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第1話 断罪パーティで台本に逆らうと決めました

 王立アカデミーの大広間から、音楽が抜け落ちた。


 ついさっきまで優雅だった弦の調べがぴたりと止まり、何十という視線が一斉に私へ突き刺さる。磨き上げられた大理石の床、きらめくシャンデリア、色とりどりのドレスと軍服。その真ん中で、私は白い手袋をした指先に扇子を乗せたまま、心の中だけで大きく息を吐いた。


 ……はい、来ました。断罪パーティ。


 この空気、この沈黙、この嫌な期待に満ちた視線。全部、知っている。


 前世で遊んでいた乙女ゲーム「ラピスラズリの王冠」、悪役令嬢ルート終盤の、あの有名な断罪イベントだ。


 私の名前はエルヴィラ・フォン・グランツ。北方を治めるグランツ公爵家の長女にして、この国の王太子殿下の婚約者。……そして、ゲームの中では、王太子と聖女の恋を華々しく盛り上げるために公開処刑される、テンプレ悪役令嬢でもある。


 元社畜OLだった前世の私は、過労死寸前まで働いたと思ったら、気づけばこの身体の中にいた。教養も礼儀作法も、貴族令嬢としての基礎は一通り覚えさせられていたけれど、10歳のある日、鏡の中で笑った自分の顔を見た瞬間、ゲームのシナリオとキャラクター情報が、津波みたいに頭の中へ流れ込んできた。


 そのとき知った自分の未来は、一言でまとめるとこうだ。


 処刑。


 ……いや、笑えない。


 ただでさえ一生分働かされてから死んだのに、次の人生のエンディングまで断頭台なんて、ふざけているとしか思えない。


 だから私は決めた。ゲームの筋書きなんて、絶対にそのままなぞらない、と。


「エルヴィラ・フォン・グランツ」


 低い声が、大広間の中央で響いた。


 音の主は、金の髪に青い瞳を持つ青年。淡い紺色の軍服を着こなし、絵本から抜け出してきた王子様みたいに整った横顔。ラグランジュ王国第一王子、レオンことハル・ヴァン・ルーヴェン殿下だ。


 彼の隣には、栗色のふわふわした髪を揺らす少女が立っている。華美ではないが可愛らしいドレスに身を包み、不安げに大きな瞳を潤ませて、殿下の袖をぎゅっとつかんでいる姿は、いかにも守られるヒロイン、といった雰囲気だ。


 平民出の奨学生でありながら、聖女候補と噂される少女。名前はミリア。


 ……うん、この並びも完全に知っている。ゲーム画面そのままだ。


「この場をもって、そなたとの婚約を破棄する」


 殿下が、芝居がかった動きで私を指さした。


 大広間に、どよめきが走る。さすがに「婚約破棄」という言葉の破壊力はすさまじい。貴族令嬢たちが息を呑み、扇子の陰から私と殿下を交互に見比べ、さっそく小声で噂を交わし始めている。


「まあ……」

「本当に殿下は決断なさったのね」

「よりにもよって、平民の娘のために……」


 ご丁寧に、セリフまでほぼゲームの通りだ。


 私は、扇子の端でそっと口元を隠したまま、心の中だけで乾いた笑いをこぼした。


(出だしはシナリオ通り。ここまでは想定内)


 問題は、この先だ。


「エルヴィラ。そなたはミリアを執拗にいじめ、ドレスを汚し、靴を隠し、階段から突き落とそうとまでした。心優しいミリアは黙って耐えてきたが、もはや見過ごすことはできない」


 殿下の声が、感情を込めすぎた台詞のように大広間へ響く。


 そう、ゲームだとここから、悪役令嬢エルヴィラが醜く言い訳をし、周囲から嘲笑され、最後には「断頭台送りだ」という国王陛下の宣告が下される。


 画面の前のプレイヤーだった私は、それを見て胸のすく思いをした。悪役が罰せられ、ヒロインが報われる。とても分かりやすい、勧善懲悪の結末。


 ……実際に断頭台に立つ側になってみるまでは。


(ほんと、前世の私、よくこんなルート楽しんでたな)


 今ならあの頃の自分に説教できる。悪役令嬢にも心はあるし、そもそも筋書きの段階でいろいろおかしい。


 けれど、この世界にはもっとおかしなものがある。


 視線を、ほんの少しだけ天井へ向ける。


 シャンデリアの向こう側。天井のさらにその先、誰にも見えないどこかに、巨大な帳簿があるような気がした。


 すべての重要な出来事が、行と行の隙間なく書き込まれた、世界の台本。物語台帳。


 私がそれを本当に見たのは、10歳のあの日、一度だけ……のはずだった。


 高熱で寝込んで、神殿で一晩過ごしたとき。冷たい石床の匂いと、祈りの声と、紙をめくるような音。夢うつつの中で、私は果てしなく続く帳簿の廊下を歩き、自分の名前が刻まれたページの前で立ち止まった。


 そこに書かれていたのが、「断罪。処刑。」のたった数文字。


 冗談にしては悪趣味すぎて、目を覚ましたとき、本気で神様にクレームを入れたくなったのを覚えている。


 けれど今、殿下が私を指さしているこの瞬間、視界の端にちらりと、淡く光るページが浮かんで見えた。


 エルヴィラ・フォン・グランツ、公爵令嬢。


 断罪。処刑。


 その行の上に、かすれた赤い文字で、「要再検証」と書き込まれている。


 私が震える手で、世界の台本に初めて赤ペンを入れたときの跡だ。


 あの夜、神殿で見たものが夢なんかじゃなかったと確信してから、私はずっと準備を続けてきた。台本に抗うために。処刑ルートを折るために。


 前世で覚えた社畜スキル全部と、この世界で新しく身につけた貴族令嬢としての技術を総動員して。


 侍女や使用人から証言を集め、記録結晶を学園中に仕込み、事件の年表を作り、報告書を山ほど書いた。


 物語台帳に直接赤を入れられるのは、きっと私だけ。けれど、台本そのものをひっくり返すには、世界を動かすだけの証拠と、権力と、根回しが要る。


 だから私は、ただの悪役令嬢をやめて、書類と事実で反撃することにした。


 断罪パーティ当日の朝、緊張で手が震えていた私に、ある人はこう言った。


『怖いなら怖いと言っていい。泣きたいなら泣いてもいい。それでも前に進むと決めたなら、あとは俺が支える』


 氷のように冷静な灰色の瞳で、そんな甘すぎることを言う人が世の中にいるなんて、前世の私が知ったら腰を抜かす。


 その言葉を、今も胸の奥で何度も反芻する。


「エルヴィラ、何か言い分があるなら聞こう」


 殿下が、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


 ここで泣いて許しを乞うのが、台本通りのエルヴィラだ。


 けれど私は、扇子をぱちんと閉じて、一歩前に出た。


「ありがとうございます、殿下」


 丁寧に裾をつまみ、完璧な礼をしてから顔を上げる。


「まず、このような公の場で、一方的に婚約破棄を告げられたこと。王家とグランツ公爵家の長年の盟約を思えば、残念でなりません」


 あちこちから、小さな息を呑む音が聞こえた。


 そりゃそうだ。断罪される側の悪役令嬢が、こんなに落ち着いているなんて、誰も想定していない。


「ですが、婚約破棄そのものについては、むしろ好都合です」


「……何だと」


 殿下の眉がぴくりと動く。


 私は、にっこり笑った。


「私も、殿下との婚約を解消したいと考えておりましたので」


 ざわり、と空気が波打つ。


「望むところですわ。婚約破棄、お受けいたします」


 ゲーム画面にはなかったセリフを口にしてやると、殿下だけでなく、ヒロインポジションのミリアまで目を丸くしていた。


「ま、待て。お前に拒否権などない」


「契約は、基本的に双方の合意が必要です」


 前世で稟議書と契約書に埋もれていた日々を思い出しながら、私はさらりと返す。


「もちろん、一方的な破棄も不可能ではありませんが、その場合は相応の理由と証拠が求められます。殿下は、それらをきちんとお持ちでしょうか」


「証拠なら山ほどある。今ここで告発した罪の数々がそうだろう」


「そうですね」


 私は、わざと一拍置いた。


「では、その真偽を確かめるために、こちらも準備をしてまいりました」


「準備、だと」


 殿下がぎょっとしたように目を見開く。


 私は、左手をゆっくり持ち上げた。


 白い手袋の上で、小さな青い石が光を受けてきらりと輝く。


「記録結晶をご存じですよね、殿下」


 淡い魔力を込めると、石がふわりと宙に浮かび、やがて大広間の天井近くにぼんやりと光の幕を広げた。


 その幕に映し出されたのは、見慣れた中庭の片隅。ベンチの陰、人気のない昼休み。


『ミリア。お願いしたこと、分かっているな』


 聞き慣れた声が響く。


 画面の中で、軍服姿のレオン殿下が、優しい笑みを浮かべてミリアに語りかけている。


『例の噂を広めるんだ。エルヴィラがきみに嫌がらせをしている、と』


『で、でも……わたし、本当に何もされていません……』


『今されていなくても、そのうちされる。あいつはそういう女だ。先に手を打っておかないと、きみが危険だ』


 大広間が凍りつくのが分かった。


 ざわ、と。誰かが息を呑む音。誰かが扇子を取り落とす音。


「な、なぜ……」


 殿下がうわずった声を漏らす。


 私は、淡々と説明を添えた。


「学園の中庭のベンチの裏に、小さな傷があるのをご存じでしょうか。設置の痕です」


 設置、と言っても、記録結晶を固定したときの傷、なのだけど。


「殿下とミリア様が、いつどこで、どんな会話をなさるか。だいたい予想できていましたので」


 ゲームで何十周も見たイベントを、現実の地図に落とし込むなんて、社畜時代の仕様書作成に比べれば簡単な作業だ。


 この映像はまだ、私たちが集めた証拠のごく一部にすぎない。


 本気でやろうと思えば、ここから一つ一つ事件の裏側を暴いていくことだってできる。


 けれど、今日の本題はそこじゃない。


 記録結晶の光の向こう。私には、別の行が見えていた。


 ハル・ヴァン・ルーヴェン王太子。


 聖女と共に悪役令嬢を断罪し、称えられる。


 薄いインクで書かれたその一文の隣に、赤いインクで新しい候補行が生まれかけている。


 悪役令嬢の処刑に失敗した場合、王国は破滅する。


 ぞっとするような文言。


 物語台帳は、私の我儘を許さない。


 処刑されるのが嫌なら、別の誰かが代わりに落ちる。台帳は、そういう顔をしている。


(それでも、私は台本を変える)


 喉の奥がひりつくほどの恐怖を押し込めながら、私は扇子を握る指先に力を込めた。


 前世では、誰も私を止めてくれなかった。


 だから倒れるまで働き続けて、そのまま死んだ。


 今度こそ、そんな終わり方はごめんだ。


「陛下」


 よく通る落ち着いた声が、大広間の高い天井から降りてきた。


 視線を上げると、観覧席の厚いカーテンがゆっくりと開いていく。


 王冠を戴いた国王陛下と王妃様、重臣たち。そして、その少し後ろに、黒髪に灰色の瞳を持つ青年の姿が見えた。


 氷の宰相補佐、エリアス・フォン・クロイツェル。


 ゲームの攻略サイトでこっそり人気だった隠しルートの彼が、今は私の協力者として、静かにこちらを見下ろしている。


「一連の調査と記録は、すべて私が監査いたしました」


 エリアスがそう告げるのを聞いた瞬間、私は胸の奥で、誰にも見えない小さなガッツポーズを決めた。


 これでようやく、台本は揺らぐ。


 物語台帳がどんなに世界を元の筋書きへ引き戻そうとしても、赤いインクで入れた私の修正は、簡単には消えない。


 あとは――。


 私は、王と世界と、そして自分自身に向かって、ゆっくりと微笑んだ。


(ここから先は、ゲームにはないページ)


(あの日、10歳の私が世界の台本に「要再検証」と書き込んだところから、全部やり直す)


 さあ、物語を巻き戻そう。


 処刑エンドしか知らなかった悪役令嬢が、初めて赤ペンを握った夜まで。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

少しでも「続きが気になる」「エルヴィラ頑張れ」と思っていただけたら、ブックマーク&評価☆が作者の生存燃料になります。

王太子と氷の宰相補佐に、これからたっぷりざまあ&溺愛させる予定です。

応援していただけたらとても嬉しいです!


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