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長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第四章 藍の鼓動と茜の静寂
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第四章 藍の鼓動と茜の静寂 夢視点 PART4

  ◇.


目を開けるとそこはコンサートホールの中だった。


 ホールを見渡すと、観客が惜しみない拍手を贈ってくれている。水樹は表彰を受け達成感を噛み締めていた。


 リストの超絶技巧練習曲第5番『鬼火』を人前で初めて成功させたからだ。跳躍をメインとし、一秒たりとも止まらない悪魔の火を操ることができるピアノはストーンウェイしかない。久々の鍵盤の感触は心地いいもので、彼の手によく馴染んでいた。


 水樹の隣には二位になった女性が悔しそうに俯いていた。薔薇色に染まったドレスを身に纏いながら涙をぐっと堪え歯を食いしばっている。


 一位になった者は後日、オーケストラとの競演曲『ドン・ジョヴァンニ』をチェンバロ(鍵盤楽器)で演奏できる特典がついている。恐らくはそれが目当てだったのだろう。


 しかし今の自分には関係のないことだ。自分の夢は火蓮とのコンチェルトを成功させることにある。後日また東京に来なければいけない決まりだったが、水樹はそれを隣の女性に託すことにした。


 表彰を終えた後、彼女を公園に呼び出して話をした。公園にはクリスマスツリーが飾られており、聖なる夜を迎えるのに絶好のシチュエーションとなっている。彼女はそのままの衣装ではなく、淡い桃色のワンピースに着替えていた。


 当初彼女は謙遜していたが、協奏曲を弾けない理由を話すと喜んで承諾してくれた。


「あなたにも夢があるんですね。私の夢はショパンコンクールで優勝することなんです」


 彼女の目は輝いていた。水樹はその輝きに自分と同じものを感じ嬉しくなった。


「僕も同じ夢を持っています。夢というか使命ですね。母の思いを受け継いでコンクールに望みたいと思っています」


「やっぱりそうだったんですね」


彼女は優しく微笑んだ。

「あなたのピアノを聴いてそうじゃないかなと思っていました。こうやってお会いできて光栄です」


「とんでもない。僕はまだ母さんのレベルには程遠い」


「謙遜されなくて結構です。あなたのピアノを聴いた時に灯莉さんと同じものを感じましたから。わたしの中でも彼女は憧れなんです」


 水樹の心臓が大きくバウンドした。お世辞でも嬉しかった。


「来年、ショパン190生誕記念コンサートがありますよね。あなたのお父さんが指揮を執られると聞いていますが」


 水樹は首を縦に振った。

「そうですよ。その次の生誕200年のコンサートが僕と兄さんの夢です」


「そうなれば素敵ですね。言い遅れましたが、私は鷹尾鏡花たかお きょうかといいます。どうぞこれからもよろしくお願いしますね」


「こちらこそ」


 鏡花と手を交わすと熱いものが込み上げて来た。手を握っただけで心臓を捕らえられたように感じる。


「もしよかったらなんですが……。来年のコンサートの時にも会えませんか?」


 彼女の顔が急に高潮した。ショートカットのため表情が手にとるようにわかってしまう。自分にもその熱が連鎖していく。


「やっぱり同じピアニストを目指すものとして励みになるというか……」


「ええ、僕も鷹尾さんともっと話がしたいです」


 彼女を見つめると、いいようのない気持ちが流れてくる。体が浮きそうなくらい心が満たされていく。


 この気持ちは同じピアニストを目指すものとしてだけでなく、純粋に彼女に心を掴まれているように感じる。


「……鷹尾じゃなくて鏡花と呼んで下さい。そっちの方が親しく慣れそうだから」


「わかりました、鏡花さん。その代わり僕のことも水樹と呼んで下さい」


「はい、水樹君」


 鏡花は親指同士を擦り合わせながらいう。彼女の声から水樹という名が出るだけで熱を帯びていく。涼しい夜の風がなければ彼女と同じく顔が真っ赤になっているだろう。


「水樹君、もしショパコンの本選に残ったらどちらの協奏曲を演奏しますか?」


「もちろん『第一番』の方を演奏しますよ。鏡花さんは?」


「私は『第二番』です」


 水樹は訝しく思ったが、その理由はわかった。母親が『第二番』を演奏したからだ。


「灯莉さんの思いを受け継いで私が一位をとりたいんです。私にとって第二の母親みたいな存在だから……」


 気がつくと、水樹は鏡花の肩を掴んでいた。


「……あなたと会えてよかった。是非、本選で会いましょう」


「もちろんです。必ず叶えましょうね。これはもう約束ですからね」


 お互いの小指を絡ませる。彼女の細くて美しい指にこれ以上ない心臓の高ぶりを覚えていく。


 彼女と一緒に本選に出場したい。そして一位を掛けて争いたい。


 水樹がにっこり笑うと彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。彼女の姿を見て早くも来年のクリスマスを想像していた。

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