108.賢者タイム
深い泥の底にいるようだった。
何も考えたくないし、何も考えられない。
童貞である。
そのことがバレてしまった。
童貞であるという証拠が、まざまざと浮かび上がってしまった。
それがバッシュの心に、消えようもない傷を付けていた。
だが、童貞であるということ、そのものを恥じているわけではない。
なぜなら戦後、女を追い求めたバッシュであるが、戦争中に追い求めたことはなかったのだから。
バッシュは、オーク英雄として、高い誇りを持っている。
だが、その誇りは、生まれた時から持っていたものではなかった。
物心つく頃から戦場に放り込まれ、死にかけた。
なんとか生きながらえたものの、そこからの人生はずっと必死だった。
死なないために必死だった。
思えば、バッシュは人一倍、恐怖していたのかもしれない。
死を恐れ、死を遠ざけようとしていたのかもしれない。
他のオークたちが年頃になり、生存本能と生殖本能で天秤が揺れるようになる頃、バッシュの天秤はずっと、生存本能に傾きっぱなしだった。
そうして、女を抱く喜びを知らずに生き延びた。
だがオークは、戦いだけでなく、生殖でも優劣を決める。
戦いに勝ち、女を抱ける者が強い者だ。
それがオークという種の本能なのだ。
だからこそ、その二つを為している者だけが、心の底から誇りを抱けるのだ。
オークという種において、女を犯すという行為が重要視されるのだ。
ゆえに、バッシュは、戦争が終わるまで、誇りなど持ってはいなかった。
オーク英雄と呼ばれるようになった時、なぜ自分がと思った。
当然だとは思わなかった。
自分よりも立派な戦士たちは大勢いたはずだ、と。
だが、周囲のオークたちが認めてくれた。
誰も異議を唱えなかった。
それを見て、バッシュは立派なオークであろうと誓ったのだ。
誇り高きオークの星。オーク英雄であろうと。
もしかするとそれは、バッシュにとって初めて手に入れた、大切なものだったのかもしれない。
剣や鎧のような消耗品でも、家や食い物のような必需品でもない。
誰もが手に入れられるわけではない、『お前は正しかった』という証。
それがバッシュにとって、『オーク英雄』という称号だったのかもしれない。
だからこそ、童貞であることが心の澱でありつづけた。
戦争中に女を犯さなかったことを後悔してはいない。そんな余裕は無かった。
だが、『オーク英雄』が童貞では、胸を張ってオーク英雄だと名乗ることはできぬと、心のどこかで思っていた。
だから彼は童貞を捨てようとした。
『オーク英雄』という称号を、守ろうとしたのだ。
しかし、それも失敗に終わった。
オーク英雄の誇りは失われたのだ。
無論、バッシュが、そこまで深く考えていたわけではない。
だが確かに彼は、大きな喪失感と絶望感を味わっていた。
それまでの人生で味わったことのないほどの。
もう、終わりだ。
サンダーソニアについて歩いたのも、女を犯したいというオークの本能に過ぎない。
可愛い女エルフが、尻をふりながら歩いていたから、それを追いかけていたにすぎない。
何も期待してはいなかった。
バッシュは、すでに全てを諦めていた。
痣が消えた所で、誇りまでは、取り戻せやしないのだから。
だが、そうではなかった。
■ ■ ■
バッシュは、目を覚ました。
頭はここ十年で一番スッキリしていた。
まるで今まで、長い長い夢を見ていたようだった。
「ゴガー……オガー……」
右手の方を見ると、バッシュの腕を枕に、だらしなく足を開いていびきをかく全裸のエルフがいた。
彼女に、夢から醒めさせてもらった。
バッシュをここまで連れてきてくれて、頬を叩いて立ち上がらせて……。
そして彼女によってもたらされたその瞬間は、峻烈だった。
この数年で待ち望んでいた経験は、まさに快楽と呼ぶにふさわしく、バッシュの悩みの全てを吹き飛ばした。
「……」
バッシュは己の顔を撫でる。
痣はまだある。
メイジの証は、すでにバッシュの顔に刻まれてしまった。
消えないと、サンダーソニアは言っていた。
だが彼女は同時に、魔法戦士ではないと言ってくれた。
バッシュこそが、オーク英雄だと。
かつてのオークはどうたらこうたらだから、お前だけが真の英雄なんだ、と。
正直、話の内容については半分もわかっていない。
だがサンダーソニアは必死でバッシュを引き留めようとしてくれた。
それでいいんだと言ってくれた。
その必死さこそが、バッシュが目を覚ますきっかけだったのだろう。
(これで、酒盛りで自慢話ができるな……)
スッキリとした頭でバッシュが考えたのは、そんなことだった。
オークにとっては大事なことである。
勇敢なバッシュであるが、同種と酒の席を共にすることからは逃げ回っていた。
それも全ては女性経験の有無を聞かれることを嫌がってのことだ。
しかし、今なら出来る。
オークの自慢話の定番と言えば、初めてヤった女がいかような悲鳴を上げたかという話題であるが、それも臨場感タップリに語ることが出来る。
処女を奪ったその瞬間から、バッシュが果てるその瞬間までの、サンダーソニアの一部始終を、バッシュは生涯忘れまい。
そして、それを知っていること、またそれを酒の席で語ることを思えば、顔に痣があることなど、実に些細な問題に思えてくる。
痣を馬鹿にしてくる奴がいたとて、「でもお前はあの『エルフの大魔導』をこんな風にしたことは無いだろう?」と余裕たっぷりの返しができるのだから。
相手はきっと黙る。
オークとは単純な種族なのだから。
「もごもご……なんかこの肉堅いっすよ~……焼きすぎじゃないっすかぁ? え? 冷凍?」
左を見ると、見覚えのあるヒューマンの女が寝ている。
元フェアリーのゼルだ。
寝言はあまりにも色気がないが、ことベッドの上では話が違った。
バッシュはオークだ。
女に愛されるということがどういうことなのか、知らない。
これまで、ヒューマンやエルフの真似事をして女を落とそうとしてきたが、その結果どういう関係になるのかというのを想像できなかった。したこともない。
だが、きっと、今のゼルとのような関係になるのだろう。
ただ連れ帰り、無理やり子供を産ませるだけでない関係。
彼らはそれを目指して、回りくどく準備を整えるのだ。
そして、そんな美女二人を横にして、なおバッシュのバッシュが元気になることはない。
最後まで完全に絞り取られたからだ。
「スー……スー……」
バッシュは足の方に視線を向ける。
彼の太ももを枕にして眠るのは、豊満な体つきのサキュバス、キャロットだ。
つい昨日までは、餓死寸前の顔をしていたが、今は満腹で幸せそうである。
彼女はサンダーソニアとゼルとの情事を、時折コメントやアドバイスを交えつつ見ていたが、ゼルとの行為が終了し、バッシュが両手を広げると、その胸へと飛び込んできた。
そしてバッシュは、残った元気を全て吸い尽くされた。
サキュバスに襲われたオークはなすすべもないのだと、再確認してしまった。
とはいえ、吸い尽くされたがゆえに、今のバッシュはまさに賢者であった。
過去一賢いバッシュである。
(ゼルとキャロットにも感謝せねばなるまい)
かの『エルフの大魔導』サンダーソニアの処女を散らしたという話だけでも、十分な自慢になるのは間違いない。
だがそれに加え、ヒューマンとサキュバスも抱いたという話は、まさにオーク英雄の逸話に相応しいものだ。
一晩で三人同時に。
どのオークにも出来ることではない。
誰に対しても自慢できる。
バッシュ自身が聞いても、とても羨ましいと思う事だろう。
仮に自慢してくる相手の顔に痣があったとしても、それがどうしたと言える程度には。
「フガッ」
右腕の方からビクンと衝撃が伝わって来た。
バッシュがそちらを見ると、サンダーソニアと目があった。
「うおっ……」
サンダーソニアは数秒ほど停止していた。
そして、目だけをギョロギョロと動かして周囲を確認し、己の身に何が起こったのか、というか己が何をしたのかを思い出すと、とりあえずだらしなく開かれていた股をゆっくりと閉じて胸を手で隠した。
「うむ、まぁ……なんだ? これが旦那の腕枕で目覚めるってやつか? 昔自慢された時はなんだこいつと思ったもんだが、思ったよりいいな、うん」
サンダーソニアは小声でそう言った。
まだ寝ている二人に配慮しているのだろう。
「エルフにも、そういった自慢話があるのだな?」
「あいつらのは嫌味とか皮肉っていうんだけどな……そういや、オークもよくするんだってな、そういう話」
「ああ、俺も昨晩のことを、酒の席の度に自慢するだろう。お前の悲鳴と、体の具合と、そして段々と甘くなっていく吐息を」
「お前そういうのは……いや、オークなら仕方がないか……まぁ、自慢ならいい、か? あ、でもな、あの裸に首輪をつけて引き回すやつはやらないからな。お前以外のオークに体を見せる気はないぞ。そもそもあれはエルフの間では非常に評判が悪いんだ。私がそんな目にあわされたと知ったら、オークとエルフの間で戦争になりかねんぞ」
「ああ。わかった。ならばやるまい」
素直なバッシュに、サンダーソニアは眉根を寄せて唇を尖らせ、ムームーと考えている。
「まぁなんだ? とにかくこれで私とお前は夫婦ってわけだ。エルフの常識としては、一夫一妻が普通なんだが、お前はオークだし、他の妻に関しては許してやる。けどな、ちゃんと私のことを愛せよ? 一番にだぞ。わかってるな?」
「……ああ、わかっている」
「ほんとかー? 今ちょっと間があったぞ? っと」
バッシュが右腕を動かしてサンダーソニアを抱き寄せると、彼女はすぐに黙り「今日はこれで騙されてやる」と、その熱い体をバッシュに密着させてきた。
ちなみに間があったのは、バッシュとしても複数の嫁を連れ帰ればどうなるかわからないからである。
オークは一人の女を複数の男でシェアするのが一般的だ。
そう、オークは多夫一妻……。
特に功績を残した者は、自分だけの嫁を持つことを許されるが、それでも一夫一妻。
三人も連れ帰った時に何を言われるかはわからない。
とはいえ、こうなった以上、どうにかするしかない。
バッシュとて、己の女を手放す気は、毛頭ないのだから。
文句を言われたなら、決闘で黙らせればいい。
負ければ女は奪われるが、負ける気はなかった。
「でも、私も結婚式は派手にやりたいんだよな。私にだってお前を自慢する権利があるからな」
「そうなのか?」
「ああ、お前は自慢に値する。エルフの本国で盛大にやるからな。お前には着飾ってもらい、街中をパレードしてから、公衆の面前で愛を宣言してもらう。いいな? 拒否は許さないぞ」
「わかった」
「……まてよ、それをしてもらうということは、やはり私もオークのパレードに出なきゃいけないのか?」
「……?」
「くそっ、気づきたくなかったな。せめて下着ぐらいは勘弁してもらいたいが……いや、私だったら勘弁したくない。完璧な状態の旦那を見せびらかしたいぞ。くそ、でも裸はなぁ……」
エルフは着こませ、オークは脱がせる。
その後に自慢するという点は共通だ。
オークが好むパレードは、エルフのそれと何の違いもないということだろう。
「お前が望むなら、俺はどんな願いでもかなえてみせよう」
「例えば?」
そう聞かれ、バッシュは一瞬考える。
しかし今のバッシュは賢者だ。
すぐに最適な言葉が見つかった。
かつてシワナシの森で、一人のエルフが言っていた言葉を思い出したのだ。
「お前のためなら、ドラゴンとでも戦ってみせよう」
「お前が言うと冗談にならないんだよ。ていうかそうじゃない。私は自分の望みを言った、なら次はお前が私に叶えてほしい望みを言うんだよ。それが平等ってもんだ」
サンダーソニアは、そういってフッと笑った。
そもそも彼女は、シワナシの森のゾンビ騒動の後ぐらいから、考えていたのだ。
もし、他の種族のお嫁さんになったら、というシミュレーションを。
それぞれの種族に譲れるラインと譲れないラインがある。
サンダーソニアはエルフの女である。
エルフの女は相手に尽くすものだ。譲れるラインの内側なら。
「ならば……」
「おう」
サンダーソニアは腹をくくった。
裸でのパレード以外なら、何でもやるつもりだった。
何をされるかは想像できていないというか、あまり想像したくなかった。
思い出すのは、オークの捕虜となったエルフから聞かされた、凄惨な奴隷生活の数々だ。
バッシュはそんなことしないと思いつつも、それがオークの文化なら、少しは受け入れるつもりだった。
「俺の子供を産んでくれ」
「おーぅ……」
しかし帰ってきた要求は、ごくごくストレートなものだった。
とはいえ、これはオークにとってごく一般的なプロポーズ。
それは、オークにとって譲れないラインを示していた。
「他のオークだったら「産ませてやるぜ」と言ってるな」
「そう言った方がいいのか?」
「いや、今の方がいいな!」
サンダーソニアの中のバッシュは、無理やり相手に子供を産ませるようなオークではないのだ。
そして、そういうバッシュだからこそ、サンダーソニアは断らない。
「よーし。なら三人……いや、五人ぐらいは頑張ってやる」
この日、バッシュにサンダーソニアを嫁に迎えたのだった。
■
「さて、とはいえ全てはゲディグズに勝ったらだ」
ピロートークの最中、ずっとにやけ顔をしていたサンダーソニアだったが、ふと表情を引き締めた。
「戦争が終わらないと、子供もくそもないからな」
バッシュを味方につけた。
キャロットもこうなった以上、味方だろう。
ゲディグズを倒す方法も見当がついた。
最後に関してはもう少し調査が必要ではあろうし、サキュバスに関しても国内で大掛かりな援助をするための働きかけが必要になりそうだが……。サンダーソニアはやると決めていた。
少なくとも、サンダーソニアがエルフの国に戻らず、独自に動くと決めた際の目的は、達成できた。
(……ムッ!)
ふと、サンダーソニアの肌に悪寒が走った。
戦場で幾度となく感じたその肌の感じには、覚えがあった。
敵襲だ。
サンダーソニアはバッと体を起こした。
「敵か」
「そうみたいっすね」
「旦那様、いかがいたしますか?」
サンダーソニアが気づいた瞬間、他の2人もパッと目を覚ましていた。
三人はすぐさま立ち上がると、手早く身を整え、部屋のドアの近くに移動し始める。
もしかすると、ずっと起きていたのかもしれない。
そんな素早い起床であった。
そして今の会話を聞かれていたのかもと思えば、サンダーソニアの顔はおのずと赤くなった。
「あれ? サンダーソニア? 大丈夫っすか? まだ寝ぼけてるっすか? 囲まれてるっすよ」
「か、囲まれてるわけじゃないだろ」
サンダーソニアはハッと我に返りつつ、ベッド脇に脱ぎ散らかしてある服に手を伸ばした。
思えば、どれだけ長時間ベッドにいたのだろうか。
「しまったな、シーケンスに捕捉される前にここを出るつもりだったんだが……」
「問題ない」
「ほう、どうするつもりだ?」
「戦って突破すればいい」
バッシュはかつてのような堂々とした態度でそう言った。
「名案だな」
そう思ってしまったのは、周囲の面々を見てのことであった。
ゼルが若干力不足ではあるが、バッシュにキャロット、そしてサンダーソニア。
武器がないことを加味しても、閉所であることを考えれば突破は可能だろう。
追撃を振り切れるかどうかは、少々わからない所ではある。
雪原で大勢に追いつかれるのは、サンダーソニア的にはあまりよくない気がしている。
「でも全滅させた方がよくないか?」
「聞いたっすか旦那。さすがエルフの大魔導っすね。相手の数もわかんないのに全滅させるだなんて、しかも相手はデーモンっすよ、デーモン。どんだけ強気なんすかね?」
「いいかサンダーソニア。俺たちは誰も武器をもっていない。お前は大丈夫かもしれんが、俺とキャロットは相手の数次第では後れをとるだろう」
「わかってるよ!」
オークにしたり顔で教えられるエルフなど、今までの歴史上でいただろうか。
いなかったとしても関係ない。
サンダーソニアこそが歴史そのものなのだから。
「無論、俺はお前に戦えと言われれば、死ぬまで戦うが」
「……なんで私が戦えって言ったら戦うんだよ?」
「お前が指揮官だろう?」
そうだったのか?
とサンダーソニア的には思ってゼルとキャロットを見ると、二人は「うん」と頷いた。
確かにここまでの道中はサンダーソニアの主導で行われた。
指揮官と言われれば指揮官、リーダーと言われればリーダーかもしれない。
そして、サンダーソニアは、そういう立場になれた女であった。
「そっか、私が指揮官か」
すんなりとそれを受け入れると、まずはっきりと言った。
「じゃあ、先に言っておくぞ。私はもう身近な奴に自分をかばって死なれるのは嫌だ。だから死ぬまでは戦うな。戦いにおいて勝てそうにないと思ったら、いい感じの所で逃げて生き延びろ。私を置いてでもな」
思い返すのは、自分を守って戦い、そして死んだ者達の名前と顔だ。
特に記憶に新しいのは最後の女。ブーゲンビリア。
あんな思いは、もうしたくない。
何度誓って、何度誓いが破られても、再度そう誓わずにはいられない。
「俺が、ようやく手に入れた妻を守らず、死なせると思うか?」
「うれしいこと言ってくれるじゃないか。だがお前なら、私がお前に守られなくても死なない女だってことぐらいわかるだろ?」
「ああ。わかる。だが、俺より先に死なせるつもりはない」
「ふん、寿命的にはどうあがいてもお前が先に死ぬんだよ」
「ならば戦場では、共に死のう」
「約束だぞ」
サンダーソニアが拳骨を上げると、バッシュはやや意外そうな顔をしつつ、拳を上げた。
拳同士でタッチをすると、ゼルが自分もとばかりに混ざってきた。
キャロットもだ。
一人の男と三人の女。
不思議な連帯感を持った四人が、扉の外へと出た。
■ ■ ■
シーケンスは十人の配下を連れていた。
若手はいない。
女ばかりで、男はシーケンスを含めて二人。
キャロットへの対策として、レジストできる人物を連れてきたのだろう。
本来、デーモンであればサキュバスの魅了をレジストできる者は多いはずだが、キャロットのそれは特に強力だ。
シーケンス本人はレジストできるだろうが、それ以外は怪しい中の人選。
よほどの人物を連れてきたのだろうとは思ったが、サンダーソニアたちは、一人として見覚えはなかった。
サンダーソニアたちが知らないとなると、戦場でそこまで活躍してない人物ということになる。
あるいは、人手不足なのかもしれない。
主だった者たちは、ゲディグズについて暖かい地方を攻めているはずだから。
「シーケンスか」
バッシュはシーケンスの顔を見るなり、そう言った。
シーケンスはバッシュの顔をまじまじと見た後、その周囲を固める女たちを見て、頷いた。
「どうやら邪魔をしてしまったようだな。バッシュ」
「構わん、もう終わっていた。今ならお前と酒を飲みながら、自慢話を聞かせてやってもいい」
シーケンスは目を細めた。
自然体で自信にあふれたオークの姿。
以前、ギジェ要塞に来たときよりも、なお自信に溢れているように見えた。
いいや、溢れているのは自信だけではないようにも見える。
シーケンスは内心を悟らせぬことに長けているが、それでも、ホッとした雰囲気は出てしまう。
「このような場所でなければ、ぜひともお聞かせ願いたいものだ。お主と飲む酒は、さぞうまかろうよ」
バッシュはその言葉に、左斜め下の方を見た。
サンダーソニアの頭がある所だ。
まるで、「こう言ってるし、飲みにいってもいい?」と聞いているかの態度。
もちろんサンダーソニアは「ダメに決まってるだろ」と顔で返事をした。
「私たちはこれから、お前らの王様を倒すために南に戻らなきゃいけない。酒盛りならその後だな。ま、お互いに生きてたら、だけどな……」
だからサンダーソニアは、そう言った。
「それは残念だ。サンダーソニア、仇敵たるお前が無様に犯される様子を、ぜひとも聞いてみたかったのだが」
「ちゃんと無様に悲鳴を上げてたっすよ。それどころか直前に怖気づいてたっす。でも終わった後は旦那の腕の中で甘々なピロートークっす。オレっちはいつ目覚めるべきか、夢の中でかつてのオレっちと相談してたんすけど、ついぞ結論がでず……まったく卑しい女っすよ!」
「いいんだよ詳細は語んなくても! ていうか起きてたんならおはようぐらい言えよな!」
ゼルの解説にキレるサンダーソニア。
キャロットも「邪魔をするわけには……」と呟くほどには、あの瞬間は甘い空間が広がっていたのだ。
「とにかくだ! シーケンス! 私達を仕留めにきたのかもしれないが、足りそうにないな? 手駒はもうみんなゲディグズに持ってかれちゃったか? この倍の人数でも私達は突破してみせるぞ!」
もしサンダーソニア一人であれば、この人数を突破できなかったかもしれない。
シーケンスもそうだが、ここに並ぶ九人の女デーモンは、皆名うての戦士だ。
全員が年寄りか、あるいは何かしらの欠損を抱えているが、それでも戦場で何度か刃を交えたことがある者達だ。
サンダーソニアと戦って一蹴されずに生き延びた戦士ということだ。
サンダーソニア一人を仕留めるには、十分な戦力といえよう。
だが今はもう、サンダーソニアは一人ではない。
今の倍どころか、三倍いても軽々と突破するだろう。
「わかっている。お前一人と、そこのヒューマンの女ぐらいを仕留められる人員をそろえたからな」
「ほー。お前ともあろうものが、バッシュとキャロットを戦力に数え忘れたか? 歳を取るとモウロクしていかんな?」
「それよ」
と、シーケンスは嘯く。
「バッシュが復活していたのなら、我らには勝てぬということよ。そして我らは勝てぬ戦いをするほど暇ではない。よって、ここを通すしかない。バッシュよ、お前はどう思う?」
「俺は、お前がここを通さんというなら、戦うまでだ」
「それはよい。ならば通さんとは言えんな。無駄死にするわけにもいかん」
シーケンスはそういうと、スッと体を横によけた。
他の女デーモンたちも、それに追従するように横にどき、道ができた。
彼らの先には、出口がある。
サンダーソニアは「なんの罠だよ」と思いつつも、バッシュが当たり前のように歩き出したのを見て、それに追従した。
しかし、シーケンスの隣を通り過ぎる際、ふと声を掛けられた。
「サンダーソニア、エルフの大魔導よ」
「……なんだよ」
「感謝する。我らが恩人を救ってくれたことを」
「……」
そういうことかと納得がいった。
シーケンスは、最初から"サンダーソニアだけなら"生かすつもりはなかった。
サンダーソニアがバッシュを連れていて、かつそれを助けようとしているから、猶予を与え、見守った。
そして助けたから、見逃してくれるというのだ。
しかし、見逃すのはきっと、これっきりだ。
「バッシュ。次は恐らく敵同士。戦場で相まみえれば、いかにお前とて容赦はせんぞ」
「ああ。名だたるデーモンのお前であれば、相手にとって不足はない」
「ドラゴンをも退ける英雄にそう言われれば、肌も粟立つわ! 戦場で会おう!」
デーモンたちに見送られながら、バッシュたちは行く。
■
「で、どこに行くんすか?」
山を下りて雪原に出た頃、雪山を振り返りながらゼルが言った。
「ゲディグズ様を倒すって言ってたわよねぇ? アソコの本にはなんて書いてあったのぉ?」
キャロットもそれに追従する。
バッシュも気にしていない。もう妻の行きたい所についていくばかりである。
オーク英雄は自発的に動くより、命令を与えられた時の方が強いのだ。
「昔、ゲディグズみたいに古代の魔法で蘇った不死身の王を、独自の魔法で殺した種族がいたって書かれていた。魔法の詳細については書かれていなかったけど、その呼び名は多分、今も変わっていない」
「ふーん、その種族は?」
その問いに、サンダーソニアははっきりと答えた。
「オーガだ。あいつらの『呪術』は、そのために作られた魔法だ」
こうして、次の目的地が決まった。
童貞を失い、妻を得て、旅は終わった。
だが新たな旅が始まる。
ゲディグズを倒し、戦争を止める旅が……。
第九章 エルフの国 サンダーソニア編 -終-