112.ヒューマンの決定
ヒューマンは、建築の種族だ。
石を積み、鉄で繋いで城を作る技術において、ヒューマンの右に出る種族はない。
ヒューマンは弱い種族だ。
今いる種族の中で、最も貧弱といっても過言ではないだろう。
魔力はエルフやデーモンに劣り、体の強さはビーストやオーガに劣り、手先の器用さはドワーフに劣る。
そんな彼らが生き残ったのは、まさに群れるのが得意だったからだ。
弱さを数で覆したのだ。
群れる種族であるヒューマンは、巣をつくるのが上手だった。
群れるための場所を作るのに優れていた。
敵と戦う術としての住居が、彼らを生きながらえさせた。
巣は家と呼ばれるようになり、やがて砦となり、そして城となった。
プライドの高いデーモンですら、こと建築技術においては、ヒューマンの真似をしている。
そんなヒューマンの技術の粋こそが、王城だ。
彼らは、己が最後に立てこもるであろう巣に、己の歴史をこれでもかと注ぎ込んでいる。
幾度となく攻め込まれ、幾度となく攻め落とされたヒューマンの城。
その度に、生き残ったものたちが反省し、強固なものにしていった。
何度負けても逃げ切って、持ち前の繁殖力で増えて、また城を作った。
そしてヒューマンは勝った。
戦争に勝利した。
粘って粘って、何度も負けて、それでも滅びず、最後に勝利した。
そんな彼らは、己の巣の中で次の戦いをしていた。
次代の群れの王を決める戦いであった。
■
「はっきり言いましょう。クルセイド宰相。あなたは裏切者だ」
王城にある円卓にて、ナザールはそう宣言した。
円卓は、ヒューマンの重鎮が勢ぞろいしていた。
国王。
王子。
宰相。
将軍。
各騎士団長。
教皇。
枢機卿。
財務卿。
外務卿。
法務卿。
魔導卿。
などなど……。
国の重鎮、総勢二十名が円卓に勢ぞろいしていた。
いないのは、各地を飛び回る外遊騎士団の長ぐらいであろうか。
彼らがしていたのは、国の命運を決める会議だ。
曰く、ゲディグズに対してどういった手を打つか、ヒューマンがどう動くべきか。
会議は真っ二つに割れていた。
ある意見が出たからだ。
曰く「どう戦うかではなく、どう負けるかが大事である」と。
ゲディグズはビーストを下し、各種族を併合しつつ、南下を続けている。
真偽の程は定かではないが、すでにドワーフが降伏したという噂まで届いている。
軍勢は巨大化し、まともにぶつかりあえば、ヒューマンとエルフ、そしてエルフの元に逃げ込んだビーストの生き残りが力を合わせた所で、勝ち目は薄いと言わざるを得ない。
ゲディグズが短期決戦を挑んでくるのは目に見えており、ヒューマンにはそれを迎え撃つ準備が無い。
長期戦に持ち込めば十分に勝機があるという意見もあったが、ドワーフがその傘下に加わり、食料や武器などを提供したというのなら、思った以上に長引く可能性もある。
本来であれば、ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ビーストの四国で連携を取って頭を抑え込むのが常套であったろう。
が、ビーストは少数を残して壊滅し、情報通りならドワーフも敵に回った。
エルフとはサンダーソニア暗殺の件でゴタついており、うまく連携を取れていない。
それが現状だ。
無論、エルフもヒューマンも阿呆ではない。
サンダーソニア暗殺がゲディグズの手によるものであるという可能性については思い至っている。
特にヒューマンは、『ディスガイズ』という魔法があることを知っていた。
なんなら、いずれやろうと思ってもいたのだ。
『ディスガイズ』を使って他国にちょっかいを仕掛けるというのは。
だから、疑う余地はほとんどなかった。
それでもエルフとの関係がこじれたのは、一人の男の暗躍があった。
宰相クルセイド・アルマ・ラギエ。
つい先日、彼の息子が死体で見つかっていた。
エルフ国の重鎮、ネメシアへと嫁ぐために出立した、しばらく後のことだ。
王都の各地から幾つかの死体が見つかった。
服をはぎ取られ、顔が分からぬようにズタズタに引き裂かれたその死体群は、検死の結果、宰相クルセイドの息子フェルディナントと、その使節団の面々であると判明した。
すぐさまヒューマン王家はエルフに警鐘の使者を送ったが、時すでに遅かった。
その後、エルフ国よりフェルディナントの一団がサンダーソニアを殺害したという報が入った。
クルセイドは、己の息子の死を嘆き。慟哭した。
必ずや、息子を殺された無念を晴らす。そのためにはエルフとの関係解消が必須だ。自分が騒動を収めて見せると豪語し……。
結果として、エルフとの騒動は収まった。
だが、関係が完全に改善されたとは言い切れず、ギクシャクとしたものが続いている。
何か、歯と歯の間に骨が挟まっているような、言い知れぬ噛み合いの悪さが続いている。
とはいえ、それはよくあることだ。
エルフもサンダーソニアの暗殺について、ヒューマンへの疑いを払拭しきれていないのだろう。
そう思える程度の居心地の悪さだった。
だから、誰しもが何かおかしいと思いつつも、指摘はしなかった。
そんな状況が続く中で、クルセイドが言ったのだ。
まさに、この会議で。
つい先ほど。
『こうなれば、どう戦うかより、どう負けるかを考えた方がよいかもしれませんな』
と。
『勝てぬとなれば、どれだけ傷を少なく済ませるかの方が重要なのではないですかな?』
そんなことを、言い始めたのだ。
そして彼がそれを口にすると、他の者達も口々に、それに賛同しはじめた。
『そうだ、宰相殿の言う通り!』
『我らヒューマン、狡猾と呼ばれようと、常に生きる道を探すものですからな』
思えば、出来すぎた話であった。
なぜなら、息子をエルフと結婚させると言い出したのも、死体を見つけたのも、使者を送ったのも、エルフとの交渉を言い出したのも、そして「どう負けるか」と言い出したのも、全て宰相クルセイドだったからだ。
これにピンと来ない者は、さほど多くは無かった。
「貴様!」
クルセイドのすまし顔を見て、激高したのはナザールだった。
やにわ椅子から立ち上がり、クルセイドをにらみつけ、しかし王の御前であることを鑑みて、極めて冷静に、こう言ったのだ。
「はっきり言いましょう。クルセイド宰相。あなたは裏切者だ」
しかし、それを受けてなお、クルセイドの態度は変わらぬものであった。
「はて、例え私がゲディグズに通じていたとして、それがヒューマンを裏切ったことにはならないはず」
「なにを……」
「なぜならすでに戦争は終わっており、デーモンは敵ではないからです」
確かに、それはナザールにとって事実であると言えた。
戦争が終わり、全ての種族の仲を取り持とうとしていた彼にとって、確かにその言は事実だ。
デーモンは敵ではない。
サキュバスも、オーガもそうだ。
あのオークですら、最近は近隣の町と仲良くやっている。
「ゲディグズが必ずしも敵であると言い切れる理由はなんでしょうか? 今だ我らは、宣戦布告すら受けていないというのに」
「ビーストはすでに攻め落とされている」
「あるいはエルフにとっても敵かもしれませんな……とはいえ、かつての四種族同盟もすでに味方ではない。我ら四種族同盟は、七種族連合に対して厳しい条約は結びましたが、同盟同士では何の約定もかわしていないのですから。つまりエルフやビーストの窮地は、我らにとって関係のないこととも言えましょう」
「詭弁だ。現状だけではない。我らはすでにブラックヘッド領を襲撃されている。聖典は奪われ、町は破壊された」
「それを指示したのはポプラティカであり、ゲディグズではない。彼も被害者なのでは? 無理やり蘇らせられ、旗印にされてしまっただけで……」
「そんなわけがあるか! ならばなぜ、奴らは我らが領土に向けて進軍を続けているのか!」
「しかし、件のブラックヘッド領への進軍はしていない。ドワーフを押さえ、進軍しようと思えばできるのに。まだ我々は"ゲディグズから"は攻撃を受けていないのです」
のらりくらりと詭弁を繰り返すクルセイド。
ナザールはそれに違和感を憶えていた。
「宰相、あなたは先ほどから、なにを言いたいんだ?」
「つまり、まだゲディグズとの和平の道は残されていると言いたいのです」
クルセイドは立ち上がった。
両手を広げ、ナザールを迎え入れるように。
「過去のことは水に流し、平和を貴ぶ。泥沼の戦争を再開しないという選択肢が取れるのです。それは殿下、あなたの望む平和な世界に沿った考えではありませんか?」
開き直っている。
クルセイドは、とっくにゲディグズの傘下であると、ナザールは感じ取っていた。
「無論、今までのようにヒューマンが一方的に有利な条約は結べますまい。しかし今の段階であれば、対等か、せいぜい少しヒューマンが下程度の条約を結べる……。しかしそれも、ぶつかり合って散々に負けてからでは遅い。ヒューマンは一人残らず滅ぼされる……あるいは一人残らず奴隷にされ、生きる価値を根こそぎ奪われることになるでしょう。ならばこそ、いかに綺麗に負けるかという話をしているのです。全てを失うのではなく、半分で済ませるために」
穏やかな笑みを浮かべながらそう喋るクルセイドの言葉は、実にもっともらしく聞こえた。
確かにそうかもしれないと思わされる何かがあった。
ナザールはそれを振り払い、聞き返す。
「いつからだ?」
「はて? いつからとは?」
「いつから"お前たち"はポプラティカに組し、ゲディグズを復活させようとしていた?」
クルセイドへの非難の声が、少なすぎた。
円卓にいる二十名のうち、半数以上が、クルセイドの言葉を、ただ静かに聞いている。
訝し気な目を向ける者すら少ない。
「ふむ」
「お前は……王になりたいのだと思っていた。父上を弑逆し、私を謀殺し、いつか玉座に座りたいのだと、そういった野望を秘めているのだと、そう思っていた」
「殿下、陛下の御前で私の叛意を示唆するような言いぐさはおやめください」
宰相クルセイドは、淡々としていた。
わざとらしい仕草も、煽るような言い方もしていなかった。
「確かに私は、地位が欲しかった。平民として始まった私の生は、そうすることでしか満足を得られなかった。この国で、この種族で、最も偉い者となれば、その渇きが抑えられると、そう考えていた。それは否定しません」
だが思い出して欲しいと、クルセイドは続ける。
「私は戦時中、一度でも王家を、そしてヒューマンを裏切ったことがあったでしょうか?」
クルセイドは首を振る。
「無い。なぜなら、私は知っているからだ。死んだ者には何も訪れないと。私は誰よりも、ヒューマンの勝利を願っていた。私は今の今までヒューマンに尽くしたと、そう断言できます」
クルセイドは拳を握り、テーブルを叩く。
今度は力強く、訴えるように声を張って。
「そして今、またヒューマンに滅亡の危機が訪れている。私はヒューマンがこの大陸に存続するために尽くそう。私にはその能力がある!」
「それがゲディグズに恭順を示すことだと?」
「和平です。少なくとも、表向きは」
いずれゲディグズをも裏切ると言わんばかりの言葉は、実際にヒューマン王家を裏切っている男から聞くと、信憑性があった。
「まだ、ゲディグズの傘下に加わっていない種族で同盟を組めば……」
「どうやって? もはやエルフは我らを信じませんよ」
その言葉で、やはりとナザールは瞠目する。
やはりこの男が、エルフとの折衝を遅らせていたのだと。
「どの口が!」
「落ち着いていただきたいものだ。私は息子を殺され、なりすまされ、サンダーソニア殺害の犯人の父親に仕立て上げられた被害者ですよ? 誰よりもゲディグズが憎い……! その私が、復讐心を抑え込み、ヒューマンに尽くそうと言っているのです!」
クルセイドがそう言う。
恐らく嘘だ。
それはその場にいる全員がわかっていた。
クルセイドの息子が本当に死んだという証拠すらない。
死体を探し出したのも、それを己の息子の死体だと言い始めたのもクルセイドだ。
証拠など、あるはずもない。
仮にあったとして、もうそんなものを探している時間など残されていない。
ゲディグズ軍は、今もなお進軍し続けている。
今日、決めなければならないのだ。
戦うか、恭順か。
そして戦うなら、そして勝つならば、ヒューマン、エルフ、ビーストの三国で同盟を組んで、ゲディグズに対抗しなければならなかったのだ。
そうでなければ戦力が足りない。
そうしてもなお戦力は心もとない。
ゲディグズ軍は、すでに多くの種族を巻き込み、巨大化している。
日和見をしている種族もいるようだが、オーガ、サキュバス、フェアリーがゲディグズに下ったことで、全ての種族がゲディグズに付きたがっている。
決定的だったのは、やはりオーク英雄の敗北か。
デーモン王ゲディグズが、オーク英雄と正々堂々正面から決闘し、勝利したという情報がブライよりもたらされていた。
誤報ではないかと疑いもしたが、時を同じくして、クラッセル近郊に住むオークたちが、にわかに殺気立ち始めた。
最近、クラッセルの兵士や騎士たちが、彼らの住処に近づけないぐらいには。
オークとの関係を良好に保っていた、彼らがだ。
オークがまた戦争の準備を始めたのだろう。
ゲディグズの軍門に下ったのだ。
オーク英雄を一騎打ちで破ったという報は、オークを従えるに十分な実績だ。
オークたちは戦慄しながらも、喜んでその傘下に加わるだろう。
あのオーク英雄と一騎打ちをしたならと、そこまでの覚悟をもって臨んでいるのならばと。
敵は多い。
味方は連携すら満足に取れずギクシャクとしている。
ビーストは、エルフの国の片隅で牙を研いでいるが、その力を大きく削がれた。
ドワーフは寝返ったか、あるいは傍観を決め込むつもりだろう。
そしてエルフからは、未だ疑いを受けている。
ナザールとて、クルセイドが怪しいと思い始めてからは、独自に行動をしたのだ。
単身でエルフの国に向かい、偽装の術式を開示し、クルセイドのでっち上げた経緯を説明した。
そのお陰か、はたまたエルフも状況を理解していたのか、同盟の解消には至っていない。
だが、まだ疑いの目は持たれている。
そう感じた。
サンダーソニアの一件だと考えていたが……今のクルセイドの話で確信した。
エルフ側は、ヒューマンが裏切ってゲディグズ側についていると、疑っている。
そう疑われている。
疑うように、クルセイドが仕向けたのだ。
それでもエルフがヒューマンを一方的に切らないのは、エルフもまた手詰まりだからだ。
どう考えてもエルフとビーストだけでは戦力的にゲディグズ軍に勝てないのだ。
だからなんとかして、ヒューマンとのツテを切らないよう、必死なのだ。
諸々の疑惑や疑念について後にどうにかする。
今はゲディグズに対抗しなければならないと、そう考えているのだ。
ヒューマンと同じく。
あるいはエルフも今頃、迫られているのかもしれない。
戦うか、恭順するかを。
もっとも、すでにゲディグズと戦争状態にあるビーストを迎え入れた以上、エルフに恭順という手は残されていない。
仮にそうした手があったのだとしても、出来れば取りたくないというのが本音であろう。
「父上……陛下は、どうお考えですか?」
ヒューマンがどう動くのか、その決定権があるのは、ナザールでもクルセイドでもない。
病気で衰弱し、すでに先が長くない国王ルーニアス・ガイニウス・グランドリウスであった。
彼は死にかけだったが、王としてこの場にいた。
肘かけに縋るように力無く座る姿は痛ましいが、眼光だけはギラギラと鋭かった。
今日、この場でヒューマンの命運が決まると、王もまた知っていた。
「……」
王は、円卓に座る者達を順に見ていった。
ゆっくりと、蛇のように。
まるで、誰が味方で誰が敵かを見定めるかのように。
「息子よ」
そして最後に、ナザールで視線を止めた。
「宰相は正しい」
クルセイドが笑みを浮かべながら会釈し、ナザールの顔が絶望に染まる。
だが、王の話は続いた。
「この男は、若い時からずっと正しかった。やり方は開いた口がふさがらなくなるようなものであるが、ヒューマンにとって益になることばかりであった。まぁ、同時に己の益になることでもあったが……こやつがいなければ、ヒューマンはああまで完璧に戦争に勝つことは出来なかったろう。戦勝の手柄をエルフにかすめ取られ、エルフの二番手に甘んじておったろう。あるいはドワーフにも……だから、こやつを宰相に任命した」
死にかけとは思えぬ、力強い声だった。
「儂は、こやつの身勝手この上ない振る舞いを咎めるつもりはない。知らぬうちにゲディグズにほだされておったことも許そう。こやつが己の目標を一旦諦めてまで、ゲディグズに付きたいと申すのであれば、その通りなのだろう。勝てぬのだろう」
王は立ち上がる。
よろよろと、死にかけの体に鞭を打って。
すぐ横に座る者が手を貸そうとしたが、それを静止して、一人で。
「息子よ。ナザールよ。これは教育だ。儂から教えられる、最後の言葉になるだろう」
ギラリとナザールをしかと見据えて。
「王は他者に判断を委ねん」
ただ王としての心構えを、息子に問う。
「お前に矜持はあるか? こうすべきだと、確固たる信念があるか?」
問われ、ナザールは考える。
教育だと言われたが、要するに、問われているのだ。
お前には、何か別案があるのかと。
だが、それならばもっと別の聞き方をするはずだ。
お前の案を聞こうとか、別の名案はあるのかとか……。
(いや……)
違うと、ナザールは気付く。
今は、案を聞かれているわけではない。
父は言ったのだ。矜持はあるのかと。
確固たる信念はあるのかと。
「無いならば、引き下がれ。そしてクルセイドに全てを委ねるがよい。こやつは良い国は作るまい。だが、ヒューマンを存続させるための最善手を指すだろう。汚泥にまみれ、糞尿を啜っても、ヒューマンを生き残らせるだろう」
クルセイドは、卑劣だと言われるヒューマンの中においても、群を抜いている。
嘘も誤魔化しも策謀も、あらゆることを使って目的を達成する男だ。
そうでなければ、平民が宰相まで上り詰めることはできまい。
クルセイドは今、王にならんとしている。
父が死に、クルセイドが全権を引き継げば、ヒューマンは生きながらえるだろう。
ならばクルセイドが王でよいと、父はそう言っているのだ。
だがヒューマン王家は、ヒューマンのよすがだ。
多少は賢いとはいえ、ひ弱で、魔力も薄く、ただ群れることしかできぬヒューマンが、それでも存続してきた、継承してきた、受け継いで来たのだという証でもある。
なまなかに捨てて良いものではない。
それを捨てれば、何かが失われてしまう。
ヒューマンの中に、ほんの僅かながらあった何か……。
そう、誇りだ。
グランドリウスの名は、ヒューマンの歴史そのものだ。
長きに渡る戦いを勝利に導いた、ヒューマンの仕組みそのものだ。
ヒューマンは、身分というものを定めることで、弱き心を奮い立たせてきた。
騎士と貴族は、王家に忠誠を誓うことで、王家のためにと思うことで戦えた。
兵士は、自らが死んだとしても、王が太平の世を作ってくれると信じたから戦えた。
クルセイドは、確かにこの局面をなんとかするだろう。
クルセイドが生きている間は、きっとなんとかし続けるだろう。
だが、その間に、もしかするとだが、ヒューマンから誇りが失われるかもしれない。
クルセイドが生きている間に、本当の意味で臆病になり、二度と、戦えなくなるかもしれない。
クルセイドであれば、もしかすると、何か戦うための仕組みを考え付けるかもしれないが……。
この男が、自分の死後を考えるような人間には到底思えなかった。
ナザールは、口を開く。
答えを言うために。
「……我らは、他種族をあまりにも虐げすぎた」
ナザールは声を張り上げない。
だがその声は良く通っていた。
その場にいる皆が、はっきりと聞き取れるほどに。
「今はまだ、敵も味方も、ゲディグズの熱狂に浮かれ、戦いにばかり目を向けている。だが、その熱狂が落ち着いた時、彼らは過去に目を向けるでしょう。我らの振る舞いに」
「私は見てきた。サキュバスはヒューマンとエルフの手によって滅ぼうとしていた。オークもそうだ。リザードマンやオーガはまだマシだったが、デーモンは酷いものだった。我らは大義名分の元に、彼らを強く虐げてきたのだ」
「あるいは戦が始まる前であれば、彼らに頭を下げ、行いを正し、許しを請うこともできたろう。これからは共に手を取り合い、互いの繁栄を目指そうと言うこともできたろう」
「だが、そうはならなかった。戦は始まった」
「我らは負ければ虐げられよう。我らがしてきたように……それは降伏した所で変わらない。むしろ、勝てぬからと尻尾を振った我らを、他の種族はどう見ようか。勝てるとなれば傲岸不遜に振る舞い、負けるとなれば尻尾を振って靴を舐める種族を、どう見ようか」
「敗北を受け入れ、屈辱という名の泥水をすすり続けてきた者達は、我らをどう扱おうか」
「答えを言おう。『滅べばいい』だ」
「私は見てきた。諸国を漫遊し、各種族を。リザードマンは牧歌的な種族だ。その感情に乏しい見た目とは裏腹に感情豊かで、穏やかな生活を好んでいた。サキュバスは娼婦のような種族を想像していた。確かに喋り方や在り方はそうだったが、その実、規律に厳しく礼儀は正しく、真に尊敬すべき相手には相手に合わせ敬語で話すこともできていた」
ナザールは見てきたことを語る。
リザードマンが、サキュバスが、ハーピーが……かつて劣等種と見下してすらいた種族を見て、感じたままの感想を口にする。
「オークですらそうだ。彼らが唾棄すべき風習を持つことは間違っていない。だが誇りに溢れ、義侠心も持ち合わせた者もいることは、ブラックヘッド領での戦いで皆も理解できたはず」
「どの種族にも言える。滅ぶべきではない。どの種族にも素晴らしさはある。そうではないか?」
その問いに、沈痛の面持ちを見せる者もいた。
誰もが、他の種族を虐げて良いとまでは思っていないのだ。
他種族に対する恨みはあった。
戦争が終わった時は、興奮もあり、抵抗もあると考え、強い言葉で他種族を抑えようとした。
だが、滅べばいいとまで思っていた者は、決して多くはない。
「我らも示さねばならない。戦わねばならない。矮小なる我らとて、窮地に陥れば一片の勇気を振り絞る、誇りある種族だと」
ナザールはそう言って、腰の剣を抜いた。
『来天』。
雲が晴れ、窓から光が差し込み始める。
「私が示そう。このナザール・ガイニウス・グランドリウスが」
その光景を見て、近衛騎士団長が立ち上がった。
教皇、枢機卿、財務卿、外務卿……。
国の重鎮たちが、次々と立ち上がり、膝を突く。
「本気で言っておられるのですか?」
動揺したのは、宰相だ。
そして、先ほどまで口々に幸福を口にしてきた者達。
宰相側についた者達。
「冷静に考えていただきたい。今は雌伏の時です。やってきたことが何だというのですか? 我らが彼らを虐げてきたというのなら、戦おうが降伏しようが、我らは虐げられるのです。ならば力をどれだけ残せるか、そしてその力をいかに隠し、次の一手に繋げるかが重要でしょう」
それは、きっと正しいのだろう。
負けるのが分かっているなら、勝てる時まで力を溜め、我慢し、消耗を抑える。
そしていざという時が来た時に、その力を解放し、勝利に向かう。
そうすべきだ。
だがナザールの言を聞いた者達は思ったのだ。
それもまた机上の空論であると。
どう降伏するかにもよるが、力などそうそう隠しておけるものではない。
まして相手はゲディグズだ。
命乞いをするヒューマンの四肢を削ぎ、二度と立ち上がれぬようにすることなど造作もあるまい。
首を落とすことも出来る。去勢することもできる。
長い時間をかけて、全てを奪うことができる。
生きるために降伏するなら受け入れよう。
だが、長く苦しみながらじわじわとなぶり殺されるため降伏は、到底受け入れることはできない。
「私なら出来る! ゲディグズと交渉し、ヒューマンが生きながらえ、雌伏の土壌を作ることが!」
クルセイドの言葉は空虚だ。
実績はあるが、今に至っては根拠もない。
「先日の光も見たでしょう!? ドラゴンが撃ち落とされていた! あれは魔神砲だ。それが今度は我々に向くのですよ? オークも殺気立っている! 最初に落とされるのはクラッセル、オーク国の目と鼻の先だ! 男は殺され、女は犯される。あの凄惨な、かつてのブラックヘッド領の二の舞になりますよ? よろしいのですか!?」
だがナザールの言葉も、またそうである。
今日降伏した所で、数年後にはオークの手によって男は殺され、女は犯される。
それは戦って負けた時の半数になるかもしれないが、少なくともクラッセルの人口程度の運命は変わるまい。
戦おうが、戦うまいが、クラッセルは落ちる。
男は何千人と殺され、女の大半は連れ去られる。
きっとそうなる。
戦おうが、降伏しようが、一部のヒューマンの運命は決まっている。
そしてそれは、クルセイド以外の誰かだ。
自分かもしれない。
ならば。
どうせ同じなのならば。死ぬのなら。
戦って死にたい。
名誉ある旗の元で。
ヒューマンは卑劣な者達である、そう言われている。
確かに性質としてはそうである。
だが、ここにいるのは生まれついて戦争しか知らぬ者達。
戦いの中に名誉を見出してきた者達なのだ。
ナザールは剣を振り上げた。
「宰相。いえ、クルセイド・アルマ・ラギエ。そなたを逆賊として断罪する」
その日、ヒューマン国内で内乱が起こり……。
ナザール・ガイニウス・グランドリウスは王になった。
■
ほんのわずかな期間で終息した内乱の中で、前王は死んだ。
しかし、死ぬ間際に、こう言い残したという。
「それでよい」
と。




