100.捕虜
「……っ!」
サンダーソニアが目を覚ますと、そこは見知らぬ森の中だった。
いや、見覚えのある種類の木々が並んでいる。
ならばエルフ国の森であることに違いはあるまい。
木々の種類から察するに、位置としてはフェアリー国との国境付近にあたるだろうか。
サンダーソニアがいるのは廃屋だ。
天井は半分無く、壁も二方向にしか存在していない。
壁も、かろうじて西日を遮ることが出来る程度か、雨露はしのげるかすら怪しい。
廃屋というのもおこがましいほどの荒れようだ。
そんな廃屋の床に麻布らしきものが敷かれ、その上にサンダーソニアは寝かされていた。
「生き、てる……?」
そう思いつつ己の体を見下ろすと、廃屋が可愛く思えるほどにボロボロだった。
表面は火傷と矢傷だらけ、両足の骨は折れていて、左手も感覚はない。
顔と右手ぐらいしか動かない。
どう見ても死に至る傷のはずだが、治り始めているように感じた。
まるでフェアリーの粉でもかけたかのように。
「くそ……どうなってる……?」
身じろぎしつつも体は思うように動かず、サンダーソニアは脱力した。
覚えているのは、ゲディグズが不可解な再生を見せた所ぐらいまでだ。
あの瞬間、サンダーソニアは撤退ではなく攻撃を選んだ。
死ぬつもりだったが、それでもゲディグズの命を取る価値はあると思った。
そして持てる限りの最高の魔法を、確かに叩き込んだ。
仕留めたはずだと思ったが、しかし結果はあれだ。
ゲディグズは"元に戻った"。
あれがなんだったのかはわからない。治癒ではないように見えた。
なんなら、ゲディグズ自身も驚いていたように見えた。
それどころか、周囲の連中も困惑していたか。
何かしら復活が影響しているのかもしれない。
ともあれ、最後の力を振り絞っての魔法だ。
当然のように気絶したサンダーソニアには、その後どうやって脱出したのか、知りようもない。
ブーゲンビリアが助けてくれたのかもしれないが、あれだけの手練れの中、気絶したサンダーソニアを抱えて逃げるのは、いかに『毒の花』の異名を持つ彼女であっても困難であろう。
「あらぁ、目が覚めたのねぇ」
そして、視界に入ってきた女――サキュバスのキャロットを見て、サンダーソニアは全てを悟った。
「そうか……」
捕まったのだ。自分は。
「ブーゲンビリアは……死んだのか?」
そうであろうと知りつつも、一応は聞いておく。
「ええ、立派な最後だったわよ。最後には、どうかお願いだからサンダーソニア様だけは助けてくださ~いって。さすがエルフ、誇り高い種族ねぇ」
「くそ、侮辱するなよ!」
「……侮辱なんてしてないんだけどぉ?」
そんな返事が返ってきて、「確かに侮辱はされてないな」と思い返すサンダーソニアであった。
とはいえ、サキュバスの甘ったるい話し方は、どうにもふざけていると感じるのだ。
サキュバスがエルフに嫌われる理由の一つである。
「ふん、それでブーゲンビリアの願いを聞いて、私を捕虜にしたというわけか」
「間違ってはいないわねぇ」
「そう……か……ブーゲンビリアがな」
また一人、サンダーソニアをかばって死んだ。
平和な世となり、もうこんなことはないと思っていたが……まただ。
ゲディグズも復活した。戦乱は続くのだろう。
「疲れるな、いつまで続くんだ……こんなこと」
「さぁ、死ぬまでじゃなぃ?」
「また死にぞこなったんだよ!」
体は動かないが声だけは元気だなと、自分でそう思いつつ、サンダーソニアはため息を付く。
「……で、なんで私を生かしたんだ? 大した情報はもってないぞ。そもそもお前らは、あのなんだ、『ディスガイズ』とか言ったか? あれで姿を変えられるんだから、情報なんて余裕で集められるだろ?」
「別に、あなたから知りたいことなんてないけどぉ……でも、あなたの体には価値があるのよねぇ」
「体……? 人質にとるってことか?」
さもありなん。
サンダーソニア自身はわりと己の命を軽視しているが、エルフにとってサンダーソニアは時代の王よりも大切な存在だ。
もはや神といっても差し支えない。
そんなサンダーソニアの命と引き換えであるならば、きっとどんな要求でも通るだろう。
「あなたってぇ、エルフの王族の血を引いていて、『エルフの大魔導』で、しかも処女じゃない?」
「処女は別に関係ないだろうが!」
「私もよくわからないんだけどぉ、関係あるらしいのよねぇ」
「どういうことだ? ハッ! まさか、何か魔法の実験台にでもするつもりか!?」
サンダーソニアも詳しくは知らないが、処女の生き血を捧げて対象を呪殺するとかいうオーガの呪術が存在するとかしないとかいうのを、耳にしたことがあった。
そんなものがあるならとっくに呪い殺されていると笑い飛ばしていたが、死者が復活するような状況では、それもまたありうる気がしてくる。
(ふん、とはいえ生きていたのは好都合か)
嫌がるそぶりを見せつつも、サンダーソニアは内心ではほくそえんでいた。
殺されないのなら、まだチャンスはあるということだ。
敵軍の中に身を置けば、またゲディグズを殺すチャンスもめぐってくるかもしれない。
まぁ、その前にあの体の秘密を解き明かさないとダメだが。
ともあれ、生きてさえいれば、何かしらできるものなのだ。
そうしてサンダーソニアは、色んなことを何とかしてきたのだから。
「まぁ処女に関しては別にどっちでもよかったっていうか、そこそこ地位のある女だったら誰でもよかったのだけど……サンダーソニア、あなたは最適よ。一番いいわね」
キャロットの視線が、サンダーソニアの頭から足までを舐める。
「なんだそれ、褒めてるのか?」
「褒めてはいないわね」
「わかりにくいんだよ!」
「ごめんなさいね。一つ、頼みがあるのよ」
「断る! ゲディグズには手を貸さんぞ!」
そう言うと、キャロットは頬に手をあてて、アラアラと言わんばかりの困った表情を浮かべた。
「……何から説明したものかしらねぇ。説明するとややこしいのよねぇ。あんまり説明したくもないんだけど」
はぁと深いため息を付くキャロットからは、どうにも覇気が感じられなかった。
サンダーソニアの知るキャロットと言えば、いつもどこか自信満々で、常に相手を見下している……当人が本当に見下しているかはさておき、そんな空気を出している女だ。
しかし今の彼女からそうした気配は感じられない。
よく見れば、目の周りは荒れており、目の下にはクマもあった。
いつもは気だるい感じでなめ腐った口調で話してくるこのサキュバスだが、今は気だるいというより単に疲れているように見えた。
ため息も多い。
こうした表情をする者を、サンダーソニアは見たことがあった。
あれはまさに、サンダーソニアが『エルフの大魔導』になった頃というか、長寿の秘法を使った頃だ。
当時のエルフは追い詰められ、滅亡の危機に瀕していた。
サンダーソニアは己を奮い立たせて戦いに身を捧げたが、そうでない者も多かった。
友人、家族、恋人、全てを奪われ、戦う気力すら失われた者達だ。
今のキャロットはそうした者たちと同じような目をしている。
「お前……泣いてたのか?」
そして、そういう顔をした奴がいるとなると、心配してしまうのがサンダーソニアという女だった。
「ええ。最近は眠りにつくたびに、涙がこぼれちゃうのよぉ」
「……デーモンにイジメられてたりするのか? あいつら陰湿だもんな」
「エルフほどじゃないわよぉ」
そういわれて、サンダーソニアはむぐっと口を閉じた。
せっかく心配してやってるのになんだという言葉を飲み込む。
エルフの陰湿さに関しては、言い返せなかった。
エルフ女性のサキュバスへの嫌悪感は、もはや筆舌に尽くしがたい。
嫌いな相手に対してとことん冷酷になれるのがエルフだ。
特にエルフ女性は、サキュバスのことは本気で滅んでもいいと思っている。
条約があるから相手はするが、自分たちの対応の結果、サキュバスが滅んでも誰も困らないと思っている。それどころか喜ぶとすら思っている。
大使として各国に行脚していたキャロットに対する扱いの酷さは、聞く限りではサンダーソニアもドン引きしていたぐらいだ。
目の前の女が、ゲディグズ復活などというオカルトにはまるのがわかるぐらいには。
もっとも、オカルトではなかったようだが。
サンダーソニア自身も、ごく最近まではサキュバスに対してよい感情は抱いていなかった。
むしろ、自分が結婚できないのはサキュバスのせいでもある、ぐらいに思っていた。
サキュバスがエルフの男を半減させなければ、もっと男は余っていたはずだからだ。
逆恨みである。
なにせエルフの男性がどれだけ生き残っていたとしても、サンダーソニアと結婚するという豪の者は現れなかっただろうから。
他の種族とも結婚できなかったのが、今のサンダーソニアなのだ。
そしてようやく現れたと思ったらハニートラップ。
誰かのせいにでもしたくなるのが心情だ。
「あのね、私はもうゲディグズの所にはいないのよ。ちょっと決別っていうかぁ、目的が変わっちゃったのよねぇ」
「ん? どういうことだ?」
ゲディグズの所にいない。
あの『喘声』のキャロットが。
ビーストの聖樹を枯らし、ブラックヘッド領でも先鋒として大暴れした希代のサキュバスが。
せっかくゲディグズ復活という目的を達成したのに、なぜ。
「今まではサキュバスのために、サキュバスのためにって頑張ってきたんだけど、ある事実が発覚して、あんまり意味がなくなっちゃったっていうかぁ……で、あなたに手を貸してもらいたいんだけど」
「おい、話が見えないぞ。ちゃんと説明しろ。なんで私なんだ?」
「……エルフって、サキュバスのことが嫌いじゃない?」
「まぁ、それに関しては、心苦しく思ってるけどな……私もそういうのはよくないとは言ってるんだが……そういうことか」
要するに、ゲディグズの方針が、決してサキュバスにとって良いものではなかったのだろう。
サキュバスを存続させることを目的としたキャロットが、袂を分かつぐらいには。
ゲディグズは策略家だ。
目的のためなら、味方の願いすらも平気で裏切るような男だ。多分。
きっと、ゲディグズとサキュバスは敵対するに至ったのだ。
サキュバスの女王がそうした決断をしたのだ。
苦しい中でも、戦争ではなく平和を選んだのだ。
だからこそ、キャロットはここにいる。仇敵であったはずのエルフと、手を結ぶために。
そして、その道筋として、死にかけていたサンダーソニアを助けたというのは、まさに最適だ。
サンダーソニアが「ゲディグズに殺されそうになった所、サキュバスに助けられたんだ。私を助けたんだぞ? もはやこいつらがゲディグズの敵であることは間違いない。昔のことは水に流して、手を取り合い、ゲディグズという強大な敵のため、同盟を結んでやってはどうか」と、そんな感じでいけば、エルフたちの内心はどうあれ、話自体は通るだろう。
エルフにとってサキュバスは嫌いな相手だが、それでもその強さは認めているのだから。
「まぁそれぐらいだったらいいよ。私が主導して、サキュバスを、だな?」
「そう、あなたが主導して、サキュバスを」
助けてほしい。
そんな発言を予想していたが、
「滅ぼしてほしいのよ」
返ってきたのは、違う言葉だった。
■
あれから三日が経過した。
サンダーソニアは杖を使えばなんとかギリギリ自力で歩ける所まで回復した。
キャロットは甲斐甲斐しくサンダーソニアを介護してくれた。
飯に、下の世話まで、戦場で役立たずとなった経験はサンダーソニアもあるため、それにどうこう思う所があるわけではないが、サキュバスにそこまでされたのは初めてであったため、少々の戸惑いはあった。
キャロットはあまり喋ってはくれなかった。
夜になるとうなされて飛び起きているようで、それがサキュバスを滅ぼしたいという言葉の原因であるなら、納得性はあった。
でもそれだけだ。
彼女は何も語らなかった。
ゆえにサンダーソニアはずっと話が見えていなかった。
そもそもなぜ自分はキャロットと一緒にいるのか。
キャロットはなぜサキュバスを滅ぼそうとしているのか。
杖を使えばギリギリ歩けるようになった後も、キャロットはサンダーソニアを背負ってどこかへと向かっている。サンダーソニアが歩くより早いのでそうしている。
その行先については、教えてはもらえなかった。
できればエルフ本国に連絡を取りたい所だが、どうやら自分を介護している女は、それを許してくれそうにない。
(いや、そもそも戻っていいのか?)
仮に許してくれたとして、そのままエルフ国に帰還するのが、本当に良い行動だろうか?
そう考えるのも、ゲディグズの行動が不明瞭だからだ。
まあ、順当に考えればヒューマンとエルフを戦争状態に突入させる、といった所か。
これはカルロスの姿を以てサンダーソニアを暗殺したことで、まぁ確実にそうなるだろう。
だからこそ、ゲディグズはサンダーソニアが国に戻ることを全力で阻止するはずだ。
あの『ディスガイズ』という魔法……ヒューマンの賢者がそんな魔法を開発していたという噂は聞いていたが、あれほどの完成度だとは思ってもみなかった。
とはいえ、あの程度の魔法であるなら、看破するのはそう難しくないだろう。
エルフの魔法研究者たちは優秀だ。
どんな魔法であれ、解き明かして対抗魔法を作り上げられる。
でも、今はまだ無い。
判別は工夫すれば出来るかもしれないが、すでにエルフ国の中枢に入り込み、偽の情報を流しまくっているとなれば、エルフとヒューマンは転がるように戦争状態に陥るだろう。
ヒューマン側に裏切者がいる以上、サンダーソニアが戻って真実を伝えた所で、戦争を食い止められるかどうかは微妙だ。
ヒューマン国宰相クルセイドがゲディグズ側についていることを公表するのもリスキーだ。
ゲディグズがこれから侵攻してくることを考えると、ヒューマンが内乱を起こしてもらっても困るのだ。
あともう一つ、ゲディグズのあの不可解な再生の問題もある。
ゲディグズに致命傷を与えた時、彼は"元に戻った"。
回復魔法とも、フェアリーの粉とも違う戻り方だった。
どういうカラクリかわからないが、仮に『ディスガイズ』を敗れたとして、ゲディグズ自身を殺せなければ勝ちには至れない。
と、そこでサンダーソニアは気が付いた。
「なぁ、キャロット」
「なぁにぃ?」
「私の服。どうしたんだ?」
「偽装のためにブーゲンビリアの死体の近くに置いてきたわぁ」
「全部か?」
「全部よぉ。あ、忘れてたわねぇ。これ、ブーゲンビリアの形見」
キャロットはそう言って、サンダーソニアに何かを手渡してきた。
受け取ったそれを顔の前に持ってくると、それはスノードロップの髪飾りだった。
暗殺部隊の隊証だ。
これがここにあり、自分がいつも身に着けていた装飾品がないということは。
(もしかして、私が生きていること、気付かれてない……のか?)
ゲディグズ達はサンダーソニアが死んだことに気付いていない可能性がある。
逆に、エルフはサンダーソニアの生存に気が付いているかもしれない。
希望的観測かもしれないが、エルフという種族は、サンダーソニアを守りたがる。
サンダーソニアが死に、自分だけが生き残るということを忌避する。
ブーゲンビリアがどういう女か知っている者であれば、あるいは「何かがおかしい」と思ってくれるかもしれない。
ゲディグズはエルフの国で何かをやっているはずだ。
あのディスガイズという魔法が明るみに出るまでは、なんでもできるだろう。
まぁ、見た目だけの変化のようだし、いずれバレるだろうが、それまでは。
ゲディグズの裏工作は、確実にエルフの国にとって不利益をもたらすもののはずだ。
しかし、サンダーソニアがこっそりと戻ったり、あるいは国外から情報を提供できれば、"騙されたフリ"も出来るかもしれない。
しかしそこまで考えて、サンダーソニアは首を横にふった。
(私がそんな都合よく立ち回れるとは思えんなぁ……)
なにせ相手はあのゲディグズだ。
サンダーソニアの死が偽装されたものであると、とっくに気付いているかもしれない。
その上で、何かしらの手を打っているかもしれない。
あるいは死んでようが生きていようが、どちらでも大丈夫なように手を打っている可能性が高い。
そうやって、ゲディグズは四種族同盟を追い詰めていったのだ。
サンダーソニアは幾度となく負けてきた、それゆえ、何をやっても読まれている気がしてしまう。
「ていうかこれ、どこに向かってるんだ?」
そもそも、今のサンダーソニアに道行を決める権利はない。
サンダーソニアを背負うキャロット次第だ。
だが、このサキュバスは、エルフに己の種族を滅ぼして欲しいと言いつつも、エルフ本国に向かっている気配はなかった。
本気でサキュバスを滅ぼしたいなら、サンダーソニアを本国まで送り、サキュバスを滅ぼすように進言してもらうとか、そんな感じがベターなはずだ。
どうにもこの女の行動も不明瞭だ。
「そもそも、私に何をさせるつもりなんだ? サキュバスを滅ぼして欲しいとか言ってたけど、私はこうしてお前に助けてもらったわけだし、あんまり滅ぼしたいとかは思ってないぞ。私自身はそこまで恨みとか持ってるわけじゃないしな。そういうのやめようって言ってる立場だぞ私は」
エルフの国に帰るにしろ、このまま浮き駒として遊撃するにしろ、自分を背負うサキュバス次第。
そう思いつつ聞く。
答えてはくれないだろうと思いつつ。
だってこの三日、全然その問いに答えてくれなかったし。
「そうね……」
しかし、珍しくキャロットは口を開いた。
「そろそろ目的地だし、説明しとかなきゃいけないわねぇ……」
「頼むぞ。私ももうあと何日かしたら体が治っちゃうからな。ちゃんと納得させてくれよな。私だって命の恩人を倒して脱走とか嫌だからな」
「納得ねぇ……そうねぇ……うーん……」
キャロットは唸りつつ、言葉を紡ぐ。
「昔々、まだゲディグズが生まれるより前の話なんだけどぉ、私らサキュバスの昔の女王に、『童貞喰い』っていうのがいたらしいのよねぇ。他の国からまだ精通も始まっていないような子を攫ってきて、食べちゃうのよ」
なんか昔話が始まったなと思いつつ、話の枕は必要かと、サンダーソニアは軽く相槌を打つ。
「ほう、サキュバスってそういうのちゃんと記録に残すんだな」
正直、サキュバスが過去の記録を残すという話は聞いたことが無かった。
サンダーソニアがかつてサキュバスの街を一つ落とした時、サキュバスの軍事機密がないかと拠点を探したことがあるが、出てきたのは薄くてフワァーォゥな春画のみであった。
サキュバスは記録など残さないのだ。
まぁ、実はその春画こそが、サキュバスの記録方法なのだが、他の種族にはセンシティブすぎて春画にしか見えないのである。
「ちゃんとってわけじゃないわぁ。ほとんどは戦火で燃えちゃったもの。でもぉ、どういう女王がどういう治世をしいてたかってのは記録に残ってるワケ」
「偉いじゃないか」
「同じ過ちを繰り返さないって大事じゃない?」
「そうだな。で、その『童貞喰い』ってのは、どういう暗君だったんだ?」
「名君だったらしいわよ。ちょっとグルメなだけで」
権力を利用して童貞を食いまくる。
エルフだったら色狂いの暗君として、内乱が発生していただろう。
今のサンダーソニアだったら間違いなく内乱を起こす側だ。
私にもよこせと革命の旗を振り上げて。
「ただ、その女王様、食べたものの感想を記録していたのよね。その中に、面白い記述があったのよねぇ」
「?」
「ある種族を食べると、その種族の顔に、変な文様が顔に浮かんでくるって」
「なんだその、ある種族って」
「オーク」
「オークの童貞を食べると、オークメイジの紋章が浮かんでくるんですって」
「どういう理屈だよ」
「さぁ? でも、今でも結構そういう話は聞くから、本当のことみたいねぇ」
ヘラヘラと笑いながら、キャロットは話を続ける。
「で、別の時代では、サキュバスってオークを下僕みたいに扱っていたみたいなのよね。よくそういう記述が出てくるのよ」
「オークみたいに男しかいない種族は、サキュバスには逆らえんだろうな。むしろもっと早くそうなっててもおかしくなかったんじゃないのか?」
「そうかしらぁ? サキュバスはオークの子供を産めないから、むしろ戦争を繰り返していたっぽいわよぉ。食べるだけじゃ子供なんて作れないもの。それに、そもそもオークっていいなりになるの嫌うしぃ?」
「どうだかな……だが確かに、大昔に書物で読んだことがあるな。オークとサキュバスの連合軍と戦ったとかなんとか。まぁ、当時の図書館ももう無いんだがな」
それはサンダーソニアがまだ50歳ぐらいの頃の話だったかもしれない。
そうした記録というものは、概ね戦火で焼けてしまうのだ。
平和な世になって口伝で残っている分を書物として復元しているが、事実から少し離れたものになっているように感じる。
「あなたが知らないってことは、千年以上前なのねぇ……で、まぁいろいろあったんだけど、今のサキュバスでは、あんまりオークの童貞を奪っちゃダメってことにはなってるのよ。サキュバスはオークのこと見下してるし? 同盟相手でもあるし、みんなそこまで気にしてないっていうか? そんなの当たり前みたいに思ってたのよねぇ」
「でもオークはそんなの気にしてないだろ? むしろ迫ってくるんじゃないか?」
「知らないのぉ? オークって、あの紋章が出るのをすごい嫌がるのよ? 魔法戦士の証だって言って。だからあんまり近寄ってこないのよぉ」
「そんな馬鹿な……だって、オークメイジとかいるだろ?」
「オークメイジだって、他のオークからうっすら馬鹿にされてるのよ? 確か、三十歳まで童貞を貫いたらなれるんだけど、ほら、オークって女を抱いてナンボじゃない?」
「そうだったのか……? だとしたらかわいそうなことをしたな。見かけたら殺してたぞ」
オークメイジは、魔法使いとしてはサンダーソニアの足元にも及ばない者が多い。
が、それでもデーモンが扱うような魔法を使う、オークの中でも危険な相手だ。
成長すれば、とんでもない魔法使いになる個体もいた。
ゆえに戦いとなれば、真っ先につぶしていた。
経験の薄そうなオークメイジを見たら、早めに殺せてラッキーぐらいに思ったものだ。
「そうか、あいつら全員、経験なかったのか」
妙な親近感と罪悪感を覚えるサンダーソニアであった。
しかしオークメイジもオーク、実際は戦場に出れば初陣で経験を済ませるのである。
童貞でい続けるオークなどいない。
サンダーソニアの仲間などでは決してないのだ。
「メイジならいいけど、戦士で三十歳まで童貞ってことはぁ、十数年間戦い続けて、一度も女に勝てなかったってことなのよ。あるいは戦場で逃げ出したか。どっちにしろ、オーク社会においては蔑みの対象になるのよね」
「なるほどな。オークの連中が躍起になって倒した女を暗がりに連れ込むわけだ」
「もし浮かび上がっちゃったら、心底見下されて、人として扱われないらしいわ。オークの面汚しとしてね。そうなったらもう、どうやっても尊厳を取り戻すことはできないわぁ」
「オークならそうなるだろうな……で?」
とサンダーソニアは疑問を投げかける。
「なんの話をしてるんだ? 質問に答えろよな。何をさせたいんだよ、私に」
「…………今に、わかるわぁ」
結局、何もわからなかった。
サンダーソニアは渋い顔をしつつも、キャロットに背負われてどこかへと運ばれていく。
そういってしばらく、会話はなかった。
黙りこくって歩き続けるサキュバスからは、何やら悲壮な覚悟のようなものが出てきた。
サンダーソニアとしては、嫌な予感がしまくりである。
「ここよ」
そして、洞窟にたどり着いた。
何の変哲もない、熊でも住んでいそうな洞窟だ。
「……あれ? キャロットじゃないっすか、なに背負ってるんすか?」
そんな洞窟の前では、なぜかボロを纏ったヒューマンの女が、横になってくつろいでいた。