私と貴女の、ひとつの答え
次の日。いつも通りの目覚ましの音で、すっきりした気分で目を覚ました。
朝ご飯を作って食べて、歯を磨いて、髪のセットと化粧。桃野のことを考えながら、いつも通りの朝を過ごす。
家を出る時に、お姉ちゃんがのそのそと起き出してきた。
「ふわあ……あれ、もう家出んのか」
「おはよう、お姉ちゃん。午前に講義ないからって、二度寝とかしちゃ駄目だよ」
今年大学生になったお姉ちゃんは、朝がそんなに強くない。もしもの時に私が起こせるように、お姉ちゃんの時間割は私が全て把握している。
「わーってるよ。つか、私の心配とかしてる余裕あんのか?」
「うん、もう大丈夫だから」
力強い笑顔で、お姉ちゃんを見つめる。お姉ちゃんは満足したのか、口元を歪めてニヒルに笑った。
「そうか。頑張れよ」
「うん。行ってきまーす」
「おう、行ってこい」
そんな自慢のお姉ちゃんに見送られて、家を出る。やる気に満ち溢れた今日の私は、できないことは何もないような気分になっていた。
……この時までは。
手が震える。足も震える。自然な呼吸の仕方は、ついさっき忘れてしまった。
学校に近づくにつれ膨れ上がってくる緊張は、学校に着いた時にはピークに達していた。
足を震わせ下駄箱にしがみつく私は、傍から見たら完全に不審者だ。実際にさっきから、怪訝そうな視線を何度も感じている。
決意は固まった。覚悟もしてきた。しかしいざ謝るとなると、緊張は避けられないものだ。
それでも何とか震える手で靴を履き替え、私と桃野の教室に向かう。
桃野はいつもは私より早く家を出て、私を迎えに来る。今日は当然といえば当然で家の前にはいなかったけど、それならもう教室にいるかもしれない。
正直なところ、とにかく怖い。心臓がさっきから五月蝿い。でも、やるんだ。やるって、決めたんだ。
なら、もう迷わない。私は、教室の中へと踏み出した。
そして――
私の前の席で、私の方を向いて驚いてる桃野が、目に入った。
「桃野!」
桃野を見つけた瞬間、私は無我夢中で叫んでいた。
「え……」
怯えている様子の桃野。私との昨日のやり取りを考えれば、当然のことだ。
でも――だからこそ、伝えなきゃいけないんだ。とっても大事で大切な、この一言を。
「ごめんなさい!」
頭を下げて、気持ちをこめて謝った。顔を上げるのが怖いけど、大丈夫だと自分に言い聞かせる。私の気持ちは、伝わるはず。
それにまだ、伝えなきゃいけないことはある。いつまでも下は向いてられない。自分を鼓舞しながら顔を上げて、桃野の方を見ると――桃野は、泣いていた。
「……え?」
失敗、したのだろうか。伝わらなかったのかもしれないし、伝わった上で、許してもらえなかったのかもしれない。どちらだとしても、私は受け入れてもらえなかったということになる。
私が顔を強張らせながら佇んでいると、桃野が泣きながら言った。
「わ、分かってる……昨日ので分かってる、から……ごめんね、ちょっと待って……すぐ、泣き止むから……」
……昨日ので分かってる? 私が手酷く桃野を振ってしまったことで、何かが分かっているというなら、それは私の伝えたいことじゃなくて――
と、そこで周りの人の会話が私の耳に入ってきた。
「……何あれ?」「ごめんなさい、って……」「フラれちゃったの?」「桃野かわいそう……」
フラれちゃった?私は、ごめんなさいって謝っただけ……ごめんなさい?
……この時、私は全てを理解した。
「ち、違う、違うから! そうじゃなくて!」
「え……?」
「告白の返事は、まだ待って! 今のはただ、昨日のことを謝りたかっただけ!」
「そ、そうなの?」
「そう! 昨日は、あんなひどいことしちゃって……本当にごめんなさい!」
もう一度頭を下げる。今度はさっきみたいな勘違いもなく、ちゃんと伝わっているはずだ。
「うん……いいよ。私もごめんね。急に、あんな」
桃野はあっさりと許してくれた。お姉ちゃんの話を聞いてから、正直こうなる気はしてたけど、だからといって桃野の善意の上に胡坐をかくわけにはいかない。
「ううん、私が悪いんだ。桃野は勇気を振り絞ってくれたのに、私だけ逃げちゃって」
「でも」
「それと! 告白の、ことなんだけど」
「あ、うん……」
放っておくと桃野がいつまでも謝りそうだったので、強引に話題を移し変える。告白、という言葉を聞いて、桃野が緊張するのが私にも分かった。
「……桃野のことは、好き。少なくとも、嫌いなんかじゃない」
「……うん」
大人しく頷く桃野。私の話を、真剣に聞いてくれている。
「あの時拒絶しちゃったのは、ただ……怖かった、だけなんだ。そういうの、よく分からなかったから」
「うん」
伝えたいことを、一つずつ言葉にしていく。伝えたい相手に、一つずつ伝えていく。
「それで、あの後色々考えてみたんだけど……結局、よく分からないままだった」
「………」
包み隠しても、嘘を言っても仕方がない。全部本当のこと、私の本音だけを桃野に伝える。
「だから、とりあえず保留ってことじゃ……駄目、かな?」
口に出してみると、情けないような気がする。でも、これが私の出した答えなんだ。ずっとずっと悩んで決めた、桃野の告白への私なりの答え。
わずかな沈黙の後、何か考え込むような顔をしていた桃野が口を開いた。
「……保留ってことは、まだ可能性はあるってことなんだよね?」
「うん。これから、ちゃんと考えていこうと思ってる」
いつまでかかるかは分からないけれど、それでもいつかはちゃんとした答えを出す。もう一つ私が決めた、とても大切なこと。
「なら、つまりさ……純玲が私を好きになれば、受け入れてくれるんだよね?」
「う、うん……そういうことになるけど……」
そう問いかける桃野の様子は、今までとは少し違って見えた。落ち込んでいたはずなのに、いつもの明るい桃野の雰囲気に……いやむしろ、何か面白い悪戯を思いついた子供のような……。
と、次の瞬間――
「……ねえ、純玲」
「何、桃んっ――!?」
私は、桃野にキスをされた。
「……ぷはぁ」
「なっ……な、な、な……」
……一瞬、何が起きたか分からなかった。分かったときには、言葉を発することができなくなった。
自分で自分の顔は見えないけど、多分……いや絶対、真っ赤になっているんだと思う。
唇を離した桃野の顔は、私が知っているいつも通りの、元気で活発な桃野のそれだった。
「なら、話は簡単じゃん。純玲を、私に夢中にさせちゃえばいいんだ!」
「そ、それは……」
「そうすれば、私の告白を受け入れてくれるんだよね?」
「え、えっと……」
目まぐるしい状況の変化に戸惑っていると、周りから大きな声が上がった。
「いいぞー!」「よくやった桃野ー!」「白爪顔真っ赤ー!」「頑張れ桃野ー!」
見渡すと、私のクラスには他のクラスの人まで押し寄せて、すごい大所帯になっている。
……緊張しすぎて忘れてた。告白がどうとか言ってたけど、ここはクラスの中で、周りには他の生徒がちゃんといたんだ。ということは今までの私と桃野のやり取りは、全て衆人環視の中で行われていたということになる。
「……ふふっ」
桃野の笑い声が聞こえて前を見ると、桃野は悪戯っぽい笑みで笑っていた。顔の熱が上がっていくのが止まらない私に向かって、決意を秘めた目で話しかけてくる。
「みんなに見られちゃったね。どうする純玲?」
「ど、どうするって……」
「バレちゃったし、もういいよね。みんなの前で堂々とアピールしても」
「そんな……!」
アピールって、またあのキスみたいな? あんなのを、日常的にされるってこと?
これから、大変になるかもしれない……いや、なるのだろう。私の日常は、大きく性質を異にするものになってしまうに違いない。なんせ、私の日常を変えた相手はあの桃野なんだ。でも――
「覚悟しなよ、純玲! 絶対に、私が好きって言わせてみせるんだからね!」
桃野の楽しそうな笑顔を見ていると……こういうのもいいかな、って思えてくる。
これから、どんな日常が待っているのか分からないけれど。非日常の連続で、日常が引っ込んでしまうような毎日になっていくのかもしれないけれど。それでも桃野と一緒なら、いや……桔梗と、一緒なら。
「……はいはい。楽しみにしてるよ。桔梗」
「あ、今名前で呼んでくれた!」
「う、うるさい!」
「照れてる純玲可愛い!ちゅー!」
「んむっ……!?」
どんな道だって、進んでいける気がするんだ。
これにて完結となります。
拙作を読んでくれた方、ありがとうございました。