表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

第3話 私とあなたが生きているという結果

 

 朝露が残る森の空気は、冷たいというより、少し痛かった。


 フィーネと共に、朽ちた礼拝堂を後にして半日ほど歩いた。

 今日の目的は決まっていない。ただ、彼女の足取りが少しだけ軽くなっているのを見て、俺は少し安心していた。


「……やはり、森は静かですね。獣の気配も、魔物の咆哮もない。少し、違和感があります」


「魔獣が絶滅したとか?」


「いいえ……静かすぎるのです。“気配を消している”ような、不自然な静けさです」


 そう言った直後、彼女がふいに立ち止まった。

 そして、しゃがみ込んで地面を指でなぞる。


「足跡……牙虎です。しかも三体分。おそらく、近くに群れがいるかと」


「牙虎って……たしか、筋骨隆々の猫みたいな魔獣か?」


「そうです。Bランクの討伐対象ですね。腕の立つ冒険者でないと、囲まれればまず助かりません」


「……逃げる?」


「できるものなら、そうしたいところですが……」


 フィーネが周囲を見回す。


「足音も風の流れも、変です。……気づかれています。来ますよ」


 ******


 その瞬間、茂みが音を立てて揺れた。


 黒い影が飛び出してくる。鋭い牙、分厚い前脚、金色の目――牙虎だ。

 しかも、左右からさらに二体。計三体。完全に囲まれている。


「下がっていてください、リオさん。ここは私が――」


 言い終わる前に、フィーネは剣を抜いた。


 銀色の細身の剣。それが朝日を浴びて、一瞬だけ星のように光った。


 牙虎の一体が唸りを上げながら突進する。

 フィーネは構えたまま、ほとんど動かず、それを待っていた。


 そして――一閃。


「――っ!」


 刃が風を裂き、牙虎の鼻面を斬り裂く。

 だが、傷は浅い。怒りに燃えるような咆哮とともに、さらにもう一体が横から飛びかかってくる。


「っ、く……!」


 フィーネの動きが一瞬鈍った。足場が悪いのか、それともまだ完全に回復していないのか。

 このままじゃ――!


「危ない!」


 俺は叫ぶと同時に、咄嗟に手にした石を放った。


 それが、なぜかちょうど飛びかかった牙虎の目元に直撃し、進行方向が逸れる。

 牙虎の爪が、フィーネのすぐ横の地面をえぐる。


「……え?」


 フィーネが、信じられないという顔をして、俺を見た。


「今の、偶然……ですか?」


「うん、多分。運がいいんだ、俺」


「……いえ、それにしてはタイミングが良すぎます」


 そんなことを話している間にも、最後の一体が回り込んできた。


「……さすがに三体同時はきついですね。リオさん、下がってください。本当に」


「無理だって。ここで逃げたら、俺、絶対後悔する」


「……もうっ、仕方ありませんっ!」


 フィーネはそう言うと、口調がわずかに崩れ、剣を再度構えた。


 ******


 そこからは、めちゃくちゃだった。


 俺は武器もスキルもない。

 けれど――運だけは、働いた。


 石を投げれば牙虎の足に当たり、足をもつれさせた。

 足元の枝を踏めば、それが跳ねて魔獣の目をかすめた。

 地面が崩れ、偶然転げた俺がフィーネを押した瞬間――彼女の剣が、敵の急所に突き刺さった。


「…………え?」


 一番驚いていたのは、フィーネ本人だった。


 そして数分後――三体の牙虎は全て地面に沈んでいた。


 ******


「はぁ……はぁ……」


 フィーネがその場に座り込み、額の汗をぬぐう。

 俺もへたり込んだ。


「……すごい戦いだったな」


「ええ……正直、途中で負けると思いました。ですが……なぜか、あらゆる不運を回避して、最後は勝ててしまった」


「……俺の“運”かな」


「……やはり、あなたのスキル、ただの【運】ではないのでは?」


 そう言われて、俺は少し黙る。


「……もしそうだとしても。俺は、ずっと“無能”扱いだったよ。証明もできない、説明もつかない。だから……信じてもらえるの、すごく変な感じだ」


「…………」


 フィーネは、少しだけ視線を落とした。


「私は……証明よりも、結果を重んじます。私が生きているという“結果”が、あなたの力であることは……否定できませんから」


 そう言ったあと、恥ずかしそうに目を逸らした。


「……っ、べ、別に! だからといって、信頼しているわけではありませんっ!」


「はは……わかってるよ」


 ******


 その夜。


 ふたりで焚き火を囲むのは、もう三度目だった。


 でも、最初の夜とは空気が違った。

 言葉は少なくても、沈黙が不快じゃない。


 フィーネは、火をじっと見つめたまま、ぽつりと言った。


「リオさん……」


「ん?」


「……その、さきほどの戦い……助けてくださって、本当にありがとうございました」


 素直な声だった。

 けれど、少しだけ震えていた。


「うん。……どういたしまして」


 それだけ答えると、彼女はふわりと微笑んだ。


 気高くて、どこか壊れそうだった彼女が、

 ほんの一瞬、年相応の女の子に見えた。


 世界は、きっとまだ冷たい。


 でも今は――この焚き火のぬくもりだけで、十分だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ