悲しみよ、さようなら
お題競作企画『【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 14』(http://text-poi.net/vote/102/)からの転載となります。
・お題→「主人公がモテる」「しゃん」「触れてしまった」
全てのお題を使って小説を書いてください。
・字数は一万字以内。
自分の机の上に菊の花が飾られることになるなんて思ってもみなかった。
重苦しい空気の教室で、みんな神妙な顔をして担任の話を聞いていた。担任は沈痛な顔をして、ひとつひとつ言葉を選ぶように昨日起きた事故の話をしている。あたしは机の上に置かれた花瓶の菊の花越しにそんな光景を見ていた。
「――みんな悲しいと思います。それは遠坂も――彼女も同じだと思います。ですからみなさん。少しの間だけ、彼女のことを思ってその悲しみをやわらげてあげて下さい。黙祷――」
担任がそう言って、みんな目をつぶった。教室のあちこちから嗚咽やむせび泣く声が聞こえてきた。そんな教室を眺めながら、あたしは「悲しいとか勝手に決めつけないでよ」と他人事のように思うだけだった。
そういう訳であたしは死んだのだ。教室のベランダの手すりが外れて転落死というなんとも情けない死因で。それでこんな安手のドラマやマンガみたいな光景の当事者にされるなんて思いもしなかったけれど。
あたしはあくびをした。みんなまじめに悲しんでくれているけれど、あたしは悲しくなかったからだ。たぶん死んだのがあたしでなければ悲しめたのだと思う。けれど幽霊になったあたしは、自分の死にそんな悲しみが抱けなかった。心残りがないとか、世の中や自分が嫌いだったという訳じゃない。死んだらそういう感情が消えていたのだ。淡々と受け入れるもの、受け入れざるを得ないもの、それが死という奴みたいで、死んだ人間はきっと死んだ瞬間にそれを納得させられてしまうのだと思う。涙ひとつ流れない自分の死を、あたしは客観的にそう理解するしかなかった。
チャイムが鳴った。みんなの目が開き、日直がHRの終わりの礼をする。起立、礼、着席。ガタガタと机とイスが鳴り、教室が再び動き出す。動かないのはあたしだけだった。
することのないあたしは、イスに座ったまま教室を眺めていた。HRの黙祷の余韻からか、いつもより少しにぎやかさに欠けた教室。すると三人の女子があたしの机にやってきた。あたしの友達グループのユリとカスミとサクラだ。
「アオイ」
アオイはあたしの名前だ。三人は涙に腫らした顔をして、無言であたしの机を見ている。いたたまれない顔だ。
「嘘みたいだよ」
ユリが言った。うなずくカスミとサクラ。
「大好きだった」
カスミがあたしの机に手を置いた。あたしのいた痕を捜すようにその手が机をなでる。
「アオイぃ……」
サクラがしゃっくりを上げながらまた泣き始める。
あたしも嘘みたいだと思った。三人とはとても仲が良くて、「いつまでも一緒にいようね」なんて思春期全開な約束だって交わした仲だった。
ユリはとてもクールな子で、あたしがバカなことをやるといつもやんわりと冷静にたしなめて、あたしを素直に反省させてくれる頼れる友達だった。
カスミは考えるよりも行動が先に出るような明るく活発な子で、いつもあたしと一緒になって恥をかくようなバカげたことや、まわりが尻込みするような大変なこともやってくれる気持ちのいい友達だった。
サクラはちょっとおっとりしているけど芯の強く優しい子で、いつでもどんなときでもあたしたちを信じて後ろからしっかりと支えてくれる誰よりも信頼できる友達だった。
だからあたしのために今もこうして涙を流してくれているこの三人は、あたしにとって本当に、とても、とても大切な友達だったのだ。
なのにあたしの中からは全然悲しみが湧き上がらないなんて、本当に嘘みたいだと思った。
あたしは死んでいるのだ。どうしようもないぐらい死んでいるのだ。悲しくなれない自分にいたたまれなくなって、あたしは席を離れた。
廊下側の席に近づくと、男子たちが小声であたしの話をしているのが聴こえた。
「――遠坂が死ぬなんてな」
ユリたちを見ながらそう言ったのは森田くんだった。前の席に座る明石くんがその言葉にぽつりとした声でつぶやいた。
「オレさ」
森田くんが明石くんの横顔を見る。明石くんはちょっとぽかりとした空白を置いてから、開いた口を動かした。
「遠坂が好きだったんだよな」
ちょっとドキリとした。森田くんもドキリとした顔で明石くんを見る。
「おまえ……」
「いや、そんな深刻な好きじゃなくて、なんていうのかな……」
明石くんは頭をカリカリと掻いて、言葉を探すように目を左右に動かしながら答えた。
「遠坂って明るくてサバサバしてたじゃん。ちょっとまわりに外されてるような奴にも気軽に声かけたりさ。そういうのが好きっていうか憧れるっていうかスゲェっていうか……もっといろいろ話しとけばよかったって、遠坂が死んだときに思ったんだよな」
あたしってそんな風に思われてたんだ。目をぱちくりとさせていると、森田くんが大きくうなずいている姿が目に入った。
「それはわかる。好意っていうよりも好感っていうか、好きになれる奴だったよな」
うなずく明石くんがそこに一言つけ足す。
「それに、けっこう美人だったし」
「それもわかる。彼女にできたら自慢できただろうな」
二人してうなずき合う。あたしはちょっと呆けた顔でそんな二人を見ていた。
――なんだ、あたしってけっこうモテてたんだ。
もちろんあたしにとって森田くんも明石くんもただのクラスメイトに過ぎなかったのだけれど、こんな好印象を二人に持たれていたのは意外で、ちょっと自分で自分を見直してしまった。あたしやるじゃん。そこに明石くんの声。
「でも死んじまった」
「あそこまで泣けないけど……悲しいよな」
二人は再びユリたち三人を見やった。ひどく切なげな横顔だった。あたしは切なくならなかった。あたしは教室を出た。
どうしようもない欠落に、罪悪感だけが残る。だってしょうがないじゃない。あたしは死んだんだもの。どうしようもないじゃない。悲しくなれないんだもの。
早足で廊下を歩く。あたしは誰もいないところへ行くことにした。屋上へ行こうと階段を上る。
「うっ、うっ……」
階段の最後の踊り場まで上がり屋上への扉を見上げたところで、その前でうずくまって泣いている人影を見つけた。知っている人影だった。
クラスメイトの北野くんだ。
彼は人目を忍んで泣いていた。手になにかを持っている。近づいて見るとそれは生徒手帳にはさまれた写真だった。
――あたしの写真じゃん。
驚く。それは去年の文化祭でコスプレ喫茶をしたときに撮られた、ゴスロリメイド服でピースサインをしているあたしの写真だった。
「……アオイさん」
北野くんはクラスでも地味な男子で、簡単に言うとオタクっぽい男子だった。こっち方面にもモテていたとは新鮮な驚きである。
そんなに接点のなかった男子に、自分の写真を見つめられながらこんな人目を忍んだところで泣かれるほど想われていたとは、正直ちょっと「ヒャー!」という気持ちになる。おおう、モテ過ぎだぞ生前のあたし。
そんなことを思っていたら、北野くんがなにかぶつぶつと独り言をつぶやきだした。
「ボクは、ボクは忘れないよ……。あのときアオイさんがいなかったら、ボクは……」
ここで「あのとき」という言葉を聞いて、あたしは「あっ」と思い出した。
北野くんはオタクっぽい雰囲気に加えて、見た目も細くなよなよとしていたから、とてもからかわれやすい男子だった。「北野だったらこのぐらいからかっても大丈夫」なんていう空気が「あのとき」の教室にあった。それに北野くんは耐えていた。受け入れてはいなかった。耐えていたのだ。そしてそれが「あのとき」のあたしにはとても不快だった。だからあたしはみんなの前でからかわれている北野くんに言ったのだ。
――怒ったら? って。
そして北野くんは怒った。もうすごい怒り泣きの顔で怒った。からかっていた方はたじたじになって「ごめん」と謝った。あたしが「北野、男じゃん」と言って背中を叩いてやると、ユリもカスミもサクラも同じように北野くんを褒めて拍手をした。他のクラスメイトも拍手した。それから北野くんをこぞってからかってやろうという空気は教室からなくなっていた。
「ボクは生きてなかったかもしれない……」
あたしはたいしたことをしたつもりはなかったけど、北野くんにはとても大切なことだったのかもしれない。
でも、その好意も宙ぶらりんに途切れてしまって、北野くんはひっそりと涙を流す。もうなにもできないあたしは、宙ぶらりんにその横を通り過ぎる。
休み時間の終わりのチャイムが鳴った。北野くんが立ち上がる。あたしはその背中を見送りながら、屋上の扉をするりとすり抜ける。
するりだなんて、あたしって完全に幽霊だな、と思った。あんな北野くんの背中を見て、なんのひっかかりもなく閉じた扉をするりとすり抜けて屋上へ出てしまえる自分に嫌気が差す。ひっかかるような心はもうなくしてしまったんだ。そんな現実を突きつけられているような気分になったのだ。
授業の始まった学校は静かになる。屋上の空はぽっかりとしていた。遠くなった喧騒に風だけが吹いている。それが隙間の風みたいに思えた。屋上のフェンスに手をついてあたしはそんな風に吹かれる。風は寒さだけを残して吹いていく。
風に乗って遠くの声が聞こえた。体育の声だ。校庭に目をむけると、男子たちが声を掛け合ってサッカーゴールを運んでいる姿が見えた。そこであたしの目が止まる。一人の男子の身体がよろめいてサッカーゴールが斜めに傾く。
あたしはフェンスをすり抜けて、校庭へと飛び降りた。
「おい、しゃんとしろよ。ショックなのはわかるけどさ」
あたしが校庭に着いたときには、サッカーゴールは運び終わっていた。その近くでさっき身体をよろめかせていた男子が、別の男子に肩を叩かれてそう励まされていた。
その男子は「ああ」と弱々しい笑顔を相手に返すと、なにかを振り払うように首を振り、みんなの集まる体育教諭のいる場所へと走っていった。あたしは走り去るその背中をじっと見つめる。
――横山くん。
それが彼の名前だった。
昨日のことを思い出す。あたしは教室のベランダの手すりに乗り出して、彼の姿を見ていたのだ。サッカー部の練習で校庭を走る彼の姿を。
「おい、あんま言ってやんなよ。好きな子に死なれたら誰だってああなるよ。二組の遠坂さんだっけ? あの美人の」
「そう。あの二組の美人の遠坂さん」
そこに一緒にサッカーゴールを運んでいた男子たちの会話が聞こえてきた。あたしの首が「えっ」と動く。
「中学のときに同じクラスになってからずっと好きだったんだよ、あいつ。でも遠坂さんって昔っから人気者だったからさ、ずっと告白できないでいたんだよ」
「ああ、わかる。きっと自分なんかじゃ、って思っちまうよな」
「でも、まいるよな。フラれたんなら励ましようもあるけどさ、死なれたんじゃなあ……」
「なあ……」
そう言って、その二人も体育教諭のところへと歩いていった。
残ったあたしはぽつねんと立ち尽くす。
――ああ、両想いだったんだ。
いまさらにいまさら過ぎた真実に、胸の奥が鈍くうずいた。
サッカーの試合が始まる。
赤と黄色のゼッケンに分かれた二つのチームをボールが行き交う。
赤のゼッケンを着た彼が走っている。彼がボールをドリブルし、ディフェンダーをかわしながら走っている。彼が汗と息を散らしてゴール前へと走り込む。彼がシュートの姿勢を作る。彼が――、
そこで追いついた相手のディフェンダーが後ろからのスライディングで彼のボールを奪い取った。彼がバランスを崩して転倒する。ボールは黄色チームのものになり、今度は赤チームのゴールへと運ばれていく。
ボールと試合の喧騒が、倒れたままの彼を置いて遠ざかっていく。彼はそのままごろりとあおむけに転がり、胸を大きく上下させながら、はあはあと息を吐いていた。ぽっかりとした空を見上げながら、はあはあと息を吐いていた。
そんな彼の側へとあたしは近づく。
彼の目もとは薄く滲んでいた。泣いている。それに気づいて、あたしは彼に手を伸ばした。
けれど途中で手を止める。
きっと彼に触れたら後悔する。あたしの直感が頭の中でそう言っていた。彼は生きている。あたしは死んでいる。だからこの手はきっと彼をすり抜けてしまう。それはもうどうしようもないことで、あたしをきっと傷つける。だって、悲しみを失ったあたしには、もう流す涙なんてないんだから。
「……遠坂」
それでもあたしは彼の涙に触れてしまった。
――横山くん。
そして流れない涙に、あたしはぐっと胸を押さえた。
軋め。
軋め。
軋んで――。
あたしは強く、強く胸を押さえた。