成田、ジュース買ってこいよ
「成田、ジュースを買ってこい」
昼休み、常滑先輩はわざわざ体育館裏に僕を呼び出してそう命令した。
常滑先輩は茶色に染めたショートヘアとネコ科の猛獣のような目つきが印象的な人である。
美人だけど誰からも恐れられている人だった。
取り巻きは全員女性で、先輩たちばかりで地面に座っている。
程度の差はあれみな気の強そうな人たちで、迫力もあってとても僕じゃ逆らえない。
「分かりました。お金をください」
「はあ? ツケに決まってるだろ!」
常滑先輩ににらまれ、僕はすごすごと退散する。
他の人たちは何も言わなかった。
一緒にジュースを買って来いと命令されないだけまだマシか。
僕は購買に行ってジュースを買ってくる。
常滑先輩が飲むのは決まってリンゴジュースだった。
先輩は炭酸も好きのはずだが、僕に買わせるのはリンゴジュースだけである。
買って戻って差し出すと、先輩は満足そうに受け取った。
「よし。もう戻っていいぞ」
このためだけに僕は呼び出されたのかと思うとうんざりする。
もちろん、不満なんて言えるはずもない。
とぼとぼと教室へと帰った。
ぐうっと腹の虫が鳴る。
まだ何も食べていないのだから当然だろう。
休み時間、常滑先輩のおかげで浪費してしまった。
教室に戻り、自分の椅子に座ると周囲がちらちら見てくる。
僕がどこに行っていたのか、みんな知っているんだろう。
僕は気づかないふりをして弁当を取り出す。
自作しているから、何が入っているのか知っている。
適当ににぎったおむすび、ウィンナー、ブロッコリー、ハンバーグ、ミニトマトなどだ。
弁当に入れるのに時間がかからないもの中心である。
おにぎりなんてていねいにやらなきゃ、意外と簡単にできるのだ。
その代わり見た目も味も保証はできないけど、自分で食べるだけならまあ何とか。
ご飯を食べ終えると休む。
するとスマホが鳴った。
嫌な予感がしてみてみると、案の定常滑先輩からだった。
「放課後、メロンパンとリンゴジュースを買って、私の家まで来い」
仕方なくわかりましたと返事する。
常滑先輩は美人だけど暴君だった。
「放課後も常滑先輩に?」
「かわいそー」
「でもいじめられてるわけじゃないんだよね?」
「微妙なところだな」
周囲からひそひそ声が聞こえてくる。
誰も助けてくれない。
みんな常滑先輩が怖いのだ。
家族は武道一家で先輩は中学時代は全国三連覇したし、中三の時に日本選手権優勝者にも勝ったといううわさがある。
それにああ見えて常滑先輩は学業優秀で、校長が他校の校長に自慢できるレベルらしい。
何でもできるバケモノみたいな女子である。
モンスター女子って言った先輩が水平線の向こうまで吹っ飛ばされたというのは、さすがに都市伝説だと思うが。
そんな人相手じゃ、助けが出るわけもなかった。
みんな自分だけが可愛いのだ。
僕一人生け贄にして、生を謳歌している。
なんてひがんでも仕方ない。
確かにいろいろ命令されるけど、いじめられているかと言えば微妙だからだ。
放課後がきたらメロンパンを買いに行こう。
放課後が来たのでメロンパンを買いに行った。
常滑先輩が好きなのはとあるメーカーのパンである。
ここのを買えば上機嫌になり、他のメーカーだと不機嫌になるくらいわかりやすい。
リンゴジュースも忘れずに買って先輩の家に行く。
チャイムを鳴らしたら制服姿の先輩が出た。
「おう、入れ」
「お邪魔しまーす」
僕は勝手知ったる先輩の家に入り、そのまま階段を上って先輩の部屋に行く。
カーテンはピンクだし、可愛らしいぬいぐるみや小物がいくつもあるなかなかファンシーな部屋だ。
学校での怖い姿しか見てないやつはきっと仰天するだろう。
先輩に可愛い一面があると僕は知っている。
たぶん先輩の友達も知っているんじゃないだろうか。
この人、基本的に隠し事が下手だからなあ。
「頼まれた分です」
メロンパンとジュースを出してテーブルの上に置くと、先輩は財布から五百円玉を出す。
「つりはいらないからとっておいて」
この部屋に入ったとたん、僕への当たりが柔らかくなるのも先輩の特徴だった。
先輩は袋からメロンパンを取り出し、半分に割って僕に差し出す。
「どうも」
二人でメロンパンをもぐもぐ食べる。
パックのジュースにストローをさして飲んだ後、先輩はやはり僕に回してくれる。
それを黙って飲む僕は、間接キスがどうと騒ぐ時代はとっくに過ぎ去っていた。
これらが僕らの日常なのである。
「勉強している?」
先輩が不意に聞いてきた。
そう言えばそろそろテストが近いな。
「一応は」
「何なら見てあげようか? 放課後にさ」
先輩はそう言うが、この人は昔はそんなに成績よくなかったんだよなあ。
「いつの間にか先輩、勉強できるようになりましたね」
今じゃ自慢されるレベルだもんな。
「かずくん、勉強ができる女が好みって言ってたくせにぃ!」
先輩は不満そうに抗議する。
僕の話、覚えていたのか。
かずくんというのは僕の名前である。
この部屋にいる時くらいしか呼んでもらえない。
「あれ、じゃあ何で武道をやってたんです?」
「幼稚園の頃、強い女の子ってかっこよくてあこがれるって言ってたくせにぃ!」
先輩は不満そうに上目遣いでこっちを見ながら抗議してきた。
そう言えば昔、そんなことを言ったことがあったような……。
それも覚えてたのか。
「かずくん、好みのタイプ、コロコロ変わりすぎだと思う」
小さな声で先輩が抗議してくる。
「先輩のことはずっと好きですけどね」
そう言うと先輩は真っ赤になって黙ってしまった。