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長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第五章 サイレントブルー&ヴァイオレンスレッド
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第五章 サイレントブルー&ヴァイオレンスレッド PART5

  5.


「ほら、火蓮。ファンの子達が花束を渡してるよ」


 演奏が終わると、前衛にいた女性群が一気に火蓮に押し寄せた。火蓮は苦笑いを浮かべながら、それぞれの花束を受け取っていた。その苦笑いでさえ自分のものになっていた。


 拍手が鳴り止むと、美月がオーケストラを従えながら入ってきた。赤いドレスを身に纏い端正な顔立ちで両頬が浮き上がっている。作り笑いだなと水樹は思った。


 司会者が曲の題名をいう。その題名を聞いて耳を疑った。



 『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノの変奏曲作品2』




 生涯を通してピアノにこだわり続けたショパンが作った数少ないオーケストラの曲だ。オーケストラとピアノによる曲は6つしかなく、もとは学校の課題だったらしい。


 タイトルの意味は『お手をどうぞ』。ワルツの曲をショパンがアレンジしたものだ。


 美月は軽やかなヴァイオリン捌きを見せながら観客を圧倒させていた。学生のオケの中に一人プロが混じるとここまで変わるものなのかと驚愕する他ない。


 ……なぜ彼女はこの曲を弾いているのだろう。


 ショパンのオーケストラは味気なくつまらないといっていた彼女がだ。火蓮の指揮があるまではコンマスをしないといっていた彼女がなぜ――。


 ……もしかするとこの曲自体に思い入れがあるのだろうか?


 不意に中学時代の記憶が蘇る。確か東京であったコンテストの優勝記念にチェンバロで日本交響楽団と演奏できたはず。あの時は自分が優勝して、チェンバロを弾いて……。


 ……それにしても、曲に添ったイメージではない。


 彼女のヴァイオリンから溢れる弦の振動は可憐なイメージではなかった。明らかに作曲者ではなく自分の意思を貫いている激しさを伴っている。


 ……本当は弾きたくないんじゃないのか? 美月。


 ――あいつもショパンや。大学におる時は嫌っとったのにな、あいつもヨーロッパのコンクールに出まくって、色々収穫があったんかもしれん。


 川口先生の言葉が蘇る。なぜ無理をしてショパンを弾くのか。

 違和感を覚えながら美月の演奏を見守ると十八分の長い演奏を終え、彼女は颯爽と退場していった。

 その姿にはもう笑みはなかった。



 コンサートが終わり、水樹は風花と共に楽屋の前で火蓮と美月を待っていた。周りを見渡すと、楽屋の前で学生が文化祭の後片付けをしている。毎年その日のうちに学生が掃除をすることがしきたりとなっているからだ。


 楽屋から火蓮が出てくる前に川口先生が出てきた。いつにもまして機嫌がよさそうだ。


「おお、火蓮に天谷やないか。元気にしとったか」


「先生、ご無沙汰してます。ちょっと話がしたいんですが、時間ありませんか?」


「ああ、構わんよ。どうした?」


「すいません、ここでは何ですから、あっちで。風花、すまない。10分だけ席を外してくる」


「うん、その代わり早く戻ってきてよ」


「……わかってる」


 妙な胸騒ぎを感じつつ、水樹は川口と近くの踊り場に向かった。



「何や? 話っちゅーのは」


「先生はオレが勤めている劇団と繋がりが深いですよね?」


「おお、そうや。だからお前を紹介したんやないか。それがどうかしたか」


 水樹はそのまま大声を上げて問いただしたかったが、平静を装った。


「いいえ。あの時は推薦して頂き、ありがとうございました。もう一度きちんとお礼を述べておきたかったんです」


「何やそんなことかい。律儀な奴やな、お前は」


川口は缶コーヒーを上手そうに啜りながらいう。

「しかしいきなりやったもんな。あん時は本当にびっくりしたわ。指揮科の先生も驚いとったで。お前のために留学を全部準備しとったもんな。奨学金の手続きだって上手いこといって、後はフランスに向かうだけやったやんか」


「……ええ、そうでしたね」できるだけ火蓮の表情を作って答える。


「やっぱりあれか、親父と同じ道を辿ることは嫌やったんか。それとも神山に愛想つかされたんか?」川口はにやにやと頬を緩ませた。


「違いますよ。水樹にコンクールを任せて、オレは地に足をつける仕事をしたかったんです。だからこれでよかったと思っています」火蓮が述べていた言葉をそのまま告げる。


「そうか。悩むっちゅーことが学生の特権やからな。色々と考えることが仕事みたいなもんやもんな。今の選択でよかったと思うなら、それでええ。たまには顔出しに来いよ」


「はい、ありがとうございます。もう一つだけ聞いてもいいですか?」


 彼に一番訊きたい質問を投げかける。

「オレから先生にお願いしたんですよね? 劇団の指揮の仕事をしたいと」


「ああ、そうや。それがどうかしたか?」


「いえ、何でもありません」


 そのまま頭を下げて火蓮の元に戻ろうとした。すると川口が後ろから声を掛けた。


「水樹やって頑張ったんや。それは認めてやらんといかんよな。何せコンクールの評価がない中で予備予選を通過したんやし」


 水樹は首を傾けた。川口は何のことをいっているのだろうか、予備予選はコンクール歴で決まっているはず。中学の時の優勝が決めてになったはずだ。


「どういうことですか、それは」


「なんや。聞いてなかったんか。ショパンコンクールにはコンクール歴を送らないかんやろ? あいつを評価できる賞はなかったんや」


「中学の時のコンクールは一位じゃないんですか?」


「違うで。全日本中学ピアノコンクールは二位や。やからこそ、あいつは本番でうまいことやったんやろ」

 水樹は驚きを隠せなかった。震えた唇のまま声を上げた。


「え、それじゃ一位は一体……」


「確か、鷹尾っちゅー名前やったな。それからそいつがコンクールに出る所は見てないなあ」


 鷹尾。夢の中でそんな名前があった気がした。しかし思い出せない。


「まあ、そういうことや。やからあいつをあんまり攻めんでやってくれ。仕事はこれからわんさか来るやろ」


 コンクールの結果は二位、なぜ自分が一位ではないのか、あの夢は嘘だったのだろうか。

 納得がいかなかったが、これ以上川口の前で狼狽するわけにもいかない。

 水樹は頭を下げて逃げるように踵を返した。

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