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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第三章 ドワーフの国 ドバンガ孔編
26/103

25.未熟者と奴隷

 武神具祭3回戦突破。

 それは非常に名誉なことの一つだ。

 闘士は己の力を、鍛冶師は己の腕をそれぞれ証明できたと言える。

 ドバンガ孔においては、そういうものだ。

 少なくとも、数年は自慢できる。


「……」


 だが、プリメラの心は晴れやかとは言いがたかった。

 確かに、目的は達成された。

 3回戦。

 自分の作った武具を身にまとった闘士が、姉の作った武具を身にまとった闘士を倒した。


 どうだ、みたか、あたしの方が上なんだ。

 もう二度とできそこないのミソッカスだなんて言わせない。


 そんな気持ちになると思っていた。

 だが、まったくならなかった。


(……)


 一日の戦いを終え、自分の工房に戻ってきたプリメラは、難しい顔をしていた。


 彼女の手にあるのは、バッシュが試合で使った剣だ。

 3試合を越えてきた剣。

 それは当然のように……まっすぐに伸び、切っ先が鈍く輝いていた。

 今までのように曲がってはいない。

 それどころか、刃こぼれすらしていない。

 自分の腕が上達したから、丹精込めた一本だから曲がらなかった?


 違う。


 プリメラは作業台の上に置いた、篭手に目をつける。

 そこには、ひしゃげてグシャグシャになった篭手があった。

 手首と拳を守るための篭手。

 当然、バッシュに合わせてかなり分厚く、頑丈に作ってある。

 予選では、金具が緩むことはあれども、傷が付いたことはなかった。


 だが、今、篭手を構成する鉄はひしゃげ、破れていた。

 まるで、何かが高速でぶち当たってきたかのような壊れ方。


(篭手で相手を、殴ったんだ)


 バッシュは剣を使わなかった。

 それが証拠に、1回戦でも直したのは剣ではなく篭手だった。

 ゴルゴルの大剣を篭手で殴り折って勝利したのだ。


(工夫しろとは言ったけど……)


 鎧で相手をぶん殴る。

 ルール的には限りなくグレーだ。

 今大会では、武器は剣だけが許されている。

 形状を固定することで、強度を一定に保つのが目的だ。

 当然、試合中に別の武器を扱うのはルール違反。鎧を武器として使うのは、反則となる。


 とはいえ、激しいつばぜり合いにでもなれば、剣だけでの攻撃では済まない場合も出てくる。

 肘打ちや膝蹴り、頭突きをとっさに出す選手も大勢いる。

 それら全てに反則を取るほど、ドワーフの武闘会は繊細ではない。

 つまり、鎧で殴ること自体は大丈夫なのだ。

 もちろん、あからさまな武器の形状をした鎧であれば、失格となるが……。

 プリメラの打った鎧はスタンダードな形をしているため、その心配はない。


 とはいえ、鎧は鎧だ。

 こんな使い方は想定していない。修繕はできるが、完璧に元通りとはいかない。

 いずれ限界を迎え、壊れてしまうだろう。

 剣は使われず、鎧は想定外の使い方をされる。

 鍛冶師として、これほど屈辱なことはない。

 さすがに、これで勝ち誇れるほど、プリメラは阿呆ではなかった。


「?」


 と、その時、工房の扉を叩く者がいた。

 コンコンと、遠慮がちに叩かれる扉。

 バッシュとゼルは祝勝会と称して酒場に飲みにいっている。

 帰ってきたにしては、少々早い。

 ドワーフ同様、オークも酒好きのはずだし、日が変わるぐらいまでは飲んでいるはずだ。


 そう思った所で、プリメラは体を固くした。

 明日の決勝トーナメントで当たるであろう、トップ8の面々。

 そこには、ドバンガ一族の長男であるバラバラドバンガの名前もあった。

 まさか、彼を勝たせるため、ドバンガ一族の誰かが刺客を送り込んできたのでは……。


(いや、それならノックはしないか)


 が、プリメラはすぐに首を振った。

 妨害なら、もっと派手にやるだろう。

 扉を蹴破り、プリメラの工房を破壊し尽くし、意気揚々と帰っていく。

 それぐらいのことはするはずだ。


 そう思い、プリメラは無警戒に扉を開けた。


「……!」


 すると、そこには予想だにしない人物が立っていた。

 いや、予想していなかったと言えば嘘になるだろう。

 彼女は、夢想していたのだから。

 武神具祭に出て、目にもの見せてやって、自分をバカにしていた奴が、涙を流して膝をつき、謝るのを。


「姉さん……」

「よぉ……」


 そこにいたのは、カルメラドバンガ。

 姉だった。

 もっとも、彼女は膝などついてはいなかったが。

 彼女は居づらそうな表情で、腕を組んで立っていた。


「何しにきたのさ」

「まぁ……なんだ。言いたいことはあるけど、結果は出たからね」


 三回戦の相手。

 ビーストの戦士コロ。

 バッシュが一撃で殴り倒した相手。

 カルメラは2日目に残れず、プリメラは残っている。

 それが結果だ。


「今まで、悪かったよ。あんたのこと、見くびりすぎてたみたいだ」


 カルメラはそう言って腰に下げた酒瓶を、プリメラへと差し出した。

 謝罪と賛辞は酒と共に。ドワーフの常識だ。

 この酒を受け取れば、プリメラは謝罪を受け入れたことになる。


「……」


 しかし、プリメラは酒に手を伸ばせなかった。


「やっぱり、許しちゃくれないのかい?」


 苦笑いしつつ、酒を引っ込めるカルメラ。

 その手を、プリメラは抑えた。


「……」


 プリメラの心境は複雑だった。

 自分は、確かにこの瞬間を望んでいたはずだった。

 この酒瓶を受け取り、「もう二度と母さんの悪口を言うんじゃないよ」と言い放つのが夢だったはずだ。

 けど、プリメラの手は動かない。


「ともあれ、ベスト8進出おめでとう」

「うん……」

「なんだい、もっと喜んでるかと思ったのに、シケた顔だね」


 確かに、バッシュはコロに……姉の闘士に勝った。

 じゃあ、それはプリメラの勝利といえるのか?

 言えるわけがない。

 剣は曲がる、鎧はひしゃげる。


 バッシュの快進撃を見ていればわかる。

 バッシュは手加減している。

 優勝を目指し、精一杯、武具を傷つけないように、力を加減して、敵を打倒している。

 武具とは、己を傷つけないために身につけるもののはずなのに。


 恥ずべきことだとプリメラは思う。

 己の打った鎧を気遣われる鍛冶師が、どこにいるものか。


「もう行ってよ……」

「……はぁ、まーた不貞腐れてるのかい? それだから未熟だって言うんだよ。そりゃ、一流の戦士に武具を作るのは難しいさ。あのバッシュって戦士がどれほど有名かはあたしは知らないけどね、試合を見てりゃトップクラスなのはわかる。親父が他のドワーフの武具に満足できなかったみたいに、並の武具じゃ一流の戦士は満足するどころか……」

「いいから行けよ!」


 プリメラに突き飛ばされ、カルメラは数歩ほどたたらを踏んだ。


「あんたはそれだから……!」


 怒りから非難しようとしたカルメラは、息を飲んだ。

 プリメラの目から涙がこぼれ落ちていたのだ。

 思えば、プリメラはあまり泣かない子だった。

 何を言われても、歯を食いしばって怒ったり、虚勢を張ったりするばかりで、泣くことはなかった。


「……わかった。あたしはもう行くよ」


 カルメラはそういうと、踵を返した。

 しかし数歩進んで、ふと立ち止まった。


「けどね、プリメラ。あんた、そろそろ認めないと、ダメになるよ……」


 最後に言い残し、彼女は去っていった。


 プリメラはそれを見送ることすらせず、工房に戻り、立ち尽くした。

 目の前には、壊れた右篭手と、修繕の痕が色濃く残る左篭手がある。

 それと、恐らくバッシュが振れば曲がるであろう、幅広の大剣が。


「どうすりゃいいんだよ」


 プリメラは鼻を啜り、そう呟いた。


◆ ◆ ◆


 その頃、バッシュは酒場にいた。

 本戦の一日目を無事に通過できたことで、ゼルと一緒にささやかな祝杯を上げていた。

 戦士にとって、戦いの勝利後の飲み会は何より重要だ。

 勝利とは喜ばしいものなのだから、喜ばなければ嘘なのだ。

 オークの場合、本来ならそこに女を思う様に犯しまくることも含まれるのだが……。

 それは、二日目の優勝の後に取っておけばいい。

 なにせ、明日勝利すれば、合法的に嫁を手に入れ、ヤリ放題の毎日が待っているのだから。


「そこで旦那の登場っす! 旦那は到着すると、周囲をじっと見渡した……倒れる仲間、粋がる敵兵。旦那が黙っているわけがない! 吠える旦那! 弾け飛ぶ敵兵! 燃え尽きるほどのヒート!」

「おおぉぉ~!」


 バッシュの席では、ゼルが演劇を行っていた。

 テーブルナイフを両手に持ったゼルが、右にいっては牛のもも肉の塊を切りつけ、左にいっては豚の燻製にナイフを突き立てる。

 それを見て、周囲の男たちが喝采を上げている。

 もっとも、男たちの視線はゼルというより、ゼルの話の内容、引いてはバッシュの方に向けられている。


 戦争の英雄は数いれど、バッシュは特別だ。生きた伝説と言っても過言ではない。

 そんな人物と酒の席を共にできるなど、滅多にないことなのだ。

 バッシュの周囲には様々な種族がいた。

 ドワーフはもちろん、ヒューマンやビーストの姿も見て取れる。

 武神具祭でバッシュに敗北したオーガのゴルゴルや、ビーストのコロも、当然のようにゼルの語る武勇伝に耳を傾けていた。

 バッシュの武勇伝、出てくる敵兵とはすなわち自分たちの身内だったかもしれない者なのだが、気にする者はこの場にはいない。

 こういう武勇伝に出てくる敵というのは、いつだってただの『敵兵』なのだから。

 そう割り切れない者は、そもそもバッシュに近付こうとはしないだろう。


「……」


 バッシュは酒をがぶがぶと飲みつつも、難しい顔でだんまりを続けている。

 怒っているわけではない。

 内心は冷や汗をかいている。

 いつ女性遍歴を聞かれるのかと戦々恐々している。

 オークの祝宴なら、必ず聞かれる項目だから。


 ちなみに、他種族でそんなことを気にする者はそう多くはない。

 まぁいるにはいるが、サキュバスでもあるまいに、滅多にないこの機会に、わざわざそんな下世話なことを聞く者はいまい。


 そして周囲にいる者は、そんなバッシュの態度が、実に硬派なものに見えている。

 戦争の英雄と言えば、大した成果も上げていないのに自慢話をする者ばかりだ。

 もちろん、中には大層な実績を残した者もいるにはいるが、ここにいるほとんどの者は、そうした話は聞き飽きている。

 なんなら、自分の方が実績を残しているぐらいである。

 眼の前にいるのは、自分より明らかにすごいことを成し遂げた人物。

 偽物でないことは、今日の試合を見れば明らかだ。

 だというのに、多く語らず。

 時にゼルから振られる「あれは、いつの戦いでしたっけ?」とか「確か、あの時の敵は五百人以上いたっすよね!」という問いに、「アーロゲン湿地での戦いだ」とか「そんなにはいない。五十人程度だった」と答える程度。

 そして、時折バッシュの戦いを知る者が「俺、その戦い見てた」とか「知ってるぞ、その話」と言う度に、ゼルの演劇の信憑性がましていく。

 彼らはバッシュが伝説の男であることを確信する。

 俺たちは今、すごい男と一緒に酒を飲んでいるぞ、と。


「おっと、もうこんな時間だ。旦那、そろそろ帰りましょう。旦那は一年ぐらい寝なくても大丈夫っすけど、明日も試合があるっすからね。万全な体調で臨まないと」

「そうだな」


 ゼルの言葉でバッシュは立ち上がった。

 ちやほやされるのは嫌いではないが、目的があってここにいる。

 この場に美女の一人や二人でもいれば話は別だが、今は試合に集中したい。

 優勝できるかできないか。

 そこには天と地ほどの差がある。

 バッシュが挑むのは完全なゼロサムゲームなのだ。

 今まで寝不足で敗北したことなど一度もないが、負けそうな理由は、少しでも排除しておきたかった。


「おい、バッシュさんがお帰りになるぞ!」

「ここの勘定は俺が!」

「馬鹿! 俺がバッシュさんに奢るんだよ!」

「いや、俺が……!」


 男たちが英雄に奢るという名誉を手に入れんとするため争い出したのを尻目に、バッシュは店から出た。



 もう夜も遅い。

 というのに、祭りというだけあって、通りには人が溢れていた。

 バッシュは人混みを縫いつつ、プリメラの工房へと歩き始めた。

 気分はいい。

 勝利の美酒は気分を高揚させ、足取りを軽くしてくれる。

 もっとも、本当の勝利は今ではない。

 明日である。

 優勝すれば、バッシュは嫁を手に入れる。

 明日のこの時間を思えば、バッシュの足取りは天にも登らんばかりだ。


 とはいえ、油断は禁物である。

 バッシュは気を引き締めて帰路へと急ぎ……。


 ふと、腕を取られた。


「!?」


 一瞬にして路地裏へと引きずり込まれる。


 とはいえ、相手はバッシュだ。

 唐突に引っ張られたにもかかわらず、バランスを崩すことなく、犯人の前へと仁王立ちとなった。


「誰だ!」


 バッシュの腕を掴んでいたのは、フードを目深にかぶった男だった。

 バッシュはその立ち振舞いだけで、彼が歴戦の戦士だと看破した。

 その腕は太く、バッシュと同等かそれ以上。

 重心は低く、そう簡単には倒れまい。

 だが、目についたのはそこだけではない。

 彼の足についている鎖、そして鎖の先につながっている、ヒューマンの頭ぐらいはあるであろう鉄球だ。


 奴隷なのだ、彼は。


「開会式で見た時はまさかと思ったが、やっぱてめぇかよ、バッシュゥ!」


 フードの男はそう言うと、ゆっくりとフードを上げた。

 その下に現れた顔。

 それはバッシュとよく似ていた。

 緑色の肌に、むき出しの牙。


 オークだ。


 一般的なグリーンオーク。

 色合いはバッシュよりやや濃いが、それ以上にやけどの痕が目立つ顔。

 よく見れば、バッシュを掴んでいる左手には、薬指と小指が無い。

 その顔にも、その手にも……いや、それ以前に、バッシュはその声にも聞き覚えがあった。

 間違いない。


「まさか、ドンゾイか?」

「ああ、ドンゾイ様だ!」

「まさか、死んだと思っていたぞ!」

「お生憎様、生きてたさ、ずっとな!」


 ドンゾイが死んだのは、ドバンガ孔の戦いの時だった。

 といっても、死体を確認したわけではない。

 当時、七種族連合は連敗を続け、バッシュたちも幾度となく敗北しつづけた。

 その際、仲間は一人、また一人といなくなっていった。

 ドンゾイがいなくなったのも、確かその時だ。


 戦場で仲間がいなくなるというのは、死亡と同義である。

 勇敢なオークの戦士が、戦場から逃げて帰ってこないなどありえないのだから。


「ドンゾイの旦那じゃないっすかぁ! お久しぶりっすねぇ!」

「ハハッ、ゼルも一緒か!」


 だが、オークというのは雑な種族だ。

 仮に部隊とはぐれても、別の氏族に合流できれば、その氏族の別の部隊に編入されることもある。

 そして後日、元の部隊の仲間とバッタリ出会って「生きとったんかワレェ!」と再会を喜ぶのだ。


「お前らも元気そうじゃねえか、え、バッシュよ。今は『英雄(ヒーロー)』なんて呼ばれてんのか? お前にピッタリだなぁオイ!」

「ああ、いや、うむ……」


 バッシュはそこで、ドンゾイの足についた鎖を見た。

 よく見れば、ドンゾイは首にも太い鉄輪がついている。

 奴隷なのだ。


 オークが出奔し、外国で悪さをして捕まり、奴隷になる。

 先日、闘技場で戦っているオークのよう……いや、今思えばあれもドンゾイか。

 バッシュは闘技場で戦うドンゾイを見て、掟を破ったオークの末路としてふさわしいと言い切った。

 その気持ちは、今も変わらない。

 だが、ドンゾイはそんなオークではなかったはずだ。

 用意周到で工夫を怠らない男だが、勇敢な戦士には違いなく、戦いに身を投じることを誇りに思う男だ。

 オークキングの命に逆らうほどの愚か者ではなかったはず。


「……なぜ、そうなっている?」

「ああ、これか……情けねえ話だが、こりゃ俺たちの……いや、俺の力不足だ」


 バッシュの問いに対しドンゾイが見せたのは、申し訳なさそうな、そして悔しそうな表情だった。

 しかし、その表情はすぐに消えた。


「けど、今年はなんとかなる。安心しな。オークの誇りをこれ以上は汚させねえよ。オークキングの名にかけてな」

「……」


 バッシュにはイマイチ、その言葉の意味がわからなかった。

 だが、オークキングの名前まで出したのだ。

 きっとドンゾイもはぐれとなったことを後悔し、奴隷になり、あのような恥ずかしい戦いを見世物のようにされるに至り、反省したのだろうと推測できた。

 ならば、バッシュは許すつもりだった。

 同じ小隊で生死を共にした戦友として、幾度となく命を助け合ってきた仲なのだから。

 なんなら、国に戻り、オークキングにとりなしてやることもできた。


「そういうお前は、なんでこんな所に……なんて、聞くまでもねえか。悪いな。迷惑掛けちまって」

「いや、迷惑などではないが……」

「お前ならそう言うと思ったぜ、やっぱりお前は、俺たちブーダーズ中隊の誇りだぜ!」


 バッシュを手放しで褒めるドンゾイだったが、そこでもう一度、申し訳なさそうな顔をした。


「でもなバッシュ。せっかく来てくれて悪いんだが……明日の試合、このままいきゃあ、俺たちは決勝戦で当たっちまう」

「そうなのか。だが、それがどうした?」

「言いにくいんだが……」


 ドンゾイは言うべきかどうか、迷った表情をしていた。

 だが、意を決するようにバッシュを見ると、言い放った。


「明日の試合、負けてくれねえか?」

「なに?」

「いや、オークの英雄たるお前を、俺なんかに負けさせるわけにはいかねえな。会場に来てくれないだけでいい」

「……なぜだ? なぜそんなことを?」

「なぜ? おいおい、俺の口からそんなことまで言わせる気かよ。勘弁してくれ。俺にだって、プライドってもんがあるんだぜ? お前と比べりゃあ、ちんけなものかもしれねえけどよ」


 ドンゾイは苦笑しながらそう言った。答えてくれる気はないらしい。

 わざと負ける。

 わざと試合に出ない。

 しようと思えば、出来ないことはない。

 臆病風に吹かれたと思われるのは癪だし、己の名誉に傷も付くとは思う。

 だが、かつての戦友のたっての頼みであるならば、それを許容するだけの度量がバッシュにはある。


「しかし、俺も目的があってここに来ている」

「ああ、みなまで言うな、わかってるさ。臆病風に吹かれて逃げ出したなんて、誰にも絶対に言わせねえ。お前の誇りは俺たち全員が守ってやるし、礼も後でちゃんとする。ああそうだ、なんだったら、俺の女をやろうか?」

「……待て。奴隷なのに女を与えられているのか?」

「ああ、ああ、これまた奴隷の女だがな。エリンディって名前で……まぁ、いい女だ。体は健康で、もう三人も産んでる……無事に帰れたら嫁にでもしようと思ってたが、ま、お前にやるなら惜しくねえ」


 バッシュは仏頂面をしたと思う。

 バッシュとてオーク。

 英雄とはいえ、人並みに嫉妬することもある。

 反省しているとはいえ、オークキングの掟を破り、奴隷に落ちぶれる輩に嫁がいて、なぜ自分には未だにいないのか。


「……うーむ」


 しかし、悪くない提案ではあった。


 オークが嘘を付くことは無い。

 ドンゾイがいい女だと言うのなら、それはもういい女なのだろう。

 わざわざ武神具祭で優勝しなくても、いい女を確実に手に入れることができるのであれば、それに越したことはない。

 ドンゾイは己の目的を達成し、バッシュも女を手に入れることができる。

 まさにWINWINの関係だ。


 ドンゾイが何を企んでいるのかはわからないが、聞く限りでは、バッシュには何の損も無い。

 プリメラの方も目的を達成したようだし、棄権しても問題なかろう。

 だが……。


「来てもらってこんなことを頼むなんて、失礼は承知の上だ。けど……頼むぜ。最後は俺自身の手でやり遂げてえんだ」


 ドンゾイは本当に申し訳なさそうにそう言うと、路地裏の奥へと消えていった。

 鉄球を引きずる音だけが、路地裏に長く残った。


「旦那、どうするんすか?」

「……」


 バッシュは答えない。

 ただ、難しい顔で立ち尽くし、ドンゾイの消えた方を見続けたのだった。


◆ ◆ ◆


 深夜。


 帰ってきたバッシュが眠った後も、プリメラは工房にいた。

 ドワーフは全種族中、もっとも睡眠を必要としない種族である。

 特に鍛冶をしている最中は、火と土の精霊から力をもらうため、七日七晩寝ずの作業に耐えられるほどだ。

 プリメラもハーフヒューマンとはいえ、徹夜をするのは問題なかった。


 彼女の目の前にあるのは、修繕の完了した篭手、それと剣である。

 やはり今のままではダメだと思い、ずっと剣の打ち直しをしていたのだ。


「くそっ……これじゃダメだ。コレじゃ……」


 また一本。

 鉄塊のような剣を、プリメラは放り投げた。

 ガランと工房の隅へと転がっていく。

 今までであれば、あの剣で満足していただろう。

 別段、悪いところがあるわけではない。

 切れ味は抜群だし、耐久度も十分にある。

 少なくともプリメラはそう思っている。


 だが、バッシュに使わせるには、決勝トーナメントで勝ち残るには、あの剣ではまずい。

 今までと同じように、折れ曲がるか、あるいは戦いの途中でポッキリ折れるだろう。

 それをバッシュのせいだとなじるのは簡単だが、なじった所で、勝利が舞い込んでくるわけではない。

 決勝トーナメントで戦うことになるのは、今までよりさらに格上の猛者たちだ。

 闘士もまた、武神具祭の常連で。

 武神具祭の戦い抜き方を心得ている者ばかりのはずだ。


 となれば、例えばバッシュが武具をうまく扱えていないことを悟られ、武具を重点的に狙われたり、長期戦に持ち込まれたりして、武具を破壊され、敗北を喫することも十分にありえる。

 武具破壊による敗北。

 それはバッシュの敗北ではない。

 プリメラの敗北だ。


「……ふー」


 プリメラは苛立ちの籠もった息を吐く。

 どうすれば、バッシュが使っても曲がらないような剣が打てるのかわからない。

 プリメラは、ドワーフらしく、小さな頃から鍛冶をやってきた。

 基本的な技術は全て叩き込まれたし、筋がいいと褒められたこともあった。

 独自の製法だって、いくつも開発した。

 他のドワーフが見向きもしないような斬新な素材を使って、武具を作ったこともある。

 鍛冶の腕なら、負けないつもりなのだ。誰にも。


 しかし、それでもわからない。

 どうすれば、バッシュに耐えうる剣が打てるのか……。


 プリメラは手を休め、じっと炎を見る。

 炎のパチパチと燃える音と、倉庫から聞こえるバッシュのいびきが場を支配する。


(こういう時、昔はどうしていたっけ……)


 プリメラはふと、そう思い、そして思い出した。

 そうだ。

 昔は、お手本を見て、それを参考にしていたな、と。

 産まれた家にはドラドラドバンガが残した、習作がいくつか転がっていたのだ。


「あ」


 そこで、プリメラはあることに気がついた。

 なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか。

 そうだ。

 あるじゃないか。そこに。


 ――お手本が。


 彼女は立ち上がり、フラフラと、何かに取り憑かれたかのようにある場所を目指した。

 それは、倉庫。

 そこでは、バッシュとゼルが寝泊まりしている。

 ろうそくを片手に静かに扉を開けると、小さな倉庫に、窮屈そうに横になるオークの姿があった。

 いびきはかいていない。静かなものだ。


 プリメラは、バッシュのすぐ脇に目的のものがあるのを確認し、抜き足差し足忍び足、バレないように、こっそりとソレを持ち上げた。

 ずっしりと重かった。


 プリメラはまた忍び足でバッシュから離れると、工房へと戻った。

 炉の明かりで、持ってきたソレをまじまじと見る。


 剣だ。


 どこにでもありそうな、鉄色をした金属の、装飾がない無骨な剣。

 大きさはオークなどの、やや大型の種族が使うことを想定しているのか、プリメラの手には余る。

 重量はプリメラが打った剣よりも遥かに重い。

 しかし、不思議と簡単に持ち上げ、構えることが出来た。

 重心が、信じられないほどに整っているのだ。

 さらにプリメラは、光を当て、まじまじと刀身を見た。


 喉がゴクリと鳴った。


「綺麗……」


 なんと、美しい刀身なのだろうか、とプリメラは思った。

 特別な刃紋があるわけではない。

 キラキラと輝いているわけでもない。

 見るものが見なければ、鋳造の剣と対して変わらないようにも見えるかもしれない。

 だが、違う。

 これは丁寧に何度も何度も、鍛造を繰り返された刀身だ。

 基本に忠実に、ただただ愚直に忠実に、圧倒的な精度と練度で打たれた刀身。


 とはいえ、きっと切れ味は大したことがあるまい。

 でも鉄が誇らしげに見えた。

 俺たちは絶対に折れないと、確信しているかのようにすら感じた。


 どうやら、破壊不能のエンチャントが施されているようだが、そんなものはおまけに過ぎない。

 この剣は、曲がらない。

 あるいは数百という戦場を超えて、ようやく役目を終えるかもしれないが、少なくとも、一度や二度の戦場では曲がらない

 どんなヘタクソが使っても、どんな膂力の持ち主が使っても……。


「……」


 プリメラは剣を鞘へと戻した。

 そして、先程投げた、自分の作った剣を拾い上げる。

 見比べる、バッシュの剣と。

 どちらがよりよいものかなど、一目瞭然だ。

 見比べるまでもない。


 さらに、プリメラは、数日前にバッシュが曲げた剣を手に取った。

 剣の曲がり方をもう一度、よく確認する。

 刀身は、曲刀のように反っている。

 根本から曲がり始め、剣先に行くに連れて反りが大きくなっている。

 その湾曲は柄まで達し、剣全体が三日月のようにしなっている。

 綺麗な曲がり方だ。


 こんな曲がり方、あるとするなら……。


 プリメラは眉根を寄せる。

 自然と顔に力が入る。

 目尻がジワリと熱くなる。


 薄々そうじゃないかとは思っていたのだ。


 自分の打った剣が曲がるとするなら、持ち手が未熟以外にないと、そう信じていた。


 けど……違う。

 違うのだ。


 この曲がり方は、剣に一切の無理が掛かっていない。

 剣全体に無駄なく均等に力が分配されている。

 刃筋も立っている。横ではなく、縦に力が伝わっている。

 だから、横には一切曲がっていない。


 きっと、名うての剣士であれば、こんな使い方はすまい。

 これではむしろ、切れ味が落ちるかもしれない。

 つまり、この剣の使い手は、剣を労ったのだ。

 折れないように、曲がらないように、さりとて相手を倒せる膂力でもって。

 丁寧に敵を斬ったのだ。


『そうしているつもりなのだがな』


 曲げた男の声が、脳裏にこだました。

 剣を無駄なく使って、刃筋をしっかりと立てて、にもかかわらず、曲がる。

 つまりそれは……。


「……」


 わかっていた。

 本当は最初から、わかっていた。

 兄や姉に、お前にはまだ早い、未熟だと言われ、そうじゃないと否定してきたが、気づいていた。

 自分に言い聞かせてきただけだ。

 自分を騙してきただけなのだ。


 でも、もう認めざるをえなかった。

 名剣を手に取り、自分の駄剣を見比べて……。

 現実を突きつけられて。


「あたし、未熟なんだ」


 プリメラの頬から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。

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― 新着の感想 ―
[一言] キャラが成長する描写ホントに上手くて最高です…
[一言] 普通に技術あるやんバッシュ…
[良い点] 燃え尽きるほどのヒート! ふるえるぞハート! それにしてもついにプリメラは気づいたんですね。 己に向き合うことは大事ですね。 えらい!
感想一覧
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