第四章 藍の鼓動と茜の静寂 PART3
3.
目の前には『鏡花水月』と習字の筆でなぞられた看板が高らかに掲げられている。水樹達は店主に挨拶を交わしながら店の中に入った。
「お、いらっしゃい。水樹君に火蓮君」
声を掛けてきたのは風花の父親・天谷遥だ。風花の家は花屋を営んでおり、家と仕事場が一緒になっている。
「すいません、今日は娘さんをお借りします」
「うん、こちらこそよろしく頼むね」そういって遥は水樹に笑顔を見せた。
店の中はほとんど遥一人だ。しかし固定客はきちんと掴んでいるようで、常に忙しそうに動き回っている印象がある。
「遥さん、お久しぶりです」火蓮が小さく頭を下げている。
「火蓮君、久しぶりだね。今日は三人でデートかな?」
「いえ、僕は水樹を送りに来ただけです」
「そう。折角だからお茶でも飲んでいかない?」
「すいません。ちょっと用事があるのでもう行かないといけないんです」
「すぐに風花が降りてくるよ。挨拶くらいしたら?」踵を返した火蓮の袖を掴みながらいう。
「劇場で毎日会ってるんだ。今日くらい仕事のことは忘れさせてくれよ」
それもそうかと納得し、水樹は袖を離した。
火蓮が車を発進させた所で遥と二人っきりになった。だが彼の雰囲気が重苦しいものにはさせない。
「はい、どうぞ」
遥から暖かい緑茶を受け取り、水樹は冷ましながら一口啜った。両手を暖めながら風花が降りてくるのを待つ。
「楓さん、元気にしてますかね? 確か今はドイツにいるんでしたっけ」
「ああ、元気にしているようだよ。もう少ししたら帰ってくるようだけど、忙しいみたいだね」
作業台の上には天谷家が映っている写真があった。風花の母親・天谷楓はフルート演奏者で海外を遠征している。水樹が小さい頃は日本で活躍しており、よく演奏を聴かせてもらったのだが名が売れて海外で活躍しているらしい。
「遥さん、この看板は楓さんが書いたんですよね、どういう意味があるんです?」
看板の『鏡花水月』という文字を見る。楓の父親は書道家だったらしく、その影響で楓も達筆な字が書けると聞いていた。
「幻を見ているっていう意味さ。鏡に映る花や水に映る月というのは目で見ることはできるけど、掴むことはできないだろう?」
幻という言葉が昨日見た夢と重ね合わせてしまう。
クリスマスに見たあの少女は風花だったのだろうか?
「花は数日もすれば枯れてしまう。ようは思い出に残るかどうかなんだ。花を貰ったその記憶が一番大事だと思ってるよ」
過去の記憶。今の自分には最も関心のある話題だ。事故前の記憶は今でも戻っておらず、今のように火蓮と転移を続けるのであれば探らなければならないだろう。
「まあ花を贈ることで一番有効な方法は喧嘩した時だけどね。水樹君も風花と喧嘩した時に試して欲しいけど、うちの子は花より食い気かな」
「確かに、そうかもしれませんね」
遥と雑談を交わしていると、風花が階段から降りてきた。薄い萌黄色のワンピースに深緑色のトレンチコートを着ている。化粧も念入りに行われているみたいだ。アイラインをきちんと入れており、唇のリップの艶もいい。
いつもより気合が入っているようだ。
「ごめんね、遅くなっちゃった。行き先は決まりましたか、水樹さん?」