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長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第七章 ヴァイオレットと紫のクオリア 
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第七章 ヴァイオレットと紫のクオリア PART4

  4.


 第三楽章


 火蓮の率いるオーケストラと水樹のピアノが交互にメロディを受け渡す。ロンド形式で始まる第三楽章は最終章に相応しく軽快で壮大な楽曲だ。繰り返すごとに主題に装飾を重ね、最終的に第一楽章と同じく華麗なパッセージに変化していく。


 ……ついにフィナーレだ。


 足の震えを抑えながらメロディを繋いでいく。先程から左耳の奥に水が入ったような感覚がきている。この感覚は徐々に音が濁ってくるのだ。


 ……この感覚はまずい。


 二度目のメロディの受け渡しの時に突如左耳の耳鳴りが激しく高鳴ってきた。左耳の奥からどくんどくんと心臓の鼓動音が激しく聞こえてくる。


 ……あと少しだ。後5分だけなんだ。


 火蓮の方に目線をやると、彼も気づいたようで左腕の指揮が先程よりも大振りになっていた。ここで右耳まで聞こえなくなったら間違いなくリズムが狂う。


 心臓の鼓動音を数える。

 1、3、6。

 いつもの倍のスピード以上で動いている。とても一秒に一回のペースではない。このままでは母さんと同じくリズムを崩して失敗してしまう。


 ……落ち着け。落ち着くんだ。今からでもメロディを頭に思い浮かべなければ。


 曲の終わりまでのメロディを何度も何度も反芻するが、左耳に引きずり込まれてしまう。右耳にも大きく振動し始めオーケストラの音が歪んで聞こえてきている。


 もう数秒も持たない。水の中に閉じ込められ窒息死するような恐怖感が襲ってくる。


 ……もう駄目か。


 リズムがわからなければ協奏曲はできない。鍵盤から手を離そうとした時、火蓮が指揮棒を置く姿が目に入った。


 ――大丈夫、俺を信じろ。


 火蓮の声が突然聞こえた。それと共に彼は自分の方に体を向けて10本の指を使って指揮を始めた。指揮というより空中で鍵盤を叩いているようなイメージだ。


 ――水樹、大丈夫だ。俺と共にピアノを弾け。


 耳からは何の言葉も聞こえてこなかったが確かに彼の言葉が届いた。彼の指揮を五感ではないものに委ねそのまま鍵盤に移す。


 ……何でだろう、耳を伝わらずに音が聞こえてくる。


 耳からの雑音ではなく脳に直接音楽が送られてくるようだ。まさかこの音は火蓮から直接受け取っているのだろうか。


 脳から送られてくる指令を忠実にこなしていく。すでにオーケストラに合わせている感覚はない。だが確実に弾けているという自信がある。脳に流れてくる音にピアノのメロディが含まれているからだ。


 そのまま最後のパッセージに入った。火蓮の顔を見つめながら最後の力を振り絞って鍵盤の上を低音から高音へ縦横無尽に振りかざした。それに追従するかのようにオーケストラが蔓のように激しく絡まっていく。


 最後のパッセージを乗り切りフィナーレを迎える準備をする。上半身を鍵盤に近づけ左右同時のユニゾンをなりふり構わず叩き込んだ。


 突然、頭の中に百獣の王のフィナーレが思い浮かぶ。演奏者と演劇者の交互の叫びが一つになってホールを震撼させていた。音楽は演奏者だけで作るものじゃない。



 ――楽器は生き物よ。ピアノは思いを奏でてくれる生き物なのよ。



 灯莉の声が水樹の頭の中を浸透していく。心を込めることによってピアノと初めて言葉を交わすことができるのだと再確認させてくれる。


 ……その通りだ、母さん。オレの心を全てピアノに託そう。


 目を閉じて指先だけでピアノに語りかける。


 ……ストーンウェイ、オレの心を聴いて言葉を交わしてくれ。


 みんなに聴こえるように、オレ達の魂の叫びを打ち鳴らしてくれっ!


 ピアノが思いを伝えるように叫んでいる。それに合わせてオーケストラの叫びが激しく交錯し、今、一つの音の集合体となろうとしている。


 突如、子供の頃に見た藍色に染まった海が蘇る。そこには海と一つとなろうとしている茜色に染まった太陽があった。海と太陽が一つになろうとした時、水樹と火蓮は両腕で終止符を打った。


 そこにはかつて見た青と赤が重なってできた紫色の水平線が見えていた。

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