第2話 10歳の悪役令嬢と、真っ赤な修正印
わたしが初めて「世界の台本」に赤を入れたのは、10歳の冬だった。
◇
「お嬢様、熱が下がりませんわ……!」
侍女リタの慌てた声と、額に触れるひんやりした手の感触。視界の端で、金糸のカーテンがゆらゆら揺れている。
その揺れをぼんやり眺めていたはずなのに、次の瞬間、世界がひっくり返った。
──視界いっぱいのゲーム画面。
──選択肢のポップアップ。
──血のついた断頭台と、処刑される悪役令嬢。
全部、知っている絵だった。前世で、残業の合間にプレイしていた乙女ゲーム『ラピスラズリの王冠』。
そこにいた悪役令嬢の名前は、エルヴィラ・フォン・グランツ。
今の、わたし。
「……最悪」
10歳の子どもの口から出るにはだいぶ大人げない言葉が、勝手に漏れた。
でも仕方ない。
だってゲームの中のエルヴィラは、王太子と聖女候補の恋路を盛り上げるために嫌がらせをし、断罪され、最終的には処刑される役どころだったのだから。
過労死寸前まで働いた前世のわたしの次の人生が、公開処刑エンド付き悪役令嬢。
神様、趣味が悪すぎませんか。
◇
「高熱は峠を越えました。ですが念のため、神殿でお祈りと魔力の診察を」
白衣の宮廷医がそう告げたとき、父と母は顔を見合わせた。
北方を治めるグランツ公爵家の雪深い屋敷。その中庭を、白い息を吐きながら馬車が出ていく。
「エルヴィラ。苦しくはないかい」
膝の上に掛けられた毛布の端を、父が不器用に整える。戦場帰りのごつい手なのに、その仕草だけは妙に優しい。
「平気ですわ、お父様。ただの熱ですもの」
本当は平気じゃない。頭の中では、さっきからゲームのタイトル画面と断頭台CGがエンドレスリピート中だ。
でも、ここで取り乱しても仕方ない。
社畜時代に学んだことその1。
パニックになっても、仕様は減らない。
だったら、落ち着いて状況整理した方がマシだ。
馬車の揺れに身を任せながら、わたしは必死に情報を並べ替える。
ここは『ラピスラズリの王冠』の世界。
わたしは悪役令嬢エルヴィラ。
このまま何もしなければ、数年後に断罪されて処刑。
「……ない。絶対に、それだけはない」
小さく呟いた決意の声は、車輪の音に紛れて誰にも聞こえなかった。
◇
王都近郊の聖域に建つ大神殿は、雪に縁取られた白い石造りの建物だった。
高い天井、色ガラス越しに差し込む光。前世で見た教会にも雰囲気が似ているけれど、ここにはもっと濃い魔力の匂いがある。
「グランツ公爵令嬢をお預かりします。夜通しで様子を見ましょう」
穏やかな顔立ちの神官が、父と母に頭を下げる。
両親が下がり、リタが心配そうに何度も振り返って去っていくのを見送ったあと、わたしは神殿の奥の小さな部屋に通された。
石造りの床は少し冷たくて、空気は不思議なくらい静かだった。
「ご気分が悪くなったら、すぐに呼んでください」
「ありがとうございます」
神官が出て行き、扉が閉まる音が響く。
途端に、さっきまで抑えていたものが胸の奥からじわりと広がった。
「……怖い」
1人になると、素直な言葉がぽろりとこぼれる。
前の人生だって、ぎりぎりまで働かされたあげく、誰にもちゃんと止めてもらえなかった。
今度は台本通りに断罪されて処刑。
そんな理不尽なシナリオ、受け入れろという方が無理だ。
「変える。絶対に変えてやる」
布団の中でぎゅっと拳を握ったところで、再び熱の波が押し寄せてきた。
世界がぐらりと揺れたかと思うと、目の前の天井が、知らない風景に塗り替えられる。
◇
果てしなく続く廊下だった。
左右の壁一面に、巨大な帳簿がずらりと並んでいる。
一冊一冊が、わたしの身長の何倍もある。背表紙には、びっしりと金色の文字。
近づいてよく見ると、国の名前、人の名前、年代。
そのどれもが、薄暗い廊下の中で淡く光っていた。
「……何、ここ」
夢なのか、現実なのか。
自分の足音だけが、乾いた床にこつこつと響く。
無数に並ぶ背表紙の中から、ひとつだけ、妙に目につく本があった。
ラグランジュ王国史。
指先で触れた瞬間、帳簿がひとりでに開く。
紙の匂いと、インクの匂い。
前世で、紙の山と画面に挟まれて残業していた記憶が、変なところでリンクする。
「年表……いや、仕様書?」
そこに書かれていたのは、この国の歴史だった。
即位、戦争、飢饉、叛乱。
そして、その横には、人の名前と簡単な説明が箇条書きになっている。
英雄、宰相、聖女、そして。
視線が吸い寄せられるように、あるページで止まった。
エルヴィラ・フォン・グランツ。
そこだけ、インクの色がやけに濃い。
公爵令嬢。王太子婚約者。学園入学。聖女候補との確執。
行を追う指先が、最後の一文の前で止まる。
断罪。処刑。
「……ふざけてる」
誰かが冗談で書いた落書きなら、笑って破り捨てられたのに。
この文字には、妙な重みがあった。
世界そのものが、ここに書かれた通りに進みます、と宣告しているみたいな圧力。
ぞくりと背筋が冷えた。
でも、同時に。
「……フォーマット、雑ですね」
思わず社畜目線の感想が漏れる。
年号の書き方、行間、注釈の入れ方。
前の会社で見てきたアホみたいに統一感のない仕様書と、どこかよく似ていた。
余白もある。余白があるなら、修正はできる。
わたしの指先に、いつの間にか一本の赤いペンが握られていた。
どこから出てきたのかなんて、どうでもいい。
今はただ、このふざけた一文を前にして、黙っている方が無理だった。
「断罪、処刑……要再検証」
カツ、とペン先を紙に当てる。
赤いインクが、黒い文字の横にすっと走った。
要再検証。
たった4文字。
でもその瞬間、ページ全体が淡く揺らいだ気がした。
濃すぎたインクが、ほんの少しだけ薄まる。
「……書き換わった?」
胸がどくんと高鳴る。
完全に消すことはできない。
けれど、「絶対」の文字は、ほんの少しだけ「仮」の色合いになった。
なら、やれることはまだある。
仕様書は、一気にひっくり返すより、少しずつ直した方が安全だ。
社畜的リスク管理が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「他にも、変えられるところは……」
ページをめくろうとした瞬間、足元が大きく揺れた。
世界が、強制終了するパソコンの画面みたいに暗転していく。
耳の奥で、誰かの声がした。
まだ早い。
それ以上は、負荷が大きすぎる。
赤いペンが指先から滑り落ちていく。
床に届く前に、すべてが真っ白になった。
◇
「……エルヴィラ! 聞こえるか!」
遠くで、父の声がした。
まぶたを開けると、心配そうな顔がいくつも覗き込んでいる。
「お嬢様……!」
「リタ……? お父様、……お母様も」
母は目元を真っ赤にして、わたしの手を握りしめていた。
「よかった……もう、熱もだいぶ下がっていますと神官様が……」
神官が脈を取りながら、ほっと息をつく。
「不思議な夢を見ておられたようですが、もう大丈夫でしょう」
不思議どころか、人生の方向性を決める大事な夢だった。
わたしはまだ少しぼうっとする頭で、さっきの帳簿のページを思い返す。
断罪。処刑。要再検証。
赤い文字は、間違いなくそこにあった。
「……お父様」
「どうした」
「わたし、神殿の図書室で、国の歴史の本を読みたいのですけれど」
「今か」
「今すぐではありませんわ。熱が完全に下がってからで結構ですので」
父は驚いたように目を瞬き、すぐに苦笑した。
「医師と神官の許可が下りればな。……まったく、こんなときにまで勉強とは」
「エルヴィラらしいですわね」
母が微笑む。
勉強、というかリサーチだ。
世界の仕様書を読まずに、運命の修正なんてできるはずがない。
◇
それからしばらく、わたしは隙あらば歴史書や伝承を読み漁った。
神殿の図書室、公爵家の書庫、リタがこっそり借りてきてくれる市井の本。
王位継承、聖女、戦争、災害。
そして、ときどき目にする、妙な言葉。
物語台帳。
ストーリーレジャー。
神殿の奥深くに封じられた、世界の台本。
表向きはただの伝説。でも、わたしはすでに見てしまっている。
そこに、自分の名前と処刑の二文字が並んでいたことを。
「つまり、あれが本物の物語台帳。わたしだけが勝手に赤を入れた、ってことね」
自室で書類を広げながら、ひとりごちる。
試しに、あの日からごく小さなことでだけ、意図的に「未来」をずらしてみた。
例えば、
明日の茶会の天気。
予定されていたお客様の到着時刻。
侍女がうっかり割るはずだった花瓶の行方。
物語台帳を再び見ることはできなかったけれど、結果ははっきりしていた。
「完全には変わらないけど、少しだけずれる……」
本来雨になるはずだった午後が、しとしとした曇りになったり。
割れるはずだった花瓶が、机の端でぎりぎり踏みとどまったり。
世界は、台本通りに進みたがる。
でも、余白に赤を入れると、ほんの少しだけ進路を曲げてくれる。
問題は。
「大きいところをいじろうとすると、頭が割れそうになるのよね……」
処刑行の横に4文字書いただけで、あの消耗だ。
国の運命レベルのルートをいじろうとしたら、間違いなく倒れる。
なら、やり方はひとつ。
大きな修正を一気にやろうとしない。
細かい行から順番に、影響範囲を洗い出しながら少しずつ変える。
前世で、仕様書と睨み合いながら嫌というほどやらされた作業だ。
「やっぱり、社畜スキルって無駄にならないのね……」
嬉しいような悲しいようなため息が出る。
◇
そうしてわたしは、10歳のくせに妙に事務的な頭で、自分の未来の棚卸しを始めた。
王太子との婚約。
聖女候補のミリア。
王立アカデミー入学。
断罪パーティ。
ゲームのシナリオと、物語台帳の「断罪・処刑」の行。
そこへ至るまでの道筋を、できる限り細かく分解する。
嫌がらせイベントが起きる場所。
誰がどこにいたのか。
どんな言葉が交わされたのか。
全部、前世プレイの記憶と、現実の出来事とを突き合わせながらノートに書き出す。
「……こうして見ると、本当にテンプレね」
美少女ヒロイン、鈍感な王子、性格の悪い婚約者。
分かりやすい勧善懲悪の構図。
画面の前で遊んでいた頃は、それでよかった。
けれど、今は違う。
悪役令嬢の中身が、自分になった瞬間から、この台本はただの娯楽じゃなくなった。
「なら、書き換える」
ノートをぱたんと閉じる。
「処刑エンドじゃないルートを、自分で作る」
10歳のわたしがそのときに立てた計画は、今思えばかなり無茶苦茶だった。
だけど、あの夜赤ペンを握らなかったら、きっと何もしないまま断罪を迎えていた。
世界の台本に「要再検証」と書き込んだあの日から、わたしのやり直しは始まっていたのだ。
◇
そして数年後。
王立アカデミーで、わたしはもう1人、世界の台本に関わる人間と出会うことになる。
氷の宰相補佐、エリアス・フォン・クロイツェル。
物語台帳の監査一族の青年であり、わたしの無茶な修正に付き合ってくれる、未来の共犯者。
その出会いが、断罪パーティでの大逆転へとつながっていくのだけれど──それは、また次の話。
お読みいただきありがとうございます!
悪役令嬢が世界の「台本」に赤を入れていく物語、楽しんでいただけましたでしょうか。
少しでも続きが気になる、と感じていただけたら、評価やブックマーク、感想をぽちっとしてもらえると、とんでもない速さで次話を書きに走っていきます。
次回もエルヴィラと氷の宰相補佐候補を、どうぞ見守っていてください!




