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宇宙人と、失恋

作者: 伊那

本作品は、近未来SF要素は僅かな、「すこしふしぎ」的なものです。

 JR中央線中野駅の北口を出ると、やけに白いくもり空が広がる。

 夕方の帰宅ラッシュで、電車内も駅周辺も多くの人でごった返す。あたしは長い息を吐いた。

 仕事帰りのサラリーマンや塾に行くらしい中学生。ゆっくり歩く年配の女性や、大学生の集団。その辺にいそうなブレザーの男子高生と、ピンクのマフラーをした女子高生。

 あたしは足を止める。

「あれー? 雨夜(あまや)ちゃんやーん」

 聞き覚えのある声がしたけど、振り返る気になれない。

「いま帰りー? こない人混みやのに出会うなんて……これって運命?」

 黙りこむあたしに構わず彼は目の前にやって来る。キザったらしいセリフと共に。

「ただの偶然でしょうね」

 あたしの低いテンションを気にした様子もなく、その青年は笑った。

「ぜったい運命やって」

 顔はわりとよくて、キリッとしてればちょっとモデルか何かっぽい。でも人懐っこく笑うし、何故か関西弁を話すし、その辺の大学生か何かにしか見えない。

 十六歳になっても彼氏がいた事のない普通顔の女子がナンパをされるなんて、どのくらいの確率であり得るんだろう。

 ましてそのナンパしてきた男が宇宙人なんていう確率は、どれだけのものなんだろうか。


 黒いジャケットにジーンズというラフな格好の二十代男子。

「好きやってゆうとるのに、何で信じてもらえへんのかなー」

 勝手に人の隣を歩く男は地球で生まれ育ったわけではない。

 あたしが生まれる少し前ぐらいに、地球は異星人の訪問を受けた。

 それからは、なんだかいろいろあったらしい。

 地球上のあらゆる政府が会議しまくって自国の利益がどうのとか来訪者を危険視したデモとか、ホントとにかく、いろいろ。

 昔社会科の授業で習ったけど、とりあえず異星人たちは地球を侵略したりしないって宣言した。それから地球に彼らの文明や技術を与えるつもりはないと言い切って、留学生を送るだけにしたらしい。留学生は人数制限があるから少ししか地球に来てないけど、今やそんなに珍しくもない存在だ。

 その留学生の一人がこの、宇宙人のくせに何故か関西弁のナンパ男。

 先月くらいにちょっと道案内をしたら惚れたとかなんとか恥ずかしい事言ってきた、宇宙人。

 ちなみに《宇宙人》じゃなくて《スター・トラベラー》あるいは略称の《ST》って呼ぶ。

 言動がなんだかチャラいから、彼の言う事は半分くらい聞き流している。

「ふーーーん」

「めっちゃ生返事!」

 あたしはバス停のところに目をやる。さっきバスが去ったばかりなので疲れた顔のおじいさんが一人たたずんでいるだけだ。

 そろそろバスに乗ろう。

「あたしバスだから」ナンパ男にそう言うと、「今度お茶しよなー」と手を振ってくる。

 しつこくついてはこないし、たぶん知らない土地(惑星?)で知り合いが出来てうれしいだけかもしれないから、悪いやつではないんだろう。でもやっぱりうさんくさい。

 バスに乗りこんで窓を見ると、空は暮れはじめていた。




 電車からホームに降りるだけで寒さに震える季節になった。そのうちマフラーとカーディガンだけじゃ足りなくなるだろう。

 今日も中央線は混雑している。

 あたしは北口を出てコンビニを目指す。小腹がすいていたので、コンビニで肉まんでも買おうと思ったのだ。

 コンビニの自動ドアが開くのを待っていると、視界の端になにか動くものがある。つい顔を向けると、昨日見たばっかりの人物が。

 肉まんはまた今度にしよう。入り口で引き返したあたしの背に「あからさまなスルー?!」と慌てた声が追いかけてくる。

 来た道を戻る途中で、あるものを目にしてあたしは踵を返す。

 ところが勢い余って人にぶつかってしまう。

「いまオレの事見て帰ろうとしたん? さすがに傷つくわー」

 黒いジャケットの持ち主が誰か分かって、ごめんなさいと言いかけたのをやめた。

「いやなんかめんどくさそうだなって思いましてね」

「めんどくさそうって何が?! オレが?」

 ちょっと大げさな感じで悲しげに言う青年は、ほんとに表情が豊かだ。他所の銀河から来たとはとても思えないくらいに。彼ら《スター・トラベラー》は本来人類みたいな見た目をしてはいないらしい。なにやら彼らの特殊な技術で果たせた擬態だとかなんとか。

 やっぱ、ナンパされてなくてもSTの相手するのはちょっとめんどくさそうだ。

「てゆうか、ええの? 帰り道あそこやろ」

 バス停から遠ざかるあたしに、顔だけはいい男が何か言ってくる。バス停を指さしてるらしいがそんな事は知らない。あたしはスタスタ歩く。

「ねえて、雨夜ちゃーーん」

 当然のようについてくる男はなれなれしい。てゆうか下の名前で呼ぶな下の名前で。

「昨日も、なーんかバス停ばっか気にしてへんかった?」

「してない」

 あたしは顔を引きつらせる。こいつ、意外と見てる。

「今日は歩いて帰りますので。ではサヨウナラ」

 わざわざ手を(雑に)振ってあげたのに、

「もう暗いやん。送るで」

 宇宙人はそんな事を言う。たしかに冬の夕暮れは早く、もうあたりは薄暗くなっている。

「でもまだ五時だよ」

「女の子一人で危ないやんか」

 宇宙人のくせに紳士的……なのか?

 仕方がなしに、歩きながら考える。どこまで本気なのかは分からないが、いい加減この男には真実を告げなければならない。

 ナンパ的な出会い方とか正直ムリって思ってるし、チャラ男も勘弁だ。あと年上も身構えてしまう。

 というか、この《スター・トラベラー》は見た目と同じだけ年をとっているのだろうか。地球上と宇宙空間だと時間がたつのが違うとかなんとか聞いたような……。そもそも人類じゃないから年のとり方も違うんじゃ……?

「ほんでなー、……聞いとる雨夜ちゃん」

「聞いてない」

「うおっひどい」

 この男、いちいちリアクションが大げさだ。あたしは思わず立ち止まる。

「この際言わせていただきますけど、あたしはですねえ……」

 勢いづいてあたしは口を開くが、言葉はすぐに出てこない。

「好きな人がいるんです。だからあなたの気持ちには答えられないっていうか」

 意外にも、相手は驚いたようだ。目を少し見開いて、確認するようにあたしをじっと見てくる。

「ほんま?」

 イケメンに見つめられたから、ではなく、あたしは視線をそらした。

「そう、好きな人。中学と高校が一緒で、同じクラスの男子。目立つタイプじゃないけどそこそこマジメで、なにげに優しいっていうか」

 その優しさにすごく救われた。

 正直、中学の時はその辺のクラスメイトと同じ扱いだった。それが、高校に入ってまだ知り合いがいないからなんとなく顔見知りに声かけたりしてるうちに、いつの間にか。

「……ウソ」

 気づくと、口が勝手に否定していた。

 いつの間にか好きになっていたのに、いつの間にか、ふられていた。

「好きな人がいました、です」

 嘘は苦手だ。

「フラレたんだ。いつの間にかカノジョ出来てて。二人で一緒に帰ってんの」

 どこにでもいそうなブレザーの男子高生が、ピンクのマフラーの女子高生と一緒にいるのをほぼ毎日見せられるようになった。似たような組み合わせはよくいると思っても、ちょっと見えた横顔はあの子のもので、あたしはいつも足を止めるしかない。

「……ああ、それでバス停?」

 顔をあげると、ナンパ男はちょっと困ったように笑っている。

 あたしは音を立てて息を吐く。こいつほんと目ざとい。「ため息も多かったし」とか付け加えてくる。

 開き直ってもう一度ため息をつく。

「付き合いたいとかってより、なんか一緒にいると楽しくて。だから今のままでもいいやって思ってるうちに他の人と……。だから、なんか……」

 あたしは、勝手に裏切られた気分になった。

 バカみたいだ。

 中学から知ってるし、なんていう意味のない優越感にひたったりして。

 あたしはただの、中学から一緒なだけの友達だった。そして今も、ただの友達。

「告白とかせえへんの?」

「は? しないよ。もうカノジョいるじゃん。気まずくなるだけでしょ」

 こいつ人の話聞いてなかったのか。宇宙人には恋愛のなんたるかが分からないのか。

「でも、もう避けとるやんかー。既にガッツリ気まずくなっとるでー」

 ナンパ男はわざとらしく苦い顔をしてみせる。

 正論が来た。あたしはうなるしかない。

「そ、それとこれとは話が別っていうか」

「えー? 気持ちの踏ん切りついてないんなら、ひとつの手やと思うで」

 こいつ、鈍いんだか鋭いんだか分からん。

「何も言わんと避けててずっと気まずいだけなんと、告白して気まずいんとなら、いっそ言ったりと思うねんけどな」

 何か言い返そうと口を開いたのに、なんにも言い訳が思いつかない。代わりにあたしは拳を握った。

「あと早く過去の恋忘れて、次行ってほしいのもあるねんけどな」次の恋は自分と、などと言いたげな顔の宇宙人にちょっとイラっとした。

「そんな簡単にいくかアホぅ!」

 こいつをちょっと殴りたい。さすがにそんな事はできなくて、あたしはダッシュで帰った。




 悲しいけど、宇宙人の言う事は正しい。ほんとに正しい。

 あんな風に言われてからの登校は、気が進まない。

 朝の日差しがまぶしくて、目を細める。

 日常会話なら出来る。挨拶はするし、「一時間目から体育とかマジ勘弁」とか軽口も叩くし、グループ課題で同じ組みになったりも出来る。

 でも、“あの子”と一緒にいるところにわざわざ行く気にはなれない。休み時間も、お昼休みも、放課後も。

 まあ、言ってしまえばわりと必要最低限のやりとりしかなくなったワケだ。

 もしかしたらあっちも、あたしがよそよそしくなったって気づいたかもしれない。別に、あたしの事なんて目に入らないくらいカノジョといちゃいちゃするのに忙しいかもしれないけど。

 忘れた方がいいのかもしれない。

 ふつうの友達に戻れなくても、あたしが今よりもっと距離を置いて、関わらなければ――忘れられるのかもしれない。

 あたしは、ため息をついているのに気づいて口を閉じる。

『ため息も多かったし』

 ある人の言葉がよみがえる。

 もう、どうしたらいいか分からない。

 突然肩を叩かれてあたしはびくりと身をすくませる。振り向くと、少し目を見開いた男子高生がいる。

「ごめん。そんなビビられるとは思わなくて」

 顔を見るのもつらいほど、じゃない。でも直視するのは難しい。

「あ、うん……ぼーっとしてたから」

 見た目はほんとに普通。奥二重で、髪の毛も染めてなくて、背も高くもなく低くもない。言っちゃあなんだけど、普通の男子。でもその分親しみやすい雰囲気。今日は、ブレザーの上に紺色のコートを着ている。

 校門を目指して歩く生徒たちにまぎれて、あたしたちは並んで歩く。彼はちらとあたしを一回見て、前に向き直る。

「なんか最近、調子悪そうだね」

「……そう?」

 やっぱり、最近のあたしの様子がどこかおかしいって、はた目からも分かってしまうのか。

 それも、本人に。

 キリ、と胸の奥にさしこむような痛み。

 落ち着いて。

 ここは、否定するよりも適当に言いつくろった方がいい。

「まあ、ちょっとね。ほらあたし、こないだのテストの点まじでヤバくて……親に散々怒られてさあ」

「あーうちの親も。高校になってからうるさくなったよー」

 分かるー、と笑うと相手ものってくれた。

 大丈夫。

 ほら、大丈夫じゃん。

 ふつうに話せる。ふつうに楽しいし、ふつうの友達。

 笑顔もきっと、作れてる。

「はよーコウキ」

 下駄箱に着いた時にはあたしの知らない友達に話しかけられていた。靴の履き替えもあってなんとなく離れるのはよくある事。男子が二人でくだらない話をしてるのが聞こえる。

「ごめん、先行く」

 その声だけが大きく聞こえたのはなんでだろう。彼は友達を置いてどこかへと駆けて行った。一人の女子生徒の背を追っているのだ。

 かわいい、女の子らしい女子だ。やや小柄で、ロングの髪はよく手入れされていて、少しだけ明るい色に染まっている。鞄にはうさぎのぬいぐるみ。

 話した事はないけど、友達の友達だったから顔は知ってた。

 美人てほどじゃないけど、かわいくて、優しそうな子。

 キリキリとさしこむ痛み。

 こんなの、いつまで続くんだろう。


 実際、最近授業についていけない時がある。いつもと違う時間に帰れば“彼ら”に遭遇しないだろうという狙いもあって、あたしは放課後、勉強する事にした。珍しいと小馬鹿にする永遠(とわ)を追い払い、図書館備え付けのNALSOS(ナルソス)を起動させる。

 ログインしたNALSOSで参考書アプリを開いても、勉強なんてはかどらなかった。

 電子ノート上でペンを消しゴムに変えたり戻したり変えたり……ムダな事を繰り返した。

 帰り道、あたしはスマートフォンで友人とくだらないやり取りをしながら歩いた。

 西の空はオレンジになっていて、空気は冷えてくる。ふいに顔を上げた時に見えたものに、ドキリとした。

 黒髪の男子と、茶色の髪の女子。女子はピンクのマフラーをしていて、男子の肩を親しげに叩いていた。

 立ち止まった途端に、後退を考える。

 踵が動く前に男子の方が振り向く。近くにいた他の生徒に声をかけるその姿は――“彼”じゃなかった。

 見た事もない男子で、顔は似ても似つかない。女子も、“あの子”と髪の長さだってちょっと違うし、鞄だってストラップだって違う。

 恥ずかしくなった。

 あたし、すごく過敏になってる。

 日本中の高校生カップルがみんな、あの二人に見えてしまうくらいに――。

 その日、あたしは決心した。




 友達の永遠とか、高校は違うけど近所のみゆに話したっていい。

 恋バナするなら、女子同士。

 普段のあたしならそう思っただろうし、そうすべきなんだろうけど、元々そこまで恋バナ好きってワケでもない。永遠なんかまたからかってくるだろう。

 それに、これはもう終わってしまった話だ。これから終わらせるだけの、はなし。口にしても、むなしいだけ。

 決めた日から、何日もたたずにやつに会えた。

 中野駅は小さな駅ではないのに、いそうな気がした。

「あっ、雨夜ちゃーん! また会えたー」

 この前あたしにアホとか言われたくせに、彼はうれしそうな顔でやってくる。

 今日も黒いラフなジャケットと、ベージュのパンツ。どこかの大学に通う若い男性のような、星の旅人。

「やっぱ、オレたち出会う運命やったんな!」

「違うと思いますけど」

 今回に限っては、あたしはちょっと彼を待っていた。だから、運命なんかではない。

 何故だか、彼には言わなくてはならないような気がしたのだ。

「あの、さ」

 それなのに言葉が喉に引っかかる。

「この前の話、なんだけど」

 だって、これからフラレに行くなんて、言いたくない。

 でも、誰にも――本人にも――知られずに終わった恋の話を、知っているのはこの人だけ。他の誰にも言えなかった。言いたくなかった。ただ待っていただけの自分が恥ずかしくて。

「なんやったっけ?」

 はぐらかしてるのか、忘れてるのか。宇宙人は眉を持ちあげる。

「……なんかさ、STの科学技術ってスゴいんだっけ。自分たちの見た目も変えられるんなら、人の心も変えられちゃったり?」

 言いたいのはそれじゃなかったけど、本題に入らなくて済むなら、どんな話をしてもよかった。

 それなのに、相手は妙に静まり返るから、あたしは様子をうかがってしまう。

 ナンパなはずの男は、やけに真剣な顔をしている。

「雨夜ちゃん。人の気持ちいうんは、ムリに変えてええもんと、ちゃうよ?」

 まるで、あたしの考えなんて全部お見通しみたいな眼差しは、達観している。経験があるみたいに、あるいは出来るけれど禁じられているみたいに、真に迫って聞こえる――たしなめ。異星人だからなのか、彼だからなのかは分からない。

「そうかな……」

 でも本当のあたしの気持ちまでは分からないだろう。

 変えてほしい心は、“彼”じゃなくてあたしの心。

 振り向いてほしいなんて、あんな子よりもあたしを選んでなんて、言わない。言いたいし、ほんとはそうしたいけど――。

「あたしの、“この気持ち”が……なくなったらよかったのにな、って思っただけだよ」

 こんなものは、要らなかったのに。

 名前も呼べない想いなのに。

 捨てられないから。

「出来ないのは分かってる。だから、言ってくる。少しでも……楽になれるなら」

 スター・トラベラーは息をのむ。

「雨夜ちゃん……」

「何も言わないで。応援して。なんかもう、単純でいいから」

 ホントに簡単でいいから、がんばれとか言ってほしい。自分で決めた事なのに、誰かの後押しを望むなんて、ふしぎだ。一人じゃないって思いたかった。

「分かった。純粋に、応援するわ」

 青年は小さく微笑む。

「大丈夫。その時、ちゃんと言えるで」

 それだけだったのに――声もふるえないで、真正面を見て、言葉に出来る。そう励まされた気がした。







 JR中央線中野駅の北口は今日も混んでいる。

 空は青く晴れ、しかし夕暮れの色にゆっくり移り変わっていた。たくさんの道行く人で駅周辺は賑わっている。こんなに大勢の人がいる中で、悩みがないなんて人はいるのだろうか。あたしは訳もなく思った。

「雨夜ちゃん? こんなところで会うなんて、運命?」

 悩みのなさそうなやつの声がする。バックパックをしょった顔のいい宇宙人だ。

「ただ最寄り駅が同じだけですよね」

 相変わらずの様子に、あたしはため息をつきたくなる。でも今すべき事じゃない。

 スター・トラベラーはなにか世間話をしていたが、あたしは付き合う気になれなくて、さっさと本日の議題に入る事にした。

 わざわざ咳の音を口で言う。

「えー、それでは結果発表に入ります」

 コンテストの審査員みたいな口調でいえば、少しは気分がほぐれるかと思ったのに、そんな事はなかった。あっちも茶化してこないし。

 ため息をつくんじゃなくて、息を吸うための予備動作をする。

「もちろん、ダメでした。カノジョに告ったのは、あいつの方だったんだって」

 少しのあいだ、青年は沈黙していた。何か言えと頼もうとしたら、彼は見えない額の汗をぬぐって「ふうー」なんて嘆息した。

「安心したー。雨夜ちゃんの想い人、二股オッケーなやつで浮気大歓迎やったらどうしようかと」

「そんなやつこっちから願い下げだよ」

 的外れな事言って、と思ったけど深刻な問題にされるよりはよかった。

 あたしが歩き始めると、相手はやっぱりついてきた。

「でもなんや、スッキリしてない?」

「うん。自分でも思ってたよりなんか、マシになった」

 スッキリというほどではない。当日は家でちょっと泣いてしまったし、元の友達には戻れなかった。あれから挨拶ならするけど、お互いまだぎこちない。

 全然引きずってるけど、前みたいに壁にぶちあたったみたいな、閉塞感はない。

 告白したあの場所に少しだけ気持ちを置いてこれたみたいに、胸の重みもわずかに減った。

 ぜんぶ置いてこれたらよかったのに。人間ってやつは面倒だ。

「こう見えてあたし、ちょっと人見知りするんだよね」

 今更だけど、あたしはなんでこんな話を他所の惑星の人としているんだろう。

 親や友達みたいに、近すぎると話せない。彼はトラベラーだから、見知らぬ人だから無責任に思いをぶつけてしまえるのかも。

 それだけじゃない気もするけど。

「高校入ってから、中学の知り合い全然いなくて。中学までは顔見知り多かったからさ、友達作らなきゃとか、初めてで」

 自分がすごく恥ずかしがり屋ってワケじゃないけど、いきなり誰とでも仲良くなれるタイプではないのは知っていた。

 高校生活なんて、中学の延長線だと思ってた。それなのに知ってる顔が減っただけで戸惑うなんて、思いもしなかった。そんな自分のダサさにも落ち込んだ。

「そしたらね、好きだった人が初めて声かけてくれたんだ。人見知りして、高校生活にビビってたあたしに」

 ひとつの事がきっかけで、安心して、ここにいてもいいんだって思えた。中学の時に同じ学校だったよね、って言ってくれて、あたしは正直すぐに思い出せなかったけど、内容なんてどうでもよかった。

 あっちも初めての環境に慣れないだろうに、声をかけてくれたその気持ちがうれしかった。

「お互い友達出来てきても、あっちは態度変わらなくて。当たり前かもしれないけど、優しくて。そういうところが、好きだったんだよね」

 その優しさに、すごく救われた。

「おんなじやんな」

 青年の声に我に返る。そうか、今は入学直後の春じゃなかった。

「オレの運命の出会いと」

 なんの事を言っているのか、分かるような気がしたがちょっとピンとこなくて眉を寄せる。

「雨夜ちゃん、初めての都会に戸惑うオレに、優しくしてくれたやろ?」

 このスター・トラベラーと出会ったのは、なんて事のない出来事だった。

 中野駅で、改札に阻まれて立ち往生しているのを見つけただけ。あたしは最初、ICカードのお金がなくなったのに気づいてないだけかと思っていた。外国人観光客でそうなってる人をよく見かける。駅員さんは他のお客に対応してて、すぐには行けなさそうだった。

 その男性は慌てるというよりもなんにも分かってないみたいで、でも途方に暮れて見えた。

「あれ、めっちゃうれしかったんやで」

 そう言うイケメンの表情はやけに輝いている。まるで自分の事のように誇らしげだ。あたしは反射的に顔をしかめる。

「そんなの、別に誰でもしたと思うけど……」

 あの時あたしがチャージが足りてないんじゃないですか、と言ったら彼は目をしばたかせていた。しかも、手にはICカードらしきものは何もなかった。

 どこの地方出身者よと思ったら、大気圏外の出身者だった。地球の乗り物に乗るの初めてで、とか言われて。

 結局あたしは電車の乗り方や乗り換えの仕方まで教えてやって、ホームまで付き合った。前にも、年配の女性に道案内した事があったから、それと同じ気分だったのだ。

「でも、誰も来おへんかったよ? この町はめっちゃ人おるのに、だーれも助けてくれへんかった。駅員さん以外で気づいてくれたん、雨夜ちゃんだけやったで」

 そして別れ際に、やたらと感謝されて――やつは『惚れました』とか言いだす始末。

 開けてみればナンパ野郎だったのは驚きだけど、まあ彼の言う事に嘘はないのだろう。

 優しくされた、ただそれだけ。

 単純にあたしと一緒なのかもしれない。

 宇宙人も地球人も、そんなに変わらないのかもしれない。

 誰かを好きになるきっかけは、そんな簡単なものだったりする、なんて。

 大気圏外の存在は、もっと複雑な生き物だと想像してたんだけど。

「……じゃあ駅員さんに運命感じてもよかったんじゃない」

 適当にあしらうと、やっぱり相手は分かりやすく顔をゆがめる。

「ちょお待って、駅員さんは仕事やんかー。義務感じゃ恋に落ちひーん」

「ふーーーん」

「また生返事ー」

 相手の拗ねたような声にも慣れてきた。

 マフラーをひるがえし、あたしは一歩、大またで進む。相手に顔を見られないように。

「その、ありが……とね。いろいろ」

 この宇宙人に言われなければ、あたしは来年の冬になってもグズグズ失恋を認められなかったかも。

 当たって砕けてこい、なんてうるせえと思ったけど、でもやっぱり。

 彼の一言があってよかったのだ。

 追いこしたくせに、気になってあたしは肩ごしに少し振り返る。

「いろいろ」

 宇宙人にそんなあたしの思いは分からないのか、いろいろの部分に思い当たる事がないような声をあげる。

「ごほーびは、チューでもええで」

 しばらく考えこんでいたと思ったら、へらりと笑うナンパ男。

 あたしの目つきが一気に冷えたのは分かっただろう。早足で家路を急ぐ事にした。

「あっ無視はひどない? せめて! ツッコミを!」

 背中に追ってくる声はちょっと間が抜けてて、うっかり待ってやりそうになった。

 それにしても。

 宇宙人に失恋の手伝いをしてもらう女子高生なんて、どのくらいの確率であり得るんだろう。

 ましてその宇宙人と恋人になるなんていう確率は、どれだけのものなんだろうか。

 まあ、二番目の方はあり得ないけどね。

 あたしは小さく笑った。

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