101.相殺するには
そのヒューマンは、サンダーソニアの知らない人物だった。
しかし、どことなく見覚えがある気はした。
しかもごく最近、一年以内に何度か会ったような気もする。
でも絶対に知らないはず、そんな人間だ。
見れば見るほど奇妙なヒューマンだった。
森のど真ん中だというのにボロを着て、粗末なテントを作り、焚火の横に麻布を重ね、その上にだらりと寝そべっている。
麻布はカラフル……エルフの布だ。
どこかの野営地跡から引っぺがしてきたのだろう。
女はキャロットを前であぐらをかくと、ついでに頭の後ろをボリボリと掻いて欠伸をした。
やはりどことなく、憶えのある仕草だった。
サンダーソニアがぼんやりとそのヒューマンを見ていると、キャロットは唐突にサンダーソニアを地面に放り投げた。
「むぎゅっ!」
「あ、サンダーソニアじゃないっすか!」
ヒューマンはサンダーソニアを見ると、驚きの声を上げた。
「ボロボロっすねぇ……どうしたんすか? まさかエルフが滅亡して、一人だけ逃げ出してきたってわけじゃないっすよね?」
「まさかぁ、生き汚いこいつでも、エルフの滅亡の時にはきっと最後まで戦うわよぉ」
「お前なぁ、人に頼み事をしてる最中の奴が、悪口言うんじゃない!」
「え、褒めたのよ……?」
「どこがっ!?」
「だって、死にたくないのに自国のために最後まで戦うのは、立派でしょぉ……?」
「あのな、わからないんだよ、お前らサキュバスの褒め方は! 嫌味にしか聞こえないんだ」
若干しょんぼりしているキャロットを後目に、サンダーソニアは改めてヒューマンの女の方を見る。
「で、お前はなんなんだ? 会ったことあるか?」
「あるっすよ! オレっちはゼルっす。こないだぶりっすね!」
ゼルなんてヒューマンがいたか?
と思考を巡らせた所で、サンダーソニアは思い至った。
「ゼル! フェアリーのゼルか! え!? ヒューマンじゃないか!? なんでそんなになってんだ!?」
「話せば長く、海よりも深い事情があるんすけど、まぁ端的に言うとヒューマンの魔女から教わった『ニュート』って魔法でヒューマンになって、戻れなくなっちゃったっす。なんか魔力が足りないとかで」
「えっ、そんな魔法まで開発してたのかあいつら……何するつもりだったんだよ……」
魔女と言えば『ディスガイズ』を開発したヒューマンの一人だ。
『ニュート』という魔法は初耳だが、『ディスガイズ』の系統と考えると、肉体ごと別の種族に変化させる魔法といった所か。
『ディスガイズ』のように見た目だけ変化させるならまだしも、肉体そのものを変化させるなど想像もつかない。
とんでもない魔法だ。
「ていうか、お前もなんでヒューマンなんかになったんだ?」
「そんなの決まってるじゃないっすか。バッシュの旦那の嫁になるためっすよ! ほら、フェアリーだと子供って産めないじゃないっすか。やっぱオークの嫁と言えば子供を産んでナンボみたいな所あるし、オレっちが愛する旦那の嫁になるなら、もはやこれは迷うことはないなと!」
サンダーソニアはめまいがした。
フェアリーと会話するのは馬鹿のすることだ、というのは全国共通の認識だ。
目の前のヒューマンは、なんだかやけに理知的に見えるし、話し方も理論立てているが、やはり思考回路はフェアリーのようで、言ってることはわかるのだが、言ってる意味はわからなかった。
それと同時に、若干の敗北感を覚えた。
フェアリーですら結婚できる時代に、自分は一体……。
「いや……まぁ、そうか。わかった。それでお前はバッシュの嫁になったというわけか。おめでとうと言っておくか? まぁお前らならお似合いだよ。しかしバッシュの奴はどうしたんだ? 嫁をほったらかしにするような男でもないだろ? なにせあいつはオークの中のオークだ。結婚したってんなら、今頃は巣穴でお前を……はっ! もしかして、もう妊娠してるのか?」
「いや、それなんすけど……オレっちと旦那が、そりゃもう甘酸っぱい階段を一段一段とゆっくり上り、そして頂上まで登り切って、そこに旗を立てようとしたんすよ?」
「ほ、ほう。もう少し詳しく聞いてもいいか? いや、別になんてことはないぞ。オークとフェアリーがどんな階段を上るのか気になっただけで……」
「いや、そこらへんは普通っすよ。旦那が賢者に学んだことをそのままオレっちに実践しただけっす」
「賢者から何を学んでんだよ? いやでも、興味があるな。聞かせてみろよ、うん」
「まぁそれはおいといて、次の瞬間、なんか、ゲディグズがきて、旦那に一騎打ちを挑んだんすよね」
「おいとくなって……ゲディグズ?」
サンダーソニア的には聞き捨てならない名前だった。
知らぬ間にゼルの話に引き込まれ、いつもの感じになってしまっていたが、つい先日自分もゲディグズと戦い、そして死にぞこなったばかりだ。
「どういうことだ? なぜゲディグズが?」
「わかんないっす。まぁでも、そこは旦那なんで、もちろん正々堂々と一騎打ちを承諾して迎え撃ったっす」
「ゲディグズは強いけど、さすがにバッシュ相手は無謀だろ……いやまて、でも昨日みたゲディグズは……」
思い返すのは、あの不可解な再生を見せたゲディグズであった。
あのような再生を見せたのであれば、流石のバッシュと言えども……。
「バッシュは、どうなったんだ?」
「旦那は、終始優勢に戦いを進めてたっす。ゲディグズもすごい頑張ってたっすけど、オレっちの目にはいっぱいいっぱいに見えたっす。だから途中で、あんな、卑怯な手で……」
「……バッシュは、死んだのか?」
「あんなの、死んだほうがマシっす!」
フェアリーがこれほど悲痛な叫びをあげたところを聞いたのは、初めてだった。
「オレっちには何をしたのかわからないっすけど、多分あれは呪いっす! そういう呪いに違いないっす! いくら勝てそうもないからって、あんなの、旦那が可哀想っす」
サンダーソニアは、つい昨日の自分に起きた出来事を思い出していた。
結婚を焦るサンダーソニアに甘い言葉で近づき、だまし討ちをした。
恐らく、あれと同等か、それよりも酷いことをバッシュにしたのだろう。
そして動揺している所、バッシュをも打倒してみせたのか……。
「……」
すぐ傍に立つキャロットが、真っ青な顔をしている。
「それは」と何かを言いかけて、しかし何も言えずに沈黙していた。
キャロットも、ゲディグズが何をしたのか、知っているのだろう。
この二人がそれほどまでに言うということは、よほど酷いことをしたのだろう。
その様子に、「おのれゲディグズめ」と勝手に義憤にかられるサンダーソニアだ。
その義憤の中には、己の私怨も存分に含まれていたが。
「まだ、生きてはいるんだよな?」
「……はいっす。でも、もうダメかもしれないっす……あんなの、オークにとっては死んだほうがマシっすから……旦那ももう、何日も何も食べてないっす、きっとあのまま死ぬつもりかもしれないっす。生きる気力が、もう無いんすよ……」
「あのバッシュが……?」
信じられない話だった。
あの、どれだけ殺そうとしても死ななかったオークが、自ら死を選ぼうとしているなどと。
その方法を戦争中に知っていたら、きっとヒューストンではなくサンダーソニアが『豚殺し』の異名を頂戴していたことだろう。
「どんな呪いなんだ?」
「……見れば、わかるわぁ」
恐る恐る聞いたサンダーソニアに答えたのは、キャロットだった。
「そうか」
見なければわからない。
そう思い、サンダーソニアは一歩踏み出し、ゼルに通せんぼされた。
「だ、ダメっすよ! いくらサンダーソニアでも、今の旦那を見ちゃダメっす!」
「なんでだよ。見なきゃわかんないだろ」
「ダメっす! 見られたくないに決まってるっす! オレっちだって……オレっちだって本当は旦那のすぐ傍にいたいんす。でもきっと旦那は」
涙を流しながら通せんぼするゼルに、サンダーソニアはたじろぐ。
どうしたもんかと困るサンダーソニアの脇を、サキュバスが通り、ゼルに向けて厭らしい笑みを浮かべた。
「悪いけどぉ、通してもらうわねぇ」
「なんすか! やるんすか! オレっちはヒューマンになって弱くなったっすけど、やるなら命かけるっすよ!」
「えぇ……やっぱり私の言い方が悪いのかしらぁ……?」
「その笑い方だと思うぞ」
キャロットは己の顔をペタペタとさわり、しょんぼりとした。
自分では優しい笑みのつもりだったのかもしれない。
ぎこちなく別の笑みを浮かべようとするもうまくいかず、無表情で次の言葉をつづけた。
「えっとねぇ、私はバッシュ様の呪いをなんとかするために、この女を連れてきたのよぉ。だから通してくれたら、呪いを治せるかもしれないのよぉ」
そう言われ、ゼルは「そうか、エルフならきっと!」と退いてくれた。
一瞬であった。
治せるとは限らんし、治すとも言ってないのだが、とサンダーソニアは思いつつも洞窟へと入っていく。
(うーむ……見たいような見たくないような……)
正直、不安な気持ちでいっぱいだった。
オーク英雄という存在が、各国に与えた影響というものは大きい。
シワナシの森ではエルフを救った。
ドバンガ孔での出来事はドワーフも一目置いている。
聖樹の一件はビーストから多少なりともオークへの敵意を逸らしたし、ブラックヘッド領では未曾有の怪獣からヒューマンを救った。
オークにも立派な奴がいると、世界にそう認識させるに十分だ。
まさに英雄の名にふさわしい所業を繰り返したのだ。
それは、サンダーソニアという古く偏見に満ちたエルフが、オークという種そのものの見方を変えるぐらいには、大きな所業だ。
そんなバッシュが、どんな呪いかわからないが、苦しんでいるという。
サンダーソニアは未だ自分がなんでここに連れてこられたのかわかっていない。
だが、最も長く生きるエルフということで、何かしらの知識か知恵を期待されているのだろう。
(だったらそう言うよなぁ……)
実際、サンダーソニアは解呪の心得がある。
エルフはエルフで、様々な魔法を開発してきた。
その中には、呪い、呪術に対する幾つもの対抗策がある。
サンダーソニアはその全てを網羅しているわけではないが、それでもそこらのエルフよりはモノを知っている。
(ま、治せるものなら、治してやるか……)
シワナシの森の出来事は、サンダーソニアにとってそれだけの恩があるのだ。
「む……」
洞窟に入って数歩ほどで、むわりと獣臭が立ち込めた。
何日も風呂に入っていないのだろう。
とはいえ、嗅ぎなれた匂いでもある。
オークといえばこんな臭いのする種族なのだ。
しかし思えばバッシュと出会った時はこうした匂いはしなかった。
身ぎれいにしていたのだと、改めて思う。
「おい、バッシュ。私だ。入るぞ?」
そう呼びかけるも、返事はない。
しかし洞窟の奥にいる何かが、ピクリと反応したのがわかった。
息遣いが若干早くなり、上ずったようなうめき声が上がる。
サンダーソニアは長生きだから、こういう態度がどういう時に起こるのかわかる。
恐怖だ。
なんということだろうか、あのオーク英雄バッシュが、サンダーソニアに怯えているのだ。
エルフの女に、オークの戦士が怯えているのだ。
サンダーソニアは、その事実にショックを受けた。
(あのバッシュが……)
バッシュはドラゴンにだって、正体不明の怪獣にだって、躊躇せず立ち向かっていく戦士だ。
戦争中、シワナシの森で自分と戦った時だって、一切の怯えは無かった。
オークゾンビ騒ぎで、共に戦った時だって、ただただ勇敢で頼りになった。
ブラックヘッド領での戦いでもそうだ。
それが、何をされたらこうなってしまうのか。
暗闇にすこし目が慣れてきて、バッシュの姿が目に映った。
暗がりの中で縮こまる姿は、哀愁が漂っていた。
「明かりをつけるぞ」
普通なら、ここで一歩引いてしまうかもしれない。
だがそこはサンダーソニア、人の事情にもズカズカと踏み込んでいくずうずうしさがあった。
「っ! 見るな……」
サンダーソニアが明かりをともした瞬間、バッシュは咄嗟に手で顔を覆い、サンダーソニアから背を向けた。
だが、サンダーソニアは見てしまった。
バッシュの顔に……確かにあった。
オークメイジの証となる紋章が……!
■
一分後、
「え……? あれだけなのか?」
サンダーソニアは洞窟の外で首をかしげていた。
「あれだけって……バッシュの旦那にオークメイジの証っすよ!? 意味わかってるんすか? わかってるっすよね? 悪魔みたいな女っすね!?」
散々ないわれように、サンダーソニアも若干小さくなりつつ、
「いや、オークメイジの証っていっても、痣だけだろ? むしろ魔法使えるんだし、喜んでいいんじゃないか?」
そう返すと、ゼルは信じられないとばかりに顔を見合わせた。
「どうやらこのエルフは、バッシュの旦那ほどの戦士にあの痣が刻まれることの意味をわかっていないみたいっすね」
「ほーぅ、どういう意味だよ?」
「旦那が、三十年間で一度も女に勝てなかった腑抜け野郎と見られちゃうって話っす!」
「誰が信じるんだよそんなの!」
「オークは見たものを信じるっす」
「……それは、そうか」
オークという種族は馬鹿なのである。
バッシュの顔の痣を見た瞬間、「あいつ、オーク英雄とかいって俺達を騙してやがったんだ! 戦場で逃げ回って生き延びたくせに、何が英雄だ! 馬鹿にしやがって!」と憤るに違いあるまい。馬鹿なので。
「しかし、あれをゲディグズがつけたってのか? なんだってそんなことを?」
「わかんないっす。でも旦那が童貞ってことは無いと思うっすから、間違いなくゲディグズの仕業っす! とんでもない奴っす! 負けそうになったからって仲間に勧誘しようとして、それすら失敗したらこんなことするなんて!」
「腹いせにそんなことする奴じゃないと思うんだがな」
そういう奴であれば、もう少し楽に戦争に勝てていたはずなのだ。
感情的に動かない奴だからこそ、冷静かつ冷徹に各国を追い詰めたのだ。
「そうよぉ」
と、同意したのは隣で黙っていたサキュバスだった。
「ゲディグズ様が、そんなことするわけないでしょ。ずーっと見てたけど、そんな素振りは無かったわぁ」
「えっ、じゃあ別に術者がいるってワケっすか? あの場にいたのはゲディグズとフェアリーたちとキャロットと……ハッ!」
ゼルの脳内がポワンポワンと音を立て始め、脳裏に陰気なデーモン女が浮かび上がる。
ポプラティカ。
あの陰キャ魔法使いなら、あるいはそういうこともしかねない。
「違うわよぉ……ポプラティカじゃないわ。あの子は完全に実況と解説に回ってたから」
「ってことは、まさか……!」
ゼルの視線がキャロットへと向く。
「そうよぉ」
「!」
ゼルが立ち上がり、キャロットの胸倉をつかもうとした。
しかし胸倉のあたりに掴みやすそうな布がないことに気付き、手を彷徨わせた挙句、おっぱいを揉んだ。
「どういうことっすか!」
「私もこの手がどういうつもりか聞きたいけど……そうね……話してあげるわ」
そうしてキャロットは、語った。
かつてのサキュバス女王の物語。
そして今現在も、サキュバスがオークの童貞を食うと、そのオークはオークメイジになってしまうということを。
「つまり……どういうことっすか?」
ゼルはサンダーソニアの方を向いて、改めて聞いた。
かつてのゼル、フェアリーのゼルであれば、なるほどと理解しただろう。
でもヒューマンのゼルはわかったふりをあんまりしないのである。
サンダーソニアもちょっと考えた。
そして、一つの結論に至る。
「……要するに、幼い頃のバッシュをつまみ食いしたサキュバスがいるって話だろ」
「なっ! で、その馬鹿というのが~!?」
ゼルがキャロットを睨むが、キャロットは首を振った。
「……いや私じゃないわよ。バッシュ様の童貞を頂くだなんて、そんな光栄な出来事があったら、私はその思い出を胸に、あなたに喜んで心臓を差し出しているわ。あなたは今頃、私の心臓を靴底でぐちゃぐちゃにしてるわね」
「いやそんなグロいことしないっすけど」
ゼルはそもそも靴など履いていないので、素足で踏みつぶすことになるだろう。
ねちゃねちゃになるはずだ。
ゼル的には、気持ち悪いのでNGだ。
「サキュバスってなんでそんな過激なんすか? こないだサキュバスの国に行った時も、なんかいきなり自害をしようとした奴がいたし、ちょっと引くっす」
「誇り高いだけよ。バッシュ様は私達を救ってくださったもの」
どんよりと暗い目で、キャロットは続ける。
「でもその恩を、仇で返してしまったの。なら死をもって償わないといけないわ」
うげー、とドン引きするゼルを後目に、サンダーソニアが嘆息した。
「ていうか、お前、なんで私を連れてきたんだ? 呪いみたいなのを解呪して欲しいって話じゃないのか? あ、あの痣が呪いだから消せってことか?」
「できるならして欲しいけどぉ?」
「……いや、パッと見た感じではできないな。一人の人間から完全に魔力を奪い取るようなものだ」
「でしょ?」
「ああ」
「だから私は、サキュバスを滅ぼしてほしいのよ。たとえ過去のオイタだとしても、恩人をここまで追い詰めるようなことをしでかした種族は滅ぶべきだと思うから」
「その程度でそれは過激すぎるだろ」
ポツリと呟いたサンダーソニアに、キャロットは据わった目を向ける。
「その程度……?」
「おっと」
「サキュバスは本当に救われたのよ!? あの砂漠で、私達は滅んでもおかしくなかったのよ、あなたたちエルフに! それを、それを……!」
目から涙をボロボロと流しながら、ギリギリと歯噛みするキャロットに、サンダーソニアは気おされて一歩引いた。
「わかったわかった。お前らが恩を大切にする種族だってのはわかった。私が悪かったよ。私にはその感覚はよくわからんが、お前を尊重するよ」
サンダーソニアはキャロットがこれ以上ヒートアップしすぎる前に謝った。
こういう情緒不安定な奴を否定した所で、何も良いことは起こらないのだ。
「ていうかそうじゃなくてだな。私を”ここ”につれてきた理由だよ。滅ぼすってんなら、エルフの国に連れて帰るべきだろ。一人で滅ぼせるわけないんだから」
そう聞くと、キャロットは一瞬だけ真顔になり、にこやかに笑った。
「ゼル。ちょっとこの手を放して、そこのエルフを羽交い絞めにしてもらってもいーいぃ?」
「いいっすよぉ」
「お? なんだなんだ?」
ゼルがサンダーソニアを羽交い絞めにする。
サンダーソニアはなんとなくそれを受け入れた。
「サキュバスが滅んだ所で、バッシュ様が立ち直ることはないでしょぉ? だって、あんなにひどい目にあったのに、将来的にこうなることがわかっていたのに、身を挺してサキュバスを助けてくれるような方ですもの」
「まぁ、そうか、そうかもな」
「バッシュ様は、お嫁さんを探して旅をしていると仰っていたわ。オークの誇りを取り戻すのも理由だけど、お嫁さんが欲しいというのも本心だと思うのよね」
「オークだし、そうだろうな。オークキングからの命令がなければ、きっと今頃あいつの旅路では子供を孕まされた女が一杯いたはずだ」
「でしょう? で、自分が魔法戦士になったとしても、最高の女を手に入れれば、面目は保たれると思うのよ。ギリギリだけど……せめて立ち直ってくれれば……」
「……まぁ、そう、なのか?」
童貞だから馬鹿にされるが、最高の女が隣にいたら相殺される。
なぜなら抱いた女のレベルも、オークにとって重要な価値だから。
そんな感じなのだろうか。
「で、『エルフの大魔導』サンダーソニア。あなたの処女を散らし、孕ませて凱旋すれば、顔に痣がついていたとしても、『オーク英雄』の名に傷がつくことはないと思うの。なんだったら、戦いの末にあなたがあの痣をつけたことにしてもいい。だから動けないあなたをバッシュ様に襲わせるのよ」
「そりゃ名案っすね!」
「待て待て待てぇぃ!」
サンダーソニアは暴れたが、ゼルはビクともしない。
フェアリーからヒューマンになったことで、筋力が大幅にアップしているのだ。
「そもそも、私を抱いた所で痣は消えないんだから、バッシュが元気になることは無いだろ!? まずは元気づけてやるのが先決だろ!?」
「知らないのぉ? オークって女を抱いたら元気になるのよ? 肌がツヤッツヤになって、しかもちょっと賢くなるのよ?」
「あれだろ? 男が元気になるのは、女を抱けばいいとか、そういうのだろ!? いたよ、エルフにも! なんでか私の所に来る奴はいなかったけどな! でもな、そういう事なら別にお前らでもいいだろ!? それこそゼル、お前はもうバッシュの嫁なんだよな? お前が抱かれてやればいいだろ!? なんで私なんだよ! いいのかそれで!? 私がバッシュのお嫁さんになっちゃうぞ! 取っちゃうぞ!」
「オレっちは旦那が元気になってくれれば別にいいっす。ていうか一夫一妻はエルフの価値観でしかないんで、サンダーソニアの後にでも抱いてもらえればそれでオッケーっすね」
「ヒューマンも一夫一妻だろうが! いやお前はフェアリーなのか……? いやいや、落ち着けって! 本当によく考えたのか? フェアリー脳で考えてないか? 今はもうヒューマンなんだから、ヒューマンで考えてみろ!」
「うーん……ヒューマンになったからわかるっすけど、やっぱオーク的には、フェアリーを無理やりヒューマンに変化させて結婚したって、あんまり世間体がよくない気がするんすよね。本来、交尾できない相手と無理やりしてるっていうか……ヒューマンでいうところ、犬と交尾してる感じすか?」
「変に賢くなりやがって!」
しかしそれはそうだろうと思うサンダーソニアであった。
バッシュとゼル、お似合いのカップルではあるが、そもそもフェアリーはオークにとって性欲の対象外だ。そんなのをヒューマンに変化させて結婚したなんて、「そこまでしないと相手が見つからなかったのか?」と言われる案件であろう。
「オーク英雄の嫁は、やっぱりサンダーソニアぐらいのビッグネームじゃないと! ほら、オークってわりとそういうの気にするじゃないっすか。女騎士とかお姫様とか。そういうのを抱いたことを自慢するし」
「それは、確かにそうかもしれないけどなぁ! でもそれなら、キャロット、お前でもいいだろ! サキュバスの将軍『喘声のキャロット』をモノにした、なんてなったら、他のオークも一目置くだろ?」
キャロットがギロリと暗い目をサンダーソニアに向けた。
「わたしがバッシュ様と……? 冗談言わないで。サキュバスのせいでこんな風になっているのに、どうして私がそんなことをできるの? そもそも恩人を食料とみなすなど、サキュバスの風上にも置けないわ」
かなり本気度の強い反発に、サンダーソニアは、キュっと口をつぐんだ。
そもそも、こいつはそれが原因でサキュバスを滅ぼそうなどと言い始めている、面倒くさい奴なのだ。
「あなたは最適なのよ。あなたがサキュバスのおもちゃとしてオークに差し出され、挙句の果てに孕まされたって知ったら、エルフたちは激怒してサキュバスを滅ぼしてくれるでしょ?」
「そうかもしれないけど、その場合エルフはオークにも激怒するぞ。オークが滅んでもいいのかよ!」
「そこはあなたが口添えして頂戴」
「都合いいなぁ!」
「はぁ、命を助けてあげたんだから、それぐらいいいでしょぉ?」
それとも、とキャロットが続ける。
やや不安そうな声音であった。
「そんなに嫌なの? バッシュ様の妻になるのが」
「……いや、それは」
サンダーソニアは言葉に窮する。
もし、この提案をされていたのが、はるか昔だったら、嫌だと即答していただろう。
でも、戦争後、シワナシの森でのオークゾンビの一件より後だったらどうだろうか……。
ごく最近まで、サンダーソニアは結婚に焦っていた。
誰でもいいというわけではないが、バッシュにプロポーズされた時もまんざらではなかった。
オークという一点を除けば、バッシュはかなり好条件の相手と言えるだろう。
戦争中の戦いに、シワナシの森、赤の森、ブラックヘッド領での出来事。
どこで会った時も、そこまで印象は悪くない。
しかもバッシュも嫁探しをしていたというらしい。確かに、シワナシの森で会った時には、拙いながらもエルフのやり方に則って、サンダーソニアにプロポーズをしてきた。
ブラックヘッド領では、かなりスムーズにナンパをしていた。あれも嫁探しのために身に着けたスキルだったのだろう。
順当に努力を重ねて、あのナンパにたどり着いたのだろう。
しかしそれでも、バッシュの嫁になろうという女は現れなかったということか。
それに比べると、自分は婿探しとか言いつつも、特に努力はしてこなかった気がする。
挙句の果て、それをゲディグズにつけ込まれてこのザマだ。
何にせよ、
「別に、そこまで嫌ってわけじゃない」
落ち着いた声音でそう言うと、サンダーソニアはゼルに目くばせした。
ゼルはゆっくりと拘束を解いた。
サンダーソニアは、ぐっと伸びをした。
いつしか、杖なしでも立てるようにはなっていた。
未だ力の入りきらない体。バッシュも消耗していたが、それでも襲われたら抵抗などできなさそうな、満身創痍の治りかけ。
そんな体に力を入れると、洞窟の方を振り返った。
「もう一度、バッシュの奴と話をさせてくれ」
神妙なその言葉に、ゼルとキャロットも頷くのだった。