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長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第一章 青の静寂と赤の鼓動
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第一章 青の静寂と赤の鼓動 夢視点 PART1 (完結)

  ◇.


「……みずき? 大丈夫?」


 目を開けると、横に風花がいた。海風が頬を撫でさざなみが鼓膜をくすぐっていく。辺りを見回すと、砂浜の上に座って海を見ている所だった。


「……うん。ここは?」


「若松海岸だ」


火蓮は砂を握りながらいった。

「今頃何をいってるんだよ。一緒に練習をサボってここに来たんだろう?」


 彼は砂を何度も掴んでは捨て、砂の感触を楽しんでいるようだった。横にいる風花は貝殻を耳に当てて何かを聞いているようだ。


 海の方をぼーっと眺めていると、太陽がちょうど海に沈む所だった。そのまま太陽は綺麗な円を描いて、ゆらゆらと輪郭がぼやかしながら沈んでいく。


 突如、痛みを感じ足に目をやると、ふくらはぎがぱんぱんに張っていた。触ってみると、スーパーの安売りの牛肉のように硬まっていた。


「よくここまで来たもんだ」


 火蓮がそういうと、風花も黙って頷いた。


 後ろを振り返ると背の低い三つの自転車がガードレールにぐったりと寄り掛かっているのが見えた。自転車で2時間も掛けてこの海を見に来たのだとふと思い出す。


 再び海の景色に視線を戻す。夕日を浴びて海の色はすみれ色に染まっており、砂浜と同化していくようだった。水と砂が混じりあい、細かい白砂で出来たキャンパスに波の模様が描かれては消えている。


 三人は特に会話をすることなく海をぼんやりと眺めていた。ただ淡々と海を見ているだけで、心が穏やかになっていく。普段と違うことをしているだけで気晴らしになっているのだ。


 水樹は目を閉じて再び波の音に耳を傾けると、火蓮が声を上げた。


「……今から自転車で帰るのは面倒だな。これで帰るか」


 火蓮のポケットには五千円札が入っていた。


「え……お兄ちゃん、それどこから持ってきたの?」


 水樹は怖くなって、火蓮の顔を凝視することができなかった。火蓮が小遣いで持てる額ではない。


「これか? 偶然、ポケットに入ってたんだよ」


 水樹は火蓮が掴んである紙を見た。それは新渡戸稲造が映っているものだった。


「いーけないんだ、いけないんだ。せーんせーいにいってやろ」


 風花の罵声を受けても火蓮の態度は変わらない。


「なんだ、二人とも体力あるな。じゃあ俺だけタクシーを使って帰ろっと」


 自分だって車で帰りたい。だがそれで帰ったら両親の怒りは増してしまう。


「お兄ちゃん、そんなことしたら駄目だよ。いけないことなんだよ」


「もちろん悪いことだってわかっているさ。じゃあ練習をサボってここまで来たことは悪くないのか?」


 彼の瞳にたじろぐ。皆、すでに練習をさぼってここまで来ているのだ。ならここで悪いことを重ねても大丈夫かもしれない。


 波の音が深くなっていく。漣が桔梗ききょう色にまで染まっている。


 自然と風花に視線がいった。彼女は倒していた自転車の方に向かっていくようだ。胸を張って火蓮を無視するかのように悠然と歩いていく。


 自転車のサドルを掴んで風花はいった。

「あたしはちゃんと自転車で帰るもん。きついけど、ここまで来たのは自分で決めたことだから。ちゃんと最後まで頑張るもん」


 風花の視線は水樹を照らしている。太陽の光を浴びて彼女の瞳は茜色に染まっていた。一緒に帰ろうと無言の合図を送ってきてるようだ。沈黙の中、風花の長い黒髪が風に乗って揺らめいていく。


 ……やはりこれは悪いことだ。

 風花の意見に賛同し覚悟を決める。火蓮には悪いが、さらに怒られるのはごめんだ。これ以上悪いことはできない。


「お兄ちゃん、僕も自転車で帰るよ。だって、悪いことをしてさらに悪いことしたら、ピアノが弾けなくなっちゃう」


「……そうか」


火蓮は組んでいた腕を放し背伸びした。

「ならしょうがないな。お前達二人じゃ夜道は危険だから、俺がついていかないとな」


 そういって火蓮は手に持っていた紙をびりびりと音を立てて破った。


「何も破らなくてもいいじゃないか。そのまま返したらいいのに」


 水樹がそういうと、火蓮はわははと大きく笑った。


「やっぱりみずきは甘ちゃんだな。一芝居打ってよかった」


 そういうと火蓮は破った切れ端を水樹に見せた。それはお金ではなくただの古い新聞紙だった。


「え、まさか、お兄ちゃん……」


「ああ、お金なんて初めから持って来てないよ。お前が駄々をこねると思ったから、はっぱを掛けたんだ」


 風花もびっくりしているようで、手に掴んでいる自転車が揺らめていた。彼に何かいおうと口をすぼめているがそれは言葉にならず、自転車のベルを鳴らすだけに留まった。


 彼女のベルを皮切りに三人は自転車を漕ぎ始めた。暗い夜道を走っていると、しばらくして風花が泣き出した。どうやら恐怖に駆られてペダルを漕ぐことができないらしい。


 その場で自転車を乗り捨てた火蓮は風花を慰め始めた。それでも彼女は泣き止まない。自分も次第に不安が強くなっていく。


 しばらく風花の相手をしていた火蓮は再び自転車に乗った。


「みずき、お前もここにいろ。俺が誰か連れてくる」


 不安の色がさらに増す。火蓮がいるから、ここまで来れたのだ。風花と二人っきりでいることの方が怖い。


「大丈夫だ。お前達は俺が守る。だからもう少しだけ辛抱しててくれ。必ず戻ってくる」


 火蓮が走り出してから辺りは真っ暗になった。風花を慰めようと近寄るが、彼女は頭を垂らしたまま動かなかった。そのまま彼女に寄り添う形で留まった。


 どれくらい時間が経ったかわからないが、一台の車のライトが水樹の目を刺激した。目を細めながら車を眺めていると、火蓮が車の中から降りてきた。


「遅くなったな」


「……兄ちゃん」


 よく見ると赤いテールランプの点いたパトカーだった。助かったと水樹は肩の力を抜いた。


 3人ともパトカーに乗り込み、交番で降りた後、それぞれの両親が待ち構えていた。怒鳴り声を上げるかなと身構えていたが、彼らは涙声になっていた。 


 だが家に着いた途端、母親にこってりと絞られた。何をいっているのか、わからないほどの剣幕で怒られ、父親は黙って聞き役に徹していた。


 母親の怒りがおさまった後、父親はこっそり水樹たちを呼び出した。何をしてきたか純粋に知りたかったようだ。海を見にいったというと、それはいいと満面の笑みを見せてくれた。


 父親は自分の名前の由来を語り、音楽をする時のイメージはいつも海から得ているといった。


 水樹は嬉しくなり、父親と同じものを共有できていると思うと、いっそう海が好きになった。


 再び波の音を思い返す。夕日に輝いた波の音が耳にこびりついているようで離れなかった。


 また行きたいな、という思いがすでに膨らんでいた。


  

 気がつくと赤いシーツが目に入った。回りを見渡すと、アメリカンフットボールのDVDやヴァイオリンの楽譜など自分のものではないものが部屋に散らかっていた。


 ……自分の部屋じゃないのか。


 水樹は足を振り上げて体を起こした。妙に体が重い。昨日飲みすぎたせいだろうか?


 いつもは難なく通れる扉に頭を打つ。やはり飲みすぎたようだ。体が自由に動かない。


 部屋の扉を開けると、火蓮の部屋だということがわかった。恐らく昨日、間違えて彼の部屋で寝てしまったのだろう。


 頭がガンガンと鳴り響き眩暈がする。酒はこりごりだと思いながらも、飲んでしまう自分を呪いたくなった。とりあえず冷たい水で顔を洗おう。


 ……昨日の夢は何だったんだろう。


 それにしても綺麗な海だったな、と思い返す。あれほど綺麗だった景色は今まで見た覚えがない。

 洗面台の上に立つと、見慣れた顔があった。思わず後ろを振り返ったが誰もいなかった。


 ……ん?どういうことだろう?


 再び鏡を見ても、自分の顔はない。どうして自分の顔が映ってないのだろう。


 照明を点けて確認するが、そこにはやはり火蓮の顔しか映っていなかった。

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