第三章 藍の静寂と茜の鼓動 PART5 (完結)
5.
全ての審査が終わり、会場は閉幕となった。結果が発表されるのは例年通り審査員の意見が纏まってからだ。
水樹は火蓮と共にバイト先のバーで飲むことにした。
店で火蓮と雑談をしていると、店の店主から声を掛けられた。どうやら水樹宛に電話が掛かってきているらしい。時計を見ると、すでに日を跨いでいた。
慌てて受話器を受け取ると、ジェヴェンツキ先生から喜びの声が洪水のように溢れてきた。
水樹はその日、生涯忘れることができない日になった。
火蓮に話をすると、大袈裟に抱きついてきて自分の体を回し始めた。現地の人間にはわかるはずもない日本語で、こいつは俺の弟なんだぞ、ショパンの本選に残ったんだぞと騒ぎ始めた。
火蓮の声はほとんど怒鳴り声に近いもので頭が割れそうだったが、それ以上に兄の祝福が嬉しかった。
母さんの念願だったショパンコンクールの本選に出場できる。
この夜は興奮し、朝まで兄との宴は続いた。
そして3日後。
水樹は本選出場を果たし見事、日本人初の一位を獲得した。式が始まり、水樹はショパンコンクールに推薦してくれた先生と挨拶を交わした。ジェヴェンツキは足が不自由なため、水樹は腰を曲げて抱き合った。
隣にいる第二位のヤン・ミンを見ると、演奏中とは打って変わって親指同士を擦り合わせて緊張していた。悔しがる様子もなく、顔には仄かに笑顔があった。
大勢の報道陣の前で水樹は拙い英語で気持ちを伝えた。
亡くなった両親に向けて、このメダルを捧げたい。そしてこれからは日本で前面的に活動をしたいと訴えた。
報道陣はその発言に驚嘆と悲愴感を漂わせていたが、水樹には関係のないことだった。
彼の瞳には火蓮がタクトを振るっている、ショパンの生誕を祝うコンサートが浮かんでいた。