第2章 まっすぐストーリー・8th Scene (2)
それから約30分後。フランツ副隊長が戻ってきた。
椅子に力なく座ったまま所在無くテントの中を見渡していたアタシは、慌てて居住まいを正した。
「君達の今後の処遇が決定したから、報告するよ」
向かい側の椅子に腰掛けたフランツ副隊長を見つめて、次の言葉を静かに待つ。
「チヒロ、君とあの共犯者の男を城塞都市マルトゥスに護送することが決定した」
「え? どうして!? 容疑は晴れたんじゃないんですかッ!?」
ガタンと大きな音を立てて、アタシは椅子から立ち上がった。
城塞都市マルトゥス……ピスタさん達から聞いた話によれば、王都に最も近い大都市で、過去の戦争では王都を守護するため最後の防衛線となり、絶対的な防御、難攻不落であることから『鉄壁のマルトゥス』の異名で呼ばれていたそうだ。
村に帰れると思っていたのに、何故そんな都市に護送されなければいけないのか、納得がいかない。
どうして? という顔でフランツ副隊長を見ると、彼は申し訳なさそうな顔で溜息をついた。
「最後まで聞いてくれ。申し訳ないが、君の容疑は完全に晴れたわけじゃない。僕の一存では決められない事なんだ。近年、ティルバ連合は不穏な動きを見せている。スパイ活動や暴動や反乱に見せかけた王都への工作活動……挙げればキリが無い。また、戦争を仕掛けてくる可能性が捨てきれないんだ」
「だから、アタシはスパイじゃないって何度も……」
「そう。仮に君がスパイではないとしても、君は異世界から来たと頑なに主張している。言ってしまえば得体の知れない人物だ。ティルバ連合が魔術を使って、何らかの理由で召喚した可能性もある。そこで我々は君を厳重に監視する必要があると判断した」
「そ、そんな……」
フランツ副隊長の説明を聞いて、アタシはよろめきながら力なく椅子に座った。
スパイじゃなくてもどのみち、帰らせてくれないつもりだったんじゃないか。
人をぬか喜びさせておいて、どん底まで突き落とす。
あまりにも酷すぎる仕打ちだ。
「どうしても村に帰りたいのかい? 君にとってはむしろ好都合な話だと思ったんだけど」
呆然とするアタシに、フランツ副隊長が尋ねてくる。
アタシは思わず、彼の緑色の瞳を睨みつけた。
「あの村には、アタシを心配して待っていてくれている人達がいるんです。たった1週間しか生活していなくても、情は移るもんなんです!」
「その村の誰かが君を密告したのにかい?」
「それは、あなたたちが考えたデマでしょ? 村の人達がそんな出まかせ言う筈がないもん」
「認めたくないだろうけど、密告は事実だ。例え君がこのままお咎め無しで村に帰っても、また同じ事が起こる。君の存在を快く思っていない人々がいる限りね。だったら、君が行きたいと思っていた王都に程近い位置にあるマルトゥスに拠点を移した方が良いとは思わない? 厳重な監視とはいってもある程度は行動に自由はあるし、疑いが晴れれば我々は君を解放するつもりだ。その後は、王都に行こうが村に戻ろうが君の自由だ。どうだい? 悪い話じゃないだろう?」
「……」
密告は本当だったらしい。ならば、あの村にはアタシの居場所はない。
移送と言うと言葉は悪く聞こえるが、ただで運んでもらえる。
しかもマルトゥスに行っても、投獄や監禁をされるわけではないらしい。
容疑が晴れ、自由になれば王都にも行ける。ローナ村の村長夫婦にも会える。
確かに美味しい話――かもしれない。
心が……グラグラ揺れた。
でもアタシには、この場で的確な答えを出すことが出来ない。
フジサキのように、冷静な対処が出来ない。
フランツ副隊長の言葉の真偽も、判断できない。
一人では何も出来ないのだと痛感した。フランツ副隊長との心理戦に完全敗北したのだ。
「アタシにかかった疑いはいつ晴れるんですか?」
苦し紛れに言えた言葉は、その疑問だけだった。
フランツ副隊長は相変わらず、冷静な口調で答えてくれた。
「ある人物に君を会わせて判断を仰ぐ。だた、とても多忙な人なんだ。いつ対面させられるかは僕にも分からない」
「そうですか……少し、考えさせてくれませんか? 出来れば、アタシと一緒に連れてこられたもう1人と相談したいんですけど……」
「……分かった。連れてくるから、少し待っていてくれ」
フランツ副隊長は一瞬、間を置いたもののフジサキとの面会を了承してくれた。
頭ごなしに「1人で考えろ」と言われると思っていたアタシは、騎士道精神は本当にあったんだと少しだけ感動した。
再びテントから出て行くフランツ副隊長の背中を見送り、何と返事をすべきか一人考えた。
答えは殆ど決まっていた。ただ、このアタシの判断を後押ししてくれる言葉が欲しかった。
きっとアタシは悪者になりたくない、皆を裏切る……後ろめたさで一杯になっていたんだと思う。
「マスター」
半日ぶりに聞くその声に、アタシの涙腺は限界に達しそうになった。
潤んだ目でテントの出入り口を見ると、相変わらず無表情のフジサキがフランツ副隊長に付き添われて立っていた。
「マスター、ご無事ですか? 拷問などは――」
「フジサキッ!!」
アタシを心配して、そう問いかけながらこちらに向かって来ようとしていたフジサキにアタシは飛び付いた。
やっと得られた安心感から涙が出た。
でも涙を見られたくなくて、フジサキの胸に顔を押付けてギュッとしがみ付いた。
「マスター……一体、どうなされたのですか?」
「僕は表に出ているから。話し合いが終わったら呼んでくれ」
場の空気を読んだのか、フランツ副隊長がバツの悪そうな顔をしてテントから出て行った。
その気配を感じて、アタシはフジサキにしがみ付いたまま声を殺して泣いた。
泣き続けるアタシを最初は困惑した表情で見ていたフジサキだったが、やがてぎこちない手つきで頭を撫で始め、アタシが落ち着くまで黙って待ってくれた。
だいぶん落ち着いてから、アタシは呟くように話し始めた。
「フジサキ、アタシを汚いヤツだと思う?」
「マスターは毎日、濡らしたタオルで身体を拭いていらっしゃったので、ある程度は清潔かと判断します」
「いや、そういう物理的な意味の汚いじゃなくて……これからアタシが言う事を、フジサキならどう思う?」
「どういった事でしょう?」
「アタシね………ローナ村には、もう戻らない。このまま城塞都市マルトゥスに行こうと思う」
「はい、了承致しました」
悩んだ末の決意をフジサキに伝えると、彼は声色一つ変える事無く即答した。
フジサキは人間じゃないから、こういう返事をされても仕方ないと頭の中では分かっているのに、どこか否定して欲しかった、怒って欲しかったと思っている自分がいた。
「アタシさ、ローナ村の人達に受け入れてもらえて嬉しかったんだ。ロイズさんとテレサさんは凄く優しいし、村の人達は歓迎会もしてくれた。無理やり提案したアルバイトも皆、助かるよって言って喜んでくれた……」
「はい」
「でもアタシは……村の誰かにスパイかもって密告されただけで、ローナ村の皆を信じられなくなっちゃった。『終末の巫女』の肩書きも、自分で勝手に始めたバイトも、全部中途半端に投げ出して……ロイズさんとテレサさん、あんなに親切いしてくれたのに……早く元の世界に帰りたいからって……ぽっと出のフランツ副隊長に提案されたことを全部鵜呑みにして……ローナ村から全力で逃げ出そうとしてる……アタシって、とんでもなく悪いヤツだよね?」
「マスター」
途切れ途切れに心境を言葉にしていく。
一度は止まったはずの涙がまた頬を伝って零れ落ちる。
アタシは本当に自分勝手なヤツだ。
結局は自分の事しか考えてなかった。優しい村の人々を利用したのだ。
フジサキがアタシの肩に手を置いて、そっと優しく引き離した。
やめてよ。泣いてるアタシの顔はいつも以上に不細工なんだから。
絶対に見られたくなかったのに……。
フジサキは腰を屈めて、目線をアタシに合わせた。
その一点の曇りも無い、真っ直ぐな視線から逃れたくて、アタシは下を向いた。
アタシを見つめたまま、フジサキは静かに語り出した。
「マスターは決して『汚いヤツ』でも『悪いヤツ』でもございません。人はより良い条件を提示されればそちらに移行する、それは当たり前の行為でございます」
「……」
フジサキの言葉にアタシは唇を噛み締める。フジサキはなおも淡々と続けた。
「マスターには『絶対に元の世界に帰る!』という明確な目標がございます。目標達成のための最短コースを選択していくのは大変よろしい事でございます。残念ながら、今の私には人間の感情起伏、マスターが感じていらっしゃるローナ村の方々への後ろめたさというものを理解することが出来ません……ですが」
「……ですが?」
「マスターがどんな選択をなされようとも、例えそれがこの世界を敵に回す選択であったとしても、私はマスターと共にその選択を全う致します。それが私の役目だからでございます。私はいつでもマスターの隣で、マスターをお守り致します」
その言葉にアタシは顔を上げた。滲む視界の向こうで、一瞬フジサキが微笑んで見えた。
目を擦ってもう一度見てみたが、どうやら目の錯覚だったらしい。
彼はいつも通りの綺麗なポーカーフェイスだった。
「フジサキ」
「はい。何でございましょう?」
「今の言葉……信じていいの?」
「はい。私は機能上、『嘘』というものをつくことが出来ませんので、ご安心ください」
フジサキの言葉を最後まで聞く前に、アタシはその首にしがみ付いた。
いきなり抱きついたというのに、フジサキはビクともしなかった。
「……ありがとう。……グスッ」
「どう致しまして、マスター」
その後、アタシはフジサキにしがみついたまま、声を上げて泣いた。
いろんな感情が混ぜこぜになって溢れ出した涙だった。
ずっと溜め込んできた物がここに来て、全て放出されてしまったのだ。
泣いている間、フジサキはずっと中腰のまま動かなかった。
ただ、静かにアタシを受け止めていてくれた。
テントの外までその鳴き声は聞こえていただろうが、そんなことを気にしている余裕なんてその時のアタシにはなかった。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻したあと――アタシはテントの外に出た。
そこには、フランツ副隊長が待っていた。
「あの……」
「ん? 君の答えを聞かせてもらっても良いかな?」
フランツ隊長が優しい笑顔でアタシに問いかけた。
スーッと息を吸い込んでから、アタシは言った。
「アタシ、行きます。城塞都市マルトゥスに……」
「本当に良いんだね? とは言ってもどの道、君に拒否権は無いわけだけど。明日の早朝、ここを出立する。申し訳ないけど、今日はここで寝泊りしてもらうよ。でも安心してくれ。テントには外の護衛以外、誰も入らせないから」
アタシが女だからか、フランツ副隊長は気を利かせてくれたらしい。
ありがたい事だ。でも、出立が早朝とは急な話だ。
「あの、フランツ副隊長さん。一つだけ、お願いがあります。ここを発つ前に、居候させてもらっていた村長ご夫妻だけには、お礼とお別れを言いたいんです。……駄目でしょうか?」
駄目と言われるのを覚悟で聞いてみる。
するとフランツ副隊長はふぅと小さく息を吐いて、
「実を言うとね、村長さんがここに来たんだよ」
と意外な事実を語った。
「え、ロイズさんが?」
「この陣に1人でいらっしゃったんだ。無実の若い女性に大の男が寄ってたかって何事だ! 恥を知りなさい! チヒロさんを今すぐ連れて帰る! ……って。大変お怒りになってね。隊長が何とか説得して。、やっと帰って頂いたんだ。つい、2時間ほど前の話だよ」
ロイズさん、来てくれたんだ。全然、気が付かなかった。
あの温厚なロイズさんが怒りを露わにして、騎士たちを一喝しただなんて信じられない。
ローナ村からここまで結構な距離があるのに、たった一人で――。
とある日の記憶が蘇る。村の集会所に向かう途中、急に立ち止まってしまったロイズさん。
アタシが「どうしたんですか?」と覗き込めば、ロイズさんは膝と腰を摩っていた。
上がってしまった息を整えてからアタシを見上げて、
「ほほほ、ワシももう歳ですなぁ」
と寂しそうに笑っていた姿。
決意が揺らぎそうになる。
駄目だ、流されちゃいけない。
しっかりしろ、アタシ。フジサキの言う通り、自分の目標を最優先にしなきゃ!
「明朝の出発前に1時間だけ時間をとろう。万が一のために僕が同行することになるけど、いいね?」
「はい、ありがとうございます。あとフジサキのことなんですけど、彼と一緒のテントにしてもらえませんか?」
「……君がそれで問題ないなら構わないよ。好きにしたらいい」
そこで会話は終了した。フランツ副隊長は別のテントへと入っていった。
アタシ達も護衛の騎士に誘導されてテントに入った。
テントに設置された簡易ベッドに横になる。
フジサキにはベッドの側の椅子に座ってもらった。
「お休みなさいませ、マスター。何かございましたら何なりとお言い付けください」
そう言って、フジサキはテントの出入り口の方に目を向けた。
眠らないフジサキは夜通し、何があってもすぐさま対応できるように警戒に当たるのだろう。
どうして、そこまでしてくれるのだろうか?
アタシの持ち物だからというのでは、理由にならない気もする。
目を閉じてみるが、一向に眠気はやって来ない。
明日の朝、ロイズさんやテレサさんに再会したら、まず何と話しかけよう。
そして何と言って別れれば良いのか、全く思いつかない。
戻って来ないアタシとフジサキをきっと、今この瞬間も心配しているはずだ。
2人にだけ挨拶をして、自分勝手な理由で去るアタシを2人は怒るだろうか? 失望するのだろうか?
考えれば考えるほど、眠れなくなっていく。
ただ目を瞑って「このまま朝なんて来なければ良いのに」と、刻々と迫る夜明けを呪った。




