第一章 青の静寂と赤の鼓動 PART5
5.
店の前で美月と別れた後、三人でタクシーに乗った。どうやら彼女は別に行く所があるらしい。ぐでんぐでんに酔っ払っている火蓮をタクシーの中に押し込んで、後ろに三人で座ることにした。
「兄さん、また潰れちゃって。本当に困ったもんだ」
「火蓮も楽しかったんでしょ。あたしもあんなにたくさん笑ったのは久しぶり」
目の端で風花を捉えると、彼女は大きく自分に寄りかかって目を擦っていた。
「そうかもしれないね。四人で会うなんて本当に何年ぶりだろう」
水樹は朦朧とする頭で少しだけ大学時代を振り返ることにした。
――僕らは皆、同じ音大生だった。
風花は幼馴染だが、美月は高校に入ってから知り合いだ。その頃は火蓮もヴァイオリンに専念していたので、二人は意気投合して自分よりも兄妹のように見えて、その仲に羨望を感じていた。
事故で失った両親の代わりに、美月の父親であり医師である・神山明が体と共に進路まで世話してくれたのだ。
四人には音楽家として生き、四人でコンチェルトをする夢があった。火蓮は指揮者になるつもりだったが、最初はヴァイオリン科に入っていた。もちろん大学の学科にも指揮科というものは存在するが、彼はコンマスの気持ちを理解するために入ったといっていた。
四人が夢の舞台でショパンの歴史に名を刻むことができる。そう思うだけで言葉にならないほど感情が溢れてくるー―。
「……ちょっと。あたしの話、ちゃんと聞いてる?」
反射的に風花に視線がいく。彼女の目が再び鋭くなっている。
「ごめん、ちょっとぼんやりしてて……。何の話だったっけ?」
「何度もいってるじゃん。そろそろ二人っきりでデートして欲しいんですけど」
……なんだ、そんなことか。
水樹が溜息をつくと、風花の眼がさらに尖った。
「当分お仕事ないんでしょ? あたし、明後日休みだからちゃんと考えておいてね」
「ごめん、明後日は病院に行かないといけないんだ。神山先生に会うのも久しぶりだし長くなるかも」
「じゃあ午後からでもいいわ」
彼女の瞳は揺るがない。返す言葉がなく水樹は頷いた。
「わかったよ。どこがいい?」
「……またそうやってあたしに決めさせようとする。水樹が行きたい所でいいから、ね?」
図書館でもいい? と訊いたら、きっと横で寝ている火蓮共々蹴りを喰らうことになるだろう。
ここは機嫌を損ねないように、肯定しておかなければ。
「わかりました、考えておきます」
「そう、それでよろしい」
そういうと、風花はタクシーの中で得意げに鼻歌を歌いだした。
風花を先に送った後、自宅に到着した水樹は火蓮の左腕を肩にかけて玄関を登った。
……そうだ、薬。
ポーランドでも服用していた薬を二つ取り出す。
「兄さん、これを飲まないと」
「むにゃ、もうこれ以上は飲めません」
「もう、何いってるの」水樹は無理やり火蓮の唇を左手でこじ開けて薬を放り込んだ。「早く飲んで。明後日は定期健診でしょ。ちゃんと飲んでないと、先生に怒られるよ」
火蓮に薬を飲ませた後、自分の口にも含み水で押し込んだ。ポーランドとは違い、軟水が体に勢いよく沁み込んでいく。
飲み込んだ途端、急に眠気が襲ってきた。そのまま彼は火蓮に覆いかぶさるようにして瞼を閉じた。