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オーク英雄物語 ~忖度列伝~  作者: 理不尽な孫の手
第二章 エルフの国 シワナシの森編
17/107

16.追い詰められるエルフ達


 その日、バッシュとゼルは元気にゾンビ狩りをしていた。


「今日はなんだか、ゾンビが豊富っすね!」


 しかし、なぜだかその日に限ってゾンビの量が多かった。

 いつもは一時間に2~3体しか現れないゾンビが、1秒に1体の割合で出現している。

 もはや大群といっても過言ではない。


「これだけゾンビがいれば、金ピカネックレスにも手が届きそうっすね!」

「ああ!」


 バッシュは返事をしながら、ゾンビの首を両断していく。

 バッシュの大剣から繰り出される一撃は、肩と胸部を粉砕し、頭部と腹部だけが綺麗に残った。

 手早く頭部から顎を取り外し、持ってきたずだ袋へと放り込んでいく。

 アンデッド狩りの報酬は、概ね頭部か下顎で支払われる。

 スケルトンであれゾンビであれ、首を残しておけば、概ね安心だ。


「これだけ量があると、持って帰るのが大変そうっすね!」

「なに、往復すればいい」


 バッシュはそう言いつつ、胸が踊っていた。

 何時間戦っているのかわからないが、周囲にはゾンビの残骸が山ほど積み重なっている。

 これだけのゾンビを退治すれば、金ピカネックレスも購入できるだろう。

 それはつまり、エルフ女性との結婚を意味する。

 あの小柄で美しいエルフとの結婚。

 胸も期待でシャルウィダンスというものだ。


 ちなみに、バッシュたちの視界の外では、そのゾンビがうぞうぞとうごめいて再生し、また新たな個体を生み出しているのだが、当然ながら気づいていない。

 ただただ金が向こうからやってくる状況に歓喜していた。

 仮に気づいたとしても、ゾンビの下顎が無限に手に入るこの状況に、やっぱり喜んだだろう。


「あっ、旦那! レイス! レイスも出てきたっすよ! 多分、レイスも報酬出るっす! ゾンビとスケルトンに出て、レイスに出ないなんてことはないはずっすからね!」

「まかせる!」

「うっす! 『フェアリー・シャイン』!」


 ゼルが凄まじく発光すると、レイスはたちどころにかき消えた。

 こう見えてゼルも歴戦の戦士である。破壊力十分な魔法を扱える……というのもあるが、物理攻撃をほぼ無効化するレイスは、光の魔法に弱いのだ。

 残ったのは、絹のような薄い布切れ。

 レイスの残骸である。

 ゼルはそれを空中で拾い上げると、袋の中に入れようとして、


「あっ! 旦那! もう袋が一杯っすよ!」


 袋が一杯なことに気がついた。


「む……一度戻るか」


 バッシュはそう言いつつ、ずだ袋を背負った。

 オークの巨体からしても大きすぎるほどの袋。

 その重さに、バッシュの胸が高なった。

 

「エーッ! 戻るんすか!? こんなゾンビの群れ、明日にはいなくなっちゃうかもしれないっすよ!?」

「ゾンビは逃げん。渡り鳥ではないからな」

「そりゃそうかもしれないっすけどー」


 バッシュが大剣を振るって淡々と道を開き、ゼルがその後をついていく。

 と、その時だった。


「おいおいおいおい、多すぎんだろ!? どうなってんだこれは!?」


 人の声が聞こえた。

 バッシュが声の方向を見ると、一人の男がゾンビを相手に大立ち回りを繰り広げていた。

 茶色の斑模様の鎧を身に着け、右手に光り輝く剣を持ち、左手に燃え盛る盾を持ち、迫り来るゾンビを凄まじい速度で斬り倒していた。

 その討伐速度はバッシュに及ばないものの、しかし一般的に見れば十分すぎるほど早いものだった。


「うおー、やばいやばいやばい、やばいってこれ!」


 男はヤバそうなことを言っているが、戦いには余裕があったし、顔は歓喜に満ちていた。

 彼の脇にある満杯のずだ袋を見るに、彼もまたゾンビを狩りにきたのだろう。

 笑っているのは、バッシュたちと同じ理由に違いない。


「あいつは……」


 バッシュは彼に見覚えがあった。

 そう、酒場で情報を教えてくれた彼だ。

 それと同時に、彼もバッシュに気づいた。


「うおおお! ゾンビじゃねえオークもいるのかよぉ!」


 そう言うと、燃え盛る盾を前に構え、バッシュへと突進してきた。

 バッシュは大剣を構えてをそれを迎え撃つ。

 なんであれ、向かってくる敵を打ち倒すのに理由はいらない。


「……」


 が、バッシュの間合いへと入る寸前で止まった。

 顔面は蒼白。

 だらだらと脂汗を垂れ流し、息が荒い。


「『オークの英雄』か?」


 どうやら、バッシュを知っている人物のようであった。


「そういうお前は『息根止め』?」


 バッシュもまた、目の前の男の正体に気づいていた。

 先日はわからなかったが、彼の装備が、彼の正体を示していた。

 元は白かったであろう、血染めの鎧。

 そのあまりに高い魔力ゆえ、魔法を付与した瞬間から剣は光を発し、盾は燃えだす。


 ヒューマン稀代の魔法戦士。

 『息根止め』ブリーズ・クーゲル。


「オークの英雄が、こんな所で何してやがる……?」

「先日話した通りだ」

「先日? あんたと会ったことなんて……」


 と、そこでブリーズも思い出した。

 つい先日、酒場でエルフに袖にされ、一人のオークと意気投合したのを。

 デロンデロンに酔っ払っていたせいで会話の内容はまったく憶えていない。

 見目麗しいエルフを眺めながら、一緒に酒を飲んだことぐらいしか憶えていない。

 だが、ブリーズはヒューマンだ。

 ヒューマンは賢く、思慮深く、空気も読める。

 ズダ袋を見て、一瞬で察した。


「フッ……オークの英雄がなんでこんな所にって思ったが……そういうことか」

「ああ、恥ずかしながらな」

「恥ずかしがることなんざねえ。立派なもんさ。俺に比べりゃあな」

「……」


 バッシュはブリーズを見た。

 剣と盾を魔法で付与した姿は、誰の目にも頼もしく映るだろう。

 ヒューマンは童貞に関係なく魔法を使えるため、魔法戦士であるということが恥ずかしいということは無いだろう。


 だが、先日の話を聞く限り、彼もまた独身だ。

 ヒューマンの国では、年を取れば結婚をしているのは当たり前という話だった。

 オークが童貞を恥ずべきと思うのと同じように、ヒューマンは独身であることを恥ずかしいと思うのかもしれない。


「やっていることは変わらんだろう。俺もお前も」

「はは、あんたにそう言われちゃ敵わねえな。ありがとうよ」


 ブリーズは自嘲気味に笑った。

 眼の前の立派すぎる存在に圧倒され、自分があまりに矮小に見えているかのように。

 とはいえ、バッシュからすると、なぜ彼がそんな顔をするのかはわからない。

 お互いにエルフを求め、ゾンビ狩りで金を稼ごうとしている立場だというのに。


「む?」


 と、そこでバッシュの鋭敏な耳が、ある音を捉えた。

 キンともカンとも聴こえる音の中に、耳当たりの良い、心地良い声が混じっている。


「エルフがゾンビに襲われているようだな」

「なに?」


 バッシュは耳をすます。

 すると、エルフたちの焦っている声まで聞こえてきた。

 追い詰められているのか、声に余裕はなく、悲鳴も混じっている。


「劣勢のようだ」

「……」


 バッシュがそう言った瞬間、ブリーズの目が細まった。

 口が結ばれ、真面目な顔になる。


「他人事みたいに言ってる場合か、エルフがピンチなんだぞ!? どっちだ!?」

「あっちだ」

「よし、行くぞ!」


 ブリーズはそう言って、走り出した。


「何なんすかね?」


 いきなり走り出した彼に、ゼルは首をかしげた。

 ゼルからすると、そもそもこの男が何者なのかすらわからない。

 旦那の知り合いで、ヒューマンのめっちゃ強い魔法戦士ってことぐらいだ。


「わからん。行くぞというのだから、付いていってみるか」


 ともあれ、バッシュは彼に追従するのだった。



 駆けつけた先は地獄のような光景だった。

 大量のゾンビ。

 それに対するは、数人のエルフだ。

 エルフたちは陣形を組み、次々と襲い来るゾンビたちに抵抗しているが、傍から見ても満身創痍。

 地面には、すでに数人のエルフが倒れていた。

 数名はすでに息を引き取り、数名はすでに虫の息。

 もはや全滅が時間の問題であることは、誰の目にも明らかだった。


「くそっ……ここまでか……!」

「ハッ、あの地獄を生き残ったあたしら第31独立分隊が、こんな所で死ぬなんてな……」

「あぁ……結婚したかったなぁ……」


 生き残ったエルフたちの声にも、諦めが混じり始めていた。

 新兵はいなかった。

 若い兵は、すでに逃した。

 ここにいるのは、古参兵だけだ。

 しかし、百戦錬磨の古参兵であっても、包囲された状況で延々と湧き続けるゾンビを倒し続けるだけの力はなかった。

 一人、また一人と致命傷を負い、倒れていく。


「魔力切れか……あーあ、平和になって、もう死ぬことは無いって思ってたのになぁ。油断したかなぁ?」

「あたしらもヤキが回ったね。あんなグズどもを先に逃がして、自分たちが残っちまうなんて」

「あぁ……結婚したかった……」


 最後に残った数人のエルフ。

 彼女らはゾンビを相手に戦い続けていたが、もはや退路は無く、余力も無い。

 やがて、彼女らはゾンビの群れへと飲み込まれていき……。


「『セイクリッドエッジ』!」


 光の刃が、ゾンビを薙ぎ払った。

 それは一人の戦士だった。

 光の剣がゾンビを一撃で斬り倒し、燃える盾がゾンビを灰へと変えていく。


 いや、一人ではない。

 彼の背後では、別の戦士が暴れまわっていた。

 巨大な大剣を振り回す度、数体のゾンビが文字通り消し飛んでいく。


「……?」


 呆気に取られるエルフたちの視界に、何やら光る物体が映った。

 その物体は、倒れたエルフの所にふよふよと頼りなく飛んでいき、空中でクルクルと回転すると、なにやら輝く鱗粉のようなものを落としていく。

 よくわからないが、なんとなく幻想的なのだろう光景。

 飛行物体の回転が、何やら不気味な踊りなせいか、イマイチ幻想的と断定できない光景。


 そんな光景を尻目に、唐突に現れた二人の戦士は、次々とゾンビを消滅させていく。

 まるで、草刈りでもするかのように無造作に。

 疲れなど知らぬかのように、淡々と。


 それは周囲からゾンビが一掃されるまで続いた。


「ふぅ……」


 ひとまず周囲に敵がいないのを確認した男ーーブリーズは、エルフたちの方を向いた。

 そして、キザったらしく髪をかきあげ、エルフに聞いた。


「お嬢さんたち、大丈夫だったかい?」


 あっけに取られるエルフたちは、その言葉にコクコクとうなずいた。

 よくわからないが、助けがきた、ということなのだろう。

 しかし、光剣を持つヒューマンと、大剣を持つオークの組み合わせに、エルフたちの思考は追いつかない。


 と、そこでオークーーバッシュの方もエルフたちに近づいてきた。

 なにやら顔を難しくしかめつつエルフたちに何かを言おうとして、彼はふと、視界の端にあるものを見つけた。


「む……!」


 木に凭れ、倒れている一人のエルフ。

 腹部には大きな傷があり、服は真っ赤な血に染まっている。

 目は閉じられ、息も細い。

 バッシュは彼女に見覚えがあった。


「お前は……おい、大丈夫か!?」


 バッシュは彼女の名を知らない。

 ただ憶えている。

 忘れるものか。

 彼女がいなければ、バッシュは『大鷲の止まり木』にたどり着くことは無かったのだから。


「あ……ああ……その、声は……先日のオーク殿……か?」

「そうだ! 気をしっかり持て、傷は浅いぞ!」

「いや……無理だ……もう、目が、見えない……」

「それはお前が目を閉じているからだ! 本当に傷は浅いぞ!?」


 事実、傷はすでに治りかけていた。

 フェアリーの粉は、どんな傷でもたちどころに治してしまうのだ。

 恐らく、レイスの攻撃を受け、精神が錯乱しているのだろう。

 フェアリーの粉は基本的に万病に効くが、精神へのダメージには効きにくい時がある。

 フェアリーはデフォルトで精神が錯乱しているような種族だから、仕方ない。


「オーク殿……伝えてくれ……ソニア様が、本隊にいる……南の方だ……こちらに……リッチは、いない。偽物だ……このゾンビの数……罠……もしかすると、あの方でも……危ないかもしれん……頼む……」


 ソニア様が危ない。

 そう聞いて、バッシュの心がざわめいた。

 ソニア。

 自分が目をつけていた、あの美しいエルフの名前だ。

 それが危険。

 そう聞いては、バッシュは立ち上がらざるを得ない。

 

「……わかった。情報に感謝する!」


 バッシュは立ち上がった。

 そして、ブリーズの方に目配せをする。

 ブリーズもまた、話の内容から、バッシュが何をしたいのかを察していた。


「ああ、ここは任せとけ。あんたの荷物も……責任もって持って帰ってやる」


 ブリーズはそう言いつつも、エルフの一人に抱きつかれていた。

 そのエルフに「あたしも持って帰ってください……」なんて囁かれ、鼻の下はだらしなく伸び切り、馬のような顔になっていた。


「…………」


 バッシュはめちゃくちゃ羨ましかった。

 あるいは、その場で別のエルフに声をかければ、バッシュにも彼と同じような天国が訪れたかもしれない。


 だが、バッシュは決めたのだ。

 あの日、あの麗しのエルフに求婚すると。

 ゾンビを狩りながらも、ずっとあのエルフのことを想ってきたのだ。


「頼む」


 だからバッシュは走り出した。


 ブリーズはその背中を見送る。

 彼も、戦争を生き抜いた戦士だ。

 男が戦いに赴くのを止めるような野暮な真似はしない。


「ヘッ……やっぱ、本物の英雄は違うな」


 それに、ブリーズは気づいていた。

 旅になど出ないオークが、なぜこんな所にいるのか。

 エルフの森で、オークゾンビを狩り続けていたのか……。

 その本当の理由に。


「ああ、最後に……ダーリンに……一目……会いたかっ……」

「あの、アザレア隊長。マジで傷、もう治ってますよ?」

「……あれ?」


 精神錯乱から回復したアザレアはパチリと目を開けた時には、すでにバッシュの姿は無かった。



「はぁ……はぁ……くっそぉ……」


 氏族長バラベン将軍との戦いが始まり、数十分が経過していた。

 たった数十分。

 その間に、サンダーソニアは百を超える魔法を放ち、周囲の木々を焼き払い、その場を広場へと変えていた。

 しかし、その中心に立つ男は健在であった。


「オオオオォォォアアアアァァァ!」

「ぐ、ぐぐぐ、愚か、愚か、愚かなりサンダーソニア……」


 吠えるバラベン。

 あざ笑うガンダグーザ。

 彼らは、百を超える魔法を受けてなお、健在であった。

 ゾンビであるがゆえに、健在というのは少々おかしいかもしれないが、とにかく動いている。


 オークジェネラルに相応しい、力と速度を備えた俊敏な動き。

 敏捷なエルフの戦士でも、並の者であればすぐに叩き潰されていたであろう。


「憎き、憎き怨敵! エルフ、エルフ、エルフゥゥ! 我が一撃をうけろぉぉ!」


 腐りかけた脳みそから紡がれる呪詛の如き叫び。

 実際の所、サンダーソニアとて、何度か回避しきれず、その一撃を受けている。

 彼女が傷つきながらも生き永らえているのは、高度な魔法障壁によってガードしたからに他ならない。


 とはいえ、激しい攻撃に加え、防御にも魔力を回してしまった。

 いかにサンダーソニアが、エルフ国随一の魔法使いだったとしても、最大出力を維持して戦い続ければ、長くは持たない。

 かといって、出力を絞り、時間を掛けて戦えば、味方の壊滅は免れない。

 それどころか、今、この瞬間にも、エルフの戦士たちが一人、また一人と命を落としているのだ。

 即座に倒す必要があった。

 こんなに時間を掛けるわけにはいかなかった。

 だがサンダーソニアに、有効打を与える手段は無かった。


 得意とする雷はもちろん、アンデッドに有効な炎も、有効ではない冷気や土すら、全て耐性によって威力を激減された。

 よしんば、前衛であるバラベン将軍を倒したとしても、すぐに背後にいるガンダグーザが復活させるだろう。

 ガンダグーザを先に倒そうとしても、バラベン将軍がそれを全力で阻止し、リッチの高度な魔法障壁がそれを許さなかった。


「……まずいな」


 負ける、とサンダーソニアは悟った。

 今まで、勝てない戦いというものは何度も体験してきている。

 伊達に1200年も生きていないのだ。

 もう数百年もエルフの大魔道サンダーソニアとして生きてきたのだ。

 そりゃ、敵だってサンダーソニアへの対策を講じてくる。

 特に、デーモン王ゲディグズは、エルフの都市を一つ滅ぼした際には、サンダーソニアの魔法を完封してきた。


 死んでもおかしくない戦いは幾度もあった。

 サンダーソニアが生き延びてきたのは、生き汚かったからだ。

 自分が死んだら、エルフ国の士気が下がる。

 自分が死んだら、だれがエルフ国を守るのか。

 自分が死んだら、まだまだ子供みたいなアイツラしか残っていない。

 そんな気持ちが、彼女を惨めな敗走へと導き、彼女は泥水をすすってでも生き残って、今この瞬間まで生きている。


「……」


 サンダーソニアは、チラリと後ろを振り返った。

 そこには、トリカブトの姿があった。

 キンセンカはもういない。

 彼は部隊を連れて、撤退した。

 先ほどの言葉通り、サンダーソニアの言葉を聞いて、撤退に全力を尽くしてくれた。


 トリカブトが残ったのは、彼がサンダーソニアの護衛兼世話係だからだ。

 彼の任務は、サンダーソニアを守ること。

 だから残った。


 しかし、とサンダーソニアは思い出す。

 トリカブトは、結婚を控えていた、と。

 まだ公表できないが、想い人がいて、両想いだ、と。

 羨ましいの一言である。


 だが、祝福する気持ちの方が強い。

 なにせサンダーソニアは、トリカブトのおむつを替えてやったこともある。

 小さいころは、そにゃー、そにゃーと言って、後を付いて歩いてきたことを憶えている。

 甥っ子も同然、可愛くないわけがない。


 もう、戦争は終わったのだ。

 あの長く、苦しく、いつまで続くのかわからなかった戦争が、この子たちの代で終わったのだ。

 彼は、ここで死ぬべきではない。

 こんな、クソゾンビ……もとい、敗北者の亡霊に、地獄へと引きずりこまれるべきではない。


 もし引きずりこまれるのだとしたら、それは……。

 それは、自分だけで十分だ。


「よし」


 サンダーソニアは頷いた。


「トリカブト。どうにもこいつらの相手は時間が掛かりそうだ! このままいたずらに時間だけ失うのも馬鹿らしい! ひとまず、こいつらは私が抑えておくから、お前は先に突破するんだ! 私もちょっとしたら後を追うからな!」


 うまい具合に誘導できた。

 サンダーソニアはそう信じて疑わなかった。

 実際、自分が長時間の戦闘も可能な魔法使いであることは周知の事実だ。

 このままここに留まっていても、こちらに何の旨味もない。

 殿を残し、撤退する。

 理屈で考えれば、至極まっとうな意見だ、と。


 が、彼は声を上げた。


「馬鹿な! あなたを見殺しになど、できるわけがない!」


 あれ?

 と、サンダーソニアは首をかしげた。


「み、見殺しってなんだよ! 別に死ぬつもりなんか無いぞ!? 本当だぞ!?」

「いやいや、あなた、いつもは『抑えておく』なんて言わないじゃないですか! 『そこで見ていろ、任せておけ、すぐぶっ倒してやる。なんだその顔は? できないとでも思っているのか? 私はエルフの大魔道サンダーソニアだぞ!』って……」


 いつもそんなことを言っていただろうか。

 サンダーソニアは自問自答する。


 ……言っていたような気がする。

 サンダーソニアは、いつだってエルフたちを安心させようと思ってきた。

 敵の数が多く、絶体絶命のピンチだと仲間が感じている時。

 戦争の合間の、ほんのひとときの休憩時間に、子供たちと遊んでやった時。

 あのデーモン王ゲディグズとの戦いに赴く時も、似たようなことを言った。


 確かに、抑えておく、なんて控えめな言い方をしたことは無かった。

 いつだってサンダーソニアは、エルフの大魔道、エルフの英雄として振る舞ってきた。

 自分はエルフ最強の魔法使いだ。任せておけ、と。


「とはいえ、お前を死なすわけにはいかん。お前の母親に顔向けができんだろう? な?」

「なぜ私が死んで、あなたが生き残ることになっているんですか……?」

「いや、例えばの話! 私がおめおめと生き残って、本国まで帰った時の話!」

「……しかし、いえ、その方がいい!」


 トリカブトはサンダーソニアの言葉に、口元をギュっと結んで頷いた。

 息を飲み、深呼吸を一つした後、彼は言った。


「うん。その方がいい。むしろ、私がこの二人を抑えます。その間に、どうかソニア様は町へと戻り、援軍を! なに、あなたが生きていれば、エルフはいくらでも戦えます!」

「お前……」


 トリカブトが死ねば、悲しむ者は多い。

 トリカブトの両親も、トリカブトの兄弟も、トリカブトの同僚も、トリカブトが婚約しているというビーストの王女も、悲しむだろう。

 だが、それだけだ。

 彼は軍人。組織の一員。

 エルフ軍は、例え総大将が討ち取られても、即座に頭をすげ替え、戦闘を続行できるように組織されている。

 替えの利く存在なのだ。


 だが、 エルフの大魔道サンダーソニア。

 彼女は違う。

 彼女は、エルフ族の象徴とも言える存在だ。

 1200年もの間、エルフを守り続けてきた、エルフの守り神なのだ。


「バカァ! おま、お前、お前なぁ! 私が、私が何のために……何のために……」


 サンダーソニアは涙ぐみ、悔しそうに唇を噛んだ。

 思えば、いつもそうだった。

 サンダーソニアが、600歳を越えたあたりから、誰もがサンダーソニアの命を守ろうとしてくれた。

 軍属とはいえ階級も無く、族長の血族とはいえ、隠居程度の権限しか持たない。

 そんな彼女を、いつだって若者は生き永らえさせようとしてくれた。

 そして実際、生き永らえさせてくれた。だから自分は生きている。


 当時はそれを受け入れていた。

 確かに自分は戦争に必要だった。いなければエルフは折れた。

 それがわかっていたから、汚くも生き延びた。


 けどもう戦争は終わったじゃないか。

 勝ったじゃないか。

 なのに、なんでまだ生かそうとするんだ。


「1200年も戦い続けて、戦争にも生き残ったんです。そろそろ、あなたは戦いから離れ、幸せに暮らすべきなんです。結婚でもして、ね」

「そう思うんならお前が貰えよ!」

「いや、それはちょっと。婚約者いますし」

「だったらお前が生き残れよぉ!」


 トリカブトとサンダーソニアがいつものようにギャーギャーと言い争いをしようとした、次の瞬間だった。

 トリカブトに、一抱えはありそうな岩がぶち当たった。

 岩に巻き込まれるようにトリカブトは吹っ飛んでいき、数十メートルほどで停止した。

 ピクリとも動かない。


「グググググ、茶番は終わりだ」


 油断……と言えば、そのとおりなのだろう。

 戦いの最中、相手から目をそらした。

 その結果、身内が死んだ。


「トリカブト……お前……こんな、こんな所で、死ぬわけないよな? な?」


 サンダーソニアは、問いかける。

 しかし、返事は無い。


「結婚するんだろ? ビーストのお姫様と。お前、小さい頃から、動物が好きだったもんな……あ、いや、今はビーストを動物扱いするのは、差別に当たるんだったか? なあ、おい、答えろよ……」


 返事は無い。

 ただ、ぴくりとも動かないエルフが転がっているだけだ。

 昔から、よくあったことだ。

 まぬけなソニアは、よく敵から目を離し、油断し、ちょっとしたミスをし、仲間を殺した。

 全てが自分の責任ではない。

 トリカブトだって悪いのだ。楽しく口喧嘩をしている暇など無かったのだ。

 サンダーソニアの言うことを聞いて、さっさと撤退すれば良かったのだ。

 そう言い聞かせるも、サンダーソニアの心は晴れない。


「絶対に……」


 だからソニアは切り替える。

 サンダーソニアはエルフの戦士だ。

 歴戦の戦士だ。

 彼女は、今、戦争中の羅刹へと戻ろうとしている。

 見つけた敵全てを焼き払った、エルフの英雄に。


「絶対に許さんぞ! 二度とゾンビにならんように、この世から消し去ってやる!」


 サンダーソニアは杖を構える。

 激高しているが、同時に冷静でもある。

 怒った所で状況は変わらない。

 魔法はほとんど通じず、有効な対抗策は無い。

 少なくとも自分か、先行しているはずのキンセンカだけは脱出させなければならない。

 エルフの英雄と中将がこんなゾンビ退治ごときで揃って死んだとあっては、抑えつけているオークや、同盟国ながらも領土の拡大を狙っているであろうヒューマンが、動かないとも言い切れない。

 また戦争が始まる。

 それはダメだ。

 どちらかが死ぬにしても、どちらかが生き残り、事実を隠さなければならない。

 しかし、どうやって……。


「逃さぬ、逃さぬ、逃さぬぞ! エルフは、一人も、エルフは一人もぉぉ!」


 バラベン将軍の叫びが響き渡る。

 サンダーソニアとて、気持ちは同じだ。

 ゾンビの一匹たりとも、逃すつもりはない。

 ただその力が今、手元にない。それがとにかく口惜しい。


「うるさいっ! ゾンビはおとなしく墓にでも……」


 と、その時だ。


 瞬時にそこまで思考した所で、ふと、サンダーソニアとバラベン将軍の間を、何かが通り過ぎた。

 すばやく、それでいてどことなく不安定で、どこかに行ってしまいそうなその存在。

 そいつは、倒れているトリカブトの上まで移動すると、何やら不思議な踊りを踊り始めた。

 トリプルアクセルからのダブルトゥループ。

 するとそいつからフケのようなものがパラパラとトリカブトへと落ち始めた。

 間抜けな踊りは、幻想的というには程遠い光景である。

 だが悔しいことに、人はこれを幻想的と表現するしかない。


 そいつが何をしているのか、この状況で理解できる者はいなかった。

 そんなことより。

 そんなことよりも、サンダーソニアとバラベン将軍には、気にかかることがあった。


 ゆっくりと自分たちに近づいてくる気配。

 遠くから、破壊音を撒き散らしながら近づいてくる存在。

 ゾンビを蹴散らし、木々をなぎ倒し、こっちへと近づいてくる。

 小さくも濃密な、震えるような暴力の塊。


 そしてそいつは、ゆっくりと姿を現した。


「……」


 オークだった。

 肌の色は一般的なグリーン。

 オークにしてはやや小柄だが、密度の高い筋肉に覆われた体。

 鷹のような瞳、紫掛かった青い髪。右手には大剣。

 何の変哲もない、どこにでもいるグリーンオーク。


 サンダーソニアは知っている。

 このオークは、世界の誰よりも恐ろしい存在だと。


「バッシュ……」


 そして理解した。

 オークの英雄であるこの男が、なぜ今、ここにいるのか。

 このシワナシの森へとやってきたのか。

 自分の前に姿を現すと言ったのか。


「おお! 英雄バッシュ! 久方ぶりだ! 息災か!」


 バラベンが歓喜の声を上げる。

 槌を持った両手を広げ、英雄を招き入れる。


「そなたがいれば百人力! さぁ、かつてのように共に戦おう! 憎きエルフを滅ぼし、我らが森を取り戻そうぞ!」


 サンダーソニアは絶望した。

 理解してしまったのだ。

 このオークの英雄が、シワナシの森にやってきた理由を。

 そう、このオークは、シワナシの森を取り戻しにきたのだ。

 この男は、エルフの英雄である自分を倒し、エルフに絶望を与えた上で、再度戦争を引き起こそうとしているのだ。


 今の自分にバッシュを打倒する力は残されていない。

 バラベン将軍とガンダグーザも同時となれば、逃げることすら不可能だ。


「バラベン将軍……か?」


 バッシュは、訝しげに周囲を見渡していた。

 と、そこに先程の飛行物体がやってきた。

 ほんのり光るフェアリーだ。

 そいつはバッシュの耳元まで移動すると、なにやら耳打ちをした。

 バッシュはそれを聞いてふんふんと頷くと、サンダーソニアの方を見て、ニヤリと笑った。

 サンダーソニアには、その笑みが死刑宣告にしか見えなかった。


「く……来るなら来い……わ、私はエルフの大魔道サンダーソニアだ。最後まで諦めんぞ!」


 サンダーソニアは、死を覚悟しつつ、杖を構えた。

 思い出すのは、シワナシの森の悪夢。

 あの戦い。

 1200年もの長い人生の中で、最も屈辱で、そして最も苦戦し、戦いの中で勝てないと悟り、しかし逃げることすら叶わなかった、あの戦い。

 もう一度あれをやれと言われても、二度とゴメンだと思っていた、あの。


「うむ」


 バッシュはゆっくりと、サンダーソニアの方に歩いてきた。

 サンダーソニアは知っている。

 今はゆっくりだが、こいつは目にも止まらぬ速度で動く。

 牽制で動かし、攻撃させ、それを紙一重で回避し、わずかな隙を突かなければ、満足に攻撃を当てることすらできない。

 自分に出来るのか。

 かつてはできた。だが負けた。手応えはあったのに、先に倒れたのは自分だった。

 今回はきっとバラベン将軍やガンダグーザも、バッシュが仕掛けると同時に動くだろう。

 それも同時に抑えながら、バッシュの猛攻に耐えなければならない。

 出来るのか……?

 出来るわけが無い。

 でもやらなきゃならない。

 やらなきゃ、また戦争が始まってしまう。

 オークとエルフの戦争。

 ヒューマンやビーストは、また同盟を組んでくれるか?

 ドワーフは無理だ。あいつらはエルフが嫌いだから。

 ああ、でもヒューマンは欲深い。エルフが弱体化すれば、きっとエルフの領土を侵犯しようとしてくるだろう。

 敗戦国だって、黙ってみているとは思えない。

 サキュバスやフェアリー、リザードマンは確実にオークの側に付くだろう。

 そうすればまた……。

 だめだ、そんなのは!

 自分がなんとかしなきゃいけない。

 エルフの英雄サンダーソニアが。

 じゃなきゃ何のために生き延びてきたのかわからない。

 なんとか、なんとか……。


「はぁ……はぁ……」


 サンダーソニアの心臓が、破れそうな程に脈を打った。

 プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、荒い息で杖に魔力を込める。


 バッシュが、目の前まで来た。

 彼は大剣を持ち上げると……。

 くるりと後ろを振り返り、バラベン将軍に向かって剣を構えた。


「これから先、お前には指一本触れさせん。安心して、そこで見ていろ」

「……なに?」


 サンダーソニアは、杖を持ったまま固まった。

 こいつ、今、なんて言った?


「おおおぉぉぉ! バッシュ! 貴様、エルフの味方をするのか!」

「ググググ! なぜだ、なぜだ、なぜだなぜだなぜだぁぁぁ!」


 バラベン将軍とガンダグーザが叫ぶ。

 裏切りだった。

 まさかオークの英雄が、憎きエルフを背後に守り、同胞に向かって剣を抜くなど、ありえない事のはずだった。

 だが、二人は知らないのだ。

 もう、戦争は終わった。

 今は新たな取り決めに従い、オークは生きているのだ、ということを。


「他種族への侵攻は、オークキングの名に於いて固く禁じられている」

「おのれ、おのれ、おのれぇ!」


 バラベン将軍が吠えた。


「ネメシス風情が、このバラベンに意見するかぁ!」

「ググ! オークの誇りはどうした! オークが戦いを捨ててどうする! 貴様それでもオークかぁぁぁ!」


 バラベンの咆哮。

 ガンダグーザの叫び。

 それを聞いたバッシュの体に力が入る。


「バラベン将軍。あなたのことは尊敬している。だがゾンビはオークではない。オークでない者が、オークを語るな」

「ぐ……おおおおぉぉぉ! うおおおあああああ!」


 バラベン将軍が激高した。

 地の底から響いてくるような雄叫びを上げて、バッシュへと突っ込んでくる。

 バッシュの倍はあろうかという巨体で、バッシュの持つ大剣が爪楊枝に見えるほどの槌を振りかぶり、バッシュへと迫る。


「来い」


 オークの英雄と、オークの大将軍の戦いが始まった。

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オークでない者が、オークを語るな
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