第7章 任務、生徒会長を籠絡せよ!
俺はシュウには絶対に逆らえない。昔からそうだった。
たとえば夏休みの宿題を代わりにやれとか、ドッジボールでシュウが被弾した際、ルール無視で俺が外野に行けとか。
反論? もちろんしたさ。でも反撃はしなかった。最近では少なくなったが、あいつの二言目には必ず拳が飛んできたからな。当時の圧倒的な体格差もあり、シュウとの喧嘩は一度も勝ったことがなかった。その弱さは、まだ少女だったシュウにお互いの性別が逆だったらいいのにな、とか言わせたほど。
……あぁ、嫌なことを思い出してしまった。嫌すぎて語るのもおぞましい。
何を思ったのか、ハサミを持ったシュウが俺の局部を切り落として自分に付け替えようとした話なんて、誰も聞きたくはないだろ? そういう時代もあったってことだけ、分かってくれればいい。
というわけで、高校生にもなって未だ従僕の立場が解消されていない俺は、今日も今日とて無理難題を言い渡されてしまった。
任務内容は生徒会長を籠絡すること。
正直、あまりにもハードルが高すぎるため、このままぶっちしてやろうかとも考えている。六花廷まであまり時間がないのだし、「ごめん、失敗しちゃった。てへ☆」で済まそうかと。ま、その言い訳が通用する相手ではないんだけどね。
そんな低空飛行な志でいいのか? いいんです。どうせ罰を受けるのは俺なんだし。
「…………」
しかし運命とは残酷なものだ。得たい時には得られないのに、無欲な時には向こうから転がり込んでくる。逆もまた然り。面倒事が起こらなければいいと思っている時こそ、余計な仕事が増えるものである。
端的に言えば、生徒会長を発見してしまった。しかも、とても意外な場所で。
「……さて、どうしよう」
思わず声に出てしまった。だが構わない。どうせ誰も聞いていないし。
火曜日の昼休み、俺は一人で食堂を訪れていた。母親が丹精込めて作ってくれた弁当を携えて、である。なぜなら、あまり教室にはいたくなかったからだ。
だってあのクラスメイト、六花繚乱倶楽部への侵入は簡単だったかとか、千石の裸はどうだったかとか、執拗に質問攻めしてくるんだもん。しかも千石本人もいる教室内で!
あまりに鬱陶しかったし、無暗に情報を漏らすのもよくないため、せめて六花廷が終わるまではクラスメイトとの交流は避けよう。そう思い、こうやって一人で食堂へと足を運んだわけだが……そこに生徒会長がいたのだ。
しかも彼女がいることは一目で分かった。
「……?」
そう、一発で発見できたのだ。俺の眼光が会長の美貌を自動索敵したのも当然だが、それ以上に、彼女の周囲には誰もいなかったから。
軽く食堂内を見回してみる。混み合っているわけでもないが、決して空いているというわけでもない。食券売り場は短い列ができているし、そこらかしこから少数グループを作った生徒の話し声が聞こえてくる。乗車率で言えば、五十パーセントといったところ。一人一人が席を一つずつ空けて座れば、ちょうど埋まってしまいそうな程度。
なのに一人で座る生徒会長の周りの席は、グループを作っている生徒どころか、俺のようにぼっちの生徒ですらも使用してはいなかった。
まるで皆が皆、その場所を避けているかのように。
「絶好のチャンス……なんだろうけどなぁ」
どのみち、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。離れた場所に座るか、もしくは引き返すという選択肢もあるが……ええい俺も男だ。幼馴染に課せられた任務くらい、しっかりと完遂してやろうじゃないか。
意を決め、俺は大股で一歩を踏み出した。
食堂のほぼ中央に陣取っている生徒会長の元へと、一気に詰め寄る。ただ移動中も彼女のことをじっと観察していたのだが、一度も視線を上げず、黙々と食事をしている姿には少しだけ違和感を覚えた。
長机の対面に立っても気づいてもらえず、結局こちらから声をかけることになった。
「すみません。ここ、いいですか?」
「え?」
驚きに溢れた瞳が、俺を見据える。俺も負けじと会長の目を見つめようとしたが、照れくさくて二秒で断念した。
視線が下へスライドし、机の上の物へと移る。なるほど、カルボナーラに少量のサラダか。なかなか女の子らしい食事だ。特盛のカツ丼を完食した後、腹四分目と抜かしたシュウとは大違いである。
「えっと……正面ですが、いいですか?」
どうやら本気で戸惑っている様子である。長い睫毛を上下させるだけで返答がなかったので、ついついもう一度尋ねてしまった。
「あぁ……えぇ、私は構いませんよ。どうぞお掛けになってください」
「ありがとうございます」
ようやく許可が出た。拒否られたらどうしようかと思った。
「それにしても、生徒会長が食堂で昼食を取っているなんて、ちょっと意外でした」
「あら。生徒会長だから、いつ何時でも生徒会室にいると?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「トイレの神様だって、ずっとトイレにいるわけではありませんよ」
「そこはトイレにいてください」
食事中にトイレの話をする神経はどうなんだろうな。
多少覚悟はしていたが、やはりこの人は会話をする時、ほとんど相手の目から視線を外そうとしない。俺も生粋の日本人であるためか、こういうのはちょっと苦手だなぁ。
「食堂を使うにしても、生徒会長ならもう二つの方に行くと思っていましたので」
「あぁ、そういう意味ですか」
六花総合学園には、主に三つの食堂がある。大きく分ければ洋食と和食と、そしてこの食堂だ。他の二つは小さいながらも、それぞれカフェテリアや座敷があったりするらしいのだが、もちろんどれもお嬢様御用達しの場所である。一般生徒はとても近づきがたい。金銭的にも、雰囲気的にも。
その分、ここは六花総合学園が共学になる際に作られた食堂で、一般生徒のために安さと広さを重視している。だからこそ、どこぞのお嬢様っぽい生徒会長がここにいるのは、少しだけ不思議に思えた。
「それで、私に何かご用なんですか?」
「へ?」
真剣な目つきでこちらを射とめる会長に対し、俺は間抜けな声を上げてしまった。
ご用? 用ならある。俺はこの生徒会長を籠絡せねばならない。それが週末に行われる六花廷の必勝法であり、無二の幼馴染から言い渡された任務なのだ。一度は放り出しかけたものの、こうやって会長と面と向かい合うことができたのだから、何としても目的を果たしたい。
ただ、ものすごく大切なことを失念していた。
会長を籠絡する。……いったい、どうやって?
「えっと……」
視線を宙に彷徨わせてみたが、どこにも答えらしきものは書いてなかった。
俺はいったいどうするつもりだったんだ? いや、そもそもシュウは本当に生徒会長を籠絡できると思ってるのか? まさか、いつもの考え無しだったんじゃ? あれ、それに気づいたらなんだか無性に腹が立ってきたぞ。
「あいつ、いっつも俺ばかりに物を押しつけやがって……」
「え?」
「いや、それがですね、木曜の放課後、俺が訴えられた六花廷があるじゃないですか」
「えぇ、存じております。千石さんからの告訴状も拝見しました」
「それで何故かですね、その六花廷で勝つために、俺が生徒会長を籠絡しなきゃならないんですよ」
「籠絡? 私を? 何故です?」
「判決を下す生徒会長を仲間に引き込めば、どんな訴訟内容でも六花廷を意のままに操れるから、だそうです。理屈は分かりますけど、だからってなんで俺が……」
って。
なんか変だな。今、心の中で嘆いた愚痴に返答があったぞ。
まさかとは思うが……。
恐る恐る、顔を上げてみる。目の前には、無表情の生徒会長がいた。
「それを私に話してはマズいのでは?」
「ですよねー」
しまったああああ! イラついていたもんで、ついつい愚痴で作戦を暴露してしまった! しかも生徒会張本人を目の前にして! これじゃ籠絡できるできない以前の問題じゃないか!
「なるほど、なるほど。やはり貴方は私が見込んだ通り、なかなか面白い人です」
なんか太鼓判を押されてしまった。そんな面白い人間に育った覚えはないんだけどな。
わずかに口元を釣り上げ、笑ったような表情を作った生徒会長は、残り少ないパスタを平らげた。食事をする際、女性が前髪をかき上げる仕草にドキッとしてしまうのは、俺だけではあるまい。
「ちなみに誰かから遣わされたような言い方でしたが、どなたでしょうか?」
「……幼馴染の有川シュウって奴です」
「あぁ、あの背が高くて美人な一年生ですね? 六花廷で何度か貴方に檄を飛ばしている姿を見たことがあります」
美人かぁ?
幾度となく見飽きたシュウの姿を思い出してみる。あいつは野蛮でカッコいい。美人である要素なんて皆無だと思うんだけどなぁ。むしろ美しさで言ったら、生徒会長の方が圧倒的だろう。
「分かりました」
空になったお皿を前にして、会長が姿勢を正す。何が分かったのか。
「もし迷惑でなければ、貴方に籠絡されてあげましょう」
「……はい?」
「ただし、私との勝負に勝てたらですけど」
「勝負?」
疑問の声を上げると、会長は壁掛け時計をチラリと一瞥した。
「お昼の授業まで、あと三十分くらいあります。予鈴が鳴るまでに、私を大笑いさせてくれたら、木曜の六花廷、弁護団の有利になるように進行させてあげましょう」
「大笑いって……」
なんなんだ、この流れ。なんで生徒会長と勝負することになってるんだ?
俺もまた時計を確認してみる。確かに三十分。しかし彼女の顔に視線を戻し、目が合ったところで確信した。この難攻不落な無表情を崩すのは、至難の業だ。とてもじゃないがお笑い芸人でもない俺には、三十分で大笑いさせる自信などこれっぽっちもない。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。昼の授業までの余興だと思って」
「はあ」
余興ね。暇だったんだろうか。
ふと唐突に、生徒会長が朗らかな笑みを見せた。俺を緊張させないためか、自分が先に肩の力を抜いたのだろう。
「実はですね、貴方は私を疑っているのだと思ってました」
「疑う? 疑うって何をですか?」
「野村さんが訴えられた理由です。元をただせば、私が繚乱倶楽部へ向かわせたのが原因だったでしょう?」
「あぁ、そういえば……」
そうだった。そして生徒会長が自分で行かなかった理由は、確か……。
「ただ単に行きたくないっていう、曖昧な理由でしたね」
「そうです。それで都合悪く、シャワー中の千石さんと遭遇してしまった」
「つまり会長は、こうなることを知ってて俺を遣わせた。と言いたいんですか?」
押し黙った生徒会長が、重々しく頷いた。
けど、どうだろうな。さすがに作為的とは思えない。何度も何度も繰り返し考えてみたが、たとえ生徒会長にどんな思惑があれど、俺が千石の裸を目撃してしまった一点においては、まったくの偶然以外にはないと思うんだけどなぁ。
そんな感じで、微塵も疑っていないことを伝えようとすると……。
不意に目が合った。
まっすぐな視線に乗って、彼女の率直な意思が伝わってくる。
生徒会長はたぶん今、この質問をされたいはずだ。
「会長は、どうして六花繚乱倶楽部に行きたくなかったんですか?」
すると彼女は、安堵のような吐息を漏らした。どうやら正解だったようだ。
言葉もなしに誰かの意思を完璧に汲み取るなんて、初めてのことだった。これも会長の言うリーディングなんたらって能力のせいなんだろうか。
「つまらない話です。それでも聴いてもらえますか?」
「えぇ。もちろん」
俺と勝負だなんて言い出したのも、自分の身の上話を聞いてほしかったからかもしれない。話を聞くことで生徒会長を懐柔できるのなら、俺としても願ったり叶ったりである。
「実は私も、一年ほど前までは六花繚乱倶楽部の一員だったんです」
「え、そうだったんですか?」
意外だった。いや、繚乱倶楽部の一員だったことが、ではない。生徒会長も、見るからにどこぞのお嬢様といった風体なのだ。あの凄まじく金のかかった部室で、高校生活を豪遊していても何ら違和感はないだろう。
しかし今の言い方では、現在は繚乱倶楽部に所属していないようにも聞こえる。生徒会に入るために、部活動を辞めなければならなかったのだろうか?
「野村さんは知らないと思いますが、入学当初の私はとても凄かったんですよ」
「とても凄いって……たとえば千石みたいな?」
「いえいえ、もっとです。あの方以上に」
「どんな髪形してたんですか!?」
「いえ、髪形の話ではありません」
くすりと笑った。どうやら大笑いまではほど遠いようだ。
「髪形は今のままでしたけど、そうですね……多い時には五人くらい、下僕の男子生徒を引き連れていました」
「げ、下僕ですか……」
予想以上だった。今日び下僕なんて従えてる奴、見たことねえぞ。
「自分で言うのも恥ずかしいことですが、一年生でありながら六花繚乱倶楽部の皆からは一目置かれ、一般生徒からの憧れの的でした。女王のような振る舞いをしていましたが、高慢な態度も皆が許容してしまうほどの素質が私にはあったのでしょう」
そ、想像できねぇ。女王? 大和撫子じゃなくて?
しかし会長が一年生の時と言えば、ほんの二年前の話だ。たった二年で、人間はこうまで変わるものだろうか。
「あ、下僕の男子生徒がいたとは言いましたが、私はまだ処女ですのでご安心を」
「ぶっ!?」
思わず噎せてしまった。口に含んでいたお茶が、会長にかからなかったのは幸いだ。
「吹き出しましたね? この勝負、私の勝ちです」
「別に笑ったわけではありませんし、俺が笑ったら負けってルールでもありません」
「それもそうですね」
無表情のまま舌を出す生徒会長。何気ない会話の中で自分の処女性を告白するなんて、何を考えているんだこの人は。
「冗談は横に置いときまして、改めてお話しします。二年前のとある時期を境に、私の価値観を大きく変える出来事があったからです」
「価値観を変える出来事?」
頷いた会長が、ゆっくりと目を閉じた。まるでその時を回顧しているかのよう。
「『出来事』というよりも、『物』ですかね。当時の私はありとあらゆるものを見下していました。俗世ではこんな低俗なものが流行っているのかと、常に思い抱いていました。しかし私も自分の知らない物を貶めるようなことはしません。この目で確認してから、馬鹿にしようと。そこで手に取ったのが、一冊のマンガ」
「マンガ?」
「はい」
驚いたことに、生徒会長が選んだタイトルは底辺高校を舞台とした不良漫画だった。テレビドラマ化されたこともあり、確かに人気はあったのだろう。しかし暴力シーンも多いし、とてもじゃないが女の子が積極的に読むような内容ではない。よく一番に手に取ろうと思ったものだ。
「初めは絵を見るのも苦痛でしたが、読んでいくにつれてどっぷりと嵌まってしまいました。生徒を信じて疑わない熱血教師と、徐々に信頼関係を築き上げていく仲間たち。最終巻まで読み上げたころには、私にもこんな教師がついていたら、こんな仲間たちが身近にいたら、なんてことを常に考えるようになっていましたね」
久しぶりに笑みを見せた会長が、そして……と続けた。
同じ雑誌に掲載されていた名作バスケ漫画。スポーツから離れて、異世界で起こる能力バトル。そして今や誰もが知る海賊漫画。さらには他の雑誌にも移り、人気漫画を片っ端から読み漁ったのだという。
良いとこのお嬢様だからお金には困らないのだろうが、巷で流行っている漫画をすべて読み終えたのが、わずか三ヶ月だというのは驚きだった。
「あぁ……もしかして、その頃から中二病を患わせているんですか?」
「私は高校三年生です」
怒られてしまった。しかも眉間にしわを寄せて、不機嫌そうに。
俺の茶化しを咳払いで濁し、生徒会長は続けた。
「マンガを通して、本当の友人とは……いえ、本当の仲間とはなんなのか。とても本気で考えさせられました。そこで私も、今まで下僕にしなかったことを実行してみたのです」
「しなかったこと?」
「目を見ることです」
澄んだ瞳が、俺を捉える。奇妙な能力を所持していない俺でも、生徒会長の中でどんな感情が渦巻いているのかが、なんとなく読み取れた。
「私の『人格を読む者』は、あながち冗談でもないんですよ」
俺の目を見つめたまま、朗らかな笑みを見せた。どこか自嘲気味でもある笑みだ。
「元々、私は家族以外の人とはあまり目を見て話さない人間でした。だからこそ、物足りないと感じたのかもしれません。口で語らう以上に、視線での意思疎通が不足していたんでしょうね。なので私も本当の仲間が欲しくて、まず身近な人間から目を見て話すようにしたのです。でも……」
まっすぐな視線が揺れた。辛い過去を思い出し、自然と瞳が潤んできたのだろう。その目を見るのが居たたまれなくなり、ついつい俺の方から目を逸らしてしまった。
「私が自分の特殊能力を知ったのは、その時です」
特殊能力。つまりリーディングなんたら。効果、相手の目を見るだけで性格が分かる。
少年漫画に影響され、仲間を求めて身近な人間――たぶん六花繚乱倶楽部の部員や下僕どもだろう――の目を見て、彼女は知った。相手の心の内を、そしてそれから連想される自らの評価を。
しかしそれは自らが望んでいたものには、ほど遠かったに違いない。
「身近な人々の真意を知り、私は愕然としました。誰も、私のことなんて見ていなかったのです」
「見ていなかった?」
「正確には、私を飛び越えて、その後ろを見ていたと言うべきでしょう。簡単に言えば家柄です。六花繚乱倶楽部のみんなも、いつも付き添ってくれていた下僕たちも、全員が全員、私の生まれだけが目当てだったり、評価をしていたのです。彼らを仲間だと信じていた分、余計にショックでしたね」
とまで言って、会長は首を横に振った。
「いえ、信じていたのは私の勝手ですし、私を利用価値のある人間と見定めていたのも彼らの勝手です。今さら彼らを疎む気はありません。でも、やはり悲しくもあり……寂しくもありました」
「それを機に、六花繚乱倶楽部を?」
「えぇ、辞めました」
改めて友情を深めていくことはできなかったのだろうか。いや、無理だったのだろう。彼女の受けたショックは、それだけ大きいものだったに違いない。
「それ以来、皆が私を敬遠するようになりましたね。繚乱倶楽部からは裏切り者と揶揄され、一般生徒からは今までの高慢な振る舞いのせいか、なんとなく避けられているような気がします。……いえ、そんなことはどうでもいいですね。以上が、私が六花繚乱倶楽部に行きたくなかった理由です。納得いただけましたか?」
正直、納得できた。
確かに、自分が裏切ったと認識している人たちの元へ行くのは躊躇ってしまうだろう。俺も同じ立場なら、できるだけ避けようと思う。
でも、それとこれとは話が別な気がした。
俺は重々しく頷いた後、抱いた疑問をぶつける。
「一つだけ、釈然としない点があります」
「どうぞ」
「生徒会って、確か七人いましたよね? そのうち二人が男。会長を除いても、あと四人も女子生徒がいたはずです。なのに、なんで俺に頼んだんですか? よりにもよって、女子の部室へのお遣いですよ?」
「誰もいなかったからです。みんな用事があると。その日は特に集まりもなかったので」
「四人とも、ですか?」
「えぇ……そういえば……」
俺の指摘に、どうやら会長も疑念を抱いたようだ。考え込むように、視線を伏せる。
だがしかし、そんな些細なことに時間を浪費しても無意味である。
俺は会長に気づかれないように時計を確認した。残り十分。意外に長々と話し込んでいたようだ。
「ただ繚乱倶楽部の部室に千石さんがいたらな、という期待はありました」
「期待? どういう意味ですか?」
「それは内緒です」
なんじゃそりゃ。調書のサインを貰いに行くんだから、本人がいてほしいと思うのは当たり前だろうに。
それにしても……さて、どうしたものか。
残り数分で、俺は会長を大笑いさせなければならない。なのに、今まで彼女の話を一方的に聞いてただけで、何の閃きや準備もできていない始末である。俺のミジンコ並みにしか残っていない自尊心をすべて捨てない限り、任務達成は難しそうだ。
あぁ……いや、捨てるか。自尊心。今までの会話で、会長の性格もちょっとだけ分かってきたことだし。
「会長。突然ですみませんが……」
「はい」
俺は居住まいを正した。恥ずかしくはあるが、今度は俺の方から彼女の瞳を見つめる。
「会長……いや、小鳥遊百合奈さん」
「はいぃ?」
いきなり本名で呼ばれ、会長は目を白黒させる。逆に俺は、自分の顔が熱を帯びていくのが分かった。
身を乗り出し、勝負を仕掛ける。
「結婚しましょう」
「ぶっ!?」
あー……噎せただけかぁ。頑張ったのになぁ。
しかし思いのほか威力が強かったようで、会長がまともに呼吸できるようになるまでは数秒を要した。
「いきなり……何を言い出すんですか、貴方は」
「吹き出しましたね? この勝負、俺の勝ちです」
「大笑いにまでは至ってませんよ」
「俺が吹き出した時には勝利宣言したのに?」
「あー……」
低い声で唸りながら、彼女は視線を空中へと泳がせた。
「負けました。降参です」
両手を上げて、宣言する。なんかこの人、仕草といい中二病といい、要所要所でとても幼く見えるんだよなぁ。
「私は高校三年生です。ふふふ……」
心を読まれた。すると会長が唐突に笑い出した。
あれだけ恥を捨てた決意でもあまり笑わなかったのに、俺が何も言っていないのに破顔されると、それはそれで気分が悪い。
「何を笑っているんですか?」
「いえいえ、些細なことです。降参と高三で、ちょっとツボってしまって……」
「そんなダジャレでよかったのかよ!」
しかも俺、何も言ってないんだけどな! 会長が勝手に俺の心を読み取って笑っただけなんだけどな! まったく、俺のなけなしの自尊心を返してほしいくらいだ。
でも、生徒会長って意外と笑うんだな。六花廷の鉄面皮しか見たことがなかったから、たった三十分話しただけでがらりと印象が変わった。
「それでは……」
と言って、生徒会長は空のトレイを持って立ち上がった。
「大笑いとまではいかなかったので、そう安々と籠絡されるわけにはいきません。しかし約束は約束です。週末の六花廷のみ、私が笑った分だけの特別処置はいたしましょう」
「特別処置?」
「それは今から考えます」
「是非とも贔屓目でお願いします」
でないと俺がシュウに殺されるからな。
軽くお辞儀をした会長が、踵を返した。しかし俺はその背中を呼び止める。どうしてもあと一つだけ聞いておきたいことが……いや、言っておきたいことがあったからだ。
「今の話の結末を聞いても、会長って全然孤独には見えないんですが」
「嬉しいことを言ってくれますね。少人数ですが、私には今とても信頼できる仲間がいますので」
仲間。それはたぶん、生徒会役員たちのことだろう。
「癖のある人たちばかりですが、彼女たちはかけがえのない仲間だと私は思っています」
この生徒会長の口から、癖のあるとか言わせるか。いったい、どんな奴らなんだ。
「私からも一言いいですか?」
「?」
不意に、生徒会長が顔を近づけてきた。あまりに唐突だったため、恥ずかしがるどころか全身が強張ってしまう。
そして動けない俺の耳元で囁いた彼女の言葉は、理解に苦しむものだった。
「千石さんは、貴方に惚れていますよ」
「…………は?」
「それでは、また会いましょう」
「ちょっと待ってくださいよ」
制止も空しく、会長はわざとらしい大股で去って行ってしまった。
問いただそうにも、答えが返って来る未来が視えない。なので俺は、その場で立ち尽くしたまま彼女の背中を見送ることしかできなかった。
「なんだよ。どういう比喩なんだ?」
千石が俺に惚れている? んな馬鹿な。実際は真逆だってーのに。
言葉の裏に隠れた意味を探ってみるも……ダメだ、見当もつかん。今の一言はたぶん、俺をからかっただけに違いない。そう思うことにしよう。
腰を下ろして、一息つく。机の上の弁当を見ると、まだ半分くらい残っていた。残り数分で食べきれるか……。
と、
「…………」
視線を感じた。一つじゃない。複数、それも結構な数だ。
いや、生徒会長の前に座った辺りから、周囲の生徒がちらちらとこちらを窺っていたことは知っていた。一人になって改めて感じたのは、その視線の質だ。
最初は『一年坊が生徒会長と食事を共にしようだなんて、許せん!』といった妬み嫉みの視線だと思っていたが、違った。生徒会長の昔話を聞いた今では、彼らの視線の意味は『あの人には関わらない方がいい』『あの人の本性を知らずに……馬鹿な奴だ』のような、警告や侮蔑のものだと分かった。
できるだけ周囲の人間と目を合わせないように、俺は弁当に集中する。
他人の真意を知りたくても知ってしまうことは、意外と辛いことなのかもしれない。