第2章 まっすぐストーリー・8th Scene (3)
一睡もできないまま、朝がやってきた。
朝靄が立ち込め視界が不鮮明な討伐隊の陣中、テントの前にアタシは立っていた。
10分程前に見張りの人から「フランツ副隊長がお呼びだ」と声をかけられた。睡眠不足でだるい身体に鞭を打って起き上がり、一晩中起きていたフジサキと共にテントの外に出た。
「やぁ、おはようチヒロ。良く眠れたかい?」
「この顔が良く眠れた人の顔に見えます?」
靄の向こうからフランツ副隊長が姿を現した。相変わらず、良い笑顔である。
早朝から飛びっきりのスマイル0円、ご馳走様です。
この人の辞書に『寝不足』とか『低血圧』という言葉は存在しないみたい。
「時間がないから、説明は歩きながらでもいいかい?」
「はい」
手招きされたので、アタシは歩き出したフランツ副隊長の隣に歩み寄った。
するとフランツ副隊長は言い忘れてた、という感じで立ち止まり、アタシの後に付いてきていたフジサキに振り返った。
「悪いんだけど、僕の馬は2人までしか乗れない。君はここで待機していてくれるかい?」
おい、なんだその「悪いな、の●太! この車、4人乗りなんだ」の隙あらば自慢話でお馴染みのス●夫みたいな台詞は……。
「ごめん。そういう事らしいから、ちょっとここで待ってて、フジサキ」
「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
フジサキは素直に了承して、アタシ達にいつもの恭しい態度で頭を垂れた。
そんなフジサキを置いて、フランツ隊長は再び歩き始める。
アタシは置いて行かれないようについて行った。
漫画とか小説でよくあるけど、足のリーチが違うと追いつくのが大変なヤツ……まさにそれだわ。
フランツ副隊長、足長過ぎッ! アタシさっきからずっと小走り状態だわ。
何か説明されてるけど、寝不足も相まって頭に全然入ってこない。
今は急いでるし、乗せていってもらえるみたいだから文句は言えないけど……。
着いた先は、簡易的に建てられた馬小屋だった。
朝靄の中、馬達の嘶きや蹄で地面を叩く音が聞こえる。
フランツ副隊長は一頭の馬に近づいた。
美しい栗毛の馬。サラサラなたてがみを揺らしながら副隊長に顔を寄せる。
異世界にも地球の馬とよく似た馬が存在している。
異世界人って、ファイナルなファンタジーに出てくる黄色の鳥馬とか、戦争で戦うために調教されたオオトカゲとか、ご主人様しか乗せたがらない大きな鹿とかに乗っているものだとばっかり思っていたから、拍子抜けというか、ちょっとガッカリした。
馬の手綱を解いて馬小屋から出すと、フランツ副隊長は鞍や鐙を手早く点検した。
「あの、その……アタシ、馬を生で見るのも乗るのも初めてなんです」
近くで見るとかなりデカい。牛に追いかけられた経験からどうしてもこの手の大きな家畜は警戒してしまう。
噛んだり、蹴ったりしないよね?
「そうなの? この子の名はアルストロメリア。大人しい子だから触っても大丈夫だよ」
アルストロ……これだから横文字は。長いから『あっちゃん』で良いや。
あっちゃんは、初めて見るアタシの顔をジッと見つめてきた。
その目が、瞬きする度にバチバチと音がした。
……あっちゃん、睫毛が長いね。羨ましいな。
確かに大人しくて、可愛い女の子……女の子だよね?
あっちゃんに恐る恐る近づいて観察していると「ちょっと失礼」と後ろから声がして、グイッと脇に手を差し込まれて持ち上げられた。
「わ、うわわぁッ! ちょ、なに!?」
「よっと!」
アタシは軽々とあっちゃんの背中の上に乗せられて、バランスを崩しながらも必死に跨った。
その後ろにフランツ副隊長がヒラリと華麗に跨った。
フランツ副隊長は細身の見かけによらず、どうやら脱いだら凄いのよの部類の人らしい。
それにしても馬に2ケツ……だと?
友達とチャリで2ケツしてお巡りさんに追いかけられた苦い思い出が蘇った。
手綱を手にしてアタシを前にしっかり座らせると、フランツ副隊長は鐙を蹴って、あっちゃんを走らせた。
「時間が無いから急ぐよ。しっかり掴まって!」
「思ってたより、高いし……てか、メッチャ揺れるし早いぃいいッ!」
走り出したあっちゃんは風のような速さで走った。
アタシは落ちない様に必死に鞍にしがみ付いていた。
お母さんがダイエットに買った乗馬マシンと全然違う。揺れがダイレクトに身体に響いてくる。
尻が痛い……後で『アタシ、実は痔なんです。ウフフ』とか暴露しなくちゃいけなくなりそうで怖い。
フランツ副隊長含め、騎士の人達はよくこんなのに毎日乗ってられるな。
アタシは一日乗ったら数日は乗りたくない。
移動手段が徒歩・馬・馬車しかなさそうなこの世界は不便な事この上ない。
そんな事を考えている内に、アタシ達は30分ほどで村長の家に着いたのだった。
「僕はここで待っているから」
そう言ってアタシをあっちゃんから降ろしてくれたフランツ副隊長は、門より先には入って来なかった。
気を使ってくれているのだろう。
玄関の前に立つ。
一晩中、考えていた事を思い出そうとするが……ここに来て頭が真っ白になってしまった。
何と言って別れを告げれば良いのか……。何と言えば、二人をガッカリさせずに済むのか。
あれだけ考えたのに、何一つ思い出せない。
数分間、玄関の前で棒立ちになっていた。
覚悟を決めて、いざドアをノックしようとするとそのドアがゆっくり開いた。
「あ……」
「おかえりなさい、チヒロさん。さぁ、早くお入り」
そこには、出会った時と同じ優しい笑みを携えたロイズさんが立っていた。
突っ立っているアタシに「おかえりなさい」と言って、家に招き入れてくれた。
さらに、
「迎えに行ったのに連れ帰れなくて、本当にすまんかった。役立たずな年寄りを許しておくれ」
と頭を下げられてしまった。
「あの……そんな。ロイズさん、あのですね」
「そうじゃ、チヒロさんの部屋で妻が待っているんだ。行ってやってくれるかい?」
アタシがモタモタしているうちにロイズさんはそれだけ言い残すと、静かに書斎に行ってしまった。
1人玄関に残されたアタシになすすべはなく、言われた通り、自分が使っていた部屋に向かうしかなかった。
ドアの前で深く息を吸い込んでからノックをしてドアを開けた。
部屋の中、ベッド脇の椅子に腰掛けていたテレサさんがこちらを振り返って立ち上がった。
「あらあら、おかえりなさい、チヒロさん。まぁ、私ったらここでボーっとしてしまっていて……お腹が空いたでしょ? 今、朝食に――」
「ごめんなさい、テレサさん。アタシ……アタシ、この村を出て行くことにしました。この後、城塞都市マルトゥスにフジサキと一緒に移送されます。外で副隊長さんを待たせているんです。すぐ、行かなくちゃいけないんです」
「……」
テレサさんの言葉をさえぎって、言いたかったことを一気に吐き出した。
アタシはテレサさんに頭を下げる。
申し訳なくて、そんな事しか言えない自分が恨めしくて顔を上げられなかった。
テレサさんはそんなアタシを見つめて静かに黙っている。
部屋に流れる静寂。
すると、アタシの体をテレサさんがギュッと抱きしめた。
伝わってくる温もりに恐々と顔を上げると、テレサさんはアタシを愛おしげに抱きしめ、背中をぽんぽんと優しく叩いてくれている。
「貴女が家に来た時、娘が帰ってきてくれたと思ったの」
「え?」
「私達の娘――ソフィアって、言うの。私達夫婦にはなかなか子供が出来なくて、やっと授かった大切な娘だったの。主人はそれは喜んで大金をはたいて、あの鏡台を買って来たの。それだけ私達にとってあの子は大切な存在だった」
アタシから名残惜しそうに離れると、テレサさんはアタシの手を引いてベッドに近づいた。アタシをそこに座らせると、黙ってアタシの隣に腰掛けた。
ソフィアさん……たぶん、アタシが借りた服の持ち主だ。
「貴女と同じ歳になった時、あの子は病に罹った。近くの町のお医者様にも診せたけど、治る見込みがないと言われたわ。そのままあの子は……お嫁に行く事も出来ずに、私達を置いて逝ってしまった」
「……」
言葉が出なかった。
アタシが服を着たとき、テレサさんが悲しそうな顔をしたのはこれが理由だったのか。
アタシと同い年、17歳で逝ってしまった娘。
その娘の姿が重なって見えたのだ。
「だから貴女が家に住む事が決まった時は本当に嬉しかった。きっと主人も同じ気持ちだったんだと思うわ」
アタシの頬に手を添えて、テレサさんは朗らかに笑った。
「でも、それと同時に貴女はいつか、ここ出て行くんだと覚悟したわ。ここに貴女を留まらせてはいけない。そう自分達に言い聞かせたわ」
「でも、アタシ……『終末の巫女』としての役目も、自分で勝手に始めた仕事も、全部放り出して行こうとしてるんです。アタシはずるいんです」
耐え切れずに、アタシは涙を流した。
ボロボロ零れ落ちる涙をテレサさんが優しい手つきで拭ってくれる。
いつでも優しく接してくれたテレサさん達を裏切る。
あぁ、アタシはやっぱり悪いヤツだ……自己嫌悪で胸が一杯になっていく。
「泣かないで。貴女はずるくなんて無いわ。貴女をここに引き止めたのは私達なんですもの。ずるいのは私達の方よ。チヒロさんは何にも悪い事なんてしてないわ」
「でも……でも、アタシはッ!」
「これ以上、自分を責めないでちょうだい。貴女から、私達も村の人達も、十分過ぎるほどたくさんの幸せを貰ったわ。だから今度は、貴女が幸せになる番……」
テレサさんはアタシの言葉を遮って強い口調でそう言った。
もうこれ以上、アタシが罪悪感に囚われないように。この村に未練を残さないように。
「テレサさん……」
「いってらっしゃい、チヒロさん。貴女はソフィアの分まで精一杯生きて、誰よりも幸せになってちょうだいね」
「……はい」
アタシ達は再び抱き合って、泣いた。
アタシは声を上げて泣いて、テレサさんはそんなアタシの背を撫でながら静かに涙を流していた。
こんなにも優しい人達に囲まれていたアタシは、何て幸せ者だったのだろう。
それが束の間であっても、アタシは決してこの村を、この人達を、生涯忘れる事はないだろう。
……そう、思った。
◆ ◆ ◆
旅立ちの時。
アタシは、ゆっくりと振り返った。
そこにはテレサさんとその肩を抱くロイズさんがいた。
2人とも笑顔だった。だから、アタシも精一杯の笑顔を浮かべた。
「フジサキもお2人にお世話になりましたと、お礼を言っていました」
「いやいや、フジサキさんには仕事を手伝って頂いて本当に助かったよ。ロイズが礼を言っていたと伝えてください」
「はい、必ず伝えます」
そこまで会話が進んだところで、テレサさんが何かを思い出した様に『あ!』と小さく呟いて、口に手を当てた。
その姿は、何だかお転婆な少女のようで可愛らしかった。
「そうそう。渡す物があったのにすっかり忘れる所だったわ!」
「?」
テレサさんがそう言って、エプロンのポケットから何かを取り出した。
アタシはそれに見覚えがあった。テレサさんに差し出されたそれを受け取る。
「これって……」
「今の私達にはこんな贈り物しかできないの。ごめんなさい」
それは、前にアタシがピスタさんのお店で見ていた小箱だった。
二人は、アタシのために購入してくれていたらしい。
それをギュッと抱きしめて、アタシは頭を横に振った。
「とんでもないです。アタシには勿体無いくらいです。大切にします」
「チヒロさん、お身体に気をつけて。いつでも、どんな時でも私たちは貴女の無事を祈っております」
ロイズさんが優しく微笑みながら、そう言ってくれた。
アタシは強く頷いて、一歩下がると二人にお辞儀をする。
そして、大きな声でこう言った。
「ロイズさん、テレサさん。アタシ、行ってきます! いつか……ううん、絶対に! 絶対に会いに来ますから!」
こうして、アタシはローナ村を去った。
向かうは『城塞都市マルトゥス』――。
一体、何が待ち受けているのか。
アタシの長い長いグラン・パナゲアでの旅が幕を開けようとしていた。
~ 8th Scene End ~
第2章「アタシと、ローナ村」≪ 完 ≫




