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第3話 氷の宰相補佐と、共犯契約を結びました

 王立アカデミーの門をくぐった瞬間、わたしは心の中でそっとガッツポーズを決めた。


 石畳の道も、塔のような校舎も、制服姿の生徒たちも、前世で見た乙女ゲーム「ラピスラズリの王冠」の入学式イベントそのまま。

(ついに本編スタート、ですね)

 けれど画面の向こうで見ていた頃と違い、今のわたしにとってこれは、処刑エンドへ向かうカウントダウンの始まりだ。


 王太子ハルと聖女候補ミリアが出会い、恋に落ち、やがて悪役令嬢エルヴィラを断罪するまでの長いプロローグ。


(ここでぼんやりしていたら、本当に断頭台コース一直線なんだから)


 10歳の冬、神殿で物語台帳に「要再検証」と赤ペンを入れてから数年。わたしはずっと、自分の未来の棚卸しと修正に追われてきた。


 小さな事故の行をちょこちょこ書き換え、その反動で発生した幽霊行を拾い、世界補正の揺り戻しをメモにまとめる毎日。


 その結果、処刑行はまだ薄いインクのまま。けれど完全には消えていない。


 だからこそ、このアカデミー生活の間に、決定打になる何かを見つけなければならない。


   ◇


 入学してすぐ、わたしは学園の図書塔に陣取った。


 前世のゲーム知識と、物語台帳で見た行と、実際の出来事を照らし合わせるためだ。


「お嬢様、またこんなに……」


 侍女のリタが、机の上の紙の山を見て、半分涙目になる。


「必要最低限ですわ。前の職場の資料よりはずっとマシです」


「前の職場という単語がすでに不穏なんですけど」


 わたしは苦笑しながら、メモの隅に書いた文字を確認する。


 嫌がらせイベント候補、世界補正の発現パターン、わたしが台帳に入れた赤ペンの履歴。


 そして、近いうちに必ず発生するはずの、ハルとミリアの出会いイベント。


(図書塔の階段で、本を落として、それを受け止めた手が触れ合って、ときめき発生)


 前世ならにやにやする場面だが、今のわたしにとっては危険なフラグにしか見えない。


 とはいえ、ここで出会いそのものを潰すのは得策ではない。


 無理に邪魔をすれば、「悪役令嬢がふたりの仲を引き裂いた」という新しい太字行が物語台帳に生まれそうだからだ。


「だからまずは、嫌がらせ冤罪ルートの証拠固めからいきます」


「地味に聞こえますが、1番大事そうですね……」


「地味な作業こそ世界を救うんです。多分」


 前世の会社でも、誰かがやっている地味な確認作業のおかげで、何度も大惨事が回避されていた。評価はされなかったけれど。


 今度こそ、その地味仕事を、ちゃんと自分の未来に結びつけてみせる。


   ◇


 そんなふうに、授業の合間に証言集めと記録結晶の設置に奔走していたある日。


「グランツ公爵令嬢。少し時間をもらえるか」


 アカデミーの廊下で、静かな声に呼び止められた。振り向いた先にいたのは、淡い灰色の瞳を持つ青年。


 深い青の官僚服、きちんと整えられた濃い灰色の髪、感情の色をあまり浮かべない端整な顔。


(来た。氷の宰相補佐)


 エリアス・フォン・クロイツェル。物語台帳の監査一族の嫡男にして、若き宰相補佐。


 ゲーム本編ではほとんど登場せず、隠しルートにだけ顔を出してくる、あの危険な人気キャラだ。


「生徒会室で話を聞きたい。ついてきてくれ」


「……はい」


 断れる雰囲気ではなかった。


   ◇


 生徒会室は、学園の一室とは思えないほど書類に満ちていた。


 壁際の棚には分厚い帳簿、机の上には分類された資料の山。ペン立てには、インクの色違いのペンがきちんと並んでいる。


(完全に本社の会議室なんですけど)


 思わず胃がきゅっと縮む。条件反射だ。


「座ってくれ」


 勧められるまま席に着くと、目の前にどさりと1冊のファイルが置かれた。


「これは……?」


「きみから王宮に上がっている報告書の控えだ」


 エリアスは淡々と告げた。


「王太子殿下の素行、ミリア嬢の行動、学園内で起きた事故や騒動。日付と場所、目撃者、会話の要約付きでまとめられている」


「あ、あれは……」


 心臓が早鐘を打つ。


 まさか、こんなに早く宰相補佐直々にチェックされるとは。


「まず、官僚としての感想を言おう」


 エリアスがぱらぱらとページをめくる。


「読みやすい。整理されている。必要な情報が過不足なく揃っている。即戦力だ」


「そ、それはどうも……」


「だが問題がある」


 灰色の瞳が、じっとこちらを射抜く。


「これは、貴族令嬢が片手間に書ける量と質ではない」


「前の職場の稟議書に比べたら、だいぶマシなんですけどね……」


 やってしまった。


 口から勝手に前世ワードが飛び出し、わたしは自分の口を押さえる。


「前の職場?」


 エリアスの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「公爵家の仕事という意味でして」


「今のは言い直し方が雑だな」


 即座に見抜かれる。さすが氷の宰相補佐。


「それに」


 エリアスは別の紙束を取り出した。


 見覚えのある紙だ。神殿の印が押された、物語台帳の抄本。


「神殿の許可を得て、きみのページだけ写しをもらった」


 そこには、幼い頃からの出来事が簡潔な行で並んでいる。


 公爵令嬢として誕生、王太子との婚約、学園入学。


 そして、その少し下。


「断罪。処刑。要再検証」


 淡々と読み上げられた4文字に、喉がひりついた。


「……やはり、見えていたんですね」


「当然だ。物語台帳は、俺たち監査一族の仕事の対象だからな」


 エリアスは紙から視線を上げる。


「最初にこの『要再検証』を見たとき、信じられなかった。人間の手で入れたような赤字が、そこにあったからだ」


「普通は、できないんですよね」


「できない。神殿の大司教でも、未来の行に直接赤を入れることはできない」


 それなのに、そこにある。


 10歳の夜、熱にうなされながら、必死に書き込んだ4文字。


「だから、監視していた」


 エリアスは、驚くほどあっさりと言った。


「きみが暴走して世界を壊すのではないかと」


「そ、そうですよね……」


 世界から見れば、わたしは完全にバグだ。


「だが実際に起きたのはどうだ」


 彼は抄本の別の行を指で軽く叩く。


「小さな事故が減った。戦争のきっかけになりかけていた事件が、軽傷で済んだ。過労死予定だった文官が、ぎりぎりで部署異動になった」


「それは……」


 全部、わたしが物語台帳にちょこちょこ赤を入れた結果だ。


 花瓶が割れるはずだった日付をずらしたり、嵐の日の遠征に「要再検証」と書き込んだり。


「きみは自分の処刑を避けるために動き始めたはずだ」


「はい」


「だが結果として、他人の悲劇も少しずつ減らしている」


 エリアスの声が、わずかに柔らかくなる。


「だから今は、きみを世界のバグではなく、可能性として見ることにした」


 可能性。


 前の世界で、そんなふうに評価されたことはなかった。


 どれだけ残業しても、「助かるよ」の一言で終わりだった。


「……それで、わたしをどうするおつもりですか」


「共犯にする」


 即答だった。


「グランツ公爵令嬢エルヴィラ。きみと俺で、世界の台本を監査し、必要な行に赤を入れていく。そういう契約を結びたい」


「契約、ですか」


「そうだ。きみ1人で赤ペンを振るえば、いずれ潰れる。前の世界のきみように」


 前の世界。


 その言葉に、背筋がぞくりとする。


「きみが別の世界から来た、という話も、神殿から断片的に聞いている」


「あの人たち、本当に守秘の概念が甘いですね……」


「内容はぼかされていた。だが、誰にも止められずに倒れた、という部分だけははっきり伝わってきた」


 エリアスの灰色の瞳が、少しだけ鋭さを増す。


「同じことを繰り返させたくはない」


「……」


「だから条件を付ける」


 彼は指を折りながら続けた。


「1つ。きみは物語台帳に赤を入れる前に、必ず俺に相談すること」


「はい」


「2つ。自分の処刑回避だけでなく、その行が他人に与える影響も一緒に検討すること」


「肝に銘じます」


「3つ。限界を感じたら、『怖い』『疲れた』を我慢せずに言うこと」


「それは……難しいですね」


 前世では、そんな言葉を口にした瞬間、「じゃあ代わりを連れてきて」と言われそうで怖かった。


「言えないなら、この契約は結ばない」


 エリアスの声は淡々としていたが、その目は本気だった。


「きみがまた、誰にも止められずに倒れるのを、監査役としても、1人の人間としても見たくない」


 胸の奥がきゅっと締め付けられる。


 10歳のあの夜、物語台帳の前でふらふらになりながら立ち尽くしていた自分が、脳裏によみがえった。


「……努力します」


 完璧な約束はできない。でも、逃げたくはなかった。


「前の世界と同じ終わり方だけは、もうごめんです」


 震える声でそう告げると、エリアスは一瞬だけ目を細め、それから静かに手を差し出した。


「なら、きみを全力で甘やかす役は俺が引き受けよう」


「え」


「仕事をしなくても価値があると教える。役に立たなくても、いてくれるだけで助かる人間がいると覚えさせる」


 さらりと、とんでもなく甘いことを言う。


「きみが死にたくないと言うなら、筋書きごと変えればいい。俺と一緒に」


 その言葉に、全身から力が抜けていく気がした。


 前の世界で、誰にも言ってもらえなかった一言だったから。


「……分かりました。エリアス様。共犯契約、受けさせていただきます」


 わたしは深呼吸をしてから、その手を握り返した。


「どうか、これから先、わたしが暴走しそうになったら全力で止めてください」


「任せろ」


 握り返してきた手は、思っていたよりも温かい。


「ようこそ、台本の外側へ」


 エリアスがそう告げた瞬間、遠くで分厚い帳簿のページがぱらりとめくられる気配がした。


 エルヴィラ・フォン・グランツ、公爵令嬢。断罪。処刑。要再検証。


 その少し下に、新しい行が薄く浮かび上がる。


 氷の宰相補佐と共犯契約を結ぶ。


 わたしは、その文字を心の中でそっとなぞりながら、未来の自分に向かって小さく笑う。


(これでやっと、1人きりの残業から卒業です)


ここまでお読みいただきありがとうございます!

第3話では、ついにエルヴィラと氷の宰相補佐エリアスが共犯契約を結びました。

面白い・続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークが作者の何よりの励みになります。

感想もとても嬉しいです。今後も二人の台本書き換え劇を見守っていただけたら幸いです!


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