確かに、どこかで
人間という生き物は意外と逞しくできている。
そ
う思ったのは、廃墟となった街の片隅で身を寄せ合って生きている者たちの姿を見たからだった。今にも崩れそうなビルや商業施設に居ついた彼らは、少ない食料を分け合っていた。
生き延びることに精一杯な彼らは、無害な他人の動向を気にしている余裕もなく、珍しい東洋系のこの男に視線をくれるものはいなかった。
こんな荒んだ世界にも小さな希望はあるものだと、ほんのり胸が暖かくなった。自分はもう失ってしまったものがここにはある。そして、再びそれを自分が壊してしまうのだと思うと、切ないような寂しいような気がする。
街を抜けた。今はかろうじて緑が残っているだけの、かつては森だった場所に一軒の民家が立っている。街の廃墟群とは違い、この家は小奇麗で在りし日の姿を保っていた。
焼け野原となった森や、砂礫ばかりの平原の中で、その家だけは時が止まっているように感じられた。
迷いなく家のドアを開ける。ドアノブを握る間に、何重にも仕掛けられたセキュリティシステムが個人認証をしていたが、傍から見ると鍵も掛けずに不用心だと思うかも知れない。
真っ先にキッチンに入り、のどを潤すことにした。久方ぶりの外出に思ったよりも体が疲弊している。運動不足のせいかな、などと自嘲した。
自作の浄水器を取りつけた水道から、コップに水を灌ぐ。汚染され尽くした世界では、飲み水を確保するのも一苦労だ。数十年前の先進国では当たり前だったこの光景も、今では奇跡に等しいことであった。
生活用水は雨水をためて使っているが、さすがに飲み水には地下水をくみ上げる必要があった。どちらもそのまま飲むのは危険であったが、どちらがマシかと言われれば地下水の方がまだ毒性が低い。
コップの水を飲みほし、奥の部屋へと進む。
ずらりと現代では珍しい紙媒体の書籍で埋められた棚と、作業机がひとつ。よく言えばシンプル、悪く言えば殺風景な書斎である。
壁に沿って並べられた本棚の前に立ち、その中から数冊手に取り再び本棚に戻す。意図的に位置を変えられた本たちは、カタンと音を立てて後ろに倒れた。すると、家全体に響くほどの駆動音が鳴り、窓や机がかすかに揺れる。石の扉を開けるときのような重低音とともに、床に地下へと続く扉が出現した。
地下はわずかな明かりが届くこともなく、完全な暗闇状態だった。だが、地下室の扉が閉まると同時に、一斉に明かりが灯った。常に厚い雲に覆われる外よりもよほど明るい。照明に照らされて出現したのは、広大な研究室だった。
あの日を切欠に、こつこつと改造と増築を進めて作った自分だけの部屋。
絶対に果たさなければならない誓いのために、すべてを捨てて実現すべきもの。それが、ようやく最後のピースが揃い、今日完成する。
「やっとだ。やっと……」
研究室の片隅に立てかけられた、薄汚れた一枚の写真。写真立に入れ、丁寧に保存処理を施してあるそれを手に取って、そっと撫でる。
喜んでくれるだろうか? それとも怒るだろうか? 悲しむだろうか?
余りに遠くなりすぎておぼろげになった面影を、必死に手繰り寄せるようにして。
これまでの過去を振り返り、これからの未来を夢見る。
写真を眺める顔は恍惚として、疲労と加齢でくたびれた顔がよりいっそうの狂気を感じさせた。
「さよなら――私の憎らしくも愛おしい世界よ」
それからしばらく後のこと。
空の一角が強烈な閃光に包まれ、光の筋が世界へと散った。それはまるで、天使が翼を広げているように見えたと言う。