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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第二章 エルフの国 シワナシの森編
19/102

18.プロポーズ


 かくして、シワナシの森のゾンビは一掃された。

 しばらく散発的なゾンビの出現はあるだろうが、今回のような大量発生は無いものと見ていいだろう。

 エルフ軍の死者は、思ったほど多く無かった。

 各人が精鋭で、粘り強く戦ったというのもあるが、バッシュがゾンビを撃破しながら移動し、ゼルがその道中でエルフを回復させていったのも大きかった。


 ゾンビに致命傷を与えられ、血の泡を噴いている所にオークが現れ、命拾いをした。

 なんでもそのオークは、リッチの所までゾンビの群れを突破し、サンダーソニア様を救ったらしい。


 エルフ軍の中では、そんな噂がまことしやかに流れた。

 中には「いやいや、サンダーソニア様がリッチごときに苦戦するとか無いわー」という声もあったが、他ならぬサンダーソニアが肯定したため、真実としてエルフ軍の中に浸透していった。


「これはオークの英雄に感謝しなければなりませんね。どうしましょうか。オーク国に感謝状でも書きましょうか」

「うーむ……」


 トリカブトに言われ、サンダーソニアは腕を組んで唸った。

 感謝はしている。

 今、目の前でピンピンしているトリカブトもまた、バッシュ並びにゼルに救われた者の一人だ。

 即死したと思ったトリカブト、戦いの後、せめて葬ってやろうと近づいた所、白く輝く粉を頭の上にもっさりと乗っけた状態で、むくりと起き上がったのだ。

 助けたはずのフェアリーが「うわ、ばっちい」って顔をしていたのが、印象的だった。


「むむ~む……」


 大事な甥っ子のような存在を助けてもらった。

 それどころか、サンダーソニア自身すら、助けてもらったようなものだ。

 だから感謝はしている。

 しているのだが……。


「そもそも、奴はなんでこの町に来たんだ?」

「なんで、ですか?」

「うむ」


 真面目な顔でうなずくと、トリカブトは「はぁーやれやれ、これだから物分かりの悪い老人は」という顔をした。


「なんだその顔は、やめろその顔、めちゃくちゃ馬鹿にしてるだろ」

「いや、本当にお分かりにならないのですか?」

「お前はわかるって言うのかよ?」

「もちろんですとも」


 サンダーソニアは唇を尖らせ、言ってみろと言わんばかりに顎をくいっと持ち上げた。


「シワナシ森でオークゾンビが大量発生しているのを、止めにきたんですよ」

「まんまじゃないか」

「つまり、かつて自分の同胞だった者が、他国に迷惑を掛けている。オークとして、それを看過するわけにはいかない、オークの誇りに懸けて……」

「ほう」

「辻褄は合っているでしょう? 初日に情報収集をし、翌日からゾンビ退治。バラベン将軍がゾンビ化していると勘付くや否や、大量のゾンビであろうとお構いなしに突破し、頭を取る。私も朦朧とした意識で見ていましたが、最後にバラベン将軍に名誉ある戦いを挑み、オークの誇りは健在だと教える所など、まさに英雄というに相応しい所業だったじゃないですか!」

「まぁな」


 サンダーソニアは頷く。

 確かに辻褄は合っている。

 自分も、あの戦いの最中は、そういうものだと思っていた。

 こいつは、このためにここに来たのだと、ゾンビに堕ちたかつての同胞を、恨みと憎しみから救うために来たのだと、そう思った。


 でも、疑問が残るのだ。

 何か、モヤモヤしたものが。

 例えば、もし自分がオークキングの立場だとして、そもそもバッシュ一人で出歩かせるだろうか。

 護衛の一人も……いや、妖精が一応、一匹だけだがついていたか。

 でも、護衛として一部隊ほど連れていかせるのではなかろうか。

 もし自分が出歩くとなれば……いや、ついてくるのはいつもトリカブト一人か。うん。

 では、何が引っかかっているのだか。サンダーソニアは首をひねる。


「実際ヒューマンの国でも、似たような感じで山賊を退治したらしいですしね」

「なんだそれ、聞いてないぞ」

「私も風の噂で聞いた程度ですがね」

「早く言っとけよな。そういう事は……けど、何か引っかかるんだよなぁ……あ」

 

 と、そこでサンダーソニアは思い出した。

 バッシュがきた日。

 夜に出会った時のことだ。


「じゃあなんで、私に対して『また会いに来る』なんて言ったんだ? おかしいだろ。私がバラベン将軍と戦うなんて、あの時じゃわからないはずだろ?」

「それは……」

「『フッ、いずれわかる』とも言ってたぞ? フッだぞ、フッ! 全然わからないじゃないか。いずれっていつだよ! それとも、あの状況はあいつの作り出したマッチポンプだとでもいうのか? そんなはずないぞ。あいつには魔力を感じないからな。リッチを操ったり作り出すなんて、できるはずがない」

「うーん……」


 トリカブトも首をかしげ始めた。

 確かに、あの日のバッシュの言動はおかしかった。

 何やら企んでいるような気配をプンプンと匂わせていた。

 とはいえ、バラベン将軍に対する配慮を見る限り、今回の一件を裏で動かしていたとか、そういう感じでは無かった。

 むしろ、英雄に相応しい振る舞いだったと記憶している。


「サンダーソニア様」


 と、そこで部屋の扉がノックされた。


「なんだ?」

「その、お客様? がお見えになっています」

「誰だよ。キン坊か? だったら今日は休みだって言っておけ。昨日あれだけ働いたんだ。さすがの私もクタクタだ。後始末ぐらいはそっちでやれよ……」

「いえ、それが、オークでして」


 サンダーソニアとトリカブトは、顔を見合わせた。



 サンダーソニアが住んでいる大樹は、要人が住んでいる。

 そのため、根本にはロビーがあり、受付と警備兵がいる。

 今は、警備兵たちが、遠巻きに一人の人物を警戒している所だった。

 人だかりもできている。

 その人だかりも、かなり遠巻きだ。

 ただ、警備にしろ人だかりにしろ、やや好意的な感じではあった。


 囲まれているのは、一人の男。

 緑色の皮膚に、いかつい顔。

 密度の高い筋肉は、なぜか窮屈そうにエルフ服に押し込まれている。

 そう、エルフの服だ。

 エルフの男が、フォーマルな場に出る時に身につけるような、深緑を基調とし、黒のラインが入った服である。

 丈が足りておらずツンツルテンだが、正装であるといえよう。

 大剣は置いてきたのか、見当たらない。

 そしてオークの顔の横あたりには、腕を組み、足を肩幅に開いて偉そうに浮遊する、一人のフェアリーの姿。


 バッシュとゼルである。


(正装だと……? 狙いはなんだ?)


 サンダーソニアは訝しげな視線を送りつつ、バッシュの前へと歩み出た。

 周囲からどよめきが起こる。


(オークと定めた条約の緩和か……? 馬鹿な、このタイミングでそれなら、本当に先の事がマッチポンプじゃないか。オークにそんな知恵があるものか。だが、そうだとしても、今回の一件、こいつの働きに考慮した返事をしないといけないぞ……くそっ)


 サンダーソニアは腰に手を当て、バッシュを見上げる。

 いかつい顔だ。

 だが若干ながら緊張も見られる。


「で、何の用だ? ていうか、ここで良いのか?」

「ああ、ここで構わん」

「じゃあ、さっさと要件を言え。私も暇じゃないんだ」

「うむ……」


 サンダーソニアは、そこで初めて、バッシュをまじまじとみた。

 よくよく考えてみれば、あのシワナシの森の悪夢から、この男のことをまともに見たことが無かった。

 先入観というものだろう。

 オークの英雄バッシュ。

 少なくとも、このシワナシの森にきてから、こいつが問題を起こしたことは無かった。

 シワナシの森には女エルフも大勢いるが、襲われたという報告も聞いていない。

 それどころか、エルフに益のある行動しかしていないように思う。


 あの戦いでも、立派だった。

 まさに英雄。

 そう、英雄なのだ、この男は。

 そう呼ばれているのだ。

 この私、エルフの大魔道サンダーソニアと同じように。

 つまり、彼もまた、オークの未来、オークの将来、オークの誇りを思って行動しているのではなかろうか。

 なら、エルフとオークの条約を緩和を狙うのも当然か。

 数々の条約に縛られていては、オークは復興において他国に大きく遅れを取りかねない。


「エルフの大魔道サンダーソニア」

「うむ」


 バッシュが懐から、何かを取り出した。

 キラリと光る金属の光。

 一瞬だけ警備兵が身構えるが、サンダーソニアは動かない。

 この男が、懐に収まるような小さな武器を使うものか。

 短剣や短刀を使うぐらいなら、己の拳で殴った方が強いだろう。


「これを」


 取り出されたのは、ネックレスだった。

 それも、なんだか金ピカで高そうなやつだ。

 まるで、エルフの男性が結婚を申し込む時に、女性に贈るもののような。


「ん? なんだそれ――」

「一目見た時からお前に惹かれていた。どうか俺と結婚し、子を産んでほしい」


 一瞬だった。

 一瞬で、周囲が静まり返った。


 サンダーソニアもまた、自分が何を言われたのか理解できなかった。


(何て? 結婚ってなんだっけ? なんでこいつ、私にこのネックレスを渡そうとしてるんだっけ?)


 そんな頭の空転と混乱を経て、ようやくサンダーソニアは理解する。


(ハッ! もしやこいつ、私に結婚を申し込んでいるのか!?)


 ギアの噛み合った脳みそは、さらに回転を始める。


(なんで結婚なんだ? 落ち着け、考えろ、何か意味があるはずだ、考えろ……そう、そうだ、こいつは、また会いに来るといった。そう、これが目的だ。私に結婚を申し込むのが……! そんな馬鹿な! なんでだ!? なんで私に結婚を!? 本当に一目見た時から? えっ、えっ? マジ? いや、騙されるな! こいつは私を放置したんだぞ! あの日、倒したにも関わらず!)


 サンダーソニアは慌てん坊だが、決して頭が悪い方ではない。

 エルフの大魔道として、常にエルフのことを考えていた彼女は、物事を先読みする能力がある。

 以前に一度だけ出会ったオーク。

 自分を好きになる要素など何もない。

 もし本当に一目惚れだというのなら、シワナシの森の悪夢の日、ソニアはバッシュにお持ち帰りされて三時のおやつ、もとい三児の母になっていただろう。

 だから、これは嘘だ。

 じゃあ、真実はなんだ?


 そういえば、こいつは情報を集めていたと聞いた。

 特に、婚活関連のエルフたちに……。

 なら、あるいは自分の今の状況も聞いたのかもしれない。

 結婚に焦り、ヒューマンを引っ掛けようとして失敗しまくっているという、恥ずべき現状も知られてしまったのかもしれない。


(もしかして、簡単に手に入る女と見られたのか?)


 そこまで考えたサンダーソニアは、カッと頭に血が上った。


「断る! 誰がお前の子など産むか!」


 そう言い切ると同時に、周囲から「おおっ!」というどよめきが生まれた。

 ややあって、ひそひそとささやきあう声も聞こえてくる。


(なんだ、なに噂してんだよ、やめろよ……)


 サンダーソニアはそわそわしつつ、バッシュの方を睨みつけた。

 せめて、簡単に手に入る女じゃないという所を見せてやろうと、目一杯目に力を込めて。

 バッシュはというと、仏頂面だった。


「そうか。残念だ」


 そして、金ピカネックレスを懐にしまい直すと、回れ右して、すごすごと帰っていった。

 あっさりと。

 あまりにあっさりとしすぎていて、サンダーソニアは逆に引き止めようかと思ったぐらいだ。

 なんだか、肩を落としていて、とても落ち込んでいるようにも見えた。


「なんだったんだ……?」


 ぽつりとつぶやいた言葉。

 サンダーソニアがその真意を知ることは、無い。



 バッシュはとぼとぼと宿への道を歩いていた。


「いやー……オレっちの予想では、完璧なタイミングだったんすけどね。絶体絶命のピンチを助けて、キュンときている所にビシッと決めた男が現れて結婚を申し込む……エルフが発行してる雑誌では、こういうシチュエーションで告白されたいランキング3位だったんすよ?」

「サンダーソニアは『エルフの大魔道』だ。立場もあるのだろう」


 バッシュは戦いを経て、サンダーソニアのことを思い出していた。

 シワナシの森でバラベン将軍が死んだ時、バッシュに重傷を負わせたエルフの魔術師がいた。

 ただ、あの時は顔は見ていないし、名前も知らなかった。

 あの戦いにおいてサンダーソニアは、仮面を付けていた。

 バッシュは知らぬことであるが、魔力を増幅させ、知覚を鋭敏にさせる仮面だ。

 それ以外にも、サンダーソニアはオークの英雄バッシュを抑えるため、エルフに伝わる宝具とも言うべき装備でガッチガチに固めていた。

 ついでにいうと、お互いに名乗り合うこともしなかった。

 バッシュは『エルフの大魔道』という存在は知っていたが、サンダーソニアという名前は知らなかった。

 ゆえに、名前を知ったのも、顔を見たのも初めてだった。

 一目惚れというのも、嘘ではない。


 あの戦いは、バッシュにとっても印象的だった。

 戦争において、バッシュは何度も死にかけた。

 だが、終戦が近づくにつれて、その頻度は減っていった。

 終戦間際。

 あれだけの重傷を負ったのは、バッシュとしても久しぶりだった。

 最後の方は意識が朦朧としていて、戦いの決着がどうついたのかも、その後、エルフの軍勢に囲まれていた自分がどう逃げ延びたのかも、憶えていない。

 憶えているのは熊の穴に避難し、ゼルに助けてもらったことだけだ。


 『エルフの大魔道』。

 その情報はバッシュも聞き及んでいた。

 太古の昔から現存するハイエルフで、歳は1200歳。

 風雷と貞淑を司る神から力を授かった神子で、処女を失えば、その魔力も失うと言われている、エルフの守り神だ。

 処女が力の源なら、結婚などするわけもない。

 いかにバッシュとて、結果はなんとなくわかっていた。

 実際にダメだと、落胆も大きいが。


「見てたぜ!」


 と、そんなバッシュに声を掛ける者がいた。

 振り返るとそこには、一人の女エルフがいた。羨ましいことに、男ヒューマンと腕を組みながら。

 一流の戦士然とした女エルフは、バッシュにも見覚えがあった。

 そう、バッシュに『大鷲の止まり木』の情報を与えてくれた彼女である。


「お前は……」

「あのソニア様にプロポーズするとはな! 感動した! オークもああいうことができるんだな!」

「ああ……」


 アザレア……という名をバッシュは知らないが、彼女は非常に興奮していた。


「だが、残念だったな。いかにお前がオークの英雄であっても、あの方は高嶺の花だ」

「そのようだな。だが、エルフはまだ他にもいる」

「なに?」


 アザレアの顔が殺気を帯びた。

 それを受け、バッシュも拳を握りしめる。

 しかし、アザレアはすぐに殺気を鎮めて「フッ」と笑った。


「そうか……お前はオークだものな」

「それが何か問題か?」

「いや、オーク殿は知らんようだが、エルフは一人の男が大勢に粉を掛けることを嫌う。まして、あれだけ大々的にソニア様にプロポーズしたんだ、他の者に求婚しても、受けて入れてはもらえまい」

「つまり、他のエルフを嫁にするのは絶望的ということか?」

「そうなるな」

「むぅ」


 バッシュは呻いた。

 まさか、金ピカネックレスを使えるのが、一度きりだとは思ってもいなかった。

 だが、戦場でもそうだった。

 チャンスというのは大抵、一度しか訪れないものなのだ。

 そして、チャンスを失って初めて、それが一度しかないチャンスだったと気づくのだ。


「ならば、仕方あるまい」

「気を落とさないでくれ。お前ほどの男なら、すぐに相手が見つかるさ」

「だといいがな」


 気を落とすな、と言われても、落とさずにはいられない。

 まさか、失敗するとわかりつつもとった行動で、目に入る全てのエルフがダメになってしまったのだから。

 いかに割り切りのいいバッシュであっても、悔みはする。


「じゃあ、私はここで失礼する。戦勝記念にダーリンと食事なんだ」

「あの、失礼します……」


 アザレアはそう言うと、貧弱そうなメガネの男を引き連れて、どこかへと歩き出した。

 あれがダーリンなのだろう。

 今まで見たヒューマンの中でも、特に弱そうな男だった。魔法使いにも見えない。

 オークの常識で言えば、結婚など夢のまた夢のような。


「待て。そっちの男に聞きたいことがある」


 ゆえにバッシュは呼び止める。

 アザレアがゆっくりと振り向く。

 ドラゴンのような目だ。もしダーリンに手を出したら、容赦はしないと言わんばかりの。


「お前は、どうやってこの女を射止めた?」

「え?」


 途端、アザレアの目が、男の方を向いた。

 なにそれ私も聞きたい、と言わんばかりの視線。

 男はためらい、たじろぎ、戸惑いつつも答えた。


「僕、戦争中にアザレアさんに命を助けてもらったことがあるんです。サキュバスに捕まって、体も心もボロボロで、もうダメだって時に……だから、その、御礼と恩返しがしたくてエルフの国にきたら、その、アザレアさんが結婚相手を探してて、それで、チャンスだって思って、僕にとってアザレアさんは高嶺の花で、憧れの人だけど、でも今ならアザレアさんの夫になれるかもって、だから思い切って……」

「……なるほどな」


 バッシュは己を恥じた。

 ほんの少しだが、もしかしてこの男は、何か卑怯な手を使ったのではないかと思ったのだ。

 だが、違った。

 やはりチャンスは一度。

 それをものにしなければ、勝利は得られない。

 この男は戦士ではないかもしれないが、それを理解し、真っ向から勝負に出た。だから勝てたのだ。

 バッシュとの違いがあるとすれば、バッシュは勝機はないと知りつつ戦いに挑み、男は勝機を見出してから戦いに臨んだことか。

 勝ち目のない戦いに挑むのは、オークにとって恥ではない。

 だが、勝利を得たいのなら、勝ち目のない戦いに一度きりのチャンスを使うべきではなかった。

 どちらが正しいとは言えない。

 そう、バラベン将軍と、ガンダグーザ大戦士長のように……。


「参考にしよう、感謝する」

「あ、いえ……頑張ってください」


 男は、ペコリと頭を下げると、アザレアと一緒に去っていった。

 心なしか、先程よりもアザレアの足取りが軽く、距離も近い気がする。

 ハートマークが飛び交いそうな二人を、バッシュは羨ましそうに見送った。


「お、バッシュの旦那じゃねえか!」


 と、そんなバッシュに声を掛ける者がいた。

 振り返るとそこには、やはり男ヒューマンと女エルフ。

 しかし先程と違い、バッシュの知り合いは男の方であった。

 『息根止め』ブリーズだ。

 いや、女エルフの方も見覚えがあったか。

 確か、尽くす女……そう、ドラゴンとでも死力を尽くして戦えると豪語していた女だったか。


「……お前は無事に、相手を見つけられたようだな」

「ああ、お陰様でな」


 ブリーズは鼻の下をだらしなく伸ばし、自分に抱きつくエルフの腰のあたりをなでていた。

 エルフは頬を赤らめつつも、何も言わない。

 バッシュの鼻にほんのりと、オーク国の繁殖場のような匂いがしたところを見ると、昨晩はお楽しみだったのだろう。

 バッシュからすると、ただただ羨ましい。

 自分には、もう手に入らない。


「旦那はこのあとどうするんだ?」

「そうだな……この町でできることはもう無いらしいが、次に行くべき場所の情報もない」

「ああ、旦那がこの町に来た理由、無くなっちまったんだもんな」


 オークリッチを倒したことで、オークゾンビの脅威は無くなった。

 その上、エルフの大魔道を助けてオークジェネラルゾンビまで倒したのだから、オークの誇りは守られたといっても過言ではあるまい。

 バッシュの旦那の仕事はおしまいだ。

 と、ブリーズは思っていた。


「……でもそういう事なら、一つ、気になる噂がある」

「何?」

「まあ、俺も詳しいことを知っているわけじゃねえんだが……」

「言ってくれ」

「いや、ほんとに詳しくはねえんだ。ドワーフの国ドバンガ坑で、今回みたいな事が起こってるって噂さ」


 今回みたいな事。

 そう聞いて、バッシュの脳裏にピンとくる言葉があった。

 『他種族との婚活ブーム』

 エルフの国では、あの貧弱そうな男や、自分と似たような立ち位置にいたブリーズでも相手を見つけることができた。

 バッシュもチャンスを逃してしまったとはいえ、あと一歩だった。

 サンダーソニアという、手の届かない相手に声を掛けてしまったがゆえに失敗したが、ヒューマンの国では感じなかった"手応え"があった。

 あと一歩。そう感じられた。

 ゆえに、もし今回と似たような状況になっているのであれば、次こそは嫁を見つけることができるかもしれない。


「わかった! 情報に感謝する!」

「おう! ま、大変だろうが、頑張ってくれ。応援してるぜ!」


 ブリーズはそう言って去っていった。


「ドワーフか」

「ドバンガ坑はここからまっすぐ北っすね」

「行くぞ」

「はいっす! どこまでもお供するっすよ!」


 エルフの国での嫁探しは失敗に終わった。

 だが、バッシュはすぐに切り替え、次なる情報に望みを懸けるのだった。 



 その日、エルフの国に激震が走った。

 ある情報が流れたのだ。

 これがヒューマンの国だったなら、号外として新聞が配られたことだろう。

 エルフにそうした文化は無いが、しかしことサンダーソニアの噂とあれば、話は別だ。

 人の口から人の口へと、あっという間に伝播した。


『シワナシの森でソニア様が犯されなかったのは、ソニア様のあまりの麗しさに、オークが真実の愛に目覚めたからだった!』


 その情報の勢いたるや、瞬く間にシワナシの森を駆け抜け、数日の内に勢い余ってエルフ国全土へと到達する程であった。



 バッシュのプロポーズから数日後。


「まさかバッシュ殿がこちらにいらしたのは、ソニア様の名誉回復のためでもあったとは……」


 急速にサンダーソニアの悪評は解消されつつあった。

 オークが彼女をさらわなかったのは、加齢臭のせいではない。

 むしろ漂う色香がオークを惑わしたのだ。

 つまりサンダーソニアからはすごくいい匂いがする。

 そんな噂まで流れるようになり、すれ違いざまに若いエルフに匂いを嗅がれることが多くなった。

 あまりに嗅がれるため、ちょっと恥ずかしくなり、香水をつけるようになったぐらいだ。


「ゾンビ退治に、サンダーソニア様の名誉回復……シワナシの森において、オークが関係していた事件は、全てバッシュ殿のおかげで解決しましたね」

「私のことは事件ってわけじゃないだろ! ……でもそうだな、オーク国には、正式に謝礼しなければなるまい。エルフが恥知らずだと思われてもかなわんからな!」

「臭い消しぐらいで恥知らずだとは思わないかと」

「だから私のことは事件ってわけじゃないだろ!」


 サンダーソニアはそう言って、窓の外を見た。

 大樹の最上階から広がる、シワナシの森の光景。

 耐火性のある赤い屋根が立ち並ぶ、平和な光景。

 戦時中、ずっと求めてやまなかった、のどかな時間。

 あのまま自分がゾンビに倒されていたら、これが失われたかもしれない。

 そう考えると、バッシュにはどれだけ感謝してもしたりないぐらいだ。

 ついでに化粧台の上に並ぶ香水に関しても、感謝してやってもいい。


「ま、なんだ! 最初は警戒したが、天晴な男だったな! オークには馬鹿で野卑で人のことなんか考えてない奴も多いが、さすがに英雄と呼ばれる奴は一味も二味も違うってことか!」

「ソニア様も味がありますしね」

「どういう意味だよ!?」

「しかし、こうなると、結婚を断ってしまったのはいささかもったいなかったのでは?」

「バカッ! 断らなかったら加齢臭のまんまだろうが!」

「しかし、結婚はできていました」


 そうなのである。

 バッシュのプロポーズは、サンダーソニアの悪評を拭い去った。

 その代わり、今度は良い評判がつきすぎてしまった。

『サンダーソニアの処女性はエルフにとって神聖なものであり、何人たりとも犯してはならない』

 そんな噂が、国内外を問わず流れるようになったのだ。

 となれば、国内ではサンダーソニアへ言い寄ろうとする者はさらに減るし、僅かな望みであった他国の者も、そんな噂が流れているサンダーソニアに手を出そうとはしまい。

 手を出せば、エルフ国と戦争が勃発するのは目に見えているわけだし、サンダーソニアの結婚は、さらに遠のいたと言わざるを得ない。

 ついでに言うと、処女なのもバレてしまった。

 トリカブトに「経験も無いのに、おしめを替えるのはうまいんですね」なんて皮肉を言われるぐらいに。


「ふん! ふん! 誰がオークなんぞと結婚するか! あいつら、自分の妻が妊娠したら裸にして村中に見せびらかすような連中だぞ!? お前はいいっていうのか? この私が、このサンダーソニアがそんなことになっても!」

「あまりお腹の子にはよくなさそうですね。とはいえこのあたりは一年を通して気候が温暖ですし、大事無いのでは?」

「エルフの恥だって言いたいんだよ!」

「あー、いけませんよサンダーソニア様。戦争で捕まったエルフの中には、そういう経験をした者もいます。恥と言ったら差別にあたりますよ? いいんですか? 国のために戦った者を差別しちゃって?」

「い、いや、別に同胞を差別するつもりは無いぞ!? ただ、やはり私は恥ずかしいというか、だな。裸体はそうおいそれと見せるものではないというか、旦那様にだけ見せるべきだと思うというか、だな……」


 もじもじと手をすり合わせるサンダーソニア。

 彼女は結婚を急いでいる。

 相手は誰でもいいと思っているが、結婚後の理想は高い。

 なぜなら彼女はエルフの英雄、サンダーソニアだからだ。


「戦時中はともかく、条約でそういうの禁止されましたし、そんなことはされないでしょう。バッシュ殿もああ見えて紳士のようですし、大事にしてもらえたと思いますが」

「ふ、ふざけるな!」


 サンダーソニアは腕を組み、壁を向いてプンスカと怒っている。

 しかし、その口元には隠しきれないニヤつきが張り付いていた。

 思い返すのは、バラベン将軍との戦いだ。

 あの時は、憎きオークがやってきた、もうだめだ、おしまいだと絶望して見ていたが、思い返せば、あれほど安心感のある背中は無かった。

 お前には指一本触れさせん。

 そんな言葉を掛けられたのも、1200年生きてきて、久しぶりだった。

 守られる立場というのも悪くないし、背中を預けて戦える存在でもある。得難い存在だ。

 そう思えば思うほど、記憶の中のバッシュは、どんどん美化されていった。

 今、サンダーソニアの脳内では、バッシュの牙が白銀に輝いている。


「まぁ、あのオークがしつこく何度も言い寄ってくるようであれば、少しは考えてやらんでもないがな!」

「へえ」

「エルフの寿命は長いのだからな。一晩ぐらい……いやさ、奴の望みだし、一人ぐらいなら……うん。世間体的にも別に問題なかろう。裸で街中を引き回されるのは勘弁だが……。むしろ私がオークの英雄の妻となれば、オークとも友好的な関係を築ける。エルフの益にもなる。うん。エルフの益になるんなら仕方ないな! うん!」


 トリカブトはそれを聞きながら、肩をすくめた。

 サンダーソニアはいつもそうだ。

 たまにこうやって頑固に口では絶対にノーと言いつつも、内心ではイエスに傾きかけているのだ。

 あれこれと理由をつけないと、イエスと口にできないのだ。


「そ、それで。あいつは、バッシュはどこにいる? 別に結婚を承諾するわけではないが、今一度、改めて礼を言っておいた方がいいだろう? エルフの代表としてな! な!」

「バッシュ殿でしたら、ソニア様にフラれた翌日には、すでに旅立たれましたよ?」

「え、そうなの?」

「しつこく言い寄ってもらえると思ってたんですか?」

「ぬぐっ……」

「さすがに舐めすぎでは? 相手はオークの英雄ですよ? 戦争中、サンダーソニア様なんか足元に及ばないぐらいいい女を、たくさん捕まえた男ですよ?」

「ぐぬぬ……」


 実際には一人も捕まえていないのだが、それを知る者はいない。

 オークの英雄なのだから、当然、戦争中は捕まえた女を何人も犯してきたと考えられている。

 それに対して唾棄しないのは、オークの国が制裁を受け、オークたちが条約を守っているからに他ならない。

 今は戦後、他国の文化に対して寛容にならなければいけない時期なのだ。


 まぁ、それはそれとして、サンダーソニアの顔が真っ赤だ。

 自分がいい女だと思っているわけではないが、面と向かって「相手にされるわけないっしょ?」と言われれば、怒りと恥で血が上らざるを得ない。


「た、た、た……」

「?」


 サンダーソニアは叫んだ。


「旅に出るぞ!」

「えっ」

「旅だ! こんな国にいられるか! 噂が届いていないような所でいい男を見つけてきてやる!」

「……はあ」

「止めても無駄だぞ! 絶対出るぞ! 絶対だ!」

「……」


 トリカブトは唐突に旅に出ると言い出したサンダーソニアをまじまじと見た。

 サンダーソニアは、確かに唐突に変なことを言い出す。

 冗談めいたことを勢いで言ってしまう。

 今回も、その類のものなのだろう。

 だが……とトリカブトは考え、やがてフッと笑った。


「止めませんよ。サンダーソニア様」

「えっ、止めないのか……?」

「ええ。あなたは、エルフのためにずっと尽力してきた……エルフは、あなたに頼りすぎていた。そろそろあなたには、何の憂いもなく、悠々自適に過ごしていただきたい所なのです。でも責任感の強いあなたは、国にいれば我々の世話を焼いてしまう。自ら重荷を背負おうとしてしまう。なら、しばらく他国に慰安旅行にいき、この平和な時代を楽しむのもいいでしょう」

「……」


 サンダーソニアは口をつぐんだ。

 止められると思っていたのだ。

 やるべきこと、いっぱいあるし。


「いや、うむ……まあ、お前がそう言うなら……でも、本当に大丈夫か? 私がいなくても?」

「はい。後のことはお任せください。このトリカブト……のみならずエルフ一同、責任を持って国を守ってみせましょう!」

「あ、そう……」


 ここまでハッキリと言われてしまうと、「いや、今のはちょっと勢いで言ってみただけ」とは言えないソニアだった。


「うん。じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 かくして、サンダーソニアは旅に出る。

 諸国漫遊、慰安旅行と称した……婚活の旅に。



 一方その頃、バッシュは北へと移動していた。


 木々をかき分け、茂みを抜け、目指す先は北。

 ブリーズより、次の目的のヒントを得ていた。

 なんでも北、ドワーフ国ドバンガ坑では、エルフの国と似たような状態になっているらしい。

 ドワーフ女は、オークの好みからすると、少々外れている。

 バッシュも、ヒューマンやエルフと比べて、それほど好きというわけではない。

 だが今回、ヒューストンの言葉に従った結果、あれだけの美人エルフに出会えたのだ。

 次回も期待していいだろう。


「今回はダメだったっすけど、気を取り直して行くっす! 次も頑張るっすよー!」

「おお!」


 バッシュは行く。

 妖精と共に。

第二章 エルフの国 シワナシの森編 -終-


第三章 ドワーフの国 ドバンガ孔編に続く

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― 新着の感想 ―
三時のおやつ、もとい三児の母 何度読んでも天才かよと思う、さすレジェ
[気になる点]  結婚申し込まれたことで加齢臭の噂は否定できたのに?
[一言] メインヒロインはソニアさまなのかな? なんか少し特別感がある
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