となり、失われてしまった、あの誇らしい気持ちだ。
奴隷になって、しばらく経って、飼い主のドワーフが口にした言葉を思い出す。
『オークには、戦いと女を与えておけばいい』
ドンゾイたちは貴重な奴隷だった。
闘技場に引っ張り出され、奴隷同士で戦い、観客に殺すか否かを決めさせるようになったのは、ごく最近だ。
地下闘技場で戦わされていた頃は、ナマクラの武器を用い、壊れやすい防具を身に着けさせられた。
武具が壊れれば決着。
武神具祭と同等のルール。
まず死ぬことのない、お遊戯のような決闘を、延々と続けさせられた。
あんなものがオーク同士の戦いであるものか。
オーク同士の決闘はもっとこう、魂で魂を拭い去るような、凄まじいものなのだ。
「そうだな。俺が間違っていた」
いつしかドンゾイは、心が弱っていたのかもしれない。
この苦しい状況を抜けたいと思うがあまり、最低のことを、英雄に頼んでいたのかもしれない。
「オーク同士の本当の決闘がいかなるものか、ドワーフ共に教えてやろう」
望むものは戦って奪う。
女も、自由も。
譲り、与えられるのではなく。
戦い、奪ってこそのオークだ。
オークとして誇りがあるなら、例え相手がバッシュでも、戦って勝ち、奪い取らなければならない。
またバッシュに教えられたな。
そう思いながら、ドンゾイは剣と盾を構える。
バッシュもまた、大剣を構える。
そして、
「グラアアァァァァォウ!」
闘技場に振動が走った。
震えた。
静まり返った。
同時に思い出した。
ドワーフ達は思い出したのだ。
闘技場で聞く、豚の唸り声のような、気の抜けたものではない。
戦争中、オークとの戦いで自分たちが聞いた、あの咆哮を。
戦場で感じた体の震え、そして恐怖を。
本物のウォークライを。
「グラアアアァァァァァァァァオオウ!」
二度目の振動はさらに大きい。
オークの英雄が放つウォークライは、闘技場の観客全てを恐怖させた。
同時に胸を踊らせた。
思えばバッシュは、この大会で一度たりともウォークライをしなかった。
あのバラバラドバンガとの戦いでさえ、本気ではなかった。
しかし違う。
この決勝、同じオークという場で、彼は本気を出すのだ。
歴戦の勇者たちがおしなべて口をつぐみ、顔を青ざめさせながらも、羨望の視線を送る、あの男が。
会場からどよめきと、興奮の声が湧き上がる。
それと同時に、オーク達は互いに一歩踏み出した。
二歩、三歩、走り出す。
防御など一切考えていないであろう突進。
ぶつかると同時に、腹の底に響くような重金属音が、コロシアムに響き渡る。
決勝戦が始まった。
◆ ◆ ◆
一撃で終わったと誰もが思った。
バッシュの神速の一撃がドンゾイへと放り込まれ、ドンゾイは数メートルふっとばされた。
終わっていない、そう気づいたのは、ドンゾイが足の裏から着地したからに他ならない。
ドンゾイはふっとばされた勢いのまま、2メートルほど足の裏で轍を作り、停止した。
あのバッシュの一撃を耐えた。
それが認識された途端、会場がざわめいた。
バッシュの一撃の重さを知る者が、感嘆の声を上げたのだ。
バラバラドバンガとの戦いを見ればわかる通り、バッシュの一撃に耐えうる防具は存在しない。
となれば、ドンゾイは左手に持つあの盾で受け流したに違いない。
だが、誰がドラゴンを真っ向から打ち破る一撃を受け流せるというのか。
凄まじい技量である。
「おい、あのドンゾイって男、戦争中はバッシュと同じ部隊にいたらしいぞ」
なんて誰かが言い出せば、会場は大盛りあがりだ。
バッシュと互角に戦える男がいる。
あっさり終わると思っていた試合が、バッシュが大人気なく優勝をさらっていくだけの大会が、わからなくなってきた、面白くなってきた、と。
「グラアアアアァァァ!」
ドンゾイが雄叫びを上げて、バッシュに突っ込んでいく。
オークらしい、蛮勇とも言える突進。
バッシュもそれを迎え撃つ。
大剣を構え、踏み込み、振りかぶり、時を置き去りにするような一撃をドンゾイへと見舞う。
衝撃波が、ぶわりと二人の周囲に土埃を舞い上がらせた。
ガイィィィン……と、金属音が反響する。
ドンゾイがふっとばされ、地面にまた轍が残る。
バッシュはもはや手加減などしていなかった。
これが決勝戦、もはや後先を考えなくてもいいというのはあるが、ドンゾイの放ったウォークライが、バッシュから手加減という言葉を消し去っていた。
今、行われているのはオークの決闘なのだ。
誇りと誇り、矜持と矜持のぶつかり合い。
オークの英雄たるバッシュが、手加減などするはずもなし。
だからこそ、ドンゾイも突っ込んでいく。
盾を右手に持ち替えて、剣を左手に握りしめて。
なぜ、と誰もが疑問に思った。
ドンゾイが右利きなのは、闘技場に通い詰めるドワーフなら誰でも知っていたからだ。
ただ、理由など、誰もが予想がついた。
ドンゾイの左腕の骨はすでに砕けていた。
オークは武器を投げ捨てない。
決闘であればなおさらだ。
捨てるにしても、盾が先だ。
利き手に持つのは武器が常套だ。
でもドンゾイは盾で行く。
己が得意な盾でいく。
盾を構えたまま愚直なまでに突進し、バッシュへと迫る。
「グラアアアァァァォォゥ!」
バッシュが構え、踏み込む。
「!」
だが一瞬だけ、その動きが鈍った。
次の瞬間、ドンゾイはバッシュの懐へと潜り込んでいた。
バッシュの大剣の間合いの内側。
片手で剣を操るドンゾイの必殺の間合い。
砕けた左手で突き出した剣は、バッシュの首筋の肉をえぐり、鮮血を飛び散らせた。
すぐさま、バッシュの膝蹴りがドンゾイを突き飛ばす。
またもや数メートルの距離が開く。
盾はベコベコだ。
湾曲した分厚い鉄の板は、もはや使い物にならないほどに凹んでいた。
バッシュの攻撃を三度も防いだのだ。
いくら受け流したからといっても、その全ての衝撃を無効化したわけではない。
二度の斬撃で、ドンゾイの左手の骨は砕けている。
一撃を流しただけで、右手の骨も軋んでいる。
だが、それでも剣と盾を握る手から、力は失われない。
痛みはある。
ドンゾイの手には激痛が走っている。
だが、ウォークライを放った戦士は、痛みなどで動きを鈍らせたりはしない。
「バッシュゥ!」
「ドンゾイ!」
バッシュが構えた。
今までとは違う構え、剣を逆手に持ち、肩に担いで投げつけるかのように、あるいはそのまま突き刺すかのように。
ドンゾイは構えを変えない。
今まで通り、盾に半身を隠しながら、まっすぐにバッシュへと向かっていく。
交差は一瞬。
音は長く響いた。
バッシュとドンゾイは、ぶつかりあった姿勢のまま、停止していた。
ドンゾイがふっとばされなかった。
バッシュは動いていない。
決着がついたのだと、誰もが理解した。
だが、どちらが勝ったのかは、誰にもわからなかった。
静寂の中、観客が聞いたのは、音叉が鳴っているかのような音だ。
ィィィン、ィィィン……と、断続的にその音は聞こえてくる。
どこからか。
いや、上だ。
観客が見上げた時、空から落ちてくるものがあった。
ドバンガ孔にポッカリと空いた竪穴の、光に反射しながら、銀色に輝く何かが落ちてくる。
それは闘技場のヘリにカンと当たると、大きく弧を描いてはねた。
それは闘技場の中央、バッシュとドンゾイの近くへと跳んでいき……サクリと音を立てて地面に刺さった。
剣だった。
いや、刀身とでも言うべきか。
剣の中ほどから先の刃が、地面から生えていた。
誰の?
と見れば、一目瞭然。
バッシュの剣が中程から折れていた。
対して、ドンゾイの手には剣は無い。
だが、探せばすぐに、闘技場の縁に突き刺さっているのが見えた。健在だ。
ドンゾイの盾は、今にも真っ二つに割れそうなほどだが、まだ原型を保っている。やはり健在。
バッシュの剣だけが、壊れていた。
「しょ、勝者……ドンゾイィィィ!」
審判の声が響き渡り、武神具祭の勝者が決定した。
◆ ◆ ◆
数分後。
ドンゾイは狐につままれたような気持ちで闘技場の中央に立っていた。
バッシュの姿はもうない。
敗者は去り、勝者だけが残ったのだ。
だが、勝ったという感覚が薄かった。
相手はあのバッシュだ。
ドンゾイが捕虜になる直前には、すでに部隊内で勝てる者などいなかった。
いずれ英雄になるであろうと噂され、そして英雄になった、あのバッシュにだ。
戦っている最中に感じたのは、歴然たる力量差だ。
斬撃を受け流してなお砕ける左腕。
懐に入って、首筋をえぐって、なお止まらぬ胆力と突進力。
最後の一撃にしてもそうだ。
バッシュなら、剣を折らずとも、ドンゾイを屠る方法があったはずだ。
いや、その前の交差……。
バッシュの懐に入れた時からおかしかった。
そう、入れたのだ。あのバッシュの懐に。
スピードに特化したビーストの戦士たちですら、入ることができなかった、バッシュの懐に。
手加減されていたのだろう、とドンゾイは思った。
といっても、ドンゾイを勝たせるつもりはなかったはずだ。
斬撃は重く、受け流しに成功しなければ、即死しかねなかった。
ある程度の手加減をして、ドンゾイがそれを上回るのであれば、身を引く、そう考えていたのだろう。
本来ならば屈辱的であるが、不思議とドンゾイは嫌な気持ちにはならなかった。
なぜならば、先のバッシュは去年戦った王者……今年こそはとリベンジに燃えた相手、バラバラドバンガより強かったからだ。
言葉通り、バッシュは本物のオークの決闘を観客に見せつけた。
オークの誇りを守った。
その上で、ドンゾイに勝ちを譲ったのだ。
全てを理解した上で。
かつてのバッシュであれば、そんなことは出来なかっただろう。
あっさりとドンゾイを打ちのめし、勝者として君臨したはずだ。
最後に別れた時は、まだガキ臭さが抜けていない所があった。
だが、もう違うのだろう。
ドンゾイが奴隷として停滞している間に、バッシュは着々と成長し、内実共に英雄となったのだ。
「優勝者ドンゾイよ!」
ドンゾイは顔を上げる。
いつしか、ドワーフの王が闘技場の貴賓席に座り、こちらを見下ろしていた。
「さぁ、願いを言うがいい!」
いや、違う。
きっとこれは勝ちを譲られたわけではないのだ。
ドンゾイはオークの英雄より試練を与えられ、それを乗り越えたのだ。
だから胸を張って、ドンゾイは口を開く。
己が手で、成し遂げるために。
「この地における、全ての奴隷の解放を!」
こうして、ドンゾイは解放された。
ドバンガ孔に囚われていた、全ての奴隷オークと共に。