第6話 断罪パーティ開幕、世界補正の圧
王立アカデミーの大広間に、また静寂が降りた。
何度目かの深呼吸を、私はこっそり胸の奥だけで繰り返す。磨き上げられた大理石の床。高く掲げられたシャンデリア。色とりどりのドレスと軍服。全部、知っている光景だ。
(いよいよ、本番ですね)
断罪パーティ。
世界の台本が、どうしても私を断頭台に送りたがっている、最終イベント。
予定では、ここで王太子ハルが婚約破棄を宣言し、私の罪状を読み上げ、周囲が「悪役令嬢、最低」とスカッとする流れになる。最後に国王陛下の「断頭台送りだ」で、エンドロール。
……そんな仕様、承認した覚えありませんけれど。
「静粛に」
玉座の前に立つ王宮侍従が声を張ると、ざわめきが一段落した。
視線が、一斉に私へと集まる。
恐怖で足が震えないわけではない。けれど、前世で、徹夜明けの会議室で鬼上司を前にプレゼンしたときよりは、マシだ。あのときは本気で胃に穴が開くかと思った。
(こっちは命がかかっていますけどね)
冗談みたいな現実に、心の中でだけ乾いた笑いを浮かべた、そのとき。
──視界の端に、光が揺れた。
シャンデリアのさらに向こう。天井と天井の隙間に、うっすらと紙の束の幻影が浮かび上がる。
ぞくり、と背筋が粟立った。
(……物語台帳)
何度も夢に見た、あの帳簿の廊下。世界の歴史と人の運命が、行と行の隙間なく書き込まれた、巨大な仕様書。
けれど、今見えているのは簡易版だ。分厚い本ではなく、舞台用のカンペみたいに、必要なところだけ切り抜かれて宙にぶら下がっている。
そこに、はっきりと太い字で書かれていた。
『断罪パーティにて、悪役令嬢エルヴィラを断罪・処刑すること』
その下に、真っ赤な追記がある。
『もしここで悪役令嬢が処刑されない場合、王国は破滅する』
「っ……!」
息が詰まった。
世界補正の圧。その言葉が、頭の中で形を持つ。
あの日、大神殿の聖域で見たページと、同じ文言。けれど今は、インクの色が前より濃くなっている気がする。
処刑か、破滅か。
選択肢が二つしかない仕様書なんて、最悪の設計だ。
(誰がこんなふざけたフローチャート作ったんですの……)
前世の残業地獄の記憶がフラッシュバックして、頭の片隅で「デスマ確定案件」のハンコが押される音がした。
けれど、その赤い追記のさらに端っこに、別の色が滲んでいる。
濃いインクとは違う、少しかすれた赤。
『要再検証』
私が十歳の夜、震える手で書き込んだ四文字。あれから何度も小さな修正を重ね、つい最近、「悪役令嬢の処刑以外による回避ルート、要検討」と書き足した、その痕跡だ。
世界補正は「処刑しないと破滅」と脅してきている。
でも、その横には、ちゃんと私のツッコミも残っている。
(処刑も、王国の破滅も、両方なし。そこまで含めて、再検証ですわ)
喉の奥の乾きを、ゆっくりと飲み下す。
怖くないと言えば嘘になる。
この場で私が筋書きから外れれば、どこか別の行で誰かが落ちるかもしれない。バグの尻ぬぐいを、また別の人間に押しつけることになるかもしれない。
物語台帳は、そういう顔をしている。
──けれど。
(だからこそ、監査するんでしょう)
私は、扇子を握る指先に力を込めた。
前世では、誰も「おかしい」と言ってくれなかったブラック仕様書に、一人きりで赤を入れるしかなかった。
今は違う。
「怖いなら怖いまま、俺の袖をつかめ」
朝、控室で交わした言葉がよみがえる。
断罪パーティ開始前。控室代わりの小部屋で、私は鏡の前に立ち尽くしていた。雪の国の公爵令嬢にふさわしい、淡い青のドレス。背中まで流れる銀糸の髪。外見だけ見れば、絵画から抜け出した令嬢だ。
中身は、心臓バクバクの元社畜である。
「顔色が悪い」
背後からそう声をかけてきたのは、氷の宰相補佐、エリアス・フォン・クロイツェルだった。
灰色の瞳が、心配そうに私を映している。
「緊張して当然の場だ。だが、きみはもう一つ、余計なものまで抱えている」
「余計なもの、ですか」
「世界補正」
淡々とした声なのに、その単語だけが冷たく大広間まで響きそうだった。
「台本は今も、きみを悪役の列に戻そうとしている。処刑か、王国破滅か。二択を飲ませようとしてくるだろう」
「……はい」
大神殿で見た台帳のページ。処刑行の下に書き込まれた「王国滅亡」の予告行。その恐怖は、まだ骨の髄に残っている。
「それでもきみは、『両方なし』のルートを選んだ」
エリアスは、私の背に軽く手を置いた。支えるでも、抱きしめるでもない、さりげない距離感の触れ方で。
「なら、その選択を現実にするのが俺の仕事だ。監査一族と宰相補佐の役目として」
「……ずるい言い方ですわ」
「誉め言葉として受け取っておこう」
彼はわずかに口元をゆるめた。
「怖いなら怖いと言っていい。限界なら限界だと伝えろ。それでも前に出ると決めたなら、その先は俺が支える」
そんなこと、前の世界では一度も言われなかった。
仕事が辛くても、「大変ですね」で終わりだった。限界だと漏らしかければ、「皆やっているから」で黙らされた。
だから私は結局、誰にも止められないまま倒れたのだ。
「……ありがとうございます、エリアス様」
震える声で礼を言ったら、彼は少しだけ真面目な顔になる。
「礼を言うのは、世界の台本を書き換えたあとにしろ」
「ずいぶんとハードルが高い条件ですこと」
「きみならできる」
即答だった。
胸の奥がきゅっとして、思わず視線を逸らす。
「では、お言葉に甘えて」
私は深呼吸をひとつしてから、彼の袖を指先でつまんだ。
「怖いです。でも、処刑エンドにも、王国破滅エンドにも行きたくありません」
「当然だ」
彼は、私の手を振り払うことなく、その上からそっと指を重ねた。
「だからこれからの数刻、きみは『監査役』として振る舞え。自分を断罪される悪役令嬢ではなく、この茶番劇全体を検証する監査官として」
「……監査官、ですか」
「王太子も、聖女候補も、神殿も。全員、書類と証拠で査定対象だ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
断罪される側から、査定する側へ。
立場が変わるだけで、世界の見え方はこんなにも違う。
「了解しました。では本日、全力で監査させていただきますわ」
「期待している」
控室の扉が開き、音楽の残響と貴族たちのざわめきが流れ込んできた。
そして今、私は大広間の中央に立っている。
頭上には、簡易版物語台帳の幻影。太字で「断罪・処刑」の行。そのすぐ横で、私の「要再検証」が必死に抵抗している。
「エルヴィラ・フォン・グランツ」
王太子ハルの声が響いた。ゲーム通りの台詞、ゲーム通りの立ち位置。隣には、涙をためたミリアが、守られるヒロインのポーズでしがみついている。
「この場をもって、そなたとの婚約を破棄する」
はい、知っています。その台詞、前世で百回は見ました。
大広間の空気が、「かわいそうなヒロイン」「最低な悪役」の物語へ滑っていこうとする。
世界補正が、台本通りの感情の流れを作ろうと、目に見えない手を伸ばしてくるのが分かる。
誰かが私を指さす。
誰かがミリアを庇う。
そうやって、舞台は「予定された悪役断罪劇」に収束していくはずだった。
(──ですが)
私は、扇子をぱちんと閉じた。
その音が、小さな楔みたいに空気に刺さる。
「婚約破棄の件、承知いたしましたわ。殿下」
一礼してから、ゆっくりと顔を上げる。
「ただしその前に、一点だけ確認させていただきとうございます」
「……確認?」
ハルが眉をひそめる。世界補正の風向きが、ほんの少しだけ変わった気がした。
頭上の簡易台帳に、新しい行がうっすらと浮かび上がる。
『断罪パーティにて、告発内容の真偽を検証する』
細い字だが、確かにそこにある。
(よし)
私は、心の中でそっとガッツポーズを決めた。
処刑か破滅かの二択に、小さな第三の選択肢が挿入される。
検証。
監査。
世界補正がどれだけ「そんな選択肢、認めない」と叫ぼうとも、私は譲るつもりはない。
「本日ここは、王家と神殿、そして学園の在り方そのものを問う場と伺っております」
視線を王へ、神殿席へと一人ずつ流していく。
「でしたら、悪役令嬢一人を断罪して終わり、という仕様は、さすがに簡略化しすぎではございませんこと?」
ざわり、と空気が揺れた。
世界補正の圧力が、じわりと増す。けれど同時に、頭上の簡易台帳の一部が、かすかにノイズを走らせる。
処刑行のインクが、ほんの少しだけ薄くなった。
(さあ、台本。ここからが本当の残業ですわ)
私は、扇子を胸元に戻し、監査官としての一歩目を踏み出した。
処刑も破滅も、どちらもゴミ箱行きにするための、世界最大の仕様書レビューを始めるために。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ついに断罪パーティが開幕し、処刑エンドか王国滅亡かという世界補正の本気が牙をむきました。
第三の道としての『監査』ルート、そしてエリアスとエルヴィラの距離がどう変化していくのか、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
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