24.武神具祭 本戦1日目
本戦開始直前、控室。
そこでは、プリメラがイライラした面持ちでバッシュと相対していた。
「いいか、本戦用の武器は、いつもより気合を入れて作ったつもりだ。けど、多分あんたの膂力じゃ長くは持たない。もう刃筋を立てろとか言わないから。あんたの方で何か、長持ちさせるようなうまい方法を考えてくれ」
「わかった」
本戦では、闘士と鍛冶師にはそれぞれ専用の控室が与えられる。
控室には炉と金床があり、簡易的な鍛冶ができるようになっている。
大会ではこれらを使い、ダメージを受けた武具を修理することが許されている。
ただし、修理に掛けられる時間はそれほど長くない。
闘士の試合が終わり、次の試合が始まるまで。
一回戦は32試合と非常に長いが、勝ち進むにつれて試合数が減っていくため、修理にかけられる時間も短くなる。
当然、分解整備をしたり、一からパーツを作り出す時間は無い。
もちろん、一日で全ての試合が行われるわけではない。
1日目に3試合を行いベスト8を決め、2日目の3試合で優勝者が決まる。
たった3試合。とはいえ、歴戦の戦士が本気で撃ち合う試合だ。武具には相当な負荷がかかる。
簡易的な修理で、試合をもたせる。
それが鍛冶師の本戦での戦いとも言えよう。
「とにかく、今日の三試合を乗り切らなきゃ、優勝なんて夢のまた夢なんだからな……」
プリメラは自信がなかった。
剣は、渾身の一振りを打ったつもりだ。
本戦の始まる数日を使い、丁寧に打ち出した。
予選で使っていたものより、遥かに頑丈なものを用意できたと自負している。
だが、大会参加前の、あの根拠のない自信はわいてこない。
幾度となく、剣が曲がり、その原因もわからないとなれば当然だ。
「なんとかしよう」
バッシュは剣を手にし、二、三度軽く振ると、そう言った。
脇では、ゼルが匠の顔でうなずいている。
この剣は儂が育てたとでも言わんばかりだ。
と、そこでプリメラは、ゼルに目をやった。
「ゼル。あんたはいつまでそこにいるんだい?」
「えっ!? なんすかいきなり!? いちゃいけないんすか!?」
「ああ、いちゃいけないね」
「なんで!? オレっちは仲間はずれっすか? そりゃないっすよ! 今まで三人で頑張ってきたのに! え? オレっちは何もやってない? やってるっすよ!? 例えば……おや? その手、ちょっと違和感ないっすか? そう、昨晩頑張りすぎて火傷したじゃないっすか? あれれ、なのに今日は綺麗っすね? すべすべお手々っすね? なんで? なんでっすか!? あ、そうか! オレっちが治したからだ! ほら役に立ってる!」
「ああ、うん。その件はありがとう。感謝してるよ。でも、この控室はルール上、闘士と鍛冶師以外は立入禁止なんだよ」
「あ、そなんすか」
そう、この控室は闘士と鍛冶師以外、立入禁止なのである。
いかにゼルが空から飛んで入ったのだと主張したところで、ダメなものはダメである。
まして治癒効果のある粉を撒き散らすフェアリーだ。
見つかれば一発でバッシュとプリメラは失格となるだろう。
「うー……わかったっすよ。じゃあオレっちは観客席で旦那の勇姿を見守らせてもらうっす。旦那、ファイトっすよ!」
「うむ」
ゼルがふよふよと飛んで控室から出ていく。
残されたのは、バッシュとプリメラ。
バッシュの視線は当然のようにプリメラに釘付けだ。
プリメラは、鍛冶仕事に備え、薄着である。
大きな胸の谷間がチラチラと見え隠れし、バッシュの童貞心に火をつける。
「な、なにさ。ジロジロみて……」
「安心しろ。見ているだけだ。オークキングの名において、異種族との同意なき性交は禁じられているからな」
「うぅ……まぁ、見るぐらいならいいけどさ……あ、あたしなんか、あんま可愛くないだろ?」
「そんなことはない」
「そ、そうかよ……け、結構趣味悪いんだな」
プリメラは悪い気はしなかった。
思えば、プリメラが生まれて十数年。
ハーフヒューマンということで、ドワーフの美的感覚に外れた所で生きてきた。
男っ気などなかったし、言い寄ってきたのもバッシュが初めてだ。
「と、ともあれ、さっきも言ったけど、まず一回戦だ。さっきトーナメント表を見てきたけど、一回戦の相手は強豪だ。オーガのゴルゴル。知ってるだろ?」
「無論だ。肩を並べて戦ったこともある」
「じゃあ、その強さもわかるはずだ」
「頼れる戦士だ」
「まずはそいつを突破しなきゃいけない……」
「うむ」
バッシュは頷く。
その表情は相変わらず、プリメラには伺い知れない。
いつも通りにも見えたし、いつになく緊張しているようにも見えた。
「やっぱ、難しいか?」
「いや、問題ない。俺は優勝を狙うつもりでいる」
プリメラは目を見開き、バッシュを見返した。
バッシュは、相変わらずプリメラを見ている。
まっすぐな瞳だ。
優勝できると信じてやまない、そんな瞳だ。
今まで、一度や二度振っただけで曲がってきた剣を手にしてきたはずなのに……。
「……優勝、か」
優勝は難しいとプリメラは思っている。
確かに、プリメラも最初は優勝を目指してきた。
だが、今は現実的に考えて難しいと考えていた。
バッシュだ。
とにかくこの馬鹿力の戦士が悪い。
こいつがもう少しマシな戦士で、力ではなく技量で剣を振る奴であれば、優勝できそうなものだが……。
まぁ、今回は難しいだろう。
ヘタな戦士を引いてしまったのが悪い。
優勝は難しい。
しかし、それでもプリメラには、勝ちたい相手がいる。
「とにかく、今日だ! 1日目の3回戦。せめてそこまでは勝つんだ! いいな!?」
「無論だ」
一日目の3回戦。
そこで当たるのは、コロというビースト族の戦士だ。
素行が悪く、いい評判を聞かない戦士だが、腕は確かだ。
それはいい。
彼の武具を打った人物。
それこそがプリメラがどうしても勝ちたい相手だ。
ずっと自分を見下してきた相手だ。
たとえバッシュがボンクラな戦士でも。
そんな気持ちは、強く残っていた。
「バッシュ殿! もうすぐ、試合になります!」
と、そこで係員が呼びに来た。
「よし、じゃあ行って来い!」
プリメラがバッシュのむき出しの肩をバシンと叩く。
バッシュはその、女性にしては決して柔らかくはないが、しかしバッシュからすると十分に柔らかい手のひらの感触を数秒ほど堪能した後、
「……おう!」
と、気合の入った言葉で、控室を出立するのであった。
◆
第一回戦 バッシュ対ゴルゴル
闘技場に立つのは二人の男。
一人は、赤茶色の肌をした男。
身の丈は4メートル以上あり、異常に発達した肩と顎が特徴的な種族。
オーガである。
手にしているのは、その体の大きさに見合った、幅広の剣。
身を包むのは、金属製の鎧だ。
今大会の優勝候補とも目されている戦士である。
オーガのゴルゴル。
戦争中は『鉄の巨人』の異名を持ち、4種族連盟を震え上がらせた戦士である。
ドワーフであれば、知らぬ者はいないだろう。
今大会に参加した理由は、戦中に偶然にも知り合った友人がきっかけだ。
友人は、戦中に捕虜として捕まったドワーフ。
捕虜時代に些細なことで意気投合した二人は、戦後も交友を深め、毎年この大会に出場している。
一昨年の大会は十六位、去年は八位と、大会の結果こそふるわないものの、それは友人であるドワーフが、彼の身の丈に合う武器を作り出せなかったがゆえのこと。
実力でいえば大会でも上位。
優勝候補としても名が上がる戦士である。
対するは身の丈2メートル超。
緑色の肌をした、一般的なオークの戦士。
しかし、見た目とは裏腹に、彼もまた有名な男だ。
『オークの英雄』バッシュ。
オーク最強の男。
その姿を知らぬ者はいても、その名を知らぬ者はいない。
あらゆる災厄の異名を持つ男。
「おいおい、一回戦から面白そうなカードだな」
「ゴルゴルの腕力は大会でも屈指だ。いかにオークといえども、真正面からじゃ勝ち目は無いな」
「バッシュが、いかにしてゴルゴルの懐に入るかがカギか……」
観客は、一回戦からいいカードが見れると、興奮していた。
だが、一部の観客は、震えていた。
「……だってよ」
「羨ましいぜ。あいつのヤバさがわからねえなんてよ……」
「ああ、これから始まんのは、試合なんてもんじゃねえ。一方的な処刑だ」
できれば、ゴルゴルには生きて帰ってほしい。
彼らは悲痛な面持ちで歴戦のオーガを見ていた。
ゴルゴルがこれから悲惨な肉片になることを、彼らは知っていた。
なぜなら戦争中、幾度となく仲間がバッシュの手によってそうされてきたからだ。
鎧など関係ない。
どれほどの名工が鍛えた鎧を身にまとっていようとも、かのオークの一撃は鎧を残骸へと変貌させた。
『破壊者』は町だけではない。全てを破壊するのだ。
「バッシュ、久しいな……」
「ゴルゴルか」
そんな観客の恐れを知ってか知らずか、ゴルゴルはややにこやかな顔でバッシュに話しかけていた。
バッシュもまた、相好をやや崩している。
彼らもまた、互いのことを知っていた。
「レミアム高地の決戦以来、か。息災、だったか?」
「ああ」
「よく、オークキング、許可、国出るの」
「聡明で懐の深く、慈悲深い方だからな」
「ふっ」
ゴルゴルは鼻で笑った。
あの戦いの化身とも言えるオークキングネメシスのことを慈悲深いなどと言えるのは、世界中を探してもバッシュだけだろう。
「さて」
そんな短いやり取りの後、ゴルゴルは剣を構えた。
剣先は天を指し示し、バッシュを影で覆い尽くした。
その顔はといえば、いかつくゆがんでいる。
口元は引き締められ、奥歯は噛み締められている。
勇敢なオーガの顔だ。
絶対に勝てないとわかっている相手、挑めば死ぬとわかっている相手に挑むときの男の顔だ。
「やる、か」
「うむ」
バッシュが剣を構えると、空気が一瞬で冷えた。
ただの構えだった。
本当に、剣を振りやすいように構えただけの、シンプルな立ち姿。
だが、そこから隙を見いだせる者は、誰一人としていなかった。
勝負は一瞬で決まると、誰もが理解できた。
何も知らぬ子供ですら口を閉じて息を飲んだ。
それほどまで、バッシュの構えからは、絶対的な強さがにじみ出ていた。
相対したゴルゴルが、悲壮的に見えるほどに。
「ヌンッ!」
ゴルゴルが動いた。
構えた剣を振り下ろす、何の変哲もない一撃。
牽制でありながら、直撃すれば相手を消し飛ばす、圧倒的な質量。
轟音。
ぶらりと砂埃が舞い、土塊が飛び散る。
視界が遮られた。
観客の誰かがそう思った瞬間、砂埃の中から何かが飛び出した。
観客は、それはゴルゴルの肉片だと思った。
特に戦場に長くいた戦士ほど、そう思った。
なぜなら、今までバッシュに挑んできた兵士たちは、おしなべてそうなったから。
一度でもバッシュと相対したことがあるものは、その記憶がまざまざと脳裏に残っているから……。
しかし、違う。
肉片でも、血しぶきでもなかった。
『何か』は、ヒュンと軽い音を立てて飛ぶと、再度、轟音と共に闘技場の地面に着弾、砂埃を上げた。
そこで、その『何か』の正体が明らかになった。
それは、鉄の塊だった。
ドワーフにとって、いやさこの場にいる誰もが見慣れた形状をしたそれを、人は『剣先』と呼んだ。
見れば、ゴルゴルが振り下ろした剣は、半ばから先を失っていた。
レフェリーが叫んだ。
「勝者、バッシュ!」
一瞬の出来事であった。
結論から言えば、バッシュがゴルゴルの剣を叩き折ったのだろうという事は予想がついた。
あるいは、ゴルゴルが剣を地面に叩きつけた結果、剣が折れたようにも見えたが、決勝に残るような闘士の剣が、地面に叩きつけた程度で折れ飛ぶはずもない。
歓声は無い。
誰もが、何が起こったのか、あまり理解していなかった。
まさか『破壊者』バッシュが、手心を加えたとでもいうのだろうか……と。
バッシュは剣を鞘に戻すと、控室へと戻っていく。
ゴルゴルが呆然とその後ろ姿を見る。
だが、彼はやがて諦めたように目を瞑ると、膝をついて、両手の拳を地面へとつけた。
それはオーガ族の、敗北の礼であった。
オーガにとって屈辱的な、しかし絶対的な強者に対してすべきと言われている礼……。
何が起こったのか、誰にもわからない。
だが、あのゴルゴルが負けを認めた。
去年の大会では、武器を破壊されてなお負けを認めず、暴れ続けたゴルゴルが。
血まみれになりつつも、何人もの戦士に総掛かりで押さえつけられ、自分はまだ負けていないと叫んだゴルゴルが、ただの一撃、それも己の体に傷すらついていないのに、戦意を喪失するなど。
その事実が観客に浸透していき……やがて轟音のような歓声が起こった。
◆ ◆ ◆
第二回戦 バッシュ対ゲドン
バッシュが闘技場に立った時、まだ相手はきていなかった。
バッシュは剣を持ったまま、堂々と相手を待つことにした。
しかし、待てど暮らせど相手はこない。
観客席からはブーイングがまきおこり、闘技場を包み込む。
やがて、一人のドワーフが闘技場へと現れる。
それは、一回戦の時にバッシュを呼びに来たドワーフであった。
彼が相手なのか。
そう思い剣を構えるバッシュだが、ドワーフは剣を持っていなかった。
腰に刺した赤色の旗を引き抜き、全体に見えるように振った。
ブーイングが更に増し……。
「勝者、バッシュ!」
バッシュの勝利が宣言された。
ゲドンは棄権であった。
◆ ◆ ◆
第三回戦
そうして、第三回戦へとやってきた。
バッシュが闘技場に顔を出すと、対戦相手の姿はまだ見えない。
バッシュは目をつむり、控室でのプリメラとの会話を思い出す。
プリメラは二回戦の不戦勝を喜ぶと、「次だ。次こそが重要だ……」と、自分に言い聞かせるように激励してくれた。
皮の上着一枚を着ただけの姿は、バッシュのやる気をモリモリと上昇させてくれた。
プリメラは喜んでいたが、バッシュとしては二回戦の相手が棄権したのは残念だった。
一回戦の後、プリメラはバッシュの武具を炉で修理したのだが、その時、プリメラの鍛冶姿は非常に艶やかだったからだ。
槌を振るう度に胸が揺れ、汗を拭う度に腋が見える。
バッシュは襲いかかりたくなる衝動を抑えるのに必死だったが、同時にずっと見ていたいとも思ったものだ。
「虎の門より入場! 闘士コロ!」
と、バッシュの正面より、一人の男が入ってきた。
黒い毛並みを持ち、獣の目鼻立ちをした男。
まだ若い。
恐らくバッシュよりも数歳は年下だろう。
コロ。
その名はバッシュも知っている。
若くして、ビースト軍の特攻隊長だった男だ。
ビースト軍の特攻隊長と言えば、敵陣に深く切り込み、内部から本隊と挟撃することで有名だ。
自殺のようなこの戦術を用いて、死なずに終戦を迎えた男。
実力は折り紙付き。
それどころか、戦中に勲章までもらっている。
狼牙大光章。
戦場において最も勇敢であり、幾度も勝利を導いたとされる者に授けられる勲章だ。
(ふむ)
さて、ここから先はバッシュの知らぬ話である。
勲章持ちの特攻隊長。
国で何不自由なく暮らせるぐらい、戦果を上げた男。
それがなぜこんな所にいるのかと言えば、素行の悪さが問題だった。
彼は戦後、幾度となく暴力事件を起こし、ビースト国での居場所を失い、追い出されるようにして国を出て、諸国放浪の末、このドバンガ孔へと流れ着いたのだ。
当然、ドバンガ孔でもその素行の悪さは変わらなかった。
ただ、ドバンガ孔には一点だけ、他と違うことがあった。
そう、このドバンガ孔には、闘技場があったのだ。
強さこそが至上だと疑わないこの男は、戦後の平和な世界にて、ようやく自分の居場所を見つけることが出来たのである。
しかし、去年の武神具祭では、辛酸をなめることとなった。
彼の去年の順位は、2回戦落ち。
初出場ながら健闘したと言えるが、彼は燃えた。
技を磨き、下げたくもない頭を下げた。
だが、素行の悪さゆえ、武神具祭において最も重要なものが手に入らないでいた。
そう、武具だ。
そんな彼の元に現れたのは、一人のドワーフだった。
そのドワーフは、気風のいい口調で、コロの素行の悪さを叱った。
そんな怯えた犬みたいに吠えてないで、もっと堂々としていな。
コロはむかついてその鍛冶師を殴り飛ばして撃退したが、さすがはドワーフといった所か、翌日にはケロッとした顔で現れて、やはりコロの素行の悪さを叱ってきた。
「一度でいいから言う通りにしてみろ」
ドワーフは何度もそう言った。コロは絶対に言うことを聞いてやるもんかと思っていたが、ある日、ふと、気まぐれでドワーフの言葉に従ってみた。
闘技場で、相手を倒した直後のことだった。
いつもだったら蹴り飛ばし、口汚い言葉で罵倒し、唾を吐いていた相手を、助け起こしてみたのだ。
その戦いはかなり苦戦で、コロとしても疲れていたから、きっと気の迷いだったんだろうと思う。
次の瞬間、コロは祝福された。
闘技場にいた全ての客から称賛の声を与えられた。
戦中以来、受けたことのない、称賛の声だ。
コロはその日から、少し変わった。
素行の悪さ自体は、さほど変わっていない。
態度は大きいし、道端に唾をはくし、試合前に口汚い言葉で相手を罵倒することもある。
だが少なくとも、敗北した相手を踏みつけにすることは無くなった。
それを知り、ドワーフは喜んだ。
やればできるじゃないかと、コロを褒めてくれた。
コロはいい気分になり、そのドワーフに武神具祭での武具の制作を頼んでみた。
ドワーフはやや驚いていたが、すぐに快諾してくれた。
それから数ヶ月、ドワーフは試行錯誤を繰り返し、コロの体に合った武具を作ってくれた。
鍛冶師がいて、武具もある。
万全の体制で、今年の大会に臨むこととなった。
そんな彼に力を貸したドワーフの鍛冶師。
名をカルメラドバンガと言う。
「……」
観客は、コロがバッシュを前にし、きっと口汚く罵るだろうと思っていた。
今までずっと、コロはそうしてきていた。
だから、今回もそうして相手を罵倒し、無様に負けろと思っていた。
だが、違った。
彼は試合開始前に尻尾を丸め、バッシュに一礼をしたのだ。
今までに無いことだった。
試合前に相手を威嚇することはあれども、礼をしたことなど無かった。
ビーストの戦士が礼をする……。
それは、明らかに自分より格上の戦士に胸を貸してもらう時だけだ。
コロは認めているのだ。
バッシュが自分より格上の相手であることを。
その後の構えも、いつもの相手を小馬鹿にしたようなものではない。
腰を低く落とし、半身で、剣を咥えるような位置で横に持つ、ビースト軍剣術の正式な構え。
堂に入ったその構えであった。
「あなたと戦えて、光栄です」
コロ自身、自分がこんな殊勝な態度を取るとは思っていなかった。
例え勇者レトが相手でも、自分の方が強ぇ、なんなら証明してやるぜ、と言い切るつもりだった。
だが、自然とそんな礼をし、自然と言葉が漏れていた。
理由はコロにもわからない。
ただ、ここは武神具祭の3回戦。
去年はたどり着けなかった場所、自分一人では来れなかった場所。
相手はオークの英雄バッシュ。戦場に長くいた者なら知らぬ者などいない、歴戦の戦士……。
だからこうすべきだと、コロは思ったのだ。
自分がなぜこんな態度を取っているのか、疑問になど思わなかった。
「うむ」
バッシュもまた頷き、剣を構える。
試合は静かに始まった。
コロは音もなく走り出し、バッシュの右手側へと周り込む。
急ブレーキと急旋回。
バッシュの右から左へ、抜けるように走り込み、剣を振り抜く。
一閃。
いつしかバッシュの腕は振り抜かれており、コロは子犬のようにふっとばされていた。
高さにして数メートル。彼の体はコロシアムの壁を軽々と越え、観客席へと叩きつけられた。
幸いにして、巻き添えとなった観客はいなかった。
だが、コロにしてみれば、不幸にもクッションとなるものがなかったと言える。
コロは起き上がってはこなかった。
「勝者、バッシュ!」
試合はすぐに終わった。
バッシュの勝利で。
コロは一部の観客の思惑通り、無様な敗北を喫した。
だが、そんな彼を笑うものはいなかった。
それどころか、まばらながらも拍手が送られるのであった。
こうして、バッシュの決勝トーナメント出場が決定した。