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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第一章 ヒューマンの国 要塞都市クラッセル編
2/97

1.英雄の出発

忖度そんたく:他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


 オーク。

 彼らは緑色の肌と長い牙、毒や病の効かぬ強靭な肉体を持った、好戦的な種族である。


 彼らについて特筆すべきは、強い性欲を持っているという事だろう。

 オークにとって繁殖とは、生物的に必要な行為であると同時に、日常的に行われる娯楽でもある。

 彼らは戦い、食い、そして犯す。

 オークにとって、戦いで手にした首の数と、女に産ませた子供の数は同等の価値を持つ。

 多くの子供を残し、戦いの中で死ぬ。

 それこそが、オークが求める最高の生き様である。


 丈夫な身体に強い繁殖力。

 生物としてこれ以上ない条件を備えた彼らだが、実は一つ欠点も抱えている。

 それは『基本的に雄しか生まれず、他種族の肚を借りなければ繁殖できない』というもの。

 戦争中は敵国の女兵士を捕虜にしては、使い物にならなくなるまで子供を産ませていたという事実があり、一部の種族からは蛇蝎のように嫌われている。


「おい、あそこにいるの……『ヒーロー』じゃねえか?」


 バッシュ。

 そう名付けられた男は、オークという集団の中に置いて抜きん出た力を持つ、優秀な戦士であった。

 彼は戦場に誰よりも早く駆けつけ、誰よりも長く前線に残り、誰よりも多くの敵を倒した。

 数多のオークが彼に救われ、数多の戦場が彼の手によって勝利へと導かれた。

 どんな強大な敵であろうと真正面から立ち向かい、そして打ち倒す姿は、まさにオークの理想を体現した姿であると言えた。

 その功績を讃えられ彼には『ヒーロー』の称号が与えられた。


 ヒーロー。

 すなわち、英雄。

 その称号は、オーク最強を示すものであり、最高の名誉であった。

 当然、全オークの憧れの対象でもある。


「くぅ……『ヒーロー』、やっぱかっけぇよな!」

「俺、前から『黒頭(ブラックヘッド)』を倒した時の話とか聞いてみてぇと思ってたんだよなぁ……」


 英雄の称号を得たバッシュは、あらゆるものを手にいれた。

 大きな家。

 立派な武具。

 食いきれぬほどの食料。

 使い切れぬほどの特権。

 そして、全オークからの尊敬と信頼。

 オークの若者が欲しいと思うものの、ほぼ全てだ。


「……お、俺、ちょっと行ってくる」

「馬鹿野郎! お静かにお酒をお飲みになられてんのがわかんねぇのかよ!」

「わ、わりぃ……そうだよな。俺らが気安く話しかけていい相手じゃねえよな」


 そんなバッシュには、悩みがあった。

 彼は周囲からあらゆるものを手に入れたと思われているが、実はまだ手に入れていないものがあった。

 いや、手に入れていないという言い方はおかしい、あえて言うなら、持っていてはいけないものをまだ捨てられずにいた、とでもいうべきか。

 さながら、不滅の火にくべられた古の指輪のように……。


「確かに、俺だって『ヒーロー』の話は聞きてえよ? それこそ、女の好みとかもさ!」

「ヒーローの女の好みかぁ……やっぱヒューマンかな?」

「ばっか! あの『ヒーロー』だぞ? ヒューマンやエルフなんて雑多な女、戦中に抱きすぎて飽き飽きしてんだろ。最近は繁殖場の方にも姿を見せてねえらしいしな」

「ヒューマンやエルフに飽きてる……じゃあ、まさかドラゴニュートとか? あの伝説の種族を!?」

「ありうるぜ! 『ヒーロー』ならな!」


 バッシュは酒場で一人、カウンターに腰掛けて火酒を飲みつつ、今日も悩んでいた。

 一体どうすればそれを捨てられるのか。

 いや、捨てるだけならすぐにでもできる。

 しかし、このオークの国において、バッシュは非常に注目されている。

 捨てれば、必ず見られてしまう。

 そして知られてしまう、今まで"持っていた"という事実を。

 オークの英雄として……いや、一人のオークとして、それを知られるわけにはいかなかった。

 知られれば、その瞬間、バッシュの誇りと矜持は脆く崩れ去ってしまうだろう。

 全てのオークから寄せられていた尊敬は、一瞬にして嘲笑へと変わるだろう。

 バッシュのなけなしの自尊心はズタボロに傷つき、翌日から頭陀袋でもかぶって生きていかなければならなくなる……いや、もはや生きてすらいけない。


「お、俺、やっぱ、聞いてみる!」

「やめとけって、不敬すぎんだろ」

「いーや! 今まで抱いた中で一番いい女は誰だったか聞くぐらいなら、そんな失礼じゃないはずだ」


 バッシュは立ち上がった。

 身長は2メートル強。

 オークの中では小柄ながらも、その体中についた傷は歴戦を物語り、引き締まった筋肉はこの場にいる誰より密度が高かった。

 そして言わずもがな、物腰には隙が無く、全身からは近寄りがたいオーラが溢れていた。

 彼はギロリと、自分に向かってこようとする男の方を睨んだ。


「……」


 一睨みで、オークの男は止まった。


「す、すみません! こいつ、ちょっとミーハーで、よく言って聞かせときますんで……」


 とっさにもう一人が頭を下げた。

 オークが睨まれた程度で頭を下げるなど、恥以外の何者でもない。

 が、相手が『ヒーロー』とあれば話は別だ。

 むしろ頭を下げない方が恥である。


「フン」


 バッシュは鼻息を一つ。

 酒場の出口へと歩いていった。


「ほわぁ……かっけぇ……」


 その一連の流れに、周囲のオークたちは感嘆の声を漏らした。

 圧倒的だった。

 まさに強者だった。

 普通のオークなら、あんな風に若者に憧れの眼差しで近づいてこられたら、すぐに相好を崩し、自慢話を始めてしまう所だ。

 なんだぁ若造、俺様の話を聞きてえのか? ガハハ、いいぜ教えてやるよ。あれはアルカンシェル平原での戦いの時だ、俺様は敵の大群に向かって勇猛果敢に云々カンヌン、すると敵の某が云々カンヌン……と。


 無論、それもいい。

 オーク的価値観で言うと、自慢話もまたオークの戦士らしい振る舞いである。

 戦場での自分の功績を自慢して、何が悪い。

 当然の権利である。


 あるいは虫の居所が悪いと、若者をぶん殴っただろう。

 目障りだコラ! 静かに酒飲んでんのがわかんねぇのか!


 それもいい。

 若造に、獰猛な戦士がいかなるものかを実地で教えてくれるのもまた、オークだ。

 この若者とて、バッシュに殴られるのなら本望だろう。

 一生の思い出として、宝箱にしまっておくかもしれない。


 しかしバッシュが見せたのは、それらよりも上だ。

 彼が見せたのは、まさに『お前のような木っ端のオークなど相手にしない』という意思表示だ。

 そうとも。オークの強者はこうでなければいけない。

 これこそが猛者の風格だ。

 英雄は、そこらの雑魚なんか相手にしちゃいけないのだ。


 自分たちは、そんなバッシュと同じ空間で酒を飲んでいた。

 若者たちにとっては、それだけで十分だった。

 それほど、バッシュの振る舞いは格好良かった。

 胸がいっぱいになるほどに。


「くぅ……俺もあの人みてぇになりてえぜ」

「バーカ、一生無理に決まってんだろ!」

「わかってんよ! でも聞いてみたかったな、今まで抱いてきた女の話……」


 酒場の中から聞こえてくるそんな声を聞きながら、バッシュは小さくため息をついた。

 帰路に就くその分厚い背中は心なしか小さく見えた。

 歩幅も若干小さく、どこか怯えているようにさえ見えた。


 そう、まさに今の若者は、バッシュの悩みを直撃していた。

 今まで抱いてきた女?

 今まで抱いた中で一番いい女?

 そんなものを聞かれても、困ってしまう。


 なぜなら彼の悩み。

 全てを手に入れた彼が、未だに捨てられていないもの。

 それは……。


「はぁ、憧れるよな。一体今まで、何人の女を犯して孕ませてきたんだろうな……」

(……ゼロだよ)


 童貞だった。



 バッシュは長い戦争の中で生まれた。

 戦争中、捕虜となり犯され尽くしたヒューマンの雌の肚から這い出てきたグリーンオーク。

 それが彼だ。


 彼は生まれて5年目に剣を持たされ、10年目に戦場に出て、敵を倒した。

 いかに戦好きのオークといえども、10歳での初陣は早い。

 10歳は、さすがに戦士として数えるのもおこがましいほどの年齢だ。

 実際、10歳そこそこで初陣を飾るオークのほとんどは、木っ端の如く若い命を散らせる。

 が、当時はデーモン王ゲディグズの考えた戦闘教義があったお陰で、10歳の若いオークでも、それなりの生還率を誇るようになっていた。

 まぁ、あくまで"それなり"であるが。


 幸いにして、バッシュは死ななかった。

 最初の1年目こそ何度も死にかけたが、2年目には一人前の戦士になり、3年目には一流の戦士になり、4年目には屈指の戦士となり、5年目にはオーク国において並ぶ者の無い最強の戦士となった。

 最強の戦士。

 そう、彼は戦いの申し子だったのだ。


 戦場は常に劣勢だったが、バッシュのいる所だけは違った。

 彼のいる戦場では、ヒューマンやエルフ、ドワーフの血の雨が降り、臓物が撒き散らされた。

 そこにどんな相手がいても、バッシュは戦い、勝った。

 猛者と呼ばれる者、剣豪と呼ばれる者、修羅と呼ばれる者、あらゆる者を打ち倒し、戦場に勝利をもたらした。

 バッシュは一つの勝利をもぎ取ると、すぐに次の戦場へと向かった。


 戦いに次ぐ戦い。

 疲れ知らずの最強の戦士は、昼夜を問わず戦い抜いた。

 休息を取るのは三日に一度、万能薬たるフェアリーの鱗粉をその身にふりかけ、ほんの僅かな時間、眠るだけだ。

 バッシュはそれに何の疑問も抱かなかった。

 自分はオークの戦士として、当然の行動をしていると思っていた。


 バッシュの戦闘力は圧倒的だった。

 各国から「異常なオークがいる」と恐れられた。

 実際に戦い、生き延びた者は「あれは、戦いの神グーダゴーザの化身だ」と怯えた。

 戦後、ヒューマンの大将軍に「あのオークが戦場に出てくるのがあと5年早ければ、負けていたのは我らだったかもしれない」とまで言わしめた。


 しかし、そんなバッシュも所詮は個人。

 腕っぷしが強いだけの一兵卒でしか無い。

 局所では勝利できても、大局を変えるほどの力は無かった。

 バッシュが戦いを始めて10年目にデーモン王ゲディグズが討たれ、15年目に戦争は終結した。


 戦争には負けたが、バッシュは英雄の称号を得て、多くのものを手に入れた。

 大きな家と、食いきれないほどの食料と、立派な武具を手にいれ、国に存在するありとあらゆるオークからの羨望の眼差し。

 しかし、気づいた。

 いや、知ってしまったと言うべきか。


 普通、オークというものは、戦いばかりをするものではないのだ、ということに。

 普通、戦いが終わったら、女は持ち帰り、犯すものだった、ということに。

 戦争が終わった時、肩を並べて戦った戦士たちの中に、童貞なんて一人もいないのだということを。


 今更言い出せなかった。

 自分に経験が無い、などとは。

 自分が童貞である、などとは。


 知ったのが、あまりに遅かった。

 もし戦争中であったなら、話は違っただろう。

 いつものように敵部隊を壊滅させ、残った女兵士を木陰にでも連れ込み、華麗に脱童貞すればよかった。

 そして何度か練習を重ね、これは! と思った女を連れ帰り、子供の一人や二人でも産ませておけばよかったのだ。


 だが、今はできない。

 オークの所属する七種族連合は敗北した。

 オークもまた和睦に応じた。

 無条件降伏ともいえる条約を結んだ。


 そして、その条約の中には「他種族との合意なき性行為を禁じる」というものがあった。

 つまりレイプ禁止である。


 当然とも言える条約であるが、オークにとって信じられないものであった。

 それを禁止されたら、繁殖ができない。

 滅ぶしかないじゃないか。


 が、飲むしかなかった。

 今すぐ滅ぶよりはマシだった。

 滅んだ方がマシだ。最後の一人になるまで戦おう……という意見も上がったが、オークキングがねじ伏せた。

 幸いにして、他種族から死刑囚や重犯罪者などの『奉仕役』が送られてくることになり、繁殖できずに全滅するという懸念は無くなった。

 『奉仕役』とは、繁殖場に繋がれ、オークの相手をすることとなった者たちだ。少なくとも子供が産める間は、オークの子供を生み続けることになる。


 なのでぶっちゃけた話、バッシュは童貞を捨てることはいつでもできた。

 繁殖場に行き、『奉仕役』の相手をすればいいのだ。簡単だ。

 『奉仕役』の使用は、戦争中の功績に応じた優先順位が定められているが、バッシュなら待ち時間はゼロだ。すぐに童貞を捨てられるだろう。

 だが、バッシュが繁殖場に行けば、他の者たちがワラワラと寄ってくるだろう。

 『英雄』の雄々しく堂々とした交尾を見ようと……。


 童貞(バッシュ)にそんな猛々しい交尾ができるはずもない。

 彼にできるのは、初々しく、たどたどしく、無様で滑稽な、オークにとって童貞にしか許されないレベルの、恥ずべき交尾だけだ。


 そう、このオークの国で童貞を捨てるということは、童貞であったということがバレるということなのだ。


 バッシュとしては、それは避けなければならなかった。

 そんな恥を晒すわけにはいかなかった。

 一人の男として恥ずかしいということもあるが、バッシュはオークの英雄だ。

 英雄は常にたった一人。

 誉れ高き、誇り高き存在だ。

 オークの英雄が童貞だなどと知れ渡れば、オークという種族全体の誇りが傷つくのは間違いない。

 童貞であることは、一生隠し通さなければならない事実だ。


 かといって、一生童貞でいるつもりも無かった。

 バッシュとて若いオークだ。

 女を押し倒し、その胎内に己の獣欲を解き放ち、子を孕ませたいという欲求は、強く持っていた。

 それだけではない。

 強い戦士には、子供を残す義務もある。

 オークキングからも、早く繁殖場の雌を孕ませて子供を作って欲しいと、強く願われていた。


 ああ、でも童貞ってバレるのは恥ずかしい。

 オークにとって童貞というのは、非常に恥ずべきことなのだ。

 バッシュは童貞であるが、それでも、オークの英雄としての矜持を持っているのだ。

 酒場で自分を羨望の目で見てくる若いオークたちを失望させたくなんか無いのだ。


 そんな感情の板挟みになったバッシュは、悩みに悩んだ。

 戦争が終わって3年間、悩み続けた。


 しかし、28歳。

 バッシュは今年で28歳になった。

 あと2年、童貞で居続ければ、魔法が使えるようになってしまう年齢である。

 そう、オークは特殊な訓練を積まなくとも、30歳を迎えて童貞であれば、魔法が使えるようになってしまう。


 オークメイジは貴重な戦力である。

 大半が戦士であるオークにとって、魔法を使えるというだけで貴重だ。

 彼らは女と切り離された特殊な環境で隔離されて育てられ、魔法が使えるようになると、額に紋章が浮かび上がる。

 その紋章を持った者は基本的に敬われる。

 30年間我慢し、国に貢献した証だからだ。


 が、それはあくまでオークメイジの話だ。

 オークウォリアー、つまり戦士にこの紋章が付くのは、これ以上ないほどの恥だと言われていた。

 『魔法戦士はオークの恥部』とは、古くから伝わる格言である。

 オークにとって、戦場で女兵士を倒すということは、連れ帰ってレイプするというのと同義である。

 つまりオークの魔法戦士とは、『十数年も戦場に出ているのに、一度も勝てないぐらい弱く臆病な戦士』を指すのである。

 生き恥だ。

 そんな恥を晒すぐらいなら、戦場で華々しく散りたい。


 ともあれ、そんな年齢まであと2年。

 黙っていても、自分が童貞だったということがバレてしまう。


「よし」


 そこで、彼は決意した。



 その日、バッシュは目覚めると、己の愛剣を手に取った。

 よく整備された剣は、戦場に出て六年目、戦場にてデーモンの部隊を救出した際、お礼としてデーモンの将軍から贈られた物である。

 肉厚で頑丈、錆びず、切れ味も落ちない魔法の剣だ。

 その頑丈さのお陰で、バッシュはその後、一度たりとも武器を失わずに戦い続けることができた。

 まさに相棒である。


 剣を背負い、皮鎧を身に着けた。

 オークは階級が上がるにつれ、重厚な防具を身につけることを許される。

 英雄たるバッシュは、その最上位である金属製の全身鎧を身につけることができたが、身につけたのは自分が慣れ親しんだ軽鎧だ。

 鎧など、どうせ一日戦えば壊れてしまうのだから、つけるだけ無駄ぐらいに思っているのだ。


 その後、家の中を簡単に掃除した。

 掃除が得意なオークは、意外に多い。

 なぜなら、戦場においては、己の痕跡を消す必要に迫られる時があるからだ。

 そうした時、優秀な戦士は、足跡一つ残さない。

 バッシュも掃除は得意だ。

 とはいえ、バッシュもそこまで徹底して掃除するつもりはなかった。

 適度に片付けた後、バッシュは家から出た。


 バッシュは家から出て、一度だけ振り返り、見上げた。

 バッシュの家は、オーク国において、二番目に大きな家だ。

 だが、この家はバッシュが一人で住むには大きすぎた。

 本来なら客人が毎日のように押しかけ、連日連夜、酒盛りをしながらバッシュの武勇伝を聞く宴が開かれる所であっただろうが、童貞であることをひた隠しにしたいバッシュは、決してその宴を許さなかったのだ。

 武勇伝を話すことになれば、女性経験も話さなければならないから。


 バッシュは踵を返すと、目的地への道を歩き始めた。


「あ、バッシュさんだ……」


 バッシュが道を歩くと、オークの戦士たちが頬を赤く染めながら道を譲った。

 普段は「道? 譲ってほしけりゃ殺してみな。てめぇの胴体と首がオサラバする前にな」なんて言うオークの戦士たちが、だ。


「今日も『ヒーロー』はかっけぇぜ……」

「あの方向、族長の所にいくのかな? 何の話だろう?」

「まさか、次期族長の話じゃねえか?」

「えぇ~バッシュさんが次の族長かよぉ! やっべぇじゃん。マジヤバじゃん。俺、絶対に一番に忠誠誓うよ」

「バァッカ、お前……俺が一番に決まってんだろぉ?」


 そんな声を聞きながら、バッシュは一軒の巨大な建造物の前にたどり着いた。

 巨大な骨と大木を組み合わせて作られたそれは、オークの里で最も巨大な建造物だ。

 中に入ると、大きな広間となっていて、いくつもの篝火がたかれている。

 最奥では、数人のオークたちが地面に座り、共に食事を取っていた。


「バッシュさん……!」

「親父、バッシュさんっすよ」

「バッシュさん、飯一緒にくいますか?」


 地面に座る者たちは、口々にバッシュを歓迎した。

 彼らはバッシュと同年代であるが、全員が例外なくバッシュにあこがれていた。

 バッシュが戦場で活躍し始めた頃はバッシュを嫌っていた者もいたが、今では誰もがバッシュのようになろうとしていた。

 バッシュはオークたちのヒーローなのだ。


「バッシュ、か……」


 そんな中、バッシュをにらみつける者がいた。

 最奥、ただ一つだけある豪華な椅子に座る、巨大なオークである。


 白いヒゲを生やした初老のオークだが、その大きさはバッシュの2倍近くあり、脇には身長ほどもある鉄槌が置かれていた。

 彼の名はネメシス。

 オークキング・ネメシス。

 その性格は剛毅にして蛮勇。

 終戦間際まで前線で戦い続けたオークの中のオークであり、全てのオークから父と慕われる者でもあり、オークの王である。

 バッシュもまた、彼を尊敬し、そして忠誠を誓っていた。


「何をしにきた?」


 ネメシスの視線は、非常に強かった。

 通常のオークであれば、泡を吹いて失神するほどの強さだ。


「……」


 だが、バッシュは動じない。

 ただ瞳に決意の炎をもやし、ネメシスを見返すのみだ。

 その炎にあぶられてか、ネメシスはフッと笑った。


「息子たちよ、少し席を外せ」


 そして、周囲で食事を取っていた息子たちを、別室へと下がらせた。

 息子たちは、自分の食料を手に持つと、文句も言わずに席をたった。

 王と英雄の会話。

 聞きたくてたまらないが、彼らもまた戦争を戦い抜いたオークの戦士。命令とあらば従うのが戦士の掟だ。

 名残惜しそうにしつつも、そのまま家の外へと出ていった。


「……」


 二人きりになった後、バッシュはネメシスの正面に座った。

 間には残った食べかけの料理が幾つか置かれているが、どちらも手を付けることはない。


「……」

「……」


 しばらく、二人は黙って見つめ合っていた。

 その沈黙は、大声で喚き散らすように話すのが好きなオークとは思えないほど、長く続いた。

 だが、永遠に続くわけではなかった。

 篝火がバチリと音を立てるのと同時に、ネメシスが口を開いた。


「その目、すでに決意は固いようだな」

「はい、俺は……」

「みなまで言うな、わかっておる」


 バッシュが決意を口にしようとすると、ネメシスが遮った。


「お前が繁殖場にほとんど顔を出しておらぬことぐらい、耳に入っておるからな……」


 ネメシスは、鋭い視線をバッシュへと送りつつ、言った。


「探しにゆくのだろう、妻を」

「!」


 オーク社会は乱交社会である。

 一人の女性を多人数でシェアし、多くの子供を産ませるのが常だ。

 しかし、一部の優秀な血を残すため、戦争で功績を残した戦士には、妻を娶る権利が与えられている。

 妻とはすなわち、自分専用の女である。

 自分の身の回りの世話をし、そして自分だけの子供を生む存在。

 それを手に入れるのは、まさにオーク人生の最終目標といっても過言ではないだろう。


 妻というのは、特別な存在だ。

 限られたオークにのみ許される、勲章のようなものだ。

 ゆえに極上の女が求められる。

 例えばそれは、三国一と謳われる美姫であったり、女だてらに騎士団長まで上り詰めた女騎士であったり、千年に一度の天才と呼ばれる女魔術師であったり。

 そうした特別な存在を捕まえ、屈服させ、妻とする。

 妻が特別であればあるほど、旦那となるオークの格が上がると言われている。


 バッシュはオーク史に残るほどの英雄だ。

 その妻となれば、相当な女であることが求められる。

 繁殖場に繋がれている、他国の重犯罪者や奴隷では務まらない。

 むしろ、英雄であるバッシュがその程度の相手を抱くのは、オークの誇りに傷をつけることにすらなる。

 だからこそ、バッシュは自分で探しに行くと言っているのだ。

 オークの誇りに傷を付けぬために。


 オークキングは、そう考えていた。

 いやさ、見抜いていた。

 まさに慧眼であると、オークの誰もが褒め称えるだろう。

 実際は節穴だが。


「お見通し……でしたか……」


 バッシュは恥じ入るように顔を伏せた。

 その顔は真っ赤だ。

 まさか、王にバレているとは思わなかったのだ。

 自分が童貞であることが。


 それだけではあるまい。

 妻という単語まで出てきたのだ。

 オークの村を出て、どこか別の場所でこっそり童貞を捨てようと思っていたこと、できれば最初の相手は処女がいいと思っていること、その処女を妻にして練習しまくろうと思っていること……そうしたことを全て見透かされていたのだ。


 恥ずかしくないわけがない。

 オークの英雄ともあろう者が、そんな童貞丸出しの思考で旅に出るなど。

 それも、全オークの父とも言える相手に知られてしまうなど。

 オークの恥晒しと謗られてもおかしくはない。


 まぁ、実際には何も知られてはいないのだが、バッシュもオーク……ネメシスをまさに慧眼だと褒め称えた者の一人だった。


「キング、止めないでくれ。俺には……」

「止めはせぬ」


 バッシュの言い訳じみた言葉を、ネメシスは手を上げて遮った。

 そして、自嘲げな笑みを浮かべた後、何かに耐えるように目をつむり、言った。


「行くがよい。皆には黙っておこう」


 ネメシスは常々申し訳なく思っていた。

 せめて戦争中であれば、あるいはせめて「他種族との合意なき性行為を禁じる」という条約さえなければ、族長として、バッシュに妻を見つける機会を与えてやれたものを、と。

 英雄に、その功績にふさわしい暮らしをさせてやれたのに、と。


 今は戦争が終わり、条約もある。

 そんな状況で、妻にふさわしい極上の女を見つけてくるのは、並大抵のことではない。

 オークがレイプ以外で女を娶ったというのは、戦争が始まって5000年……ついぞ前例が無い。


 まさに試練だ。

 試練を自らに課そうというのだ。

 まさに英雄だ。


 オークの英雄が、英雄たらんと試練の旅に出る。

 国元で悠々自適に暮らせるというのに、旅に出てくれる。

 オークは戦争に負けてなお、誇りを失っていないと証明しようとしてくれる。

 これを止めて、何が王か。


「……感謝します」


 バッシュは静かに頭を下げた。

 英雄となり、オーク最強と呼ばれるようになった今でも、王には勝てる気がしなかった。


 力は自分の方が上かもしれない。

 戦えば、自分が勝つだろう。

 だが、自分の考えや浅ましさを瞬時に見抜き、しかし決して嘲笑することなく、名誉を回復する機会と時間を与えてくれる。

 これほどの思慮深さを持ち、配下思いで優しいオークは、他にはいまい。


(彼こそまさにオークキング。王の名を冠するにふさわしい男だ。この御方が死ぬまで、自分はこの御方に忠誠を誓おう)


 バッシュは改めて、そう思うのだった。



 こうして、バッシュは旅に出た。

 童貞を捨てるための、長い長い旅に……。

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― 新着の感想 ―
バッシュもネメシスも、お互いの心のうちがわかってるようでわかってないのおもしろい
漫画版から来ました。主人公に嫌味がなく好感が持てます
童貞のルビにバッシュと振ってあるのに気付いて吹いた
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