15.オークゾンビ
戦後、各国で軍縮が行われたのは周知の事実だ。
戦敗国はもちろん、戦勝国もまた、次なる戦争を引き起こさないためにと、決められた量まで兵力を落とす調整を行った。
決められた量まで、といっても、戦敗国のそれに比べれば、雲泥の差ではあるが。
シワナシ森方面軍は、オークの武装蜂起と、ヒューマンの侵攻を想定して置かれた軍だ。
ヒューマンとオーク、それぞれの国からの侵攻を考えて、2つの大隊が配備されている。
その兵力は約1200程度。
第一大隊は弓兵を主体とした大隊で、700余名。
第二大隊は魔法兵を主体とした大隊であり、500余名。
エルフ軍に限らぬことであるが、軍縮が行われてなお軍隊に残った者は、戦うことしかできない生来の兵士か、その能力を買われて軍部から引き止められたエリートが大半を占める。
すなわち、現状における各国の軍隊は、精鋭中の精鋭である。
特にエルフ軍は、その長い寿命ゆえ、ヒューマンのように次代に備えるという意識が薄い。
新兵はほとんど存在せず、終戦まで戦い抜いたベテランが揃っていた。
終戦間際の激戦を戦い抜いた500名の精鋭。
たかだかゾンビ退治には大げさともいえる人数である。
いくらリッチがいるとはいえ、100名もいれば十分なのだから。
だが、決して敵を侮らないという慎重さと、必ず叩き潰してやろうという苛烈さが混じった、有能な選択であったと言えよう。
さて、ゾンビの発生している現場に到着し、第二大隊の長であるキンセンカ中将が行ったのは偵察だ。
偵察は10の小隊を用いて行われる。
偵察隊は本隊を中心に放射状に散っていき、100メートル毎に魔法陣を刻む。
この魔法陣は、周囲50メートルの動体反応を検知するものであり、数分でその効力を失う。
大隊は魔法陣によって安全を確認した後に50メートル前進し、偵察隊を呼び戻す。
戻された偵察隊は再度、放射状に散っていき、魔法陣を刻む。
接敵するまでこれを行う。
「アロー3より報告、敵発見。ゾンビ5、スケルトン3」
「撃破せよ」
敵を発見した瞬間、偵察隊は遊撃隊へと変化し、本隊と連携して挟撃あるいは包囲。各個撃破を行う。
この一連の流れは『エルフ・アロー』と呼ばれる、エルフの伝統的な戦術である。
「アロー6より敵大将発見。リッチ1。ゾンビ、スケルトン共に100以上!」
「よし、リッチを撃破、アンデッド共を殲滅する」
『エルフ・アロー』にも幾つか弱点はある。
だが、ゾンビ退治に使う戦術としては、最適解とも言えた。
「ではサンダーソニア様、よろしくおねがいします」
「ん、任せろ! リッチ程度なら、何度も退治したことがあるからな! 余裕だ!」
サンダーソニアの自信満々の声が森に響き渡る。
エルフの英雄の言葉に、大隊の士気が上がる。
3年間、久しく無かった、大隊規模の戦闘……。
でも大丈夫。
相手は所詮ゾンビの群れ。
我々はあの戦争を戦い抜き、生き抜いた精鋭。
それに、我々にはサンダーソニアがついている。
例え劣勢になろうとも、英雄が勝負を付けてくれる。
我々は勝利する。
エルフたちの中にあったなけなしの不安は払拭され、ただただ胸が高鳴る。
そうなれば、ゾンビ退治など単なるパレードのようなものだ。
「全軍、攻撃開始!」
「オオオオォォォォ!」
鬨の声が上がり、エルフたちの攻撃が始まった。
エルフたちは十分な勝算をもって作戦を行った。
十分な兵力に、十分な練度。
指揮官は優秀で油断もなかった。士気は高く、かといって戦功を焦る愚者もいない。
アンデッドの弱点はわかっているし、その弱点に沿った戦術をとった。
負ける要素など何もない。
ただ一つだけ誤算があったとするなら……。
終戦前、どこの誰がシワナシの森で死んだのかというのを、忘れていたことぐらいか。
◇
一方その頃。
暗いシワナシの森の一画。
エルフたちが音もなく偵察を続けている中、さらに静かな木陰。
そんな場所の地面が、ボコリと盛り上がった。
何かが、地面の中から出てきた。
その何かは、湿った土をボトボトと落としながら立ち上がった。
高さにして3メートルほど。
巨人族もかくやというほどの影。
その影は人型をしており、目にあたる部分には、爛々と輝く赤い光があった。
ゾンビである。
ゾンビは起き上がると土を払うこともなく、周囲を見渡し、ある一点を見て、動きを止めた。
「おお、おお、見えるか、戦士たちよ!」
シワナシの森に声が響く。
低く、ひび割れ、地獄の底からでも届いたかのような声が。
「我輩にはしっかと見える! あれこそ憎きエルフの軍勢だ! あの日見えなかった、暗闇に潜みし卑怯者の背だ!」
生前は、凄まじい肉体の持ち主だったのだろう。
3メートル近い、巨人族もかくやという巨躯、腐り、ボロボロになりつつも、鋼鉄のような筋肉であったことが窺える太い腕、太い足。
左手は肘より先から存在しないものの、右手には鉄塊としか思えないほど巨大な鋼鉄の槌が握られている。
それらを錆びついた鎧で包み、ゾンビは笑う。
「おお、見よ! 見よ! 素晴らしき眺めではないか! 諸君らもそう思うだろう!」
いつしか。
いつしか、彼の背後には、ゾンビが立っていた。
一匹や二匹ではない。
数百ではきかない数の、大量のゾンビの群れが。
彼らの中には、すでに眼球など無い者も多かった。
だが、赤く怪しく光る何かが、彼らの視界を確保していた。
全員が、同じ方向を向いていた。
夜目の利く視界に、憎きエルフの軍勢を映していた。
「笑おうではないか! かつての我らの敗北を雪辱できる、この喜びに!」
ゾンビは鋼鉄の槌を持ち上げた。
やや遅れて、ゾンビたちもまた、各々の武器を持ち上げる。
折れ、砕け、錆びついた剣や斧。
何年も土に埋まっていたかのような獲物。
しかし、その獲物には、やはり赤い光が怪しく宿っていた。
「そして、感謝しようではないか! 我らに二度目の機会を与えてくれた、あの小賢しきガンダグーザに!」
周囲のゾンビたちからの声は無い。
大抵のゾンビというものは、言葉を発しない。
せいぜい、「あー」とか「うー」といったうめき声を上げる程度である。
言葉を発せられるゾンビは、高位の存在か……。
あるいは、よく訓練されたゾンビである。
「さらに悔いようではないか! ガンダグーザを冷遇し、最後まで意見を聞こうとしなかった、この我輩に!」
彼らは理解していた。
今、我らは隠密行動をすべきだと。
静かに行動を開始し、音もなく相手を仕留めるべきだと。
そう、かつてエルフの軍勢が我らにやったように。
脳みそはすでに腐り、考える力など無い。
だが、その肉体が覚えていた。
切れた首が、破れた心臓が、穴の開いた肺が、理解していた。
次は我々の番だと。
「進軍せよ! 戦士たち! 共に憎きエルフを踏み潰そうではないか!」
巨大なゾンビの言葉で、ゾンビたちは動き始めた。
すばやく、それでいて静かに。
◇
"それ"に、最初に気づいたのは、部隊後方で魔力を回復していた偵察猟兵だった。
その長い耳が、後方から近付いてくる足音をとらえた。
はて、自分の後ろには味方はいないはず。
となれば、シワナシ森の町から増援でもきたか。
あるいは、伝令でもきたのか。
そう思い、後ろを振り返ったエルフの目に映ったのは、腐った体を異様な速度で動かす、オークゾンビの姿だった。
その偵察猟兵は戦歴50年のベテランだった。
そのオークゾンビが、オークの中でも数少ないアサシンであると気づいたし、腐った体の色が、やや黄色に寄っていたことも確認できた。
そして、オークが手に持った短剣が回避不能で自分の喉に突き刺さるであろうことも、一瞬で理解できた。
「てきしゅ――」
声は言葉にならなかった。
短剣が喉を切り裂き、声の代わりに血をまき散らした。
エルフは致命傷を受けつつも、背後から現れたオークゾンビの正体を探ろうとした。
どこから現れたのか、どこに隠れていたのか。
「……!」
エルフの目が、少しでも情報を探ろうと動く。
そして、見つけた。
オークゾンビの背後。
そこには、大量に迫りくるゾンビの群れがいた。
その群れの一人が、一本の旗を立てる。
ボロボロで、もはや原型をとどめていない旗。
しかし、その旗は、確かに見たことのあるものだった。
かつてシワナシの森で沈んだ、オークの大将軍の……。
「ぎっ……」
そこまで思い出したところで、アサシンの短剣が延髄をえぐり、エルフの意識は消失した。
◆
「背後に敵だとっ!? 数は!?」
「はっ! 1000はくだらないかと!」
「……被害は!?」
「偵察猟兵の半数が死亡……被害は甚大です」
キンセンカ中将は、部下からの報告に目を見開いた。
突如、ゾンビの集団が背後に出現。
気づいた時には、魔力回復中の偵察猟兵の大半が死亡し、還らぬ人となっていた。
正面にいるリッチ率いるゾンビが300程度と判明し、いかに自軍の兵力を失わずに殲滅し、リッチを討ちとるか、と考えを巡らせていた、矢先の出来事であった。
気づくのがあまりに遅かった。
1000もの軍勢を見逃すはずが無いと思っていたせいか、背後への警戒をおろそかにしていた。
「まさか、どこから?」
「突然、湧いて出たとしか……」
「くっ」
キンセンカ中将は焦った。
敵の数が多い。
出所もわからない。
奇襲を受け、味方の被害は甚大。
こうした状況に陥った場合、やるべきことは撤退だ。
一も二もなく、恥も外聞もなく逃げるに限る。
「……」
撤退。
それが、キンセンカの判断だ。
だが、キンセンカの第六感は、それが危険であると訴えていた。
撤退し始めれば、文字通り全滅する、と。
「……」
キンセンカの脳裏によぎったのは、約百年前。
まだキンセンカが中将ではなく、中佐だった頃。
キンセンカの父であった、キササゲ中将が、これと似たような状況に陥った。
キササゲ中将は、当時のエルフ軍に置いて抜きん出た判断速度を持ち、エルフ軍最速の将と言われる人物だった。
それが、敵の挟撃に遭い、撤退を指示。
包囲され、全滅した。
キンセンカは、その一部始終を丘の上から見ていた。
だからわかる。
挟撃を受けた時の、キササゲの撤退戦に、一切の間違いは無かった。
あの状況下で、的確に最も正しい選択をした。
ただ、敵はキササゲがそうするとわかっているかのように動いた。
キンセンカは上から見ながら「なぜそっちに逃げるんだ」と何度も叫んだ。
やがてキササゲは逃げ場を失い、全滅した。
今回は、あの時と同じ匂いがする。
撤退しなければいけない。
だが、逃げる方向を誤れば、全滅する。
しかし、今、自分はどこに逃げればいいのか。
定石で言えば、背後の敵を最低限の兵力で抑えつつ、前方のリッチを叩いて潰し、そのまま突破するように撤退するのがいいだろう。
最速でリッチを発見して倒す。アンデット退治の最適解だ。
だが、敵は後ろからきた。
となると、前方のリッチは、偽物である可能性が出てくる。
リッチがいるのは、前か後ろか。
逃げるべきはリッチのいる方向。
はずした時点で敗北が決定する。
リッチがいれば、アンデッドはいくらでも蘇る。
無限の敵に対し突破を試みるなど、愚の骨頂だ。
長時間の挟撃を許し、甚大な被害をもたらすだろう。
そう、かつてのキササゲ中将のように。
「……」
キンセンカは考える。
そもそも、この指示を出しているのは誰だ?
アンデッドの指揮官はリッチだ。
しかし、リッチは前方にいたはずではなかったのか?
今すぐ、撤退の指示を出さなければならないのに、情報が足りなすぎて指示を出せない。
「中将! ご指示を!」
キンセンカは指示を出せない。
時間は貴重だ。
今すぐに動かなければ、おのずと包囲が縮まって、最後の逃げ場すらも失われるだろう。
間違っていても何か指揮をしなければならない。
そう知りつつも、言葉は出てこない……。
「おい、キン坊!」
そこで、キンセンカ中将を呼ぶ声が聞こえた。
かの歴戦の中将を、幼少期と同じように呼ぶ者など、一人しかいない。
振り返れば、そこには一人の魔術師がいた。
金髪をなびかせ、緑色のローブに身を包んだ、一人のエルフが。
「ソニア様……」
「ゾンビは多分、土の中に隠れていて、我々が通り過ぎたのを見計らって出てきたんだ! キサ太郎の時と一緒だ! かなり組織立ってるぞ!」
サンダーソニアの姿を見つけると、キンセンカは心中でホッとしている自分に気づいた。
エルフの英雄。
その脇には、彼女のお守りをしている甥っ子トリカブトの姿もあった。
甥は口さがない男だが、今はわきまえているのか、黙っている。
心なしか、不安そうな表情も見せていた。
彼は文官で、戦場の経験も少ない。こうした窮地に陥ったこともないのだろう。
「わかっております! しかし、逃げ場が……」
「難しいことを考えるな! 敵の手の内だぞ!」
「とはいえ、考えねば父上の二の舞です!」
「馬鹿! ここに誰がいると思っているんだ!」
サンダーソニアは薄い胸を張った。
それを聞いて、キンセンカは思い出した。
そうだ、ここにいるのはサンダーソニア。
エルフの大魔道サンダーソニア。
千の魔術を操る稀代の魔術師にして、戦争を終わらせた立役者。
エルフの英雄。
最強の魔法使い。
「私が突破口を開いて、ついでに殿も務めてやる! 安心しろ。お前は絶対に家に返してやるからな!」
「……」
「お前、可愛い奥さんをもらったばかりなんだからな! 戦争も終わったのに、こんな所で死んじゃいけないんだ! 絶対に帰らなきゃいけないんだぞ! そして他の皆は、お前が責任を持って帰してやらなきゃいけないんだ! いいな!」
キンセンカはその言葉に、眦が熱くなるのを感じた。
ああ、そうだ。
この人はいつもそうだ。
自分が子供の頃からそうだった。
エルフ全体を家族のように思っていて、皆の名前を覚えていて。
いざって時には、自分が率先して前に出て、皆を守ってくれる。
だからエルフの英雄なんだ。
皆が彼女の言葉を聞くんだ。真剣に。
「おい、わかったのか!? 返事しろよ!」
「はっ! わかりました! このキンセンカ、皆を連れて脱出します!」
「よし、よく言った! じゃあ突破するぞ!」
問題はどちらを突破するかだが、キンセンカはすでに覚悟を決めていた。
かのエルフの英雄が全力を出して戦ってくれるというのであれば、どちらに進んでも構わない。
なら決まっている。
家のある方だ。
「全軍転進! 背面に現れたゾンビの一軍を突破する!」
「ハッ!」
部下たちが走り出す。
命令は下した。
キンセンカはもう迷わない。
進む方向にリッチがいれば倒し、もし逆にいたのなら、後日、確実に勝てる数の兵士を揃えて、再戦する。
部下は相当数死ぬだろう。
自分は責任を取らされ、降格するのは間違いない。
そのまま退役させられるかもしれない。
だがそれでも、全滅は避けられる。
壊滅せず、情報を本国に持ち帰れば、こちらの勝ちだ。
エルフが勝つのだ。
ゾンビごときに負けることなど、無いのだ。
「攻撃開始!」
エルフの鬨の声が響き渡った。
◇
キンセンカが敵軍の偏りに気づいたのは、撤退戦を開始してすぐだった。
偏りといっても、アンデッドの軍団に代わりは無い。
スケルトンとゾンビ、レイスの群れ……。
ヴァンパイアやデュラハンといった大物はいないが、リッチが操る軍団であるなら、それは不思議なことではない。
リッチは最上位のアンデッドだが、あくまで復活させられるのは、スケルトンやゾンビ程度の、低位のアンデッドだけだ。
問題は、そこではない。
スケルトンやゾンビの種族。
つまり、元となった死体の種族。
それが……。
「……オークばかりじゃないか」
己も前線に立ち、迫り来るゾンビの群れに炸裂火球を打ち込みながら、キンセンカはつぶやいた。
オークゾンビ、あるいはオークスケルトン。
ゾンビの軍団は、ほぼオークの死体だけで構成されていた。
時折飛んでくるレイスはフェアリーの姿をしているやつが多いがオークも稀にいる。
いや、それ自体はおかしなことではない。
ここはシワナシの森。
オークとエルフが、最後に争った激戦区である。
オークゾンビが増えるのは、自然な流れである。
しかし、キンセンカは嫌な予感がしていた。
シワナシの森。
唐突に湧き出た背後からの敵。
ゾンビにしては統率の取れた動き。
そしてよく見れば……よく見ればオークゾンビたちは、同じ鎧を身に着けていた。
どれもボロボロで、判別しにくくはあったが、確かに同じ鎧である。
武器にも統一感があった。
そしてキンセンカは、それらを見たことがあった。
忘れもしない、3年以上前のことだ。
「よし、キン坊! これなら突破できそうだな!」
隣にいるサンダーソニアは気づいていないようだった。
彼女は、誰よりも凄まじい魔術を行使しながら、あっという間に敵陣を切り裂き、部隊を前へ前へと進ませていた。
彼女が杖を振るう度に、その名に相応しい雷光が走り、ゾンビを消し炭に、スケルトンを骨粉へ、レイスを煙へと変えていった。
エルフの英雄に相応しい活躍ぶりだが、キンセンカは、この大婆様がどこか抜けているのも知っている。
「いえ、大婆様、何か嫌な――」
「大婆って言うな! お前の部下にお前が最後にオネショした時のことをバラすぞ!? いいのか!? あぁん!?」
「し、失礼しました。しかしソニア様。何か嫌な予感がします。お気を付けを!」
「ふん、この程度のゾンビの群れなど、あと一万いても余裕で突破してみせるさ! なぁトリカブト。そうだろ?」
「わ、私には荷が重いです……」
甥っ子は息も絶え絶えであった。
普段のキンセンカなら、情けない、それでもあの戦争を生き残った誇り高きエルフの戦士か、と叱責した所だろう。
だが、かくいうキンセンカもまた、荒い息をついていた。
それもそのはずである。
オークゾンビとオークスケルトンの群れ。
言葉にすると、単なる鈍重なアンデッドの集団だが、オークの膂力は失われていない。
一匹ならヒットアンドアウェイでいくらでも相手に出来るが、今は数が多い。
押し寄せてくる群れを、力で押し開かなければならない。
本来、オークというものは、戦いに勝っていようが負けていようが、戦闘が長引くにつれて、数を減らしていく。
特に、見目麗しいエルフとの戦いでは、オークは戦いに勝った者からいなくなっていく。
戦い、勝ち、戦利品として持ち帰ったエルフの女を犯すためだ。
ゆえに対オーク戦闘のセオリーには、長期戦に持ち込め、というものもある。
無論、連れ去られたエルフ女を放っておけば、オークの子供を産むため、すぐに次の行動に移らなければならないが、基本的には長く戦えば戦うほど戦局は有利に傾く。
しかし、キンセンカが戦っているこの集団は、減らない。
オークと戦っているのに、相手はオークの戦術を取ってくるのに、対オーク戦闘のセオリーが通用しない。
それどころか、倒したはずの個体もしばらくすると復活し、戦線に参加しているはずだ。
リッチが率いているのだから。
ゆえに、キンセンカは今まで以上に疲れていた。
オークは戦争に負けた。
だが、それはオークが弱かったからではない。
むしろ、強いのだ。
女を犯すために、強い戦士が順番に戦線から離脱しても、なお戦いになるほどに。
オークゾンビとなり、戦士としての力量は落ちている。
だからこそ、まだ渡り合えているが、数の不利もある。
もし、このまま突破に時間が掛かりすぎてしまうようなら、あるいは……。
「むっ! キン坊! 何が嫌な予感だ! どうやらアタリだったようだぞ!」
唐突に、サンダーソニアが嬉しそうな声を上げた。
キンセンカが彼女の方を見ると、サンダーソニアはオークゾンビの群れの中の、ある一点を指さしていた。
そこには、明らかに異質なアンデッドの姿があった。
ボロボロの黒い外套を身にまとい、長い杖にすがりつくように立つ、猫背のゾンビ。
目は真っ赤に爛々と輝き、口元からはダラダラと緑色の粘液が垂れ流されている。
ブツブツと流れ出る音は、喉に開いた穴から溢れる風の音か、それとも誰かへの呪詛か。
その顔、あまりに異質で、あまりに変貌を遂げているその顔。
見覚えがあった。
「……大戦士長ガンダグーザ!」
大戦士長ガンダグーザ。
それは、シワナシの森を守るオークの大将軍バラベン将軍の副官のオークメイジである。
そして、このシワナシの森で死んだ男である。
シワナシ森の最後の攻防戦で……。
「奴か……まぁ、オークでリッチになりそうなのと言えば、あいつぐらいだったもんな。よし、ともあれあいつを倒せば、この騒動も収まる。まぁ任せておけ!」
リッチは、もともと魔法能力に長けた死者が成るアンデッドだ。
ガンダグーザは、オーク族の中でも、特に魔法に優れた者だった。
リッチになるに十分な実力を備えていたのは、実際に戦ったことのあるキンセンカやサンダーソニアもよく知っていた。
その魔法の腕たるや、『オーク将軍』でもおかしくないほどの。
ちなみに彼らは知らぬことであるが、オークメイジの地位が低いのは、30まで童貞として過ごすことになるためである。
オークメイジは国のために貴重な若い時期を捧げたことで尊敬されるが、しかしそれでも、30まで童貞だったという事実は消えないのだ。
「……」
と、サンダーソニアがガンダグーザの元へ向かおうとすると、彼は呪詛を吐くのをやめ、顔を上げた。
サンダーソニアを見て、その名をつぶやく。
「エルフの大魔道サンダーソニア」
「むっ?」
笑みであった。
オークの、それもゾンビが、サンダーソニアを見て、笑みを浮かべていた。
「ぐ、ぐぐ、ぐぐぐぐぐ。よく、よくよく、よくぞ、見破った……我が幻術……囮の存在を……」
腐った喉から発せられる、水音の混じった声。
まるで、底なし沼の底から響いてくるような、不安にさせる声。
「ふん、誰が引っかかるか、貴様ごときの企みなどに! な!?」
サンダーソニアは振り返る。
トリカブトとキンセンカはそうだその通りだと頷いた。
例え企みを看破できておらずとも、総大将が見栄を張っているなら、それに追従する。
そうすることで士気の低下を防げるのだから、当然そうする。
もちろん平時では目をそらす。
「年貢の収め時だ、ガンダグーザ。文字通り、冥府に送ってやる」
「グググググ、ググ、愚か、愚かなり、サンダーソニア」
「だ、誰が愚かだ! 馬鹿にするなよな!」
サンダーソニアは「何も変なことしてないよな? な?」と振り返る。
当然、背後の二人も追従してくれると思ったが、二人は二人で、周囲のゾンビにたかられて忙しそうだったため、サンダーソニアはガンダグーザに向き直った。
「ググ、囮に引っかからねば勝てると、そう思ったであろう?」
「引っかかっても勝てるさ。なんたって私はエルフの大魔道、サンダーソニアなんだからな!」
「愚か!」
ガンダグーザが、杖でドンと地面を突いた。
「何を……」
すわ、何か魔法でも使われたのかと身構えるサンダーソニアであったが、魔法が発動した気配は無い。
だが、異様な気配を感じた。
まず感じたのは、威圧感だ。
何か、途轍もなく大きく、力の強い存在が、こちらに向かっている。
肌が泡立ち、杖を握る手におのずと力が籠もる。
「おお、おお、おおおおぉぉ!」
ゾンビがうごめく森に、ひときわ大きな声が上がった。
不気味なほどに静かなゾンビの群れにおいて、ただ一つの音源。
叫び声の主は、木々をメシメシと切り倒しながらサンダーソニアのいる方に近づいてきて……。
「サンダーソニアアァァァ!」
腐った声帯から発せられる、不快な声。
それと共に大木が弾け飛び、一匹のオークゾンビが姿を表した。
オークにしても、あまりにも大きい身体。
三メートル近い巨躯。
腐ってはいるが、しかし力が失われているとは到底思えない、躍動感のある動き。
そして、特徴的なトゲがいくつもついた金属の鎧。
オーガ族が持っているような、重く硬い鋼鉄の槌。
サンダーソニアは、その全てに見覚えがあった。
「氏族長バラベン大将軍……!」
それは、かつてシワナシの森一帯の氏族をまとめていた大将軍。
シワナシの森の最終防衛ラインを担当し、エルフ軍の手によって戦死した、オーク族最後の砦。
勇敢で勇猛で、オーク族の誰もが憧れた戦士の中の戦士。
オークキングの次に偉いとされていた、オーク族の重鎮。
「オオオアアァァ、貴様を殺して、かつての敗北の雪辱をぉぉぉ!」
巨体が吠える。
その圧倒的な声量に、大地が震え、木々がざわめいた。
そして周囲のオークゾンビたちに宿る赤い光が、輝きを増した。
「グ、ググ、グ……ここで終わりだサンダーソニアよ」
「ええい、オークジェネラル一人増えたからって何だって言うんだ! 馬鹿にするなよな!」
サンダーソニアはそう叫ぶと、己の杖を振りかぶった。
「『サンダーストライク』!」
フルスイングと同時に無詠唱によって放たれるのは、サンダーソニアの得意技。
十二本の雷の槍が瞬時に形成され、凄まじい速度でバラベン将軍へと殺到した。
着弾と同時に、バガンと大きな音が響き、周囲が真っ白に染まる。
一瞬遅れ、爆風が周囲を薙ぎ払う。
空気中に電気が混じり、サンダーソニアの髪がふわりと持ち上がる。
「どうだ、一発だろ!」
ゾンビは火に弱い。
だが、雷が通じないわけではない。
サンダーソニア程の魔法なら、20メートル近い巨躯をもつドラゴンゾンビであっても、一撃で消し炭に変える。
彼女の稲妻は世界最強だ。
「オオオアァァァ!」
「っとぉ!?」
サンダーソニアは、突如として自分に迫ってきた槌を、すんでの所で回避した。
槌はサンダーソニアの居た地面をえぐり、土砂を巻き上げた。
「あれ?」
サンダーソニアが疑問の声で着弾地点を見る、土煙の中から現れたのは、ほぼ無傷のバラベン将軍の姿であった。
当然、ガンダグーザも無傷である。
「グ、ググ、ググ、リッチとなったこの身に、魔法など効かぬわ」
リッチは非常に高い魔法耐性を持っている。
それに加え、ガンダグーザは対エルフ戦用に、高位の魔法障壁を習得していた。
サンダーストライクが決定打にならないのも、当然と言えるだろう。
そして当然、バラベン将軍にも魔法障壁は掛けられる。
それに加えて、バラベン将軍の身につけている、あの鎧。
黄色と赤の塗料で塗られた、あの鎧。
「耐性塗料か」
「グググググ」
ガンダグーザは笑う。
鎧に使われているのは、ドワーフによって生み出された、耐性塗料だ。
赤は炎に、黄色は雷に、青は冷気に、緑は土に、それぞれ対応している。
製法は秘中の秘。ドワーフしか知らない。
ドワーフはそれを同盟国に配った。
サンダーソニアの知る限り、その塗料を使い始めた頃は、四種族連盟も戦争で優位に立っていた。
ヒューマンの王子ナザールが、青赤黄の塗料を使った美しい鎧を身に着け、何人ものデーモン騎士を血祭りに上げたのは、あまりにも有名な話である。
とはいえ、塗料は塗料である。
塗ってしまえば、誰でも使える。
塗料はいつしか敵国に奪われ、オークやデーモンといった種族も使うようになった。
そこから先は、塗料は互いの陣営で当然のように使われるようになった。
「むぅ……」
サンダーソニアはうめき声を上げた。
そもそも、ゾンビは冷気と地の属性に強い耐性を持っていて、ほとんど効かない。
それに加えて、あの鎧で炎や雷が効かないとなれば……。
「これは、厳しいかもな……」
サンダーソニアの額に、冷や汗が流れた。