表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長編小説 2 『魂のクオリア』  作者: くさなぎそうし
第三章 藍の静寂と茜の鼓動
19/71

第三章 藍の静寂と茜の鼓動 夢視点 PART3

  ◇.


 目を開けると、背の高いショートカットの女性が目の前に立っていた。彼女の眉間には皺が寄っており怒りの表情が満ちていた。


「全然駄目よ、もう一回」


 背筋を丸めて自分の意思を見せると、容赦なくそこに張り手を喰らう。今すぐにでも泣き叫びたいくらいの痛みを伴う。


「早くしなさい、練習時間は限られているのよ」


 涙で視界がぼやけているが、ここでやらないわけにはいかないようだ。だがどのペダルを踏んでいいのかすらわからない。ペダルは三つしかないというのにだ。それほどまで極限状態に置かれている。


 そのまま母親の顔を見ると、再び怒鳴り声が響いた。


「音の強弱に気をつけなさい。同じ音でも印象は変わるのよ。ピアノは音を出す機械じゃないの。思いを表す生き物なのよ」


 少年は涙を拭いてから尋ねた。

「……どういうこと?」


「今扱っているピアノはね、ウミハさんというの」


彼女は鍵盤の上に書かれた文字を指で差した。

「ウミハさんはね、優しい音を出すのが得意なのよ。優しい音を出すためにはピアノと仲良くならないといけない。鍵盤を乱暴に扱ったら駄目。ウミハさんと会話をするように心を込めなさい」


 ……ピアノが生き物?


 少年は怖くなって鍵盤から咄嗟に手を離した。生き物と聞いて逆にどうしたらいいかわからなくなった。


「お母さんはさ……どんなピアノが好きなの?」なるべく母の気を反らせるよう穏やかな口調でいった。このまま別の話題に変え練習から逃れたい。


「私が好きなピアノはストーンウェイね」彼女はきっぱりといった。「とっても気難しいんだけど、繊細な表現ができるの。だけどあなたにはまだ早いわ。さあさあ、続きをやってちょうだい」


 ……やっぱり無理か。


 少年は気を引き締めて取り組むしかなかった。肩の力を抜き鍵盤の上に両手を載せた。


 生き物に触る感覚に集中する。近所で飼われているチワワを触る感覚でいこうと決めた。それなら優しい音が出せそうだ。



 どれくらい時間が流れたかわからなかったが、母親が満足する音が出せたようだった。彼女はピンと伸ばしていた背中を曲げて、自分の頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。それは彼女の機嫌がいい時にする仕草だった。


「偉いわね、よく頑張りました。今日はあなたの好きなハンバーグを作りましょうね。お父さんもほら、感動して言葉が出ないみたいよ」


 少年はそのまま大声で母親の胸で泣いた。張り裂けそうな緊張からくる涙ではなく、母親に認められたことが嬉しかったのだ。


 涙が止まるまで彼は母親の背中で泣き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ