第4話 証拠集め① 台本のほころびを拾います
エリアスと共犯契約を結んでから、数日後。
わたしは学園の図書塔の一室で、机いっぱいに紙を広げていた。
「……こうして見ると、本当にテンプレですね」
自分で書き出した一覧を眺めて、思わずため息がこぼれる。
紙の上には、前世の記憶を頼りにした「ゲームイベント年表」が並んでいた。
ミリアのドレス汚し事件。
靴隠し事件。
階段から突き落とし未遂。
茶会での公開いじめ。
どれもこれも、悪役令嬢ルートで有名なイベントばかりだ。
そこに今度は、この世界で実際に起きた出来事を、日付と場所付きで書き込んでいく。
「こちらが、現実」
わたしは赤いペンをくるくる回しながら、メモを追加する。
「ドレスが汚れたのは事実。でも、靴隠し事件は発生せず。階段から突き落としも、まだ起きていない」
「お嬢様」
背後から控えめなノック音がして、専属侍女のリタが顔をのぞかせた。
「お持ちしました。本日の差し入れです」
「……リタ、好きです」
「まだ中身も見ておられませんよ?」
「リタの持ってくるお菓子はいつも正義ですから」
社畜時代に身についた「糖分は正義」の信念は、今もぴんぴんに生きている。
木箱のふたを開けると、一口サイズの焼き菓子がきれいに並んでいた。
「ありがとうございます。あとでエリアス様にも押しつけ……いえ、おすそ分けしますね」
「できれば『押しつけ』は心の中だけでお願いします」
リタは苦笑しながら、机の上の紙の海を見回した。
「それで、お調べの方は?」
「順調に、地味です」
「地味、ですか」
「地味こそ尊いんですよ。世界を救う仕事は、だいたい地味です」
エリアスもきっと同意してくれるはずだ。宰相補佐なんて、派手そうでいて中身は書類地獄だし。
「とりあえず、今日は『ドレス汚し事件』からですね」
わたしは年表の一行を指先で叩いた。
「ゲームだと、学園中庭での茶会の日。ミリアの新調したドレスに泥がかかって、わたしがやったってことにされるんです」
「実際には、どうでしたか?」
「泥がついたドレスが、ミリアの部屋の前に置かれていた、までですね。わたしはその日は寮から出ていませんし」
「犯人探し、ですね」
「はい。証言と、記録と、可能ならお金の流れも」
前世で嫌というほどやった調査手順を、今度は自分の命のために使う。
……なんだか、ちょっと感慨深い。
◇
ランドリールームは、いつも湯気と石鹸の匂いがする。
大きな水槽の中でシーツが揺れ、女中たちが手を動かしながらおしゃべりをしていた。
「お仕事中に失礼します、皆さん」
わたしが扉の前で声をかけると、女中たちが一斉に振り向いた。目を丸くしている子もいる。そりゃそうだ。公爵令嬢が洗濯場に来ることなんて、普通はない。
「少し、お話を伺ってもよろしいかしら」
わたしはできるだけ柔らかい笑みを浮かべながら、一歩踏み込んだ。
「先日の、ミリア嬢のドレスの件についてです」
「あ、あの……」
年長の女中が、気まずそうに視線を泳がせる。
「叱りに来たわけではありません。ただ、事実を確認しておきたいのです」
わたしは、リタから受け取った小さな袋をそっとテーブルに置いた。
「これは?」
「北方から取り寄せた砂糖菓子です。口が軽い方と、重い方、どちらにも公平にお渡ししますので」
洗濯場の空気が、わずかにゆるんだ。
前世の経験上、人は「攻め」に弱いより、「ご褒美」に弱い。
結果。
「……正直に申しますと」
年長女中が、観念したように口を開いた。
「ミリア様が、ドレスを『わざと』泥のあるところに引きずっておられるのを見ました」
「やっぱり」
「そのあと、『エルヴィラ様の部屋の前に置いておいて』と、若い子に命じて……」
「命じられた子は?」
「それが……怖くなってしまったようです。言われたとおりに廊下には運んだのですが、どうしてもお部屋の前まで行けず、その手前で引き返したと」
わたしは、頭の中で年表の該当行に赤丸をつけた。
(ゲームと違う)
本来なら、廊下のど真ん中に置かれた泥ドレスを、たまたま通りかかったわたしが踏んでしまう。
それを見たミリアが泣き出し、ハルが駆けつける。
そういう筋書きだった。
「教えてくださって、ありがとうございます」
わたしは深く礼をした。
「この件で、この洗濯場の誰かが責められることはありません。必要があれば、わたしが保証します」
女中たちの顔に、ほっとした色が広がる。
その背中を見ながら、わたしは心の中で、別の帳簿のページをめくっていた。
(物語台帳には、どう書かれているのかしら)
◇
その日の夜。
わたしは寝台に横たわったまま、静かに目を閉じる。
深呼吸を三度。心の中で、神殿の冷たい空気を思い出す。
視界が、すっと反転した。
――果てしなく続く帳簿の廊下。
その中の一冊が、ふわりと前へせり出してくる。
ラグランジュ王国史。
ページをめくると、そこにはわたしの名前があった。
エルヴィラ・フォン・グランツ、公爵令嬢。
行を追っていくと、「学園入学」「王太子婚約者としての初登校」の下に、問題の行が現れる。
ミリアのドレスを汚す。
「……してないんですけどね」
思わず、紙の上でつぶやいてしまう。
文字は濃いインクで、しっかりとそこに刻まれている。その右横に、細い字で注釈があった。
実行者不明。因果関係が宙吊り。
文字が、ところどころにじんでいる。
「これが、幽霊行」
背後から、低い声がした気がした。振り返っても誰もいない。ただ、わたしの頭の中で、エリアスの説明がよみがえる。
『本来実行されるはずだった行が、何らかの理由で実行されなかった。だが、台帳からは消えていない。そういう行を、俺たちは幽霊行と呼んでいる』
幽霊行は、世界のあちこちで小さなバグを生む。
誰もいないのに聞こえる足音。
ありえない場所での転倒。
説明のつかない不具合。
『台本が「こうなるはずだ」と主張し続けているのに、現実が追いついていない状態だ』
わたしは赤いペンを握りしめる。
「……なら、ちゃんと整理します」
ペン先を、行の横へ。
ドレス汚しの行に、小さく一文を添える。
実行者ミリア。目的、同情誘発。エルヴィラ関与なし。
そして、その下に、新しい行を立てた。
エルヴィラ、ドレス汚し事件の証拠を整理。
ペン先を紙から離すと、頭の奥がずきりと痛んだ。
「……っ」
視界がぐらりと揺れ、そのまま暗転する。
◇
「エルヴィラ?」
名前を呼ばれて、わたしは目を開けた。
見慣れた灰色の瞳が、心配そうにのぞき込んでいる。
「エリアス様……?」
「また無断で台帳に潜ったな」
「潜った、という表現が、なんだか不吉なんですけど」
体を起こそうとして、軽くめまいに襲われる。エリアスがすぐに背に手を添えて支えてくれた。
「顔色が悪い。今日はこれ以上は仕事をさせない」
「子ども扱いしないでください」
「子ども扱いではない。バグ持ちの貴重なリソース管理だ」
「それはそれでひどく聞こえます」
でも、心配してくれているのは分かる。だから文句を言いつつ、おとなしくクッションに寄りかかった。
「進捗は?」
「『進捗どうですか』禁止って決めませんでしたっけ」
「あれは仕事のときだけだ」
エリアスは、わたしの机の上の年表を手に取る。
「ドレス汚しの件は、実行者ミリアで確定した。幽霊行の注釈も入れておいた」
「なるほど。世界補正が、変な形で暴れなくなればいいのですが」
「それについては、早速兆候が出ている」
エリアスは別の紙を一枚差し出してきた。
「さきほど、学園の階段で生徒が一人、足を滑らせた。だが、軽い捻挫で済んでいる」
「……今日、ゲームの予定だと、『階段から突き落とし未遂』が起こるはずの日です」
「そうだ」
彼はうなずく。
「台帳を確認したが、『ミリア、階段から突き落とされる』の行は、インクが薄くなり、『軽傷者発生、主犯不明』に書き換わっていた」
「それ、わたし何もしてませんけど」
「きみがドレス汚しの行を整理した結果、周辺の行も自動的に再計算されたのだろう」
世界の仕様書、恐るべし。
「つまり」
「処刑ルートに直結する大きな行に無理やり赤を入れるより、こうして地道に周辺のイベントから整えていく方が、安全かつ効果的ということだ」
「……地味ですけど」
「地味こそ、世界を救う」
さっきわたしが言ったことを、そのまま返されてしまった。悔しい。
「にしても、階段の件、わたしが近くにいなくてよかったです」
「実は」
エリアスが、少しだけ目を細める。
「きみ、午前の休み時間にあの階段の踊り場を通ったな」
「……はい」
「そのとき、ミリア嬢も少し離れた場所にいた」
「…………はい」
「世界補正が本気を出していれば、きみの足が滑り、ミリア嬢の方に倒れ込み、双方が階段から落ちる、くらいのことは起きただろう」
「怖いことをさらっと言わないでください」
「だが実際には何も起きていない。せいぜい、きみが手すりに少し強くつかまった程度だ」
「あれ、そういうことだったんですか」
さっきから、右手のひらがじんじんしていた理由が分かった。あの瞬間、わたし、無意識に世界補正と戦っていたのか。
「だからこそ、早めに行を整える必要がある」
エリアスは静かに言った。
「台本は、きみを悪役に落とそうとしている。きみが何もしなければ、周囲の偶然を総動員してでも、筋書きに押し戻すだろう」
「ほんと、迷惑な仕様ですね」
「だが、きみには赤ペンがある」
彼は、わたしの指先を軽く取った。
「そして、俺にはその赤ペンの無茶を止める義務がある」
「……そんなに、負担をかけていますか」
「きみの顔を見れば分かる」
エリアスはため息をつき、机の端に置いてあった焼き菓子の箱を開けた。
「リタが置いていったのか」
「はい。差し入れです」
「いい侍女だ」
彼は一つつまむと、もう一つをわたしの方に差し出す。
「食べろ」
「命令形」
「宰相補佐権限だ」
「そんなところで権限使わないでください」
文句を言いながらも、素直に口を開けると、さくりと軽い音がした。
甘さが、疲れた頭にじんわり染み渡っていく。
「……おいしい」
「そうか」
「エリアス様もどうぞ。あー……いえ、自分でどうぞ」
つい、前世のノリで危ないことをしかけてしまい、慌てて軌道修正する。
エリアスは、そんなわたしの慌てっぷりを見て、かすかに口元をゆるめた。
「焦るな。台本をひっくり返すのも、甘やかすのも、少しずつでいい」
「……甘やかす、って、今さらっと言いました?」
「言った」
彼はあっさり認める。
「きみが前の世界で、誰にも『休め』と言われずに倒れた話は、何度聞いても腹が立つ」
「エリアス様が怒るところ、珍しいです」
「内心では頻繁に怒っている」
「それ、怖いタイプですね」
「なので、今世では俺が言う。限界が来る前に『疲れた』『怖い』と言え」
じっと見つめられて、胸の奥がきゅっとなる。
前世のわたしには、そんなことを言ってくれる人はいなかった。
「……努力します」
「努力しすぎるな」
「それもそうでした」
くすりと笑い合ってから、わたしは机の上の年表を見直した。
「次は、『靴隠し事件』ですね」
「きみの下駄箱に、使い古しの靴が押し込まれていた件か」
「はい。でも、あれはただの悪質ないたずらで、ゲームのような大事件にはなりませんでした」
「それも、おそらくきみの赤ペンの影響だろう」
エリアスは、年表の空白に視線を落とす。
「この調子で、断罪パーティまでに、主要なイベントの裏側を全部洗う。台本のほころびを拾い集めて、筋書きそのものに疑義を突き付ける」
「とても地味で、とても骨の折れる作業ですね」
「きみの得意分野だ」
「褒めています?」
「もちろん」
その即答が、少しうれしかった。
「……分かりました」
わたしは、赤いペンを握り直す。
「一つずつ、台本のほころびを拾います。ドレスも、靴も、階段も。全部、事実を並べて、書き換え可能な『仕様』にしてみせます」
「頼もしい相棒だ」
エリアスの低い声が、耳に心地よく残った。
処刑エンドを避ける道は、まだ遠い。
でも、こうして一行ずつでも台本を書き換えていけるなら。
この世界の「テンプレ悪役令嬢」のページに、わたしだけの修正印を、いくらでも押してやろう。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第四話はいよいよ「テンプレ断罪ルート」のほころびを拾い集める、地味だけど世界の命運がかかったお仕事回でした。
甘やかしモードのエリアスと、社畜根性が抜けきらないエルヴィラの凸凹バディ感を少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
続きも読んでみたいなと思っていただけたら、評価やブックマークで応援していただけると、次の台本破壊の原動力になります!




