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長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第一章 青の静寂と赤の鼓動
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第一章 青の静寂と赤の鼓動 PART3

  3.


 ホールに着くと、美月の顔が大きくプリントされてあるポスターが目に入った。大学時代よりも化粧が大人びており、髪も毛先だけ緩いパーマを当てていた。


 受付に火蓮から貰っていた特等席のチケットを渡し席に向かう。演奏者と演劇者を一望できる席で、家族でよく利用した席だ。


「水樹、おーい。こっちだよー」


 下から自分を呼ぶ声が聞こえる。シートから立ち演奏者側を眺めると、風花の姿が見えた。右手にフルートを掴んで左手で大きく手を振っている。


 ……変わらないな、彼女も。


 手を小さく振った後、口元に人差し指を添える。幼馴染でありながらも、どことなく幼さを覚えるのは愛情の一種なのだろうか。


 風花から目を離すと、火蓮が背の高い女性と話をしているのが目に入った。真っ黒なドレスに一輪の赤い薔薇が胸元に飾られている、きっとこの為だけに新しいものを新調したのだろう。さすがは病院のお嬢様だ。


 だが服装とは違い、彼女の表情は厳しい。それだけ演奏に力を込めているのだろうか。


 ……ここに来るのも久しぶりだな。


 今日の劇・『百獣の王』は家族の中で最も人気のあるミュージカルだ。この劇に家族一同で虜になっており、事故当日もこれを鑑賞した帰りだった。


 この物語は一匹の子供ライオンからスタートし、王へとなるドラマをミュージカル形式で作られている。登場人物は全て動物で、あたかもサバンナにいるかのような演出が施されている。そのため打楽器中心の活気溢れる叫びがメインとなっている。


 もちろんそれだけではミュージカルは成り立たない。叫びを支える下地の音楽があるからこそ、心地いいものになり飽きがこなくなるのだ。この音楽の抑揚があるから劇が成り立っているといっても過言ではない。


 一瞬の静寂があった後、拍手喝采が起きた。スポットライトを浴びているのは火蓮だ。彼を見ると凄まじいオーラを感じた。会場の熱気を火蓮一人で作っているのではないかという考えまで浮かぶくらいにだ。来週で一旦、劇団の指揮を打ち切るためかもしれない。


 幕が上がり舞台が始まった。ヒヒの叫びから連鎖して他の動物の叫び声が鳴り始めていく。叫びはやがて一つの歌に変わっていった。少年ライオンの誕生を皆で喜び分かち合おうとする歓喜の歌だ。


 暗闇の中から火蓮のタクトが振り落とされる。柔らかい木琴の音がゆっくりとリズムを刻み始める。それと同時に木製のフルートが鳴り始めた。風花の出番だ。フルートの音色は優しく動物の叫びをサポートし深みを出している。


 演劇者の叫びが一つに纏まって最高潮に高まった瞬間、幕が一瞬にして再び下がった。


 物語のスタートだ。


 事故当時の過去を振り返ろうとするが、記憶は蘇らない。やはり事故後の記憶しか残っていないようだ。


 再び幕が上がり、少年ライオンが少女ライオンと駆け回るシーンに入った。軽快な音楽で蝶でも舞っているかのような可憐なイメージだ。こういった場所ではフルートの高音が特に合う。


 ……さすがだな。


 耳を傾けながら風花を覗き込む。遠くから見ても見入ってしまう程彼女の指裁きは軽やかで、さらに腕が上がっていると確信する。舞台が始まってからは一辺してプロの顔だった。その姿には大人の色気まで含まれている。


 突如舞台が暗くなり、青白い光に染まった。悪役のハイエナ3匹の登場シーンだ。この場面ではオーケストラでは珍しくエレキギターが使われる。


 三人のハイエナが不気味に笑い、叫び、ギターの激しいロック調のメロディが舞う中で踊り狂う。この大きな変化がたまらなく一層物語に入り込ませるのだ。


 火蓮の方に目をやる。彼は激しくタクトを振りかざして体を大きく揺らしている。その姿には禍々しい煙が漂っていた。



 ……俺が独占してやる。



 突如、心の中に不吉な声が入り込んできた。それはテレパシーのようなもので彼が発したかどうかわからないものだったが、その声は一段と大きくなって自分の中に入っていく。


 

 俺が指揮をやっているんだ。お前にはこの感触を味わうことができない。父親のようにお前は指揮を振ることはできないんだ。お前はそこでただじっと、見ていればいい。



 俺が……俺だけがこの空間を支配できる。



 火蓮から目を離すことができない。まるで三脚で固定されたビデオカメラのように視点を変えることができなかった。彼の一挙一動に自分の心は大きく揺さぶられていく。


 体全体を使って激しい指揮を行っている時には心に熱い溶岩のようなものが流れ込み、針でつくような俊敏な指揮を執っている時には体から酸素が奪われるように苦しくなり、涙を誘うような穏やかな指揮の時には暖かい何かの液体で満たされていく。


 ……本当に凄い。


 唇を噛み締めながら火蓮の動きを見つめ続ける。彼が一度タクトを振るう度に、体が無意識で反応してしまうのだ。体だけでもなく、頭の中でもリズムを取らされている。ゆったりとした椅子にどっぷりと浸かっているのに、体はついつい前のめりになってしまう。


 ……しかし何なんだ、この感覚は。


 体があの舞台に立って指揮を行えと叫んでいた。火蓮のように体を動かせと嘆いている。今までに感じたことのない焦燥感を覚える。


 ……わからない、この感覚は何なのだろう。


 シンバルの音が耳を通り過ぎた後、水樹は突然目が覚めたように我に返った。その音で今までの感覚が嘘のように消えていった。


 ……何だったんだろう、今の感覚は。火蓮の指揮に夢中になっていただけなのだろうか。


 気がつくと劇は第一部を終えており、10分の休憩に入っていた。自分の心を大きく揺さぶるものの正体はわからない。はっきりとわかったのは火蓮の技術が格段に上がっており、悪意に近いものを感じたということだけだ。

 今まで彼の指揮からはそんな禍々しい感情を感じたことはなかった。


 第二部が始まっても水樹は演劇者の動きは目に入らず、ただ兄の動きだけを目で追っていた。 

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