102.私がなんとかしてやる
「どっこいしょっと」
サンダーソニアは暗い洞窟の中、あぐらをかいてバッシュの前に座った。
指先に光を灯し、バッシュと己の間の床にぺとりと張り付ける。エルフの照明魔法だ。
淡い光に照らされて、バッシュの緑色の背中がうっすらと闇に浮かび上がった。
「まったく、最近は散々だよ。聞いてくれよ、ここに来る前にゲディグズの奴にな、プロポーズされたんだ。まぁ断ったんだけどな、あれは惜しいことをしたかもしれん。もしゲディグズが死んだり生き返ったりしてなければ、デーモンとエルフの友好のためにしていたかもしれん。あいつ、あれで結構顔はいいからな」
「冗談だ。揺れたのは事実だが、あいつのせいでエルフが何万人死んでるかわからんからな。私があいつと結婚することはないさ。他の王族と結婚するっていうなら、まぁ苦い顔で祝福しただろうけどな……」
「ゲディグズのやつ、子供の頃に私と会ったことがあるらしい。全然憶えてなかったよ。まぁ、本当かどうかわからんけどな」
と、サンダーソニアはバッシュの方を見る。
オークには難しすぎる話の入り方だったかもしれないと反省。
「私とお前の出会いはいつだった? シワナシの森で一騎打ちした時か? お前も知ってるだろうが、私はこう見えて、出会ったオークは全部焼き尽くしているから、それ以前に会ってたら、お前も生きてないはずだからな」
バッシュは答えない。
だが、その耳のあたりが、かすかにピクピクと動いていることがわかる。
聞いているのだ。
「キャロットとゼルから事情は聴いたぞ。オークメイジになったそうじゃないか」
バッシュの肩がピクリと震えた。
「戦士のお前からすると、魔法ってのは胡散臭く感じるかもしれないが、決して悪いものじゃないぞ。お前も知っての通り、私は大陸最強の魔法使いの一人だ。魔法は確かに少々小難しい所もあるが、お前を追い詰めたことだってある。シワナシの森で私と一騎打ちした時だってそうだったろ? あの時はお腹がすいてたからとか、そんな言い訳はナシだぞ。私だって空いてたんだからな」
「違う」
と、バッシュがポツリと呟いた。
「違わないだろ。食料はお互いにそんな潤沢じゃなかったはずだ。私はいつだってハラペコだったぞ。お前と戦った時も豆のスープを――」
「違う……俺は、オークメイジではない」
「あーあー、わかっている。お前は戦士だ。私の知る限り、誰よりも強く、誰よりも誇り高い、オークの戦士だ。だろ?」
「違う……俺は、オークではない」
「どっからどう見てもオークだろうが。あのな、理由もいわず否定ばっかりするのは相手に失礼なんだぞ」
そう言うと、バッシュが、チラリと後ろを振り返る。
その目に力は無かった。だが顔に刻まれた痣が、その表情に凄味を持たせていた。
オークメイジの証。
しかしオークは、その痣のあるオークを、必ずしもオークメイジと呼ぶわけではない。
「俺は、魔法戦士だ」
「……」
「魔法戦士となったオークは、もはやオークではない」
かみしめるような言葉は、それがオークにとって重大な意味を持つことを示していた。
「いや、だからそれは、戦場で一度も女とヤれなかったオークだろ。さっきキャロットから聞いたぞ。お前はまだ若い頃にサキュバスと、その、シたんだろ? で、そんな痣ができてしまったと。じゃあ仕方ないだろ」
「違う。俺はサキュバスとはしていない」
「あぁ……。そうだな。お前からするとシたっていうよりはサれた、オークの性行為はもっと自分本位だもんな、認めたくない気持ちはよくわかる。お前はサキュバスに無理やり押し倒されたんだろう。かわいそうにな」
「違う……」
「それでな。今、洞窟の外にキャロットの奴がいるんだが、あいつが責任を感じててな。あいつ自身がお前を押し倒したわけじゃないみたいだが、『サキュバスの一員が、恩あるバッシュ様になんてことを~』ってな……時系列おかしいだろ?」
サンダーソニアは若干言いにくそうに、
「で、まぁ、お前に私を襲わせれば、元気出るとか言い出してるんだ。私はまぁ、それもいいかとは思ったんだが……どうだ? やってみるか?」
バッシュがチラリとサンダーソニアを見たのがわかった。
その目は獣欲に満ちていた。サンダーソニアは久しぶりに感じるオークの欲深い視線に、若干たじろぎつつも、しかし元気づけると決めた手前、ある程度の覚悟はしていた。
「……」
しかし、すぐにバッシュの目から獣欲はスッと消え、また壁の方を向いてしまった。
「おいまて、なんだその目は、私に魅力がないってのか?」
「……違う。お前は魅力的だ」
「お? おおぅ……面と向かって言われるとテレるな。じゃなくて、なんで手を出さないんだ? あれか? 『オークキングの命で、同意なき性交は~』ってやつか? これこそが同意ってやつだぞ? それとも何か? やっぱりオークだから、打ち倒した相手じゃないとダメとか、そんなか? めんどくさいやつだな、じゃあちょっと戦って負けてやるから、外出てこいよ。お前だったら手加減ナシでも負けそうだけど、別に痛い思いしたいわけじゃないから手加減しろよな?」
「違う」
「違う、違う、違うって、さっきからそればっかりじゃないか。会話しろよな。まったく、いやお前はオークにしては会話できる方だとは思うけどな?」
「……もう、遅い」
「遅くなんてないだろ。そんな痣ぐらいなんだ。私だぞ? この『エルフの大魔導』サンダーソニアを自分の女に出来るんだぞ。しかも嫁として連れ帰れるんだ。みんなに自慢できるぞ。まぁ、連れ帰る前に、ちょっとやってほしいこともある、エルフを救うとかな……ともあれオークとしての誇りは保てるだろ? 自分でいうのもなんだけど、価値ある女だと思うぞ? 私は!」
「俺は、もはやオークではない。俺は、魔法戦士だ」
「またそれか。ったく、魔法戦士になったからといって、お前は……」
違うだろと、サンダーソニアは否定しようとして、ふと、違和感に気付いた。
そもそもバッシュは、決してオークメイジを下に見るタイプのオークではなかった。
あのシワナシの森でゾンビと戦った時も、そうした言動は見られなかった。
はぐれオークに対し、オークではないと明確に言い放つほど、誇りも高かったと聞く。
オークは嘘をつかない。
さっき、バッシュはなんと言った?
『サキュバスとはしていない』と、ハッキリとそう言わなかったか?
そして、バッシュは己を魔法戦士と言っている。
魔法戦士とは、どういう存在だ?
「……」
サンダーソニアの背筋に、ゾッとしたものが走り抜けた。
サンダーソニアは、オークに詳しいわけではない。
だが"誇り"に関しては、それなりに知っている。
"誇り"とは、各々の種族が、大事にしている価値観だ。
個人が、その大事な価値観に沿った生き方をしていることを、"誇り高い"というのだ。
オークのそれは、戦いと女に偏っている。
事実として、数多くの戦場で勝利を重ね、女を犯し続けてきたのなら、痣の一つや二つでうろたえることは無いのではなかろうか。
つまり、
「お前は、今までどれだけの女を犯してきたんだ?」
サンダーソニアはそう聞いた。
今まで、誰一人として聞けなかったことを、同じオークですら、面と向かって聞いた者は、誰一人としていなかったことを。
オークは嘘を吐けない。
「……ゼロだ」
あらゆる種族には、寄る辺がある。
例えばヒューマンは宗教だ。偶像の神を信仰し、その教義に沿って清廉潔白に生きることを誇りとしている。
そのヒューマンから、実は信奉していた神が、神などではなく単なる怪物だと知ったら、ヒューマンは誇りを失うかもしれない。
教義に掲げられていることが欺瞞だと知れば、寄る辺を失ってしまうかもしれない。
エルフにも水や風、木々の精霊などの存在が寄る辺になる。
あるいは、サンダーソニアという存在が、エルフの寄る辺であるという見方もあった。
サンダーソニア自身は、それはむずがゆく感じているが。
オークの寄る辺は戦いと、そして女だ。
どれだけ戦いに勝ったか、どれだけ女を犯したかが、彼らの幸福度合いを決める。
『オーク英雄』と呼ばれ、全てのオークからの尊敬を集める者。
あらゆる戦いに勝利してきた、最強のオーク。
そんな奴が、ただ一人も女を犯していない……。
その事実があったら、オークの根幹が揺らいでしまう。
「俺は、童貞だ」
誇りが失われる音がした。
童貞だと言い切ったバッシュから、覇気のようなものが一層抜けていくのがわかった。
サンダーソニアは、少し後悔した。
言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。
バッシュにそれを、正直に言わせるべきではなかった。
だが、
「それ……誰が信じるんだよ……」
そう言いつつも、サンダーソニアの心中には、後悔とは別の感情が沸き上がっていた。
(てことはこいつ、戦場で誰も犯してないってことか)
最初に見た時は、とんでもないオークがいると思った。
オークの中にも時折強い戦士が生まれる。そんな奴の一人だと。
自分が戦えば殺してみせると思っていた。
戦争中の最後の戦いにおいては、それは叶わなかった。
バッシュはとてつもなく強く、とてつもなく勇敢だった。
戦えば勝てると挑んだ戦いは、互いに重症を負わせ、サンダーソニアは気絶するに至った。
相打ちだと、そういうことになっている。
だが、それは実質、敗北だった。
なぜなら、気絶したサンダーソニアにトドメを刺すだけの時間と余裕はあったはずだからだ。
極限状態の戦いにおいて、確かにサンダーソニアは負けたのだ。
そもそも、後先を考えないなら、捕まえて犯すことだってできたはずだ。
そうしていればバッシュはサンダーソニアを助けにきた者達に殺されていただろうが、オークの本懐は遂げられたはずだ。
他のオークだったら、間違いなくそうしていただろう。
終戦後、シワナシの森では助けられた。
その後にプロポーズされた。
思えば、バッシュがエルフの若い女に声を掛けていたという報告は届いていたのだ。
ブラックヘッド領でも、華麗にナンパをしているバッシュを目の当たりにした。
あのオークが、あんなスムーズに女を部屋に誘うところを見たのは初めてで、オークもやればできるじゃないかと思ったものだが、オークがそれを習得するのに、どれほどの努力が必要だったろうか。
シワナシの森でのプロポーズとブラックヘッド領でのナンパを見比べると、バッシュは女に声を掛けるのが上手になっていっていた。
女は犯すものという価値観を持っているオーク。
何か新しいことを憶えたり、難しいことを習得するのが苦手なオーク。
バッシュがそうなるのに、どれだけの努力が必要だったのか。
(お前、そこまでして……)
オークの誇りを取り戻すための旅だと聞いていた。
実際、風の噂で聞こえてくるバッシュの名声は、その名に違わぬ立派なものだった。
だが同時にバッシュは焦っていたに違いあるまい。
サンダーソニアのそれとは比べ物にならないぐらい、切羽詰まっていたのだ。
なぜなら、彼はずっと、目的を達成できていなかったから。
(そっか……)
オークの価値観はわからない。
女を捕まえて犯すのではなく、他種族から見て正当な手段で落とす。
そんな行動を取るオークを、オークらしくないと断ずる者もいるだろう。
だが、エルフの価値観で言えば、目の前の男は悪くない。
サンダーソニアの価値観で言えば、かなり良い。
サンダーソニアは、エルフの守護者であり復讐者だ。
全てのエルフを守り、過去に酷い目に合わされたエルフの無念を晴らすという責務がある。
そう、自負している。
戦争は殺し合いだ。
殺すのはいい。それはお互い様だ。
だが犯すというのは、欲望を満たす行為だ。必要のない行為だ。
エルフを犯したオークを生かしておく理由など無いと、かつてのサンダーソニアは思っていた。
ゆえに……。
『誰も犯していない』
その事実だけで、サンダーソニアの評価は非常に高くなる。
「お前、いくらでもチャンスはあったはずだろ。それこそ私に勝った時だって……」
「知らなかった。他の連中が、女を連れていき、何をしているのかなど」
「そっか……確かにお前に犯されたって女の話は聞いたことなかったな……そっか、童貞か、フフ」
サンダーソニアが笑った瞬間、バッシュの身がさらに縮こまったように見えた。
「おっと、勘違いするな。別にお前が童貞だからって笑ったわけじゃないぞ。私も処女だからな。そこはお互い様だ」
サンダーソニアは慰めるようにそう言って、何かを決意するかのように、どっかりと、あぐらをかいてすわった。
「よし!」
サンダーソニアは、そう言って口を開こうとし、ためらった。
「……よし!」
気合を入れ直し、今度は口を開く。
「私が、お前の童貞を奪ってやる」
サンダーソニアはそれを口にして、顔を真っ赤に染めた。
だが、そのまま勢いで言葉を続ける。
「お前はシワナシの森で私に勝って、それで私を自分のモノにした。そういう事にしよう。なに、最初は皆信じないかもしれんが、10年も言い続けていればそういうことになっていくものさ」
「……もう遅い。俺は」
「その痣を消してやる。私が、なんとかしてな! 私を手に入れ、痣も消える。そうすれば、お前の『オーク英雄』としての誇りも保たれるだろ?」
バッシュが顔を上げた。
「……消せるのか?」
「わからん!」
バッシュの顔が曇る。
とはいえ、サンダーソニアも考え無しでこんなことを言っているわけではない。
「だが、普通に考えて、三十歳まで童貞だったら痣が出て魔法が使えるようになるっていうなら、何かしら魔法的な制約か契約が存在してるはずなんだ。なら、この『エルフの大魔導』である私の得意分野だ。そうだろ?」
「……」
「ようやくこっち向いたな」
バッシュの顔のすぐそばに、サンダーソニアの顔があった。
いつ見ても美しい、エルフらしい勝気な顔で、バッシュの頬を両手で挟んでいた。
そして、気づけばバッシュの口は、サンダーソニアの口によってふさがれていた。
困惑するバッシュに、サンダーソニアは口をとがらせた。
「もう少し嬉しそうな顔をしろよな! あの『エルフの大魔導』サンダーソニアがキスしてくれて、しかもオークの妻になってやるって言ってるんだ。光栄なことだぞ! あ、でもあれだ、裸で引き回すのはダメだぞ。あれはさすがにな」
サンダーソニアは立ち上がり、指を一本立てた。
「とはいえ、それも私がお前の痣を消せたらの話だな! でもな、この私がここまでやるんだ。その顔が前みたいにまっさらなピーマンみたいな緑色になったら、お前もエルフを救うために、力を貸してもらうぞ。いいな!」
そして、バッシュに背を向ける。
「先に行って、外の連中に事情を話してくる。お前も落ち着いたら出て来いよ。まさか私に手を引かれないと立ち上がれないなんてことはないはずだ。私のお……夫なんだからな!」
サンダーソニアは、顔を真っ赤に染めつつ、鼻息荒く立ち上がると、洞窟から足早に出ていった。
バッシュはそれを見送った後、しばらく動かずにいたが、やがて膝を立て、ゆっくりと立ち上がった。
■
「というわけでだ! バッシュの痣を消すことになった!」
「ふぅ~ん?」
洞窟から出てきたサンダーソニアは、疑惑の目をしたキャロットに全身をくんくんとかがれていた。
「な、なんだよ、臭くないだろ?」
「そうねぇ、全然臭くないわぁ。予定通りならオークの体臭でかぐわしくなってるはずなのに、なーんにもしてないみたい」
キャロットはサンダーソニアの全身をかぎ終えると、その右手をつかみ、己の脇に抱え込んだ。
そしてゼルの方に目配せをすると、ゼルもまたサンダーソニアの左手に取り付いた。
サンダーソニアは二人に抱えあげられる形になる。
「おお? 何するんだ?」
「あなたがいざって時に芋を引くのは最初からわかってたわぁ。臆病者のサンダーソニア。いつだって自分は危険な所から逃げ出すって有名だものねぇ」
「傷つくこと言うなぁ! 否定しないけど、私だって逃げたくて逃げてたわけじゃないんだぞ! あとそれ、他のエルフが聞いたらめちゃくちゃ怒るから気をつけろよなぁ! で、なんだよこれ」
「わたしたちが逃げられないように押さえつけてれば、バッシュ様も思う存分できるでしょ?」
「失礼な奴だな! 今回ばかりは私もちゃんと覚悟を決めたんだよ! だからちゃんとバッシュと話をつけてきたんだからな!」
サンダーソニアがそうわめきつつじたばたと暴れたが、キャロットは聞く耳を持たない。
とりあえずオークが喜ぶよう、不要な衣類に手をかけた所で、
「あ」
キャロットは唐突にサンダーソニアの手を離すと、そそくさと後ろに下がり、ゼルのテントの陰へと隠れてしまった。
テントの陰から、その豊満な体の一部をのぞかせつつ、膝をついて頭を垂れている。
「バッシュ様……」
見ると、バッシュが洞窟から出てくる所であった。
目の下には大きなクマがあり、全身も一回りしぼんで見える。
元気は相変わらずなく、三人美女を前にしても股間のバッシュも静かなままだ。
「よし、出てきたな! 出てきたってことは、さっきの話は了承ってことだよな!」
「…………本当に、消せるのか?」
「何度も言うが、まだわからん! 少なくとも、私はそういう魔法は知らん。でも『痣が出たら魔法が使えるようになる』ってことは、魔法が関係しているのは間違いない!」
「……」
「で、そういう魔法は基本的にありえないわけだが……」
思い返すのは、最近復活した、一人の男。
そいつは復活するだけでなく、サンダーソニアの魔法を受けても瞬時に傷が治る、不思議な体まで手に入れていた。
ありえないことが起こっているなら、魔法はあり得ないことを引き起こせるのだ。
「魔法が関係している以上、魔法で治る」
そして魔法は不可逆ではない。
魔法で何かが変化したのであれば、その変化は魔法で戻る。
ニュートにデニュートがあるように、元に戻す魔法は必ず存在する。
「バッシュの痣は、なんらかの魔法で元に戻せるはずだ」
「!」
「とはいえ、『痣が出たら魔法が使えるようになる』なんてのは、普通に考えたらおかしいんだ。そんな魔法は存在していないはずだ。人の状態が根本から変わるんだからな。そんな魔法の解き方を一から開発するのは、専門の研究所を作っても時間がかかる。それこそ人が一生をかけてもわからないということもありうる」
サンダーソニアの言葉に、落胆を隠せない面々。
しかしサンダーソニアは指を一本立てる。
「だが、過去に存在していた魔法なら別だ。戦争の中で失われていった魔法は山ほど存在しているんだ。理由は様々だぞ。唯一の使用者が死んだとか、代償が重すぎて簡単に使えないがゆえに、いつしか忘れ去られたとか……そもそも禁忌すぎて後世に残されなかったとか……」
「……」
「で、キャロット、お前はそういった魔法に心当たりがあるんじゃないか?」
「え、私?」
「例えば、死んだ人間を生き返らせる魔法。代償は太古の力を持つ遺物。あれ、ポプラティカが一から開発したものじゃ、ないんだろ?」
「あ……」
キャロットの脳裏に浮かぶのは、ゲディグズを復活させた祭壇。
そして、ポプラティカが読み込んでいた、大量の書物だった。
「もし、そういう情報がある場所に案内してくれるというなら、お前の望みはかなうぞ」
サンダーソニアは、まだバッシュが童貞であることをキャロットに伝える気はなかった。
オークにとって童貞を喧伝されることはプライドを大きく傷つけるから……。
というのもあるが、真実を伝えた結果、キャロットがゲディグズの元へと戻る可能性を憂慮してのものだ。
それに、バッシュが憶えていないだけで、バッシュが幼い頃にサキュバスに襲われていたという可能性もゼロではない。
サキュバスの『桃色濃霧』は、そういうものではないはずだが、時折魅了をくらった男の記憶が無くなることもあると聞く。
恥ずかしいことを言ってしまった男が、記憶喪失ということにしたいだけという説が濃厚だが、本当に記憶を失っていたとしてもわからない。
ともあれ、本当にサキュバスのオイタが原因だったとしても、バッシュの痣が消えれば帳消しになる問題であろう。
バッシュはサキュバスのことを、恨んでなどいないのだから。
今嘘をついたとしても、いつかはバッシュが真の童貞であったと話すことになるだろうが……その時はその時だ。
(すぐにでも本国に戻りたい所だが、『ゲディグズの体の謎を解き明かす』って所を解決できなきゃ、ゲディグズには勝てないからな)
本当なら、いますぐエルフの国に戻り、ゲディグズ復活の警鐘を鳴らすと同時に、来るべき戦に備えて、外交などに力を入れていくべきだろう。
もし、サンダーソニアがヒューマンに殺されたという誤情報がエルフの中に広まっているのであれば、それを解消する必要もある。
ヒューマンとの関係改善も、急務だ。
だが、それでは勝てないのだ。
ゲディグズを倒さなければ負ける。
それは、レミアム高地での決戦以前の戦いで証明されている。
ゲディグズの脅威を知らぬ世代からするとビビリすぎだと思われるかもしれないが、負け戦を重ねたサンダーソニアとしては、もはや常識ともいえる考えだった。
それぐらい、負けに負けたのだ。
だから、ゲディグズを倒す方法を探らなければいけない。
キャロットが案内してくれる場所には、ゲディグズを復活させた方法が記された何かがあるかもしれない。
無論、書物などは処分されている可能性も高いし、倒す方法がはっきり記されたものがあるはずもないが……何かしらのヒントは見つかるかもしれない。
そして、それは今、サンダーソニアしか出来ない。
逆にエルフ国内の内政や、ヒューマンとの外交は、サンダーソニア抜きでもできる。
なんなら、普段からサンダーソニア抜きでやっていることだ。
仮にサンダーソニアが本当に暗殺されてしまったのだとしても、エルフ本国が考え、対処していかなければならないことなのだ。
(で、こっちは……)
近くを見れば、馬鹿なオークと、落ち込みすぎて頭の回っていないサキュバス。
それと、賢くなったはずなのに何もできず、焚火でキャンプをしていただけの元フェアリーのヒューマン。
サンダーソニアならば、うまいこと口車に乗せて、彼らから離れることもできるだろう。
でもこいつらは、サンダーソニア抜きでは、どうにもならなさそうな連中だ。
ここでサンダーソニアが去れば、どうにもできず、いずれ死ぬだろう。
だが見方を変えれば『オーク英雄』・『サキュバス将軍』、二つの大駒を味方に引き入れるチャンスでもある。
あとついでに『オーク英雄のお付きの妖精』も。
ゼルに関してはわからないが、バッシュとキャロットは、場合によっては種族そのものをこちら側に引き込む力を持つ大駒だ。
(それに、借りもある)
バッシュにはシワナシの森で、キャロットにはつい数日前、命を救われている。
二人の状態を見るに、今この瞬間を逃せば、借りを返すチャンスは永遠に失われるかもしれなかった。
エルフ的に、それはあまりにも不義理だ。
(あと……)
これが一番大事なことであるが、
(妻になるって言っちゃったしな!!!!)
流れや勢いもあったが、そういうことにもなった。
痣を消したらという条件がついているため実質的にはまだ妻ではないが、サンダーソニア的にはすでにそのつもりである。
自分でも前々からいいかもと思っていた相手だ。
相手が汚らわしいオークというのが唯一の懸念点であったが、清らかなオークであるとわかった以上、そこは解決だ。
すでにゼルという嫁がいるようだが、相手がオークということもあってか、あるいはゼル自身が自分を犬みたいなものだと言っていたこともあってか、案外気にはならなかった。
少なくともサンダーソニアの中では、一気に婿候補のナンバーワンに躍り出た形だ。
逃すつもりは無かった。
さっきも、わりと覚悟をもって、唇を捧げたつもりだ。
つい先日、別の男に奪われた唇であるが、あれは騙されていたし、三秒以内に突き飛ばしたのでノーカンだと勝手に決めていた。
サンダーソニアの鼻息は、いつもの三倍は荒かった。
エルフを救う、ゲディグズを倒す、借りを返す、夫を手に入れて結婚する。
己の体も、嘘も誤魔化しも、使えるものは何でも使って、全部やる。
それが『エルフの大魔導』サンダーソニアなのだ。
「行くぞキャロット。今度は私が、お前たちを助けてやる」
バッシュの痣を消し、キャロットとバッシュの間を取り持ってやる。
サンダーソニアは、恩返しのために体を張ることを厭うような女ではなかった。
それにエルフという種族は、結婚した相手に尽くすのが良妻と呼ばれるのだ。
まだ結婚はしていないとか、そういうのは関係ない。
「……でも、私は」
「なんだその顔は? できないとでも思っているのか?」
キャロットは少し迷っているようだった。
かつての仲間を裏切ることへの葛藤があるのか、あるいは別の理由か。
「任せておけ! 私は『エルフの大魔導』サンダーソニアだぞ!」
だが、サンダーソニアの強引だが力強い言葉と、そしてバッシュの一回りしぼんだ体と、濃いクマのある目を見てうなずいた。
「わかったわぁ……案内してあげる。あの遺跡に……」
そして、テントを形作るボロ布を身にまとって己の体を隠すと、それにくるまったまま、芋虫のように頭を下げた。
「バッシュ様、薄汚いサキュバスがお近くに存在することを、しばしお許しください」
「……」
バッシュは彼女をうつろな目で見下ろしつつ、何も答えなかった。
そして奇妙な四人組の旅が始まる。