第二章 青の鼓動と赤の静寂 PART2
2.
「火蓮さん、また遅刻ですか。困りますよ」
プロデューサーが冗談をいうように注意した。しかし皆何も口にせず無表情のままだ。
それだけ火蓮の遅刻癖が認められているのだろう。実の弟として情けない気持ちが沸き起こる。
「相変わらず遅刻癖は直ってないみたいね、カレン」
美月が自分の方に手をあげている。
「申し訳ない。明日からは気をつけるよ」
そういうと彼女は一瞬、何があったのか理解できていないように固まっていた。
「どうしたの、火蓮? どこか具合でも悪いの?」
「いや、そんなことはないんだけど……」
喋り方が違うのだ。いくら声のトーンが一緒だとしても、口調が違っていれば怪しまれる。
椅子に座っていた風花が横から茶々をいれてきた。
「火蓮はまだ起きてないのよ、美月。今日タクシーで来たんでしょ? まったく、しっかりしてよね」
「悪いな、そうなんだ。まだ頭に酒が残っていてな」
火蓮の言葉遣いを思い出すようにして言葉を選ぶ。手の中には汗がじんわりと浮き出ている。
風花に寝坊したことを告げ、先にいくように仕向けたのは兄だ。
自分が運転して彼女をここまで運ぶことなど不可能で、ルートや走り方など、全く同じやり方はできない。ずっと一緒にいた彼女なら、その些細な点でも違和感を覚えるはずだからだ。
「まさかタクシーの中でも飲んだんじゃないでしょうね? お酒臭いわよ。顔でも洗ってきたら?」
申し訳ないと思いつつ洗面所で顔を洗う。顔を洗っていると、横から恰幅のいい男が声を掛けて来た。名前はわからないが、打楽器を担当している人物なのだろう。指の皮が厚く手のひらが大きい。
「どうしたんですか、火蓮さん。昨日は飲みすぎたんですか?」
「ああ、ちょっとな」
そういうと男はがははと笑いながら、紙を取り丁寧に手を拭いている。きっと手の油をふき取っているに違いない。
「火蓮さんと演奏するのも、来週までかぁ。ちょっと寂しいですよ」
彼の発言に思考が傾く。どうやらすでにここを去ることは告げているらしい。ということはなるべく明るく接しない方がいいのかもしれない。怪しまれるような言動は慎むべきだ。
「ああ、そうだな……」
敢えて低い声でいうと、男はにっこりと微笑みながら背中を軽く叩いてきた。
「今日も気合入れていきましょう。いつもの掛け声、お願いしますよ」
彼の言葉にふっと意識が飛びそうになる。指揮だけではなく火蓮特有の癖がたくさんあるのだ。それはほぼ毎日接している人物から見れば、すぐにわかるものだろう。
足がガタガタと震え下半身に寒気がくる。一体どうすればいいのだろう?
時計を見ると、演劇が始まるまでに後15分しかなかった。悩んだ結果、火蓮に電話することにした。
「……やっと掛かってきたか。待ちくたびれたぞ」
「わかってるなら先に掛けてくれよ」
「お前の携帯の扱い方がわからなかったんだ」
「あ、そっか。ごめん。ってそれどころじゃない」
水樹は状況を説明した。火蓮も相槌を打ちながら話を理解していく。
「ああ、わかってる。まずな、お前は演奏するチームを近くに集めて号令を掛ける。その順番は誰からでもいい。そしてみんなの士気を高めるためにスクラムを組むんだ。俺がアメフトを好きなのは知っているだろ?」
「……兄さん、今から音楽を奏でるって時にスクラムを組むの?」
火蓮は当たり前だと声を荒らげた。
「音楽だってスポーツと一緒で団体戦だからな。皆で声を出さずに右足をタンタンタタンと三回叩く」
「タンタンタタンね、わかった」
「その辺は多分体が覚えているだろう。そして両腕にいる相手の腰を落とすんだ。わかったな?」
「うん、なんとかやってみるよ」
「まあ、やってみたらわかるさ。みんなの気持ちが一つに纏まるのは気持ちがいいぞ」
素早く電話を切って楽屋前に駆け込んだ。開演10分前だ。火蓮の話では、すでに演奏者が楽屋前で待っているだろう。
楽屋前に行くと皆が視線で針を飛ばしてきた。急いでスクラムを組めということだろう。水樹は頭を下げながらみんなの輪の中に入った。
どうやら名前を読み上げる時間はなかったらしい。皆何もいわずにタンタンタタン、とリズムを刻み腕の力で相手の背中を押した。息はぴったりだ。それぞれが会場に入り所定の位置に着いていく。
……なかなか気持ちいいじゃないか。
集団が一つに纏まる気配を感じ、水樹は指揮台の上に立った。