恋のはじまり
いつもの洒落たバーの左端の隅の席。もちろんそこはカウンターで、目の前にはいつものマスター。そのマスターに「いつもの」なんて常連らしく言えば、マスターは優しげに目尻を垂れさせて、あたし専用の甘いカクテルを作ってくれる。
そしてあたしの隣には、
「Hi!!」
にこやかに手を振って近付いてくる外人さんが座るのだ。
「アヤメ、今日もキレイだね」
いつものお決まりのセリフを言いながら、ラルフはあたしの顔を覗き込んで言った。あたしはカクテルを喉に通しながら、ありがとう、といつものように笑う。
そりゃ、あたしだって最初は照れてはにかんだり、赤面させたりしてたけど、ラルフにとってはそれが挨拶だってわかったから、それ以来赤面させることはなくなった。まぁ、慣れって言うのもあるだろうけど。
「あ、マスター!ワタシにも何か下さい」
「かしこまりました」
マスターは手慣れた様子でお酒をチョイスして混ぜていく。シャカシャカと小刻みに良い音が聞こえてきて、あっと言う間に透明色なブルーのお酒をグラスについだ。
「どうぞ」
スッとだされたお酒にはレモンが刺さっていて、思わず見とれるほど綺麗な仕上がりだった。
ちなみにこの店は見つかりにくい場所にあって、訪れる人もわりと少ない。なのにこの店にくるお客さんはリピーターで、毎回同じ顔ぶれがそろってる。しかもみんな決まってだいたい1人でくる。そしてその場で相手を探したり、1人で静かにお酒を嗜むのだ。
現にあたしも顔見知りの知らない紳士的なオジ様をあいてに飲んだりする。
まぁ、たいていはお隣のラルフと飲むことの方が多いけど。
「アヤメ、今日はお酒のすすみ具合がハヤいね」
「ん?そう?」
口ではそう言ってるけど、確かに今日はピッチが早い。あたしにだって飲みたい日ぐらいあるのよ。特に、失恋した日くらい。
「なんかあった?」
「ちょっと」
失恋した、なんてラルフにいうのは惨めすぎる。とゆうか、失恋と言っても付き合っててフラれた、とか、告白してフラれた、とかじゃない。ただちょっと良いなって思ってた人が、他の女の子と資料室でいちゃいちゃちゅっちゅしてたのを見てしまっただけ(相当ショックだったけど)。
「ちょっと、って顔じゃナイヨ」
なおもくらいついてくるラルフに、あたしは降参と言わんばかりに手を挙げてため息を付いた。
「ちょっと失恋しただけだから気にしないで」
だから聞かないでよ、そう言おうとラルフを見上げると、ラルフの顔がしかめっつらになってた。なんでラルフがそんな顔してるのかわからなくて、思わずきょとんとした表情で彼を見つめれば彼の口がへの字に結ばれた。
「ソイツ、センスない」
「本当にねぇ。あたしこんなに良い女なのに」
なんてくすくす笑って言えば、ラルフは「本当にそうだよっ!」って不満そうな顔できっぱり言った。
「ワタシなら泣かせないのに」
そう呟いたラルフの声があまりにも低くてぎょっとしていると、ラルフが真剣そうな、でも切なげな視線を投げかけながら、あたしの目元をなでた。
「ちょっとアカイよ」
「………、」
男にしては綺麗な指先がするりと目尻に触れる。その行動と言葉に驚いて目を瞬かせると、ラルフはくすりと笑ってあたしの耳に顔を近づけた。
「アヤメ、ワタシにしなヨ」
「っ!?」
ボッ!と火がついたように顔が熱くなるのがわかる。どうしようもなく心臓がばくばくばくばくとうるさくて仕方ない。
「か、からかわないでっ」
「からかってナイヨ。ワタシは本気だよ?」
ジッと、澄んだグレイの瞳が見つめてくる。そんな目でみられたらますます顔が熱く、赤くなっちゃうじゃないのっ。
「他の子にも言ってるくせに」
「言うわけないでしょ」
「だって、他の子にもキュートだね、とか、言ってるじゃない」
「それはアヤメにジェラシー感じて欲しいからダヨ」
それとこれとは別ナノ。なんてラルフがクスクス笑いながら言う。
「ね、ワタシに恋してよ」
いたずらっぽく笑う彼の表情に釘付けになりながら、あたしは頭の中でこれから始まるであろう恋の鐘が鳴り響くのを感じた。
こんな恋も、良いかもしれない。
end.