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第5話 証拠集め② 聖女詐称と世界破滅フラグ

 王都大神殿の応接室は、いつ来ても胃に悪い。磨かれた石床と聖人画だらけの壁が、「ここで嘘をつくな」と圧をかけてくる。


「緊張しているのか」

 隣のエリアス様が、小声でささやく。


「当然ですわ。神殿で事情聴取なんて、転生人生通して初ですもの」

「事情聴取ではなく協議だ」

「呼び出し状の『至急、聖女候補に関する鑑定について説明を求む』のどこがですの」

「……神殿文書は表現が古い」


 軽口を交わしていると、扉が開いた。


「お待たせしました、グランツ公爵令嬢殿、クロイツェル殿」


 柔和な笑みの大司教と、その後ろに紙束を抱えた青年神官。金縁眼鏡に青白い顔、残業続きなのが一目で分かる。


「魔力鑑定士のリュシアンと申します」


 彼は丁寧に頭を下げ、机にファイルを並べた。ミリアと、ついでにわたしの鑑定記録だという。


「単刀直入に伺います」

 エリアス様の声が、仕事モードの冷たさを帯びる。

「ミリア嬢は、正式に『聖女』として認定されたのですか」


 大司教とリュシアンが視線を交わした。沈黙一秒、嫌な予感確定である。


「……厳密に申し上げれば、いいえ」

 答えたのはリュシアンだ。

「一次鑑定で『光属性魔力が平均より高い』と出ただけでして。本来の聖女認定には複数回の鑑定と奇跡の実証が必要ですが……」


「ですが?」

「王太子殿下が、『この子こそ聖女だ』と公言されまして。民の間でも『聖女様』と呼ばれ始め、神殿としても否定のタイミングを失いました」


 やらかしましたわね、うちの元婚約者。


「では『聖女候補』の肩書きは?」

「王家と世論を汲んだ、便宜的な俗称です。少なくとも公式台帳には『聖女』の確定行は存在しません。記録上は『光属性資質高め・要経過観察』のみです」


 大司教も静かに頷く。


「補足すると、聖属性そのものは一度も確認されておりません。治癒の成功も、儀式補助者の魔力と混ざった可能性が高い」


 つまり、ゲーム本編で太字だった「奇跡の聖女」が、この世界の公式記録ではただの光属性多めの女の子、ということだ。


(想像以上に根拠スカスカ……)


 わたしが心の中で頭を抱えていると、リュシアンが別の紙を差し出した。


「むしろ波形だけ見れば……」

「見れば?」

「エルヴィラ様の方が高いのです。幼少期の診断記録ですが」


 そこには見慣れた自分の名前。


 グランツ公爵家長女。光属性強。聖属性の芽あり。要再鑑定。


「初耳ですわ」

「当時、体調が不安定だったため再検査は見送られたと聞いております」


 父と母なら、「うちの子に余計な負担をかけるな」と言いそうだ。


「確認します」

 エリアス様が、手元の用紙に要約を書きつける。

「現時点で神殿公式記録に『ミリア=聖女』という確定行はない。あるのは『光属性資質高・要観察』のみ。エルヴィラの方が聖属性適性を有する可能性が高い。相違ありませんね」


「……はい」

「この記録の写しを宰相府と王宮法務局に提出しても?」

「構いません。ただし、聖女制度全体の見直しに繋がるかもしれませんよ」


「だからこそ、正確な情報が必要だ」

 エリアス様の声が、さらに冷たくなる。

「物語台帳が誤ったフラグを立てているなら、なおさら」


 物語台帳という単語に、神殿側がわずかに身じろぎした。存在は知っていても軽々しく口に出すものではない。それでも、否定はしない。


   ◇


 神殿を出た帰りの馬車。揺れに合わせて、わたしは膝の上のメモを読み返した。


「まとめますと、ミリアの『聖女フラグ』はほぼバグですわね」

「世論と王太子の思いつきがラベルを増殖させた結果だ」

 向かいの席で、エリアス様が腕を組む。

「台帳も、そのラベルに引きずられている可能性がある」


「だから物語台帳の方も監査が必要、と」

「契約は覚えているか?」

「『台帳に赤を入れる前に、必ずエリアス様に相談すること』」

「よろしい。今夜、台帳に潜るときは必ず俺が隣にいる。負荷がかかったら即撤退だ。いいな」

「監査付き残業ですね」

「残業前提で話を進めるな」


 軽口の裏で、胸の奥がひやりとする。ミリアの聖女フラグが崩れることは、わたしの処刑ルートという「既定路線」を支えていた柱が一本折れる、ということでもある。


(……怖い)


 共犯契約の第三条が頭をよぎる。「限界を感じたら、『怖い』『疲れた』を我慢せず言うこと」。


「エリアス様」

「ん」

「正直、とても怖いです」

「よく言えた」


 灰色の瞳が、ほんの少し柔らかくなる。


「怖いからこそ慎重に監査できる。きみの役目は世界の全部を背負うことじゃない。おかしい台本を指さして『これ変です』と言う、それで十分だ」

「励ましが完全に監査部門のそれですわ……」


   ◇


 夜。生徒会室のソファに横たわり、隣の椅子に腰掛けるエリアス様の存在を確かめる。


「意識が長く戻らなかったら、すぐ揺り起こしてくださいませ」

「最初から無茶をするな」


 彼の手がわたしの手を包む。その温度を頼りに、目を閉じた。


 深呼吸を三度。紙の匂いと神殿の冷気を思い出す。


 視界が反転し、果てしない帳簿の廊下が立ち上がる。ラグランジュ王国史が一冊だけ、こちらへ滑り出た。


「今日はミリアのページから」


 ページをめくると、平民出身の奨学生、光属性資質高め、と続き、その下に薄墨で「聖女候補」の文字。右の余白には小さな字で、


 一次鑑定結果に基づく暫定フラグ/根拠薄弱/査定ミスの可能性/再鑑定未実施


 と、自虐的な注釈まで書いてある。


「フォーマットが既に破綻してますわね……」


 ラベルだけ派手で、裏付け欄はスカスカ。ありがちな炎上案件仕様書だ。


「余白があるなら直しましょう」


 指先には、赤いペン。


「ミリア:聖女候補(仮)」


 その右にペン先を当てる。


「要検証。公式認定なし。再鑑定の上で判断」


 赤インクが走った瞬間、行全体がぐらりと揺れ、聖女候補の文字が薄くなった。代わりに下の余白に、新しい行が浮かぶ。


 聖女制度の基準不明瞭。審査プロセスの見直し要。


「それはもはや人事制度改革ですわよ、台帳さん」


 ページの端でさざ波が立つ。別の行「ミリア、奇跡的治癒を行う」が灰色になり、遠くの欄に「祈りの儀式で魔力暴走、軽い頭痛」と控えめな記録が生成される。


(世界補正の揺り戻し……)


 ふと視線を下げると、自分の名前。


 エルヴィラ・フォン・グランツ。公爵令嬢。


 欄外に、薄く新しい行。


 光属性の再測定、聖属性資質の再評価。


「いりませんわ、その余計な昇格フラグ」


 赤ペンを握り直した瞬間、頭の奥で強い痛みが走る。


「っ……」


 視界がぐらりと傾き、床が暗く沈み込む。これ以上は負荷過多、という警告が、脳の奥で赤く点滅する。


 撤退しようとした途端、別のページが勝手に開いた。


 エルヴィラ・フォン・グランツ、公爵令嬢。断罪。処刑。要再検証。


 見慣れた不名誉ワードの少し下に、新しい太字が浮かび上がる。


 ここで悪役令嬢が処刑されない場合、王国は破滅する。


「……は?」


 背筋が凍りつく。ページ全体から、目に見えない圧力がのしかかってくる。


「脅しのセンスが完全にブラック企業ですわよ、世界」


 処刑か王国滅亡かの二択を押し付けてくる仕様書など、まともな設計ではない。


「そんな選択肢、認めません」


 震える指で、太字の横に赤を入れる。


 悪役令嬢の処刑以外による王国破滅回避ルート、要検討。


 たった一行なのに、視界が白く弾けた。ページの縁がびりびりと震え、帳簿全体が「予定外」と抗議しているようだ。


「それでも、わたしは処刑されないルートを選びます」


 はっきりと口に出す。処刑も王国滅亡も、両方回避する。そのために、ここまで証拠を集めてきた。


 床が、完全に抜け落ちた。


   ◇


「エルヴィラ!」


 呼び声に意識が引き戻される。目を開けると、生徒会室の天井と、至近距離の灰色の瞳。


「……戻りました、エリアス様」

「顔色が最悪だ。限界までやるなと言ったはずだ」


 支えられて上体を起こすと、まだ手は握られたままだった。その温度に、現実感が戻る。


「進捗は」

「開口一番それですの?」

「仕事の場では『進捗どうですか』禁止だったか」

「ここ、仕事扱いでした?」


 弱い冗談に、彼は小さく息を吐く。


「ミリアの聖女フラグは」

「『要検証・公式認定なし』に修正しましたわ。ついでに聖女制度の審査も『見直し要』に」

「神殿の監査役が泣いて喜ぶな」


 彼は水差しからグラスに水を注ぎながら続ける。


「さっき大神殿から連絡があった。結界が一瞬揺れて『聖女候補』の印が不安定になったらしい」

「多分、それはわたしの赤入れのせいですわ」

「だろうと思った」


 水を一口飲み、呼吸を整える。


「それから、わたしのページに新しい警告が出ていました。『ここで悪役令嬢が処刑されない場合、王国は破滅する』って」


 エリアス様の表情が、静かに凍る。


「脅しとして最低だな」

「全力で同意します」

「で、きみはどうした」

「『悪役令嬢の処刑以外の回避ルート、要検討』って書き足してきました」


 声が震えているのが自分でも分かる。それでも、ペンは離さなかった。


「処刑も王国の破滅も、両方避けたいです。わたし」

「知っている」


 即答だった。


「きみが、どちらか一方だけ諦める選択を飲み込むとは思えない」

「現場に押しつけられた理不尽な二択は、全部やり直し。前の世界で散々学びましたから」

「いい学習だ」


 彼の口元が、わずかに緩む。


「そのために、断罪パーティを使う」

「使う?」

「今しがた王から通達が来た。『王太子と聖女候補に対する告発の真偽を、公の場で明らかにする審問会を開く』。俗称は断罪パーティらしいが」

「世界補正のネーミングが仕事しすぎですわね……」


 頭を抱えつつも、その場がはっきり見えた気がした。


「つまり、そこで全部ぶちまけていい、と」

「ミリアの聖女詐称疑惑も、王太子殿下の冤罪工作も、物語台帳のバグも、法の言葉に翻訳して叩きつける。洗濯場の証言はオスカーが宣誓供述書にまとめているし、記録結晶も中庭のベンチ裏で稼働中だ」


「進捗、順調ですね」

「きみのおかげだ」


 迷いなく言われて、胸の奥がきゅっと縮む。前世では、どれだけ残業しても「助かる」の一言で終わっていたのに。


「……エリアス様」

「何だ」

「わたし、やっぱり怖いです。でも、処刑エンドには戻りたくありません」

「当然だ」


 彼は身を乗り出し、そっとわたしの頭に手を置いた。


「怖いなら怖いまま、俺の袖をつかめ。きみが『王国を救うルートで生きたい』と言うなら、俺はそのルートを現実にする。それが監査一族と宰相補佐の仕事だ」

「……ずるい言い方ですわ」


 泣きそうになるのをごまかすように笑う。けれど、もう覚悟は決まっていた。


 処刑も王国破滅も、どちらも許さない。バグだらけの台本ごと書き換えてやる。


「分かりました、エリアス様」

 わたしは彼の手に自分の手を重ねた。


「断罪パーティ、全力で監査させていただきます」

「期待している」


 どこか遠くで、分厚い帳簿のページがぱらりとめくれる気配がした。


 エルヴィラ・フォン・グランツ、公爵令嬢。断罪。処刑。要再検証。


 そのさらに下に、かすかな新しい行が浮かぶ。


 断罪パーティにて、王国破滅フラグの是正を試みる。


(ブラック台本相手の総力戦、開幕ですわ)


 残業地獄の仕様書ごと叩き直してみせる。わたしと、氷の宰相補佐の共犯契約で。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

第5話はいよいよ聖女詐称と世界破滅フラグが表に出てきました。

エルヴィラとエリアスの共犯タッグ、少しでも胸きゅんしていただけたら嬉しいです。

続く断罪パーティ編も全力で書いていきますので、評価・ブクマ・感想をポチっと応援してもらえると励みになります!


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